◆第22話 欲望の法は、逃げ道を残さない◆
魔王国ラスタ=ディアの朝は、静かに始まる。
鐘の音はない。
祈りの合図もない。
あるのは、人々の足音と、働き始める気配だけだ。
アリアは城内の回廊を歩いていた。
護衛はいない。
案内もない。
――それでも、迷わない。
(……不思議……
敵国のはずなのに……
怖くない……)
そのとき、広場の方からざわめきが聞こえた。
人だかり。
低い声。
泣き声。
アリアは、自然と足を向けていた。
◇◇◇
そこは、裁定広場だった。
円形の石畳。
中央に立つのは、ひとりの男。
縄で縛られているが、暴力の跡はない。
周囲には民衆。
怒号も、罵声もない。
ただ、重い沈黙。
(……裁判……?)
アリアの胸がざわつく。
魔王国にも、罪がある。
それは当然だ。
だが――
神官も、司祭も、聖騎士もいない。
代わりに立っていたのは――
ノアだった。
「これより、裁定を開始する」
淡々とした声。
感情が一切ない。
アリアは息を呑んだ。
(裁判を……感情なしで……?)
ノアが告げる。
「被告。
お前は“食糧配給の横流し”を行い、
十二名の民を飢餓に追い込んだ」
男は俯いたまま、かすれた声で言う。
「……生きるためだった……
家族が……」
どこかで聞いた理由。
聖王国でも、何度も聞いた言葉。
アリアの心が揺れる。
(……生きるためなら……
許されることも……)
ノアは続ける。
「だが、お前は“欲望を満たすため”に奪った。
生きるためではない。
より多く、より安全に生きるために、他者を切り捨てた」
男の肩が震える。
「……違う……俺は……!」
ノアは首を振らない。
怒らない。
ただ、事実を積み重ねる。
「魔王国では、“欲望そのもの”は罪ではない。
だが――
他者の欲望を踏み潰して成り立つ欲望は、裁かれる」
アリアは、息を忘れていた。
(……欲望を……否定してない……
でも……逃げ道がない……)
聖王国なら、こうだ。
「神に悔い改めよ」
「祈れば赦される」
「信仰があれば救われる」
だがここでは――
赦しが前提にない。
ノアは告げる。
「判決。
被告は、配給管理職を永久剥奪。
奪った食糧分の労働奉仕を命じる。
なお――
被告の家族への支援は継続する」
男が顔を上げる。
「……家族は……?」
「罪を犯したのはお前だ。
家族ではない」
一瞬、男の目から涙が溢れた。
「……ありがとう……」
アリアの胸が締めつけられる。
(……罰は与える……
でも……命も家族も奪わない……)
◇◇◇
裁定が終わり、民衆は静かに散っていく。
誰も怒鳴らない。
誰も石を投げない。
アリアは、足が動かなくなっていた。
(これが……魔王国の法……)
そこへ、
リアナがそっと声をかける。
「……怖かったですか?」
アリアは、正直に答えた。
「……はい……
でも……
聖王国の裁きより……
ずっと……厳しいです……」
リアナは小さく頷く。
「……魔王さまは言っていました。
“欲望を認めるなら、責任も逃がすな”って」
アリアの喉が震える。
(正義より……
欲望のほうが……
重い責任を背負ってる……)
◇◇◇
その夜。
アリアは、魔王に呼ばれた。
玉座の間。
だが玉座には座っていない。
魔王は、階段の途中に腰掛けていた。
「見たな」
「……はい」
「どう思った?」
アリアは、言葉を選びながら答える。
「……正しいとか……
間違ってるとか……
簡単に言えません……」
魔王は、少しだけ笑った。
「それでいい」
アリアは、意を決して言った。
「でも……
ここは……
“優しい国”じゃない……」
魔王は、はっきりと頷いた。
「優しくはない。
欲望を肯定する国は、
甘やかさない」
一歩、近づく。
「正義の国は、“間違い”を赦す。
その代わり、
何も変えない」
アリアの胸が痛む。
「だが、欲望の国は違う。
間違えたなら、
変わるまで背負わせる」
沈黙。
アリアは、ぽつりと問う。
「……魔王……
あなたは……
“正しい王”なんですか……?」
魔王は、即答しなかった。
しばらくして、こう言った。
「正しくあろうとはしていない。
――“誤魔化さない王”であろうとしている」
その言葉は、
アリアの心の奥深くに刺さった。
◇◇◇
部屋へ戻ったアリアは、
聖典を開き、
次に魔王国の法を開いた。
聖典には「赦し」が書かれている。
法には「責任」が書かれている。
アリアは、剣を見つめる。
(私は……
赦すために戦ってきた……
でも……
責任を背負わせる覚悟が……
あっただろうか……)
答えは、まだ出ない。
だが――
心は、確実に動いていた。




