◆第20話 崩壊前夜、正義は血を流す◆
聖王国の夜は、異様なほど騒がしかった。
鐘が鳴り、怒号が飛び、
祈りと呪詛が同時に空へ投げられている。
「魔王を呼べ!!」
「いや、魔王を拒め!!」
「神は死んだのか!?」
「神はまだ我らを見ている!!」
王都の大通りは、完全に二つに割れていた。
――親魔王派。
――反魔王派。
同じ国の民が、同じ言葉を使い、
互いを“裏切り者”と罵り合っている。
聖騎士団は鎧を着込み、
剣を抜くかどうかで、すでに仲間同士が睨み合っていた。
「下がれ! 民に剣を向けるな!!」
「命令だ! 魔王に与する者は反逆者だ!!」
その光景を、
勇者アリア・レーンは遠くから見ていた。
(……これが……正義……?)
胸が苦しい。
息が詰まる。
自分が剣を抜かなかったせいで、
自分が魔王を斬れなかったせいで、
国が壊れていくように見えてしまう。
だが――
(違う……)
アリアは、心のどこかで理解していた。
これは“自分のせい”ではない。
もっと前から、
この国は「考えること」を放棄していた。
◇◇◇
王城・地下聖堂。
神官長と上級司祭、
そして聖騎士長レオニスが集まっていた。
神官長の声は震えている。
「……勇者は、もう使えない」
重い沈黙。
レオニスが低く唸る。
「迷いを見せた瞬間、
勇者は“象徴”として死んだ」
司祭の一人が言った。
「ならば――
新たな“象徴”が必要だ」
神官長の瞳が歪む。
「……神の名のもとに、“奇跡”を作るしかあるまい」
レオニスは一瞬、目を細めた。
「……偽りの奇跡を?」
「違う」
神官長は微笑んだ。
「“必要な奇跡”だ」
地下聖堂の奥、
封印された祭壇が淡く光り始める。
そこには――
“勇者を補完するための儀式”が記されていた。
神官長は呟く。
「勇者が迷うなら、
勇者を導く“光”を作ればいい」
その光が、
どれほど歪んでいようとも。
◇◇◇
一方、王都の外れ。
魔王軍の救援拠点では、
炊き出しと医療が続いていた。
泣き止まない子ども。
倒れ込む老人。
怒りと恐怖で震える若者。
そこに、
魔王は姿を現していない。
それでも、人々は口にする。
「魔王さまが……助けてくれた……」
「神より先に……」
その言葉が、
聖王国の“神”を殺していく。
◇◇◇
その夜。
勇者アリアは、
剣を腰に差したまま、王城を抜け出した。
誰にも告げず、
どこへ行くかも決めず、
ただ――息ができる場所を求めて。
城壁を越え、
人影の少ない小道を歩く。
月明かりだけが、彼女を照らす。
「……勇者が夜遊びか?」
背後から聞こえた声に、
アリアは反射的に振り向いた。
そこにいたのは――
聖騎士長レオニスだった。
「レ、レオニス様……!」
彼の表情は、いつもの厳格さとは違っていた。
怒りと、焦りと、恐怖が混ざっている。
「逃げるのか、勇者」
「ち、違います……!
私はただ……考えたくて……」
レオニスは剣に手をかけた。
「考える必要はない。
勇者は“信じる”だけでいい」
アリアは、はっきりと言った。
「……それは、もう正義じゃありません」
一瞬、
世界が止まったように静まる。
レオニスの顔が歪んだ。
「……魔王に、何を吹き込まれた?」
「何も……
ただ、“自分で考えろ”と言われただけです」
その言葉が、
レオニスの中の何かを壊した。
「――それが、最大の毒だ!!」
剣が抜かれる。
鋭い殺気。
「勇者アリア・レーン。
国家と神に刃向かう者は、
もはや勇者ではない」
アリアは震えながらも、剣を抜いた。
(戦いたくない……
でも……逃げたら……)
刃と刃が、月光の下でぶつかる。
――キンッ!!
アリアは、初めて理解した。
(ああ……
この人は……
“正義のために戦っている”んじゃない……)
レオニスの剣は、
恐怖から振るわれていた。
“正義が崩れる恐怖”。
“象徴を失う恐怖”。
“自分が間違っていたかもしれないという恐怖”。
だからこそ、
彼は剣を振るう。
(……これが……正義の成れの果て……)
アリアの剣は、
無意識のうちに、相手の喉元で止まっていた。
レオニスは、息を荒くして睨みつける。
「……殺せ。
それが勇者の役目だ」
アリアの手は震える。
殺せない。
でも――
「……私は……
あなたの“恐怖”のために剣を振るえない」
その瞬間。
――ドンッ。
衝撃とともに、
二人の間に“影”が落ちた。
黒い外套。
夜よりも静かな存在感。
魔王だった。
「そこまでだ」
レオニスの顔が、恐怖で凍りつく。
「……ま、魔王……!!」
魔王は、アリアの前に立つ。
「勇者を殺す気か?」
レオニスは歯を食いしばる。
「貴様が……
すべてを狂わせた……!」
魔王は冷静だった。
「違う。
壊れたものが、壊れるべき形で壊れているだけだ」
レオニスは、剣を握る手が震え続ける。
魔王は、静かに告げた。
「勇者は、もう“国家の道具”じゃない。
――俺が、連れていく」
アリアの心臓が跳ねた。
「え……?」
魔王は振り返らず、
ただ手を差し出す。
「来い。
今夜は、選ばなくていい。
選ばされる場所から、離れるだけだ」
アリアの目から涙が溢れる。
(逃げたい……
でも……それは裏切りじゃ……)
その迷いに、
魔王は言った。
「生きるために逃げるのは、裏切りじゃない」
その言葉で、
アリアの中の何かが切れた。
彼女は――
魔王の手を取った。
◇◇◇
その瞬間。
聖王国のどこかで、
鐘が鳴り止んだ。
神官長は、地下聖堂で呟く。
「……勇者が……消えた……?」
聖王国は、
“象徴”を失った。
そして――
魔王のもとに、
勇者が“保護”された。




