◆第19話 崩れゆく聖王国と、ひとりの勇者◆
聖王国――朝。
城下町の中心広場で、大きな悲鳴が上がった。
「食糧庫が……空だ……!!」
兵士たちが駆けつけるが、住民の怒声で押し流される。
「神官たちが管理していたんだろう!?
どうして何も残ってないんだ!」
「祈れって言われたって……祈ってる間に子どもが飢えるんだよ!!」
怒り。
不満。
不信。
その全てが、神官たちへ向けられた。
神官長は震える声で叫ぶ。
「落ち着け! これは魔王の策略だ!
魔王が我らの食糧庫を――」
その叫びに、住民のひとりが返す。
「魔王は“食糧をくれた側”だ!!」
広場が一瞬で静まり返った。
神官長は、反論できなかった。
(魔王のせい……?
でも魔王は“与えた”だけだ……
奪ったのは……私たちの国だ……)
アリアは、胸の奥がじわりと痛むのを感じた。
聖騎士長レオニスが怒り狂う。
「黙れ! 魔王を擁護するつもりか!?
奴は世界を欲望で堕落させる悪だ!!
お前たちは聖王国の民だろうッ!!」
しかし住民は目をそらし、呟く。
「……正義が何をくれた……?」
「祈りで救われたことなんて、一度もない……」
その言葉は、レオニスよりもアリアの胸をえぐった。
(私は……何も救ってない……
魔王のほうが……“救っている側”だ……)
アリアは今、誰よりも胸が痛かった。
◇◇◇
王城の作戦室。
神官長と貴族たち、そして聖騎士団が集まっている。
空気は最悪だった。
神官長:「民が神への信仰を失い始めている!」
貴族:「魔王に救われた国が出た時点で終わりだ!」
騎士:「勇者はなぜ魔王を斬らなかった!?」
司祭:「勇者が迷っているからだ!」
別の司祭:「そんな勇者に何を期待できる!?」
アリアは俯いたまま、指先が震えていた。
(どうして……私だけ責められるの……
魔王に斬れる理由が……無かっただけなのに……)
レオニスが重々しい声で告げる。
「勇者アリア・レーン。
貴様は魔王に心を動かされた。
それは事実だな?」
アリアは震えつつ、正直に答えた。
「……はい。
でも――だからこそ、私は“確かめたい”。
本当に魔王が悪なのか……
私自身の正義で、判断したい」
国中の人間が息を呑んだ。
神官長は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「それは反逆だッ!!
勇者が迷うなど許されぬ!!
神の敵を疑うなど――!」
アリアの胸が締めつけられる。
(私は……間違っているの?
それとも……皆が“考えることをやめている”だけ……?)
だが、その時。
扉が勢いよく開いた。
「緊急報告ッ!!」
兵士が全身血まみれで飛び込んできた。
「南部国境で……暴動が発生!!
『魔王に助けを求めるべき』派と
『魔王を倒せ』派が衝突し……!」
ざわめきが広がり、神官長が震える声で問う。
「死傷者は……?」
兵士は答えられず、ただ首を振った。
「国が……割れ始めています……」
王城の空気は絶望に染まる。
アリアの胸はさらに痛む。
(私が……魔王を斬れなかったから……?
それとも……この国が、最初から脆かっただけ……?)
しかしそのときだった。
別の兵士が駆け込む。
「報告ッ!
魔王軍が――“救援部隊”の名で
聖王国へ再び向かっています!!」
会議室が凍りつく。
救援?
侵略ではなく?
アリアは確信した。
(あの人は……“戦争を始めるつもり”じゃない……
“戦争をさせないつもり”なんだ……)
それが――
聖王国にとって、最も危険な侵略だった。
◇◇◇
魔王国ラスタ=ディア。
黒玉座に座る俺の前で、
ノアが淡々と報告を続ける。
「聖王国の南部は、すでに実質的な内戦状態。
『魔王に救われたい者』が増えており、
大量の難民が国境へ向かっています」
カイトが笑う。
「このままいけば、聖王国は自壊する。
勇者の誕生からわずか数週間で……歴史が変わるな」
ヴィオラが肉食獣のように笑う。
「戦争する前に勝つなんて、面白いじゃない」
リリスが夢の中を覗くように言う。
「勇者アリア……心が揺れすぎて、夢が乱れてます。
彼女、そろそろ……壊れますよ?」
リアナは不安げに尋ねた。
「魔王さま……勇者を……どうするつもりですか……?」
俺は静かに答えた。
「壊すつもりはない。
ただ――“選ばせる”。」
リアナ:「選ばせる……?」
「自分の正義を。
神の正義を捨てれば俺の側に堕ちるし、
国の正義を守れば俺と戦う。
どちらを選んでも構わない。
ただし――
その選択を“自分の欲望”で下させる。
それが重要だ」
リアナは胸に手を当てて呟く。
「魔王さまは……本当に残酷で……優しい……」
◇◇◇
その夜、勇者アリアの部屋。
アリアは床に膝をつき、
剣を抱きしめるようにして泣き崩れていた。
「どうして……どうして……
私の世界はこんなに揺れてしまうの……」
そこに――
一陣の風が吹いた。
窓が開き、
月明かりの中にひとつの影が映る。
アリアは息を呑んだ。
「……魔王……?」
魔王は、窓辺に立ったまま静かに彼女を見る。
アリア:「どうして……ここに……!」
魔王:「お前が“来てほしい”と願ったからだ」
アリアの胸が熱くなる。
その言葉は甘く、危険すぎた。
「勇者。
お前はいま、世界のどこより孤独だ。
だから――
“正義”を捨てるか、
“欲望”を捨てるか、
そのどちらかを選ぶしかない」
アリアは涙を拭い、震えながら問う。
「私は……どちらを選べばいいの……?」
魔王はすぐには答えず――
そっと手を差し出した。
「その答えが出るまで、
誰にも奪わせはしない。
――お前の心は、お前だけのものだ」
アリアの涙が溢れる。
(どうして……
神でも国でもなく……
この魔王だけが……
“私を私として見てくれる”の……?)
手を伸ばしたい。
けれど伸ばせない。
魔王は静かに告げた。
「迷い続けろ。
迷ってもいい。
正義は迷ってはいけないが……
人は迷っていい。」
アリアの心は完全に揺れた。
「魔王……私は……」
言葉が続く前に、
魔王は月明かりへ溶けるように姿を消した。
残されたアリアは、
胸を押さえて泣きながら呟く。
「……こんなの……倒せるわけ……ないよ……」
それは敗北の言葉ではなく――
心を奪われていく少女の、
切実な告白だった。




