◆第18話 救われたい国、救われたくない国◆
世界地図の色が変わり始めた。
力ではない。
軍事でもない。
“救済”という名の欲望 が、世界に広がり始めた。
食糧は魔王国より届く。
医療は魔王国が改善する。
孤児院には暖かい毛布と薬が配られ、
働けない民には仕事が与えられる。
聖王国の民ですら、
国境で配られる魔王軍の炊き出しに列をつくってしまっている。
「なぜ……魔王が……うちの民を救っているんだ……?」
聖王国の司祭たちは動揺し、
騎士たちも抗議の声をあげる。
「それでは! まるで!
魔王の方が神よりも慈悲深いようではないか!!」
「魔王などに頼るな! 神に祈れ!!」
その怒りは、民へ向けられた。
しかし、民の心はその瞬間――ひび割れた。
「祈っても救われなかったから、並んでいるんだよ」
「子どもを救ってくれたのは魔王軍だ」
「神官は祈るだけで何もくれない」
司祭たちは言葉を失った。
聖王国は、“正義”と“信仰”の国だ。
だが、魔王はその土台を一瞬で揺るがしてしまった。
◇◇◇
聖王国・王都。
勇者アリアは、重苦しい空気の広がる王都の中で立ち尽くしていた。
街を歩くと、民たちの噂が聞こえてくる。
「魔王軍、また薬を配ってくれるってよ」
「うちの子、熱が下がったんだ……魔王さまのおかげだ」
「祈っても何も変わらなかったのに」
アリアは胸が締め付けられた。
(魔王を討つことが……
本当に“正しい”の……?)
聖騎士長レオニスが冷たく言い放つ。
「勇者よ。
民の心を惑わすな。
神の敵に情けをかけるな」
アリアは反射的に言い返す。
「私は……情けなんてかけていません……
ただ……魔王が“悪”に見えないだけで……!」
レオニスの眉が跳ね上がる。
「貴様、いまなんと言った?」
アリアは気づく。
どんな言葉を返しても、火に油を注ぐだけだ。
だから、俯き黙った。
レオニスは吐き捨てるように言った。
「勇者の役目は“悪”を討つことだ。
迷いを捨てろ。
迷いは……聖王国への裏切りだ」
その言葉は、
勇者を縛る鎖であり、
アリアの心をじわりと壊していく。
◇◇◇
一方――魔王国ラスタ=ディア。
玉座の間に、各国からの新たな報告が届いていた。
ノアが淡々と読み上げる。
「魔王国へ“移住希望者”が急増しています。
主に、聖王国・イルミナ帝国・海洋連邦の下層民です」
カイトが微笑む。
「うまくいってるな。
戦わずして国の中身を変えるとは」
ヴィオラが笑う。
「血を流さずに人心を奪うなんて、魔王らしくないねぇ。
もっと残酷に奪うのかと思った」
俺は肩をすくめた。
「残酷じゃないさ。
欲望を叶えるのは、善にも悪にも分類されない」
リリスが楽しげに言う。
「夢の中でも同じ現象が起きています。
“魔王に救われたい”夢を見て、自分を責める者が増えている」
ゼファルは静かに告げる。
「死者の国でも話題だ。
命を救われた者ほど、魔王へ執着する」
アースガルドが地を鳴らす。
『土が肥え始めている。
救われた者の“感謝”は、やがて“従属”へ変わる』
リアナが少し不安げな声で質問した。
「魔王さま……これって……侵略なんですか?」
俺は真っ直ぐ答える。
「侵略ではない。
支配でもない。
ただ――“求めている者に応えているだけだ”。」
リアナは胸を押さえ、微笑んだ。
「……やっぱり魔王さまは……最低で、最高ですね……」
◇◇◇
その夜。
聖王国・城壁の上。
アリアは剣を抜かずに、夜空を見上げていた。
(私の“正義”ってなんだろう……
魔王を討つこと?
それとも……民を救うこと?)
答えは出ない。
だから――そっと呟いた。
「魔王……あなたは……なにを望んでいるの……?」
その瞬間。
風が揺れ、月が雲間から現れる。
そして――下の街路に、誰かが立った。
黒い衣。
黒い旗。
黒い影の護衛。
魔王だった。
アリアの心臓が跳ねる。
「ま、魔王……!」
魔王は城壁の上を見上げながら、落ち着いた声で問う。
「迷っているようだな、勇者」
アリアの喉が潤む。
「……どうして……わかったんですか……」
「迷いの匂いは、甘い。
救われたい者と、救いたい者の匂いだ」
アリアは息を呑む。
魔王は続けた。
「勇者。
お前の正義はまだ“神の正義の模倣”だ。
それでは、戦えない」
「じゃあ……私の正義って、なんですか……?」
魔王の瞳は月光を受けて光った。
「それを探すために生きること。
それこそが――“欲望”だ」
アリアは胸を押さえる。
その言葉は甘美で、危険で、
正しすぎる。
魔王は歩き出す。
「近いうちに、戦場で会う。
そのときまでに――
自分の正義を見つけろ。
神のためでも、国のためでもなく。
お前自身のために剣を振れ。」
アリアは叫びたくなるほど苦しくなった。
「魔王ッ!!
私は……あなたを……倒せるんですか……!?」
魔王は一度だけ振り返った。
月光の中で、その瞳は哀しげで、美しかった。
「倒すか、倒されるか――
どちらでも構わない。
大事なのは、
“お前が自分の正義のために選ぶこと”だ。」
そして闇に溶けて消えた。
アリアはその場に膝をつく。
涙が頬を伝う。
(魔王……どうして……
あなたの言葉だけが……こんなに心に刺さるの……)
勇者は、魔王を憎めない。
それは致命的な弱点。
だが同時に――
ふたりを結びつける、決定的な“運命”でもあった。




