◆第17話 戦火は祈りから始まる◆
聖王国・聖大聖堂。
勇者アリアは玉座の間ではなく、
巨大な大聖堂の中央――祭壇前に立たされていた。
集まっているのは神官、貴族、聖騎士、民衆。
客席のように段々に並ぶ装飾席の全てが埋まり、
視線のすべてがアリアへ注がれている。
「勇者アリア・レーン!」
神官長の声が響く。
「魔王はヴァルデア王国を堕とし、各国への侵攻を開始した!
神に選ばれし勇者よ!
汝は“神の意志”のために剣を取る覚悟があるか!」
期待。
熱狂。
信仰。
その視線の熱量は、祝福ではなく圧力だ。
アリアは俯きそうになるのを必死に堪えて答えた。
「……私は――世界を救うために戦います」
その瞬間、割れんばかりの歓声が大聖堂を満たす。
だがアリアには、胸の奥にどうしようもない違和感があった。
(今の私は――“誰のために戦う”と言ったんだろう)
世界のため?
人々のため?
神のため?
あるいは。
(魔王を“確かめるため”……?)
誰にも言えないその疑問が、足元を不安定に揺らす。
司祭たちが祝祷を捧げると、
聖騎士長レオニスがアリアに刃を突きつけた。
「勇者、誓いを!」
アリアは覚悟を決め、剣を握る。
「私は――魔王を必ず討ちます!」
場内は総立ちとなり、祈りと歓声が渦巻いた。
それは祝福の祈りではなく、
戦争を求める“期待の祈り”だった。
◇◇◇
同じ頃。
魔王国ラスタ=ディア。
黒玉座の間で、魔王軍の軍議が開かれていた。
巨大な魔導地図に世界各国の情勢が映し出される。
●聖王国 —— 勇者の聖戦宣言
●北方ヴァルデア —— 魔王国へ同盟転移
●東イルミナ帝国 —— 聖王国に援軍派遣
●海洋連邦 —— 中立姿勢、だが揺らぎ始めている
ノアが淡々と説明する。
「聖王国が、ついに“勇者戦争”という名目で世界を巻き込もうとしています」
カイトが書類を叩きつけた。
「宗教と正義がセットになると、民は簡単に狂う。
戦争を望むのは指導者じゃない。
“民衆”だ」
ヴィオラが笑う。
「正義中毒ほどタチの悪い欲望はないのに」
メルカドが拳を鳴らす。
「敵が来てくれるなら楽でいいんだがな」
ラザロスは肩を竦める。
「死体の山を築きたいわけじゃないだろ? 魔王」
リリスがくすくす笑う。
「夢で揺さぶるより、もっと劇的に落とした方がいいかもしれませんね」
バハルザードが翼を広げる。
「空の彼方に、勇者の気配。
来るべき時は、近い」
ゼファルが低く響かせる。
「死者の影が、勇者の足元に忍び寄っている」
アースガルドが断言する。
『勇者を“殺せない”のなら、別の意味で折るのだ』
リアナが困惑の表情で見つめた。
「魔王さま……戦争の始まりに、なにを望むのですか?」
俺は指を一本だけ地図に突き立てる。
「――聖王国の最前線に、“救済”を送る」
軍議室が静まり返る。
「食糧、医薬品、孤児の保護、病院、労働条件の改善。
ヴァルデアでやったのと同じだ。
聖王国が戦争を叫ぶほど、国内が先に割れる」
ノアの目が光る。
「“魔王に救われたい民”と
“魔王を倒さねばならない信徒”の対立……」
カイトが笑う。
「……国が内側から壊れる」
リアナは震えながらも理解する。
(魔王さまは……戦争しながら救う……
救いながら壊す……
そんなやり方……他の誰にもできない……)
◇◇◇
数日後――聖王国国境。
勇者アリア率いる先遣部隊が国境砦に到着した。
敵の旗――魔王国の黒旗が砦の向こうまで迫っていると聞き、
アリアは剣に手を添えながら歩み寄った。
だが――衝撃が走る。
砦の前にあったのは、戦場ではない。
難民キャンプだった。
暴動で家を失った聖王国民、
飢えた幼子を抱えた母、
包帯だらけの兵士。
その全員が――魔王軍の医師・兵士・魔導師に看病されている。
食糧の列。
医療の列。
安全なベッドと毛布。
そしてその中心に――
魔王がいた。
(どうして……どうして戦場じゃなくて、救済をしているの……?)
アリアの胸が痛む。
敵意を向ける理由と、
敵意を向けられない理由が混ざって、
心がかき乱される。
魔王はアリアを見つけても挑発しなかった。
ただ、静かに言った。
「助けに来たのか? 勇者」
アリアは咄嗟に答えられない。
(助けに来たのは……私じゃない……
救っているのは……魔王だ……)
魔王は人々の方を向いたまま続けた。
「今日ここにいる者は、全員“命令されて”来たわけではない。
“生きたい”と願って歩いて来た者たちだ」
アリアは苦しいほど理解してしまう。
(それは……“欲望”だ……
でも……それを否定できない……)
魔王はふとアリアの方へ視線を戻し、
言葉の刃を投げる。
「勇者。
お前が戦う覚悟を本気で持てたなら、
俺を斬れ」
あの日と同じ挑発。
だがあの日よりずっと――胸に刺さる。
(斬れない……どうして……)
アリアの手は剣の柄を掴んだまま震える。
「斬れない理由を間違えるな」
魔王の声は優しくも鋭かった。
「俺が強いからじゃない。
俺が悪くないからでもない。
まだ“お前自身の正義”が決まっていないからだ」
勇者の膝が揺れる。
魔王はそれ以上近寄らず、静かに背を向けた。
「決まったら来い。
世界ではなく――お前自身の正義のために戦いに来い」
魔王軍は撤収を開始。
武器を振らず、血を流さず、救済だけを残して去っていく。
砦には、泣き崩れる民と兵士たちが残された。
そして――ただひとり、震える勇者。
(なんで……なんで……私は魔王を憎めないの……?)
アリアは涙を堪えきれず、膝をついた。
その横で、
レオニスが叫んだ。
「なぜ剣を抜かなかったッ!!!
貴様、魔王に心を――!」
アリアは震える声で答えた。
「違う……でも……
魔王が“悪”だと言い切れなかった……
いまの私には……言い切れなかった……!」
その言葉は、
聖王国の内部崩壊の始まりだった。
◇◇◇
魔王国ラスタ=ディア。
玉座に戻った俺は、弱々しく笑うリアナの横で告げた。
「勇者は、もう剣を振れなくなった」
守護者と四天王が静かに笑う。
「次は?」とリアナ。
「簡単だ」
俺は黒旗を掲げる。
「――救済を広げる。
勇者が剣を抜く理由を、世界から奪う」
“正義なき勇者”ほど、堕ちやすい存在はいない。




