◆第15話 救済という名の侵略◆
ヴァルデア王国――人口三百万。
肥沃な土地を持ちながら、十年に及ぶ内戦で荒廃した国。
王城の灯りは暗く、街にも活気はない。
飢えた民が家の前に並んでいるのは、食糧配給のためだ。
だが、それだけでは足りず暴動も絶えない。
そんな国に、ひとつの噂が駆け巡っていた。
「黒い国旗の軍団が来るらしい」
「魔王軍だ。殺しに来るんじゃない」
「いや、助けに来るって話もある……?」
王城――戦争で傷ついた玉座の間。
王は痩せ、貴族たちは互いの責任を押し付け合っている。
「も、もう限界だ……食糧がない……兵の士気も底を尽いた……!」
「魔王軍が動いていると聞いた!
今この国に来るのは侵略に決まっている!」
「援軍を!? どこに!?
どこの国も余裕がない! 我々は見捨てられた!」
悲鳴のような声が飛び交う中――
衛兵が駆け込んできた。
「報告ッ! 北門に、魔王軍の先遣隊が接近ッ!!」
王と貴族たちの顔が絶望色に染まる。
だが……
「い、いえ……攻撃ではありません!
“食糧と医薬品を積んだ輸送隊”です……!」
一斉に息を呑む。
食糧と医薬品。
この国が今、最も欲しているもの。
「な、なぜだ……侵略ではないのか……!?」
貴族が震える声で言う。
「まさか……我々に恩を売り……服従させるつもりか……?」
王は硬直したまま立ち上がる。
「……なぜ魔王軍が、我々を……?」
その疑問が答えられるより早く、
玉座の間の大扉が静かに開いた。
黒い旗。
騎士団。
そして、その中央――
魔王が来た。
俺は武器も上げず、陣形も取らず、
ただ歩いて玉座の前まで進む。
兵士も王も、膝が震えて立てない。
静かに告げた。
「この国は、救いを求めている」
誰も返せない。
反論も、肯定もできない。
“否定できない真実”だから。
俺は王の目を見る。
「助けを求めないのなら、帰る。
欲望を否定した国に、干渉する気はない」
王は声を振り絞った。
「……な、なぜ……魔王が……我々を救う……?」
「救うつもりはない」
俺は即答する。
「ただ――叶えてやるだけだ。
“生きたい”という欲望を」
王は黙る。
誤魔化せない。
偽善も美談も存在しない。
俺はゆっくりと告げる。
「この国の民に問おう。
生きたいか?」
沈黙。
だが、城の外から――ざわりと声が揺れ始めた。
「生きたい……」
「死にたくない……」
「生きたい!」
その声は波のように広がり、
とうとう王城の中にまで押し寄せた。
“生きたい”
欲望の言葉。
誰も、もう止められない。
リアナは肩を震わせながら祈るように聞いていた。
(魔王さまは……欲望を利用している……でも、誰より救っている……)
ファルドの輸送部隊が町に入り、
薬と食糧が配られていく。
飢えた親子が泣きながらパンを抱きしめ、
病人の熱が下がり、
商人たちは再び取引を始めた。
街が、ゆっくりと生き返っていく。
そして――
救われた者の心の奥に、
たったひとつの感情が芽生える。
“また助けてほしい”
それは、依存の始まり。
侵略の始まり。
夜。
ヴァルデア王国の広場に、人々が集まり始めた。
誰も命令していない。
自然と、魔王軍がいる城門前に集まる。
「……ありがとうございます……」
誰かが呟く。
「助けてくれて……ありがとう……」
それは――感謝。
でも、その奥には――欲望。
「もっと生きたい」
「もっと楽になりたい」
「もっと豊かになりたい」
そう願い始めた者は、
もう魔王国から逃れられない。
リアナが震える声で俺に問う。
「魔王さま……この国をどうするんですか?」
俺は、静かに笑った。
「助けてほしいと言うなら、“助け続ける”」
リアナが息を飲む。
「……服従させるのではなく……?」
「服従は、欲望の死だからな。
俺は命令しない。
この国の民が、自分たちで選ぶ」
王も、貴族も、兵士も、民も――
全員が俺を見ている。
俺は旗を掲げた。
「この国の欲望の王は――誰だ?」
しばしの沈黙。
そして――
一番最初に叫んだのは、子どもだった。
「魔王さまです!!」
次に、母親。
次に兵士。
次に老人。
次に王。
同じ言葉が、遠雷のように響いていく。
「魔王さまです!!」
「魔王さまを王に!!」
「魔王が必要だ!!」
王国の民が――自分たちで“魔王を王に選んだ”。
俺は、静かにバルコニーに立った。
「この国は――今日からラスタ=ディアの同盟国だ。
武力も、宗教も、支配も強いらない。
だが、“願えば与える”。
欲望を肯定する限り、俺は応え続ける」
民は歓喜し、泣きながら叫んだ。
“魔王万歳!”
“魔王が欲望を叶えてくれる国を!”
侵略は――成功した。
一滴の血も流れずに。
ただ欲望を叶えてあげただけで。
◇◇◇
聖王国・勇者アリアの部屋。
使者が駆け込んでくる。
「大変です!! ヴァルデア王国が――魔王と“同盟”を!!」
アリアは立ち上がった。
「違う。魔王に……占領されたんじゃなくて……
自分たちから、魔王にすがった……?」
胸が苦しい。
怒りか、悲しみか、嫉妬か。
それはもう自分でもわからない。
(なぜ……魔王に救われるの……?
“正しい側”は……救ってくれないの……?)
痛む胸を押さえ、
アリアはそっと夜空を見上げた。
その先――遠くに、黒い旗。
「魔王……あなたは……
本当に、間違っているの……?」
疑問が、消えない。
それが勇者としては致命的であることを、
本人はまだ理解していなかった。
◇◇◇
魔王国ラスタ=ディア。
その夜、俺は静かに玉座に座っていた。
守護者と四天王が左右に控え、
リアナがそっと寄り添うように立っている。
ノアが報告する。
「今回の侵攻で――
“魔王を王と認める国”が一つ、誕生しました」
カイトが冷静に言う。
「次の国は、間違いなく抵抗してきます。
最初の一国が“堕ちた”ことに、恐怖している」
セレネが笑う。
「恐怖は依存の入口ですのに」
バハルザードが翼を揺らす。
「次は、嵐の戦場だ」
ゼファルが低く呟く。
「死者が踊ることになるだろう」
リリスが微笑む。
「夢も悪夢も、より濃くなる」
アースガルドが大地を揺らす。
『生きたいと叫ぶ声は、もう止まらん』
リアナが震える声で囁く。
「魔王さまの……“次の一手”は……?」
俺は立ち上がり、玉座の前へ進む。
「次は――勇者のいる国だ」
玉座の間の空気が裂けた。
リアナが目を見開く。
「聖王国……!」
守護者・四天王が、同時に笑った。
戦いは避けられない。
だが“殺し合い”では終わらせない。
勇者アリア・レーン。
世界が生んだ光。
その光さえ――
欲望で染めてみせる。




