◆第14話 “光”は純粋ではなく、歪んで生まれる◆
四天王が揃った、その翌日。
ラスタ=ディアの空は、驚くほど静かだった。
雷鳴はなく、冥界の気配も、夢の揺らぎもない。
ただ、青空が広がり、風が旗を揺らしている。
――けれど。
「魔王さま。世界中で“会議”が開かれています」
ノアが淡々と告げた。
魔眼には、遠く離れた各国の王城、聖堂、議事堂の映像が映っている。
「ラスタ=ディアの建国。
四天王の出現。
それから、“欲望解放宣言”。
どこの国も、さすがに無視できなくなったようです」
カイトが書類を手に、皮肉げに笑う。
「人間も魔族も亜人も、皆“我らこそ正義”を掲げ続けてきましたが……
いざ“欲望を肯定する国”が出てくると、
自分たちの中の欲望が騒ぎ出す」
セレネが目を細める。
「隠していたものを突きつけられると、人はすぐ泣きますからね」
ファルドが欠伸をしながら工具を回す。
「で、“魔王を倒せ”って話にまとまるのか?」
「まとまるわけがない」
カイトが即答した。
「欲望という旗は、“自国の欲望”とも親和性が高すぎる。
利権、領土、宗教、貴族階級、商人――
ラスタ=ディアと敵対することで
“得をする者”と“損をする者”が、国内で真っ二つに割れる」
ヴィオラがニヤッと笑う。
「つまり、外から攻める前に、まず内側から腐ってくれるわけね」
メルカドは拳を鳴らす。
「反乱と内乱が増えりゃ、戦場も増える。たまんねえな」
ラザロスは壁にもたれて肩をすくめる。
「死体と実験材料も増えるってことだしね」
リアナがそれを聞いて、複雑な表情で俺を見上げる。
「魔王さま……世界は、これからどうなるんでしょう」
「“綺麗な世界”からは遠ざかるだろうな」
俺は素直に答えた。
「けれど――“本音の世界”には近づいていく」
リアナは少しだけ考えて、ぎゅっと胸の前で手を握りしめる。
「……それでも、わたしは――
魔王さまが選んだ世界を、一緒に見たいです」
セレネがすかさず囁く。
「いいですね、その言葉。
“本音の愛”は、泣き顔の前触れです」
バハルザードが翼を鳴らした。
「世界の会議など、放っておいてもよい。
問題は――“光”が生まれるかどうかだ」
ゼファルが続ける。
「影が濃くなれば、必ず対になる光が生まれる。
それは自然な均衡だ」
リリスが愉しげに微笑む。
「“希望”という名の夢は、いつだって悪夢のすぐ隣にあるのです」
アースガルドが地の奥から低く言った。
『生き残りたい者たちは、“象徴”を欲する。
それは王か、勇者か、神か――』
ノアが静かに告げる。
「――聖王国が、動きます」
◇◇◇
聖王国・中央大聖堂。
純白の石で造られた広間。
無数の聖像と、祭壇と、ステンドグラス。
膝をつく神官たちの中心で、ひとりの少女が立たされていた。
「……え?」
少女の髪は、明るい栗色。
瞳は真っ直ぐな琥珀色。
どこにでもいる、少しだけ背の低い――普通の少女。
ただひとつ“違う”のは、
その胸の奥に、燃えるような決意が宿っていることだった。
「待ってください……勇者って……私が、ですか?」
神官長が厳粛な声で告げる。
「神託は示された。
我らが祈り、求め、縋った末に、
神はひとりの名を指し示した――“アリア・レーン”」
少女は唇を噛む。
「私……ただの、孤児院出身の……」
「“だからこそ”だ」
別の声が割り込んだ。
白銀の鎧をまとった聖騎士長。
鋭い目つきだが、その瞳の奥に疲れが見える。
「過去に名を持つ者ではない。
貴族でも、英雄の血筋でもない。
“真っ白な器”だからこそ、そこに神が力を注ぐ」
アリア・レーン。
孤児院出身。
小さな村を魔物から庇って、足を怪我した過去がある。
他に取り柄はない――と本人は思っている。
けれど、孤児院の仲間たちは知っていた。
アリアは誰よりも諦めが悪く、
誰よりも怒りっぽく、
誰よりも“正しくないこと”を許せない性格だった。
(魔王……欲望……世界を染める……)
最近、街中でその噂を耳にした。
「人の欲望を肯定する、恐ろしい国ができたらしい」
「神も教会も否定する国だ」
「そんな国が広がれば、世界は乱れる」
神官たちは皆、恐怖を語る。
だけど――アリアは、ほんの少しだけ違うことも感じていた。
(欲望を、否定しない国……)
孤児院で自分だけが怒っていた。
「どうして私たちだけ食べ物が少ないの」
「どうして大人たちは、見て見ぬ振りをするの」
「どうして、神様は何もしてくれないの」
そのたび、
「そんなことを言うのは間違っている」と怒られてきた。
だからこそ、心のどこかで思ってしまったのだ。
(“欲望を肯定する”なんて、本当に悪いことなのかな……)
神官長が祈りを捧げる。
「アリア・レーン。
汝を――神の剣、《勇者》に任ずる」
光が降り注ぐ。
眩しさと共に、
胸の中へ何か熱いものが流れ込む。
力。
責任。
そして――“役割”。
(私が……勇者……)
心臓が早鐘を打つ。
恐怖もある。
不安もある。
だが、一番強いのは――
(ようやく、“間違っているもの”と戦える……!)
アリアは顔を上げる。
「神官長様。
私は、魔王を倒せばいいのですね」
神官長は満足そうに頷いた。
「魔王は“欲望”を掲げる。
それは、人々の心を惑わす悪しき旗だ。
勇者よ。
汝は“正しさ”のために剣を振るえ」
アリアは――ほんの一瞬だけ、表情を曇らせた。
正しさ。
その言葉は、
孤児院で何度も自分を縛ってきた鎖だ。
(正しさのために……
でも“正しさ”って、そんなに真っ白なもの……?)
喉まで出かかった疑問は、
光と祈りの圧力に押し潰された。
「……はい。
この命にかけて、魔王を討ちます」
勇者アリア・レーンが、世界に誕生した。
◇◇◇
同じ頃。
魔王国ラスタ=ディア、玉座の間。
ノアの魔眼が淡く光る。
「――生まれました」
「勇者か」
俺の問いに、ノアは頷く。
「聖王国・アリア・レーン。
孤児院出身。
“間違っているもの”に対して、
異常なほど強い拒絶と怒りを持つ少女」
カイトが書類を確認する。
「……“正義に飢えている”タイプですね。
既存の正しさに馴染めないまま、
それでも正しさを求め続けた者」
セレネが嬉しそうに笑う。
「泣かせ甲斐がありそうですね……」
リリスが瞳を細める。
「夢の中に、一瞬だけ
“魔王の旗の下に立つ自分”を思い描いた痕跡がありました」
リアナの表情が揺れる。
「魔王さまを……倒すための勇者……」
ヴィオラがニヤリと笑う。
「どうするの? 魔王。
さっさと潰しにいく?」
メルカドはワクワクした様子で拳を鳴らす。
「強いのか? その勇者。
本気で戦えるくらい強いなら、会ってみてえな」
ラザロスは肩を竦める。
「未完成のままじゃ、実験にならないしね。
ある程度育つまで待つ?」
ファルドは工具を回しながら言う。
「勇者用の武器、あらかじめ“裏仕様”で作っておく?」
バハルザードは静かに言う。
「空の上から見ても、光はまだ小さい。
だが、純粋ではない。歪んでいる。
――嫌いではない光だ」
ゼファルが冥界の気配を察しながら告げる。
「死者たちは、“勇者の誕生”に歓喜している。
英雄譚はいつだって死を連れてくるからな」
アースガルドが地鳴りのように言う。
『地に足をつけた光――
それは、簡単には折れぬだろう』
ノアが俺を見る。
「どうしますか、魔王。
勇者の芽を――今のうちに摘みますか?」
俺は、すぐには答えなかった。
勇者。
世界が“抗うための象徴”として生んだ、光。
だがその光は、純粋ではない。
(間違っているものを許せない――
その感情は、欲望と紙一重だ)
リアナが、不安げに俺の袖を掴む。
「魔王さま……勇者が来たら――
戦うしか、ないんですよね」
「そうとは限らない」
俺は小さく笑った。
「勇者は、“正しさ”の象徴だ。
だが、その正しさが誰のものかは――まだ決まっていない」
玉座の間が静まり返る。
「神の正しさか。
人間の正しさか。
それとも――勇者自身の欲望か」
セレネが息を呑む。
「魔王さま……まさか……」
「せっかく世界が生んだんだ。
勇者ひとりくらい、僕の欲望のために使わせてもらおう」
守護者たちと四天王が、一斉に笑った。
リアナだけが、胸の奥をざわつかせる。
(魔王さまは、勇者さえも……
欲望の側に、引きずり込もうとしてる……?)
◇◇◇
聖王国。
勇者となったアリアは、
まだ自分の部屋の小さなベッドに座っていた。
掌を見つめる。
そこには、まだ剣も、紋章も、何もない。
あるのは、かすかな熱だけ。
(本当に……私が、勇者……?)
怖い。
けれど、それ以上に――胸が高鳴っている。
(魔王……あなたは、本当に“悪”なの……?)
情報は教会を通してしか入らない。
「魔王は欲望を肯定する」
「人々を堕落させる」
「世界を乱す」
言葉だけなら、いつも孤児院で聞いてきた。
「欲を出すのは悪いことだ」
「我慢しなさい」
「与えられたものだけで満足しなさい」
(でも――)
窓の外を見上げる。
遠くの空。
そこには、かすかに黒い旗がはためいているような気がした。
(もし、魔王が“間違っているけど正直な誰か”だったら……
私は――どうすればいいの……?)
アリアは、自分の中で小さな問いが芽吹いていることに気づく。
それは、光というより――まだ名もない小さな“影”だった。
◇◇◇
魔王国。
その夜、ノアが報告に来た。
「魔王。
勇者は、“あなたを本物の悪だと信じきれていません”」
俺は笑みを深める。
「なら――会う価値がある」
リアナが息を呑む。
「ま、魔王さま!?
まさか、勇者をここに呼ぶつもりですか!?」
「そのうち、向こうから来るさ」
俺は軽く肩をすくめた。
「それまでに――世界を、もう少しだけ“欲望側”へ傾けておこう」
ノアが魔眼を伏せる。
「次の一手は?」
「簡単だ」
俺は、黒い旗を見上げた。
「“人々の欲望に応える”ことから始める。
飢えた国には食を。
虐げられた民には武器を。
抑圧された信徒には“別の神”を。
――欲望を叶える国が、どれほど甘いか教えてやる」
カイトが微笑む。
「それはもう、侵略ではありませんね。
“世界規模の布教活動”です」
セレネが笑う。
「願いが叶ったあとの泣き顔も、楽しみですわ」
ヴィオラが牙を見せ、
「戦場は、“助けてほしいって叫んでる場所”から選びましょう」
メルカドが拳を鳴らし、
「助けに行って、そのついでに殴れるなら最高だな」
ラザロスが肩を竦め、
「死にかけてる国ほど、実験的価値も高いしね」
ファルドは工具を握り、
「救う兵器と壊す兵器、両方作るか……忙しくなるな」
バハルザード・ゼファル・リリス・アースガルドも、
それぞれの領域で世界に影響を広げ始める。
空は欲望の旗を見せ、
門は死者の道を整え、
夢は新しい未来を囁き、
大地は新たな渇望を芽吹かせる。
世界はゆっくりと、確実に――
“正義 vs 悪”ではなく、
“欲望を肯定する者 vs 欲望を否定する者”という構図へ変わっていく。
そのど真ん中で、
ひとりの魔王と、ひとりの勇者の軌道が、
まだ遠く、静かに交わり始めていた。




