◆第10話 黄泉の門番は、生者を愛し死者を拒む◆
暴嵐の龍帝バハルザードを四天王として迎えてから二日。
魔王国ラスタ=ディアの空はかつてないほど清浄であり、
同時に――異様なほど不気味だった。
雷は鳴らないのに、どこか遠くで鼓動のような音がする。
空が“息をしている”感覚すらある。
だが、空が静かになるほどに、
――地の底から何かが近づいてくる。
玉座の間で、
ノアの魔眼が微かに揺れた。
「魔王……ひとり、こちらへ向かっています」
「敵か?」
「“敵かどうか”という概念では測れません。
生者ではなく、死者でもなく――門そのもの」
ファルドが眉をあげる。
「……門そのもの?」
カイトが補足するように静かに告げた。
「黄泉の国と現世を繋ぐ“境界”と契約した守護者。
それが――“黄泉の門番”」
リアナが息を呑む。
「死者を……呼ぶの? 蘇らせるの?」
ノアがかすかに首を振った。
「逆です。
“呼ばせない”存在。
冥界の扉を無闇に開こうとする者を殺し、
死者を現世へ引き戻そうとする者を殺し、
生者を冥界へ招こうとする者も殺す」
シンプルすぎる、しかし絶対的な役割。
“境界を侵す者を殺す門”
セレネが笑みを深くする。
「境界。生と死。永遠と断絶……。
泣かない者を泣かせられる存在ですね」
メルカドが拳を鳴らした。
「殴れば通じんのか?」
「通じるが、何度でも死ぬ」
ラザロスが淡々と答える。
「死に戻りじゃない。“死の反転”だ。
殺すほどに相手へ戻る。
“殺せば殺すほど強くなる”類の化け物だよ」
ヴィオラが舌打ちする。
「そういう面倒なタイプか」
ノアは首を横に振る。
「いえ――門番は“面倒ではない”。
本質は、極めて単純です」
魔眼が淡く光る。
「“黄泉の門を開こうとする者”だけを殺す」
カイトが静かに視線を俺に送る。
「魔王殿。
あなたは“死者を蘇らせたい”と思っていますか?」
玉座の間の空気が止まった。
リアナが息を詰める。
守護者たちでさえ、その視線を俺へ向けた。
――魔王の中に、失った誰かがいるのか。
――蘇らせたい存在がいるのか。
――過去に未練があるのか。
その問いは、俺にとって初めて“深く突き刺さる”ものだった。
だが――
「……答える必要はない」
俺は立ち上がる。
「門番は、聞きに来ているのではない。
“値踏み”に来ているだけだ」
俺は玉座の前へ進み、
城門へ向かって歩き出す。
守護者たちが後に続いた。
◇◇◇
城門の前。
門兵たちが静まり返っている。
空気が凍りつくような沈黙。
何かが立っている――
影のような人型。
黒い外套。
髪は白。
瞳の色は、ない。
まるで“生者と死者の両方に属していない”目。
男か女かも判別できないが、
その存在は奇妙なほど美しく、
そして禍々しいほど静かだった。
影が、ゆっくり顔を上げた。
「――欲望の魔王」
声は震えていないのに、
聞いた者が胸の奥を締め付けられるような響き。
「生者を堕とす者よ。
死者を揺らす者よ。
境界を越えさせる者よ」
リアナが肩を震わせる。
「……魔王さまを、殺しに……?」
影――“黄泉の門番”は静かに首を横に振った。
「まだ殺さない。
まだ、お前が“門を開く気がない”から」
ヴィオラが低く呟く。
「門を開く……って?」
ノアが補足する。
「つまり、“死者を蘇らせようとした瞬間”
この門番は魔王を殺しに来る、ということです」
リアナの顔が蒼白になった。
(魔王さまに……死者を蘇らせたい誰かが……?)
影はゆっくり近づき、
俺の目の前で止まった。
「欲望の魔王。
問う」
ゆっくりと、まっすぐな声。
「世界を欲望で染めると宣言した。
ならば――
“死者の欲望”も叶えるか?」
俺の胸が、わずかに痛む。
過去が――一瞬、脳裏に滲んだ。
温かい記憶。
笑う声。
触れられない手。
だがその断片は、あと一歩で言葉にならない。
(名前が――思い出せない)
影は理解していた。
「“忘れている死者”がいるのだな」
リアナが息を呑む。
守護者たちの表情が変わる。
ノアの魔眼が震える。
「……視えない未来に、“死者の影”が混ざり始めた……?」
セレネは囁く。
「泣く準備が整っている感情……甘い……」
ラザロスは目を伏せ、
メルカドは拳を握り、
ヴィオラは牙を鳴らし、
カイトは静かに観察し、
ファルドは無言で歩み寄る。
影――門番はそれでも俺から目を逸らさなかった。
「欲望の魔王。
死者を戻したいと願ったとき――
私は必ず、お前を殺す」
静かで、淡々とした命令のような宣告。
「だが。
“戻したいが戻さない”ならば――
私はその愚かさに膝をつく」
リアナの瞳から涙がこぼれた。
(魔王さまが……願いを叶えないことを選ぶ未来……
そんな残酷な未来を……どうして……)
影は静かに告げた。
「生者は、死者を愛しながら生きよ。
死者は、記憶の中に眠らせよ。
それが生の道理であり――
“反逆するのが愚かな人間”だ」
俺は一歩踏み出す。
「生に従うつもりはない。
道理に屈するつもりもない」
影は一瞬だけ目を細めた。
「ならば――死者を蘇らせるか?」
「蘇らせない」
その瞬間、門番の肩が揺れた。
「……なぜ?」
静かで、しかし理解不能な問い。
俺は短く答える。
「“欲望の世界”は、今いる者のために作る。
“もういない者”のために作るのではない」
影の表情が――ゆっくりと崩れた。
怒りでも悲しみでもない。
信じられないほど深い、静かな敬意。
膝が地に触れた。
「……欲望の魔王。
生を選び、死を手放し、
なお、それでも欲望を進める愚かさを――
私は、生者であるうちに見たかった」
ゆっくりと頭が垂れ、
深い冥界色の魔法陣が広がる。
「契約を。
私は“黄泉の門番”ゼファル。
四天王として、門を守る。
死者と生者の境界を、魔王の欲望のために管理する。
死者が蘇ることを拒み、
生者が死へ堕ちることを拒み、
“欲望のために死と生を秩序化する”」
契約が刻まれる。
黄泉色の紋がゼファルの胸元に浮かび上がる。
俺は短く宣言する。
「四天王――“冥王ゼファル”。
死者の門を守れ。
世界が泣き叫ぶ未来のために」
ゼファルは頭を垂れたまま呟いた。
「泣き叫ぶ声は――美しい。
それは“生きている者の証”だから」
リアナの頬が濡れる。
しかしそれは悲しみだけの涙ではない。
“魔王が過去に縛られないで生きている”ことへの安堵が混ざっていた。
守護者たちは静かにゼファルを迎え入れる。
四天王、二人目。
“門”を押さえた。
◇◇◇
――残り二人。
■ 大地の獄王(地)
■ 深淵の夢魔(闇)




