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夜ふかし人の徒然  作者: 夜の反省人
1/1

徒然その1

前書きと呼べるものは特にない。

明日が休日だからと言って眠りもせず、どこかの誰かが拙い文章を綴っているだけである。

人間は、この現代社会という生活空間において、自分以外の他者との関わりを断絶してしまっては生きてはいけない。これは、何も、太古の昔から変わったことではないのだろう。しかしながら、今を生きる人間は特に、横や縦のつながりが、現実、ネット空間など様々な形で形成されておりより一層複雑な時代に生きているのでは。コミュニケーションや他者との関わりをさかのぼると、初めは絶対に、自分以外の他者との交流は自分の足で歩いて行くことの出来る範囲に居る人物に限定されていただろう。そこから幾多もの月日が流れ、所謂、時代の流れというもので、その範囲は、使役動物、造船技術、伝達手段、蒸気機関・内燃機関、航空機・電車(新幹線)、インターネットなどの発明や普及によって、他者との関わりの範囲はごく限定的なモノではなくなってきた。これは、人類の文明の発達においては避けては通れない事象であっただろう。しかしながら、現代においてその強固な繋がりはどこへ行っても付きまとう面倒な、ある意味では呪縛にはなっていないだろうか。こういったことは、前々からずっと様々な人が警告をしたり、意見を述べているので今更掘り下げて文章を長引かせてまで語る程のモチベーションはなかったので筆を止める。

私がなぜ今このようなことを考えてこの文章を今書いているのか、正直なところ明確な理由はない。

何か文章を書こうと思い、パソコンに向かい、執筆ページを開くと自然と筆が進んだ。それが理由だ。


話を戻すと、人と人とが物理的な距離を超えて繋がるというのは止められない現実だ。

しかしながら、その変えられない現実に思うところはある。

例えば、インターネットでよく見る喧嘩か討論のようなもの。(ネット用語ではレスバというのが正しいのか。) これは、育ってきた環境や家庭(過程)が異なる者同士がある一つの事象を取り上げた際に、抱いている意見が異なるためおこる現象だ。受け手が同じ記事を読んだ(或いは動画をみた)とする。すると、当然のことだが、十人十色と言うように、全く同じ受け取り方をするわけではない。それを書き込むと、当然、受け手側は様々なことを思う。なかには称賛や賛同、批判、誹謗中傷など様々だ。

しかしながら、彼ら全員に共通して、自身の心情の中には、自分を保とうとする力が働いているのではないだろうか。人間は一人では生きてはいけない。ポジティブな意見を述べる側は、仲間が居てうれしい、安心。(こう思ったのは自分一人ではないということに安堵)批判的だったり攻撃的だったりする人は、自分が少数派であるのかも知れないという不安感から、他者よりも自分が正しいだろうという防衛、または、自分の考えに同調してくれる仲間を欲しているのではないか。(一人かもしれないという不安)

これは凄く極端な持論であると私自身思っている。

しかしながら、われわれ人間は、一人であるという状態に対して特に理由もないのにも関わらず、焦燥感を感じないだろうか。ある時、押し潰されそうな程不安を感じたり、自分は一人なんだと思ったことはないだろうか。(そういった感情・感覚は、その大小こそ違えど、誰しもあると勝手に思っている。)

私はそういったことを何度か経験している。

例えば、ある明け方、思い立ってオートバイを走らせ、100キロ以上も離れた、殆ど行ったこともな居場所へ、ナビや地図も使わずに一人で行った。すると、人が整備した道路やカーブミラー、ガードレールこそあれど、その地で生活をしている人間の匂いが全く感じられない場所へとたどり着いた。

地図やナビを使えば、その場所がどこなのか、次にどの道を進めば人間がいるところに早く回帰できるのかを伝えてくれるだろう。

しかし、この時は何を思ったのか、自宅を出発する際は最低限の金銭と身分証類こそ持っていたものの、携帯電話、スマホの類いはどうしても持ちたくなかった。

そのため、目の前に広がる景色を見ていると、今だけはこの場所は自分の世界。私は今この世界(場所)において孤独なのだと感じた。これこそが、日々の生活のなかですり減った心を癒してくれたのと共に、煩わしい日常が私を支えてくれていたのだとも理解し、とても複雑な気持ちになった。

誰もいないのだから、ある程度のことは自分ひとりで決めることが出来る。

しかし、その決めたことを実行するには何らかの形で絶対に自分じゃない誰かが関わっている。

私の場合、だれも居ない世界を体験するために、誰かが作った道路、誰かが作ったオートバイ、誰かの手によって得ることが出来た燃料など、全ては誰かのおかげである。

時には、他者との交流を自ら断つことで、誰かとの関わりを意識することができて、また誰かと関わるためのモチベーションを保つことが出来ると思った日であった。

こうして、過去を振り返りながら、取り留めのないことを書き上げている時間もまた、孤独を感じる。

実際、この空間には私以外のだれも居ない。

孤独を感じるには様々な手段がある。

そう考えると、私は孤独になりたくてこの文章を書き上げていたのではないか。

さて、この文章を読んだ人はいるのだろうか。

孤独を分かち合うのか、はたまた、自分は一人ではないと思うのか。

どう感じ取るのだろうか。

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