#5
短編作品(全6話中の5)
黒竜は、自身がイェルクであると名乗りを上げると、楽しそうに尻尾を地面に何度も叩きつけた。それを聞いて、今まで静観していたアレクが口を開いた。
「黒竜の体を乗っ取るか……初めて見る魔法だ。そんなものがあったとはな」
イェルクはアレクに目をやり、そこで初めて彼の存在に気がついたように目を細めた。
『おやおや……これはこれは、アレク殿ではありませんか。貴方には礼を言わねばなりませんね……お陰で、この素晴らしい身体を手に入れることができました』
誇らしげに自身の身体を見せつけるイェルク。しかし、アレクは「良かったな」とだけ呟くと、興味を失ったかのように岩壁に背をあずけ、目を閉じた。
その様子に、若い剣士が不審そうに声をかける。
「あんた、あの魔術師と知り合いだったのか?」
「ん? そうだな。お前たちが来る前に俺のもとを訪れた。死ぬ前に竜に会いたいというので、ここを教えてやった」
「……なっ!」
若い剣士は息を呑み、呻くように絶句する。
リーダー格の戦士が黒竜――イェルクの前に立ち、静かに提案した。
「黒竜よ。いや、魔術師イェルクよ。俺たちは冒険者だ。ただの雇われに過ぎない。だから見逃して欲しい。代わりに我々はここでお前の死体を確認したと報告しよう。ここで見たことは他言しない。それでお前は自由だ」
その間に、神官が騎士へ駆け寄り回復魔法を施していた。イェルクはそれを見ても邪魔をすることなく、戦士の呼びかけを思案する――そしてニタリと嫌らしい笑みを浮かべると、素早く跳躍し、アレクのすぐ横にある隠し通路の出口に鉤爪を振るった。
轟音が響き、岩壁が激しく崩落する。
大量の瓦礫が通路を完全に塞ぎ、細かい破片がアレクにも降りかかった。
だが、アレクは、それを迷惑そうに払っただけで微動だにしなかった。
イェルクは次に、唯一残された通路の前に立ち、一同を見下ろした。
「くふ、みなさん、せっかくですし、もう少しゆっくりしていってはどうでしょうか? 我もこの身体で試したいことが多々ありますのでねぇ……」
イェルクは自身の新たな力を確かめるように、一つ一つ試していった。まるで猫がネズミをいたぶるように冒険者たちを実験台にする。
大きく口を開き炎の息を吐く。
神官が“光の防御”を戦士の大盾にかけると、そこを軸として光の防御壁が展開される。竜の息吹は防御壁に阻まれて拡散するが、それでも吐き続けると、やがて防御壁にひびが入った。イェルクはそれを確認すると炎の息を止めた。
『ふむ、中級神官の防御壁なら数秒で粉砕できそうですね』
ブツブツと独り言を呟きながら、冷静に能力を分析する。その隙を突くようにして、戦士の後ろから剣士とエルフが飛び込みイェルクの足を切りつける。
しかし、竜の鱗を切り裂くことはかなわず、剣は無残にも砕け散る。剣士たちに向かって尻尾による一撃が振るわれたが、斥候の投石がイェルクの目を掠めて怯ませる。
イェルクがハーフリングの斥候を激しく睨みつけると、慌てて大空洞の奥に逃げて行った。
『やはり目は反応してしまいますか……こればかりはしょうがない。ではテストを続けましょう』
イェルクは邪悪な笑みを浮かべ、冒険者たちに襲いかかる。
そして数分後、壊滅状態に陥った冒険者たちは、虫の息で這いつくばっていた。イェルクが加減しているということもあって、死者はまだ出ていなかったが、それが幸いと言えるかどうかは疑問だった。
『まあ、粗方、試させてもらいました。ありがとうございます……我の贄どもよ』
地を這い歯噛みする冒険者たちを庇うように、もう一人の傍観者がイェルクの前に立ち塞がった。
『ま、魔術師イェルクよ、も、もうよいだろう。私が……いや、当家だな……オークロア家として謝罪する。どうか、ここは私の命で許してもらえないだろうか? か、彼らを解放してくれないだろうか?』
声も足も、全身が恐怖でガタガタと震えながら、それでも毅然と胸を張り、黒竜の目をしっかりと見つめるフランシス。
『おっさん……あんた……』
若い剣士が、呻きながらも立ち上がり、フランシスを庇おうとする。
『よ、よいのだ……こ、これも貴族の務めだ』
そのやり取りに冷たい目を向けていたイェルクはおもむろに咆哮をあげる。ビリビリと空気を切り裂く雄叫びにフランシスは腰が抜けて倒れこんだ。
『ふざけるなよフランシス!! お前たちが終われば次はオークロア領だ!! 領民も領主も皆殺しだ』
鉤爪を振り回し、尻尾を滅多矢鱈と打ち鳴らし怒り狂うイェルクだったが、ふと冷静になり魔法を展開し始める。
『そうでした。まだ魔力を試していませんでしたね。殲滅の魔法をヴァラヌークの魔力を使って放てばどうなるのでしょうねぇ……くふ、くふふふふ』
両手を広げるイェルクの背後に何十もの魔法陣が宙に浮かぶ。
絶望的な魔力量に愕然とする一行。アレクのみが、苦々しい顔で反応を見せる。
『くふ、ふふふ、ふはははは!! ひれ伏せ我が名は【魔竜ヴァラヌーク!!】今ここに燼滅の魔力をお見せしよう』
魔法陣が激しく光り、死の光線が放たれようとしたその時、アレクの声が響いた。
「<却下する>」
その一言で、全ての魔法陣が消えうせる。
『ば、馬鹿な……!!』
魔法が消されて、慌てふためいたのはイェルクだけではなかった。冒険者たちも、フランシスもアレクに目を向けた。
そこに立っていたのは、壁にもたれ眠たげにしていた男ではない。“黒い魔力”を全身にまとい、圧倒的な威圧感を放ちながらイェルクを睨み据える、まるで別人のような男の姿があった。
「貴様…… “誰の前” で “誰の名” を語っている」
魔力により逆立った髪から現れた目は、縦長の瞳孔を持つ【竜の眼】であった。




