#2
短編作品(全6話中の2)
――黒竜と男の戦いから数十年後・魔竜の巣
古代竜の魔力が漂う洞窟。その薄闇の中を、一人の魔術師が最奥へと歩んでいた。
質素ながらも良質な杖を携え、紫のローブには金の刺繍――身なりだけ見れば貴人のようだが、深く被ったフードの下の素顔は見えない。
ただ、袖から見える腕や、所作から男であると思われる魔術師は、立ち止まり、ややしわがれた声で呪文を唱えると、周囲に爬虫類の頭を持つ骸骨が三体現れた。
竜牙兵――竜の牙を触媒に作成される骸骨の剣士。一体でも作成できれば高位の魔術師といわれる魔術だが、この男は三体も同時作成したのだ。魔術師として練達の士といえた。
三体の竜牙兵を従え、目前の大空洞に足を踏み入れる。
大空洞の中は、かの古代竜の魔力が強く影響しているのか七色に輝くヴェールのような光が天井部を覆っていた。
ほうと息をつき、男はフードを取ってその輝きを見上げた。
灰色の髪が流れ、老齢に達しようかという男の顔が露になる。
そして男は、前方から放たれる強烈な気配を感じ視線を向ける。
竜がいた。
軽く10mは超える巨体を丸めるようにしてうずくまる黒竜が、目だけを開けて男を見ている。
「はっ……ははは……見つけましたよ」
男のかすれた声が大空洞に響いた。
黒々とした鱗に覆われた竜は、真っ直ぐに伸びた二本の角を持ち、蜥蜴人に近い体形をしていた。
黒竜の背には積み上げられた財宝があったが、男は思っていたほどの量ではなかったので、「我と同じく慎ましいようですね」と呟いた。
黒竜は低く唸り、その口から炎を漏れださせながら、ゆっくりと立ち上がると、男を睨むように見下した。そして、背中の翼を一度大きくはためかせると魂さえ砕くような咆哮をあげた。
それを合図として戦いが始まった。
男は竜牙兵に指示を出し、呪文の詠唱を始める。
竜牙兵たちは三方から黒竜を囲む。
黒竜は煩わしそうに竜牙兵に鉤爪を振るうが、歴戦の猛者が目を剥くような剣技でそれを流し受けた。
その間も、男の長い呪文詠唱が続く。
男の名は、イェルク・セルという。それなりに名の通った魔術師だった。
地位や名誉、財産に興味はなく、ただ魔術の研究を積み重ねてきた男。
魔術師として変わり者のこの男は、とある伯爵家の庇護下にいた。伯爵の私兵に魔術を教え、子息の家庭教師を務める。それだけで、衣食住が保証され、魔術の研究場所と資金の提供を受けられた。
彼にとっては天国のような環境だった。
しかし、不運は突然訪れた。いや、彼にとっては転機だったのかもしれない。
伯爵家のお家騒動に巻き込まれ、いつの間にか反逆の首謀者に仕立て上げられていた。
逃亡するしかなかった。研究はほぼ完成していたが、踏み切れずにいた。伯爵家のぬるま湯のような日常が、彼を鈍らせていた。
だが、もはや道は一つ。生き延びるためではない。これは自身の研究の到達点を見るために必然なのだ。
齢50を超えて、ようやく踏ん切りがついたといえる。
人間をやめるという踏ん切りが。
戦況を見つめながら詠唱を続けるイェルクの足元からは、いつの間にか魔法陣が現れ妖しい輝きを放っていた。
三体目の竜牙兵が黒竜の炎の息で消し炭になる。
黒竜は、残りはお前だけだと言わんばかりにイェルクを睨み、唸り声をあげる。
竜の視線を受けたイェルクは興奮気味に笑う。
「く、くふふ……呪文は完成した。古代竜ヴァラヌークよ、その身体、もらい受ける!! ……オウリューノット――」
イェルクの足元と同じ魔法陣が、黒竜の足元にも現れると、妖しい輝きが激しく光り大空洞を照らし出す。
輝きが収まり、魔法陣が消えると同時に、イェルクは力尽きたように倒れた。
その場に立っているのは黒竜のみだ。
黒竜はゆっくりと手を動かし、そして次いで鉤爪を見る。
大空洞の天井に向けて、炎の息を勢い良く吐き出す。
『ふははは……』
黒竜の口から笑いが漏れる。
『これは……この力は!!――我こそはヴァラヌーク、燼滅の魔竜ヴァラヌークなり!! 』
『ふはははは!!』
洞窟内に黒竜の笑いが響き渡った。