青空の下、白衣姿の女子高生が叫んだっていい。夏だもの。
人間、当て方をしくじらなければ1メートルの高さでも死ぬ。
5メートル以上だとまず無事では済まない。
では木造モルタル一部鉄筋コンクリート四階建て校舎の屋上から女子高生が身投げした場合どうなるかというと、生徒本人の他に教師数名と場合によっては校長の首が飛ぶ。女子高生の御両親が地元の名士だったりすると警察署の人事異動も大変なことになる。
産休代理の臨時講師なんて考えるまでもない。
建前上、校舎の屋上は施錠されており一般生徒の立ち入りは禁止されている。
「オオクワガタの、ばっかやろーっ!」
「どうしてモザイクかかってないのよーっ!」
「自分の趣味を後輩に押し付けて卒業した先輩なんて、進学先で両生類に目覚めちゃえーっ!」
たまには例外事項もある。
叫びたい時もあるだろう。たとえば卒業生が残していったオオクワガタの菌床飼育瓶五百本の後始末を託されてしまった一年生とか。
聞くところによれば昨秋の学校一般開放日。
当時の生物部三年生達は近隣から遊びに来る半ズボン小学生を対象に、自分達が飼育したオオクワガタなどを無償配布しつつ記念撮影会をするという事案120%なイベントを企画実行した。いや、企画書の段階では記念撮影会という文字は無かった。ついでに三年生達がタイトのミニスカートにニットのセーターと白衣着用でチビッ子共を出迎え、彼等の性癖と精通に深刻な影響を及ぼしたとか。やりたい放題である。
卒業生の胸の内など知る由もないが、在校生にとってはいい迷惑である。現に当時の下級生達はオオクワガタの飼育瓶が五百になった時点で生物部を辞めるどころでは済まず、進路も文系に変更したそうだ。
となると貧乏くじを引かされたのは、今年入学の一年生。
ノウハウも予算も社会的信用もない状況で、内申点につられて生物部に入ってしまった一年生女子が直面したのが、視覚・触覚・嗅覚を暴力的なまでに凌辱してくる廃棄物処理だった。本来は己の代わりに小倉女子高等学校で理科の教鞭をとる予定だった産休中の女教師に押し付けるという選択肢もあったようだが、虫系統のグロ画像は脊椎動物の臓物系とは方向性が違うので理科系学部出身だからといって耐性がある訳ではない。
己?
もちろん手伝わされたに決まっている。ただ、元々が卒業生たちの負の遺産である。教師が尻を拭うにも限度があるし、グロテスクなものへの耐性って男は案外低いのだ。学生時代にも必須授業でマウスの解剖をさせられたし、実験素材入手のために屠畜場へ行く学生に同行したことがある。正直こんなの楽勝で、女生徒達の阿鼻叫喚を生暖かく見守る程度の気持ちで作業を手伝った。
そんな生温い過去の己を殴り倒したい。
現在、保健室のベッドには元有機化学専攻の山部学年主任の他に物理地学を担当している奥山先生が担ぎ込まれている。蒸し暑い日が続くからと朝食は豆腐素麺だったよと笑っていた奥山先生は、今後は自宅のすき焼きや鍋物にシラタキを加えることを断固阻止する星人に変貌しそうだ。山部主任は最初の腐臭で保健室送りになったのでまだマシと言えるが、隣のベッドでうなされている奥山先生の様子に本気で震えていた。
そう考えると、絶叫しつつも最後まで片付けをやり遂げた女生徒達のタフさは尋常ではない。
「よしわかった。私らが在籍している限り、生物部では虫とキノコは禁止。化石とか掘りに行こう」
転落防止用の柵にしがみつくように身体を預けていた長身ショートカットの泉川みかが、一通り叫び終えた後に拳を固く握りしめて決意する。学年有数の高身長かつ下手な男子よりも力持ちだが反射神経が壊滅的な彼女は、主だった運動部への体験入部を経て生物部に辿り着いた。本人曰く文科系の何処かに拾ってもらえたら御の字だったけど、服飾部で男装モデルにさせられた一件で文科系界隈にも居辛くなったようである。中性的な美人さんだ。学校指定ジャージに白衣を引っ掛けた姿は下手な大学生よりもらしい。
「はいはいはーい。水槽系も禁止しよう。高砂的に、バイオハザードの予想しまくりです」
泉川と対照的にうずくまっていた高砂興子が片手をあげて主張する。
今回の飼育瓶処分と聞いて塗装工が用いる本格的な防毒マスク持参で臨んできたツワモノだが、三分ほど前まではカラータイマーの切れた光の巨人もかくやという色気のない喘ぎ声で嘔吐いていた。唾と悲鳴以外に吐き出すものが無かったのは現役女子高生としての最後の意地かもしれない。
「──カピカピに貼り付いたタイトスカートとニットが何着もオオクワ飼育部屋に落ちてたんだけど。あとメディアが刺さったまま隠されてたカメラが一台」
心底うんざりした顔で白衣のポケットから型落ちのデジカメを取り出して差し出してきたのは三白眼に近いレベルで顔が強張っている雲居カエラだ。英国人の祖父がいるという彼女は他の生徒に比べて地毛の色が明るく、小中学校では教師と衝突したこともあったと聞く。少しでも内申点を稼ぐために生物部に入ったが、髪に関しては黒く染めることは断固として拒否している。もっとも脱色だの染色だのは髪の付け根を見れば簡単にわかるものであるし、濃い琥珀色の髪を誇りに思っている彼女を不良と見なす教師は我が校にはいないようだ。
って。
カメラ、っすか。
「うん。嫌な予感がするから再生したくないけど。日付は去年の学校一般開放日あたりだと思うよ藤やん」
「見たくねえ~」
「藤やん教師として言っちゃいけない台詞だよ」
受け取ったデジカメはバッテリー切れを起こしているので中身の確認はこの場ではできない。いやこの場合うっかり確認したほうが大惨事を引き起こしかねない。カメラを面倒くさそうに眺めていると、泉川と高砂もこちらの様子に気付いたのかカメラを凝視している。
「多分これ中身を調べたら職員会議必須だろうねフジワラ教諭」
「卒業したOGが被害者と加害者のどっちになるかで今年以降の学校一般開放日がどうなるかが決まると思うです。場合によっては廃校だけど」
吐き気も怒りも大分治まったのか、水道水で乱暴に濡らした髪を適当にかき上げた泉川が面白そうな表情でこちらの反応を窺う。高砂はカメラに刺さっていた記録メディアを引っこ抜き、記憶容量の表示を見て「これは2時間くらい撮影できそうです」などと不安を煽ることをぼそりと呟く。
「藤やん。君には三つの選択肢がある。一つは何も見なかったふりをしてカメラと記録メディアを処分する事。すべてを隠蔽して安穏とした教師生活を続けるといい」
まるで特撮ヒーローに出てくる正体不明の怪人みたいなノリで雲居カエラがこちらを見る。
彼女の様子に反応したのか、右隣に立つ泉川みか。やはり宝塚歌劇団に出てくる役者のような気取った手つきでこちらを指さす。
「青臭い正義感を振りかざして真実を白日の下に晒し、ちっぽけな自己満足と引き換えに数百名もの生徒と教職員の人生設計を台無しにするという選択肢が一つ」
こいつら場の空気に酔ってんなーと思っていると、指を折りつつあーでもないこーでもないと考えていた高砂興子が雲居の左側に立って、何か調べたらしい携帯端末の画面をこちらに突き付けた。
「そして三つ目の選択肢はー、とりあえずみんな疲れてるからシャワー借りた後に甘いものでも食べて今後の対応を相談しようぜ、って事です」
画面に表示されているのは、先月オープンしたという手作りケーキ類が有名な喫茶店だ。
流行物はそれほど多くはないがジンジャークッキーなど香辛料を多用した海外の伝統菓子をアレンジしたものが評判、と書いてある。
甘くない菓子もあるので辛党の人も安心という追加コメントもあった。
……
……
「ひとりあたま、よさんコレくらいで勘弁してください」
白衣のポケットにあったメモ帳に数字を書き込み、三人に見せる。
生物部女子三人組はひそひそと一分ほど話し合いを続けた後、真顔でこちらを見た。
「フジワラ教諭、先週駅前で学級委員の柿本女史に遭遇したのだけど彼女の左手に」
「予算三倍出します」
人生、即決することも時には必要だ。
▽▽▽
ちなみに後日の話ではあるが。
記録メディアを調べたところ、オオクワガタが蛹から成虫に羽化する様子がタイムラプス撮影されていた。
【君が、セピア色になる前に #2】