第九十一話 爆弾
「一応聞くが……それは何だ?」
メリルが手にしている盃は青白く発光しており、何らかの魔道具なことは明白だ。
問題はどんな効果を持っているかなのだが。メリルは盃を掲げて言う。
「これは初代王の遺産の一つ。願いの盃よ。持ち主の願いを何でも叶えてくれるの」
「何でも? ……まさか!」
「そのまさかよ。こんなアイテムが用意されていることの意味……分かるよね?」
十中八九、攻略対象を落とすためのアイテムだろう。
そう直感した俺の背中を、嫌な汗が流れ落ちていく。
いくら何でも、時間を飛ばしてエンディングまで直行ということは無いだろうが。
見るからに隠しステージの、学園地下ダンジョンに保管されていたのだ。最悪の場合は「好感度を最高値で固定」くらいまであり得る。
……最高速度で飛び掛かり、願いを口にする前に盃を破壊するか。それとも奪い取るか。
何らかの形で、使用を阻止しなくてはならない。
俺が前傾姿勢を取った瞬間、メリルの横から手が伸びて――
――サージェスが盃を奪い取った。
この場の誰もが、彼の行動に呆気に取られたのだが。
サージェスは奪い取った盃を掲げて、そのまま宣言する。
「俺の願いは、この世に存在する初代王の遺産。その全てを破壊することだ!」
『汝の望みを叶えよう』
「はぁ!? ちょっと、何やってんのよ!?」
地響きと共に眩い光が迸り、周囲からは何かが砕ける音が断続的に聞こえてくる。
この部屋の奥は宝物庫になっているようだが、そこに保管された遺産が砕け散る音らしい。
メリルはサージェスに食って掛かるが……どうやらこの展開は、彼女に取っても予想外のことのようだ。
「裏切ったっていうの!?」
「裏切る? 俺の目的は、最初からこれだ」
「くっ、あんたねぇ……!」
「だが……ここまで連れてきてくれた褒美だ。盃が砕ける前の今なら、願いは叶うかもしれんぞ?」
俺が止める間もなく、盃をメリルの方に放り投げたサージェスだが――何でも願いが叶うアイテムに、メリルが何を願うか。
そんなものは容易に想像がつく。
「わ、私の……願いは!」
「おい! 止めろメリル!」
「原作」風に言えば、イベントムービーを邪魔させないための結界でも張ってあるのか。
一歩も前へ踏み出せず。足が地面に縫い付けられたかのように重い。
「邪魔されるわけにはいかないの。……そうよ。これから先、アランたちはきっと、何度でも私の邪魔をしにくると思う。だから――」
そう言って、メリルは選択肢を起動させた。
久方ぶりに見るヒロインチートであり、宙には三つの選択肢が示される。
その中から、彼女が選んだもの。それは。
「私の願いは! 『みんなと仲良くなりたいの!』」
『汝の願いを聞き届けよう』
ダンジョンクリアの報酬を相手にイレギュラーが起きるはずも無く。彼女の願いは叶えられた。
それと同時に俺の体……というよりも、認識に異変が起こる。
いつも面倒ごとを引き起こす厄介な存在。
俺の相棒にして、リーゼロッテに次ぐ第二の妹分のような少女――メリルが。
メリルのことが、たまらなく愛おしい。
絶世の美少女にも見えるし、エミリーに感じるような愛情が、胸の奥から滾々と湧き出てくる。
「な、んだ。これ?」
「……全攻略対象から私に対する好感度を、最大まで引き上げたの」
「なんだって!? バカな……そんなことをしたら!」
「分かってるよ! 卑怯なことをしていることも、アランたちを裏切ったことも! 全部分かってるのよ!」
頭を振りかぶって取り乱すメリルは、俺と目を合わせないままに独白する。
「でも、誰にも邪魔されずにエールハルトと結ばれる道は、もうこれしかないの。この、ハーレムルートしか」
ガイドブックで見たことがある。
ハーレムルートは、全攻略対象からの好感度を最大まで引き上げた状態で、特定のイベントを起こすと入れるらしい。
だが、メリルが狙っていたのはハルであり、次点でクリスかパトリックだ。
俺やラルフ、サージェスには全く興味を示さなかったので、わざわざ難易度が最も高いハーレムエンドを目指すなどと思わなかったし、全くのノーマークだった。
俺は予想外の展開に困惑しきりだが、どことなく悲壮な顔をしてメリルは続ける。
「本当はね、エールハルトの好感度を上げて、一緒にデートを楽しみたいなって……それくらいの望みだったの。でも、もう仕方がない。こうなった以上、アランも私の邪魔はできないでしょ?」
確かに、何があろうと無条件でメリルの味方をしてあげたいくらいの気持ちになっている。
今の俺に乙女ゲームがどうこう言われても、自制が利くかは非常に怪しいところでもある。悔しいがメリルの邪魔などできそうもない。
昨日までの俺なら異論の一つも挟んだのだろうが、今の俺は全てをメリルの望み通りにしてあげたいと思っている。
そんな、何も言わない俺を見て。メリルは苦悶の表情を浮かべた。
「ごめん、アラン。……本当に、ごめんなさい。全部終わったら、ちゃんと、元に戻すから」
全部とは。エンディングを迎えるまでのことだろうか。
このまま行けば、攻略対象全員から好かれたメインヒロインが誕生する。
俺が執事でクリスが既に大金持ちという点以外は、「原作」の展開に寄っていくのだろう。
それはメリルのためになるし、そう進むのなら喜ばしいことだ――とまで思える。
「ごめんね……アラン。今までのことは、本当に感謝してるの。エンディングが終わったら、全部……全部、元に戻すから…………ゆる、して」
メリルはとうとう泣き崩れた。
……メインヒロインになったというのに、誰からも相手にされない孤独感。
恋路は実らず、周囲から袋叩きされたことは、思った以上に彼女の心を痛めていたようだ。
彼女の矜持。王道の恋愛をするという本懐すら曲げてアイテムに頼り。
力技で状況を変えようするくらいに、彼女は傷ついていたのだ。
謝っているところを見る限り、悪いとは思っているのだろうし。
打算があったとは言え、唯一協力的だった俺を裏切ることに、良心の呵責があったのかもしれない。
俺がエミリーやマリアンネと破局を迎えて、不幸になることまで想像しているのかもしれないが――今となっては考えても仕方がないことだ。
メリルはもう決断した。
ハーレムエンドを迎えた後、全員と関係を清算して、ハルと結ばれる道を選んだのだから。
だが、いいんだメリル。お前が罪悪感を抱く必要は無い。
そう慰めようかと考えるのと同時に、俺の脳内にはある一つの考えが浮かんでいた。
……やっぱりメリルはポンコツだ。
そんなメリルも愛おしいのだが、彼女は大事なことを見落としている。
「泣いているところを悪いけど、逃げた方がいいぞ」
「に、逃げ……え? 逃げる? なんで?」
「危ないから」
今、同一マップ内にヒロインと、好感度がマックスまで上がった複数の攻略対象――どころか全員が集まっている。
この感情に好感度とかいうシステムが働いていると知っている俺でさえ。
ハルを倒して、ラルフをどつき。他の野郎どもを一人残らずぶちのめして、メリルを奪いたいと思っている有様だ。
何も知らない他の思春期男子が、今、どういう思考をしているか。
「リ、リ……リーゼは正室として。メリルも! メリルだって渡さない! 僕の側室にするんだ!」
「おっと待ちな、エールハルト。俺は今、ここで騎士の誓いを立てるぜ! メリルを守り抜く……彼女の騎士になるとな!」
「め、メリル、メリル……! メリルメリルメリル! うおおおおあああああ!!」
「黙れ凡愚共が! メリルは俺が貰い受ける!」
「メリルさんは渡さない! ボクが幸せにするんだ!」
問うだけ愚か。愚問というやつだ。
誰しもがメリルのことしか考えられない体になっており、揃いも揃って異様な光を目に宿している。
「え、ちょっと。ナニコレ、怖い」
全ての視線を一身に受け止めたメリルは、戦慄――というか、ドン引きしていた。
まあ、涙は引っ込んだようで何よりだ。
メリルは浸り過ぎて忘れていたようだが。
これは「原作」となった乙女ゲームの、最も基本的なシステムの一つ。
即ち「爆弾」というやつだ。
複数のキャラの好感度を上げると、攻略対象の好感度パラメータに「爆弾」というものが付きやすくなる。
デートに誘ったり、特定のイベントを起こしたりして処理をしないと、攻略対象全員の好感度が低下してしまう厄介な代物だ。
要するに、思わせぶりな態度を取ってきたくせに、色んな男に手を出すことで攻略対象たちのヤキモチが溜まり。
そのうち爆発して評判が下がるという仕組み――なのだが。
「爆弾が付いている攻略対象が、他の攻略対象と鉢合わせたら……決闘とか、起きるよな?」
今、俺のステータスを見ることができたならば、確実に爆弾はついているだろう。
いきなり好感度がマックスまで上がったせいか、反動で恋敵どもを殲滅したい欲求に駆られている。
というよりも。全員が爆弾状態になっていることは、想像に難くない。
「えっ? ……あっ! 爆弾!?」
愛が行き過ぎて、若干一名バグっている奴までいる始末だ。
誰一人としてメリルを譲るつもりなどないことは分かり切っている。
ハーレムルート突入に必要なイベントが起きる前に、まず、この場で内輪揉めが始まるだろう。
実家の階級も友情も理性も何もかも放り捨てて。
今ここに、メリルを巡った争いが始まる。
国の次代を担う若き英雄たちが、心の底から求めてやまない女性のために争うのだ。
禁じ手一切なし。敵を倒すためならば、どんな手段でも使うだろう。
もうじきここは、上級魔法が飛び交う修羅場になる。
「逃げろメリル……死ぬぞ!」
「な、なんでこうなるのよーっ!?」
メリルの悲痛な叫び声は、誰かの放った魔法の爆風でかき消された。
自称「メリルのことを世界一愛している」男たち。
その戦いの火ぶたが、切って落とされたのである。
……しかし。
頭の片隅に残っている理性が、ハルを狙ったら後が怖いというメッセージを、全力で送ってきている。
俺は何となく、何となくではあるがハルを狙うことは避けて。
まずはクリスに向かって、上級氷魔法をぶっ放した。
「これで……終わりだぁ!!」
「ぐっ……こんなもん、躱しきって……! ダメだ! メリル!」
もうこれですっからかんだ。
魔力を最後の一滴まで絞り出し、俺が放った最後の中級火魔法。
ラルフは避けることをせず、その身を挺して根性で受け止めた。
「ら、ラル……フ?」
「へ、へへ。無事、か。よか……った」
倒れ行くラルフの背後には、怯えた表情のメリルが蹲っていた。
俺も必死になりすぎて視野が狭くなっていたようだ。
「馬鹿野郎、なんで逃げなかったんだ。ラルフが気が付かなきゃ、俺の魔法で……」
ふと気が付けば、立っているのは俺だけになっている。
この決闘、勝者は間違いなく俺のはずなのだが。胸中には敗北感しかない。
「は、はは。試合に勝って、勝負に負けたってところか? いいぜ、ラルフ……お前が、ナンバーワンだ」
俺も力を使い果たし、ゆっくりと膝から崩れ落ちる。
どさり、と大の字に倒れ。最後まで立っていた俺もダウンだ。
結果としては。攻略対象の男性陣、全滅である。
「な、なんで? どうしてこうなったのよぉー!?」
というメリルの叫びを聞きながら、俺は意識を手放した。
攻略対象が内輪揉めで全滅するお話でした。
次回、後始末。




