第八十五話 成敗!
「ごめんくださーい!」
爽やかな秋晴れの中。
動きやすそうなトレーニングウェアに身を包んだ少女が、王都の外れにある、それなりに大きな屋敷の門扉を打ち鳴らした。
しかし誰が出てくる様子も無く、ウォルター男爵邸は沈黙を保ったままだった。
「留守かしら?」
「いえいえ、居留守ってやつでしょう」
「そうですぜお嬢。あっしらも手伝いまさぁ」
それを見た同行者たちは、揃って門を叩く。
悪の親玉――と思しき人物――の屋敷なのだから、何を遠慮することがあるのか。そんな態度で、まるで借金の取り立てかのような声色で、男たちは怒号を飛ばす。
「開けろやゴラァ!」
「居るのは分かってんだよ!」
「金返せ!」
「火事だー!」
「あーそーぼー!」
思い思いに適当な文句を口にしながら、十分ほどの時間が経った頃。
門の向こうから、一人の老執事が姿を現した。
「何ですか、貴方たちは! 警吏を呼びますよ!」
彼は一行を止めようとして出てきたらしい。
背の高い外柵を挟んだ反対側から、大変慌てた様子で蛮行を非難する。
が、警吏を呼ぶと言われても、人相の悪い男たちはニヤニヤと笑うばかりだった。
その様に薄気味が悪いものを感じながらも、屋敷を預かる立場の執事としては退くわけにいかなかったのだろう。
たじろぎながらも二の句を継ごうとしたのだが――彼が言葉を発する前に、赤毛の短髪をした、体格のいい男が堂々と声を上げた。
「我が名はラルフ・フォン・アルバイン・シルベスタニア! この屋敷の所有者であるウォルター男爵に、伯爵家令息を誘拐した容疑がかかっている! 屋敷を検めさせてもらおうか!」
「何をバカなことを! そのような連絡は受けておりませんし、主は不在です。お引き取りください!」
貴族の屋敷を調べるとなれば、普通は煩雑な手続きと、派閥間や利害関係の調整が必要となる。
そのため滅多なことでは捜査など行われないし、容疑者にも捜査の日程が伝えられるので、犯罪の証拠が出てくることすら稀だ。
これは既得権益と身分社会の弊害とも言える。
しかし、それは普通の場合――通常の手続きを踏んだ上での話である。
ラルフが一歩踏み出し、後方に掌を向ければ。そこには扉を叩いていた少女の隣に並び立っている男、第一王子エールハルトの姿があった。
「控えろ! 恐れ多くも第一王子殿下の御前である!」
「なっ……! そんなこと、あるはずが……」
「国の頂点に立たれる方のご尊顔を、知らないとでも言うつもりか!」
執事としても、当然王族の顔など把握している。
そして、主人がアーゼルシュミット伯爵家の息子を監禁していることも知っている。
王族が直々に調査に乗り出しているのだから捜査を拒否などできるはずもないし、今更自首したとして、彼の主人ウォルター男爵の破滅は避けられないだろう。
では、どうするか。彼に取れる手は多くない。
状況の把握と損得の計算を一瞬で終わらせた老執事は、一旦全員を屋敷の中へと引き入れることを決め、頭を下げてから門を開け放った。
「致し方ございませんな。中へお通し致します」
「それでいい。よし、皆俺に続け!」
ラルフを先頭にして、護衛たちを含めた一行。
都合二十人の人間が続々と屋敷の敷地へ足を踏み入れたのだが。
最後の一人が入ってから数秒後。門の扉がひとりでに動き、乱暴に閉じられた。
遠隔で開閉できる仕組みが付いているのだが、これは彼らの眼前に立つ執事の仕業である。
彼は考えたのだ。
ウォルター男爵が弾劾されれば、自分の身が危ないどころか身代わりにされるかもしれない。全ては執事が勝手にやったことだ、などと罪を被せられる可能性も十分にあり得る。
第一王子を相手に、権力を使っての脅しなどできるはずがない。
袖の下も通じない。ここに至って通じるわけがない。
ならば取れる手は一つだ。暴力で、全てを無かったことにするしかない。
老執事の目に怪しい光が宿り、先ほどまでの小物ぶりもどこへやら。剣呑な雰囲気を孕ませて彼は言う。
「ふ、ふふ。はっはっは! 子どもの遊びにしては、冗談が過ぎたようだな!」
「何を言っているんだお前は!」
「お約束通りのセリフね!」
「何をバカなことを……男爵の屋敷を検めるだと? 身の程知らずどもが!」
執事が右手を挙げて屋敷に合図を送れば、武装した私兵たちが三、四十人ほど走り寄ってきた。
どう考えても、男爵が王都の屋敷を警備させるには過ぎた人数である。普通は五、六人がいいところだ。
私兵たちがエールハルトの一行を包囲した様を見届けてから、執事は勝ち誇ったように叫ぶ。
「エールハルト殿下が、このような場所に現れるはずもない! 者共! ここにいるのは殿下の名を騙る大罪人だ! 討ち取れい!」
その一言をきっかけに、男爵の私兵たちが一斉に襲い掛かった!
が、しかし。
先頭を行くラルフとリーゼロッテは、敵よりも早く動き出していた。
「よっしゃあ! 予定通りに大捕り物だ!」
「遅れるんじゃないわよ!」
高貴な身分の彼らは誰よりも早く、真っ先に飛び出した。
白刃が蠢く修羅場だと言うのに、嬉々として一番槍を入れに行ったのである。
「あっ、リーゼロッテ様! お待ちを……もう! 貴方たちも早く参戦なさい!」
「一人頭金貨三枚だな!?」
「ヒャッハー! 獲物は俺のモンだぜ!」
上司の主人が特攻を仕掛けたものだから、マリアンネも大慌てで部下を参戦させる。
クリストフ謹製の高価な武具に身を包んだあらくれ者どもが、報酬を目当てに各々斬りかかっていった。
「まあ、こうなるよね」
「仕方がないさ。元々そういう予定なのだから」
「後で怒られても知りませんよ?」
「ははは、父上ならば、よくやったと褒めてくれることだろう。さあ、行こう!」
呆れ顔のパトリックはいくつもの宝石で装飾された杖を掲げ、エールハルトも自身の愛剣を抜き放ち、近場の敵に襲い掛かっていく。
個々の戦闘能力が高い上に、スラム街出身の私兵たちも、意外と統率の取れた動きで打ちかかっていくのだ。
待ってましたとばかりに逆襲を始めた第一王子たちだが、これに慌てたのは老執事の方だった。
「なっ、何故だ! これではまるで……」
「襲われるのが分かっていたようだ。かな? そうだね、その可能性は高いと踏んでいたよ」
前面に立つ敵を袈裟懸けに斬り伏せてから、鮮やかに身を反転させて、後方の敵も斬り捨てたエールハルトが、こともなげに執事へ返答する。
彼は目にも止まらぬ剣戟を連続で繰り返し、乱舞と呼べるほどの大立ち回りを見せていたし。斬りかかってきた相手は全て、カウンターを決めて一撃で沈めていく。
老執事は目を白黒させているが、これが、マリアンネの立てた作戦の一つである。
捜査を目障りに思ったウォルター男爵が、この中の誰かにちょっかいを出すのを待ち、それを大義名分にしてボコボコにしに行くという非常に暴力的な企みであった。
「貴族を襲撃した」現行犯で捕らえ、その勢いのまま屋敷の内部に踏み込むという作戦でもある。
手を出されるのは公爵家のリーゼロッテでもいいし、侯爵家のウィンチェスター兄妹でもいい。これだけ身分の高い人間が居れば、誰に手を出しても大事にはできた。
ラルフに手を出せばメンツを潰された騎士団まで引っ張ってこられたし。
まかり間違ってエールハルトに危害を加えようものなら、近衛騎士まで動員できる案件になる。
理由も無しに殴り込むのは後が怖いと、マリアンネが必死に考えた結果がこの妥協案である。
ウォルター男爵が大量の私兵を雇っていると調べがついたときから、後ろ暗いことがあるのは確信していた。
だからこそ、このような展開も十分にあり得ると考えたのだ。
もちろん捜査に応じるならばそれで済ませるつもりではあったし、自首をするならば受け入れるつもりで、それに越したことは無いという話ではあったのだが。
結果としては、老執事が短絡的な証拠隠滅に走ったため、即座に戦闘開始と相成った。
「まさか初日で行けるとはな! らァ!」
「何日か通う予定だったものね! どりゃあ!」
居留守を使われ続けるという可能性もあったのだが、外聞を気にして執事が出てきてしまった。
だから、流れでこうなるのは自明だ。
ともあれ義憤と情熱に燃えるラルフなどは、むしろ襲って来いとまで思っていたし、リーゼロッテはあのウォルター男爵が日和るなどとは考えなかった。
だから、迎撃の準備も万全だった。
ラルフは右手に持った騎士団員用のロングソードでの斬撃を主体に、左手で殴り、足払いをし、体勢を崩した相手の顔面に肘打ちを入れるなどの格闘戦を展開している。
そしてリーゼロッテは、いつもの通り空中殺法だ。
身体強化を全開にし、身体能力に物を言わせたルチャリブレも真っ青な飛び技で、敵の上を取っていく。
「舐めるな、ガキどもが!」
「死ね!」
とはいえ敵もさるもので。中級攻撃魔法を展開しようとした――が、パトリックが杖を翳せば、たちどころに魔法陣が消滅していく。
「アンチ・マジック……赤!」
「皆さん! 赤です!」
「赤だな! よっしゃあ!」
「ヒヒヒャ! 真っ赤な花を咲かせてやるぜぇ!」
彼が持っている杖は新型の魔道具であり、特定の属性以外の魔法を減衰、又は不発にさせるという魔導士泣かせな武器だ。
アランの私兵たちは当然魔法など使えないのだが、装備しているのはクリストフが残していった武器である。
主人であるアランを全力で守護できるように、魔法が発動できる武器――魔剣を、きっちり全員分作成していた。
剣一本で金貨三百枚は下らないのだが、アランの下に居た方が長く稼げる。それくらいの損得勘定ができるものだけが、正式な私兵として残った。
マリアンネの号令の下で、彼らは一方的に火属性の攻撃魔法を使用し始める。
「火属性で応戦しろ!」
「次。アンチ・マジック、黒!」
「黒? 一体何の……」
「雷の槍ぅ!」
「拘束する電撃!」
「雷が……ぐぁ!?」
黒は雷、黄土色は火、鼠色は水属性など、色から連想できない魔法を発動させる訓練も積んでいた。
最初に赤=火属性と印象付けただけに、悪辣な戦法ではあるのだが。
ともあれ、これにより魔法戦は完全にエールハルト一行の有利に進んでいる。
「バカな! お前たち! 何のために高い金を払っていると思って――」
「大将は俺がいただく!」
「私が行くわ!」
指揮官である老執事は困惑するばかりだったのだが。
そこに混戦から抜け出したリーゼロッテが勢いをつけて飛び掛かり、ラルフは地を滑るようにして、上下から一斉に襲い掛かる。
「くっ……この!」
懐から取り出した短剣で迎撃しようとした老執事ではあるが、正面から突っ込んでくる二人よりも早く、真横から飛んでくる影があった。
「僕の婚約者に刃物を向けるのは、止してもらおうか」
「あっ!?」
風魔法を身に纏い、死角から飛んできたのはエールハルトだった。
愛剣で老執事の短剣を弾き飛ばした次の瞬間、待っていましたとばかりに二人が襲い掛かる。
「パワー・スラッシュ!」
「真空飛び膝蹴りぃ!」
まずは逆袈裟にラルフが切り裂き、次いでリーゼロッテの膝が執事の顔面にめり込んだ。
鼻血を噴出しながら仰向けに倒れた老執事を見て、華麗に着地したリーゼロッテは高らかに宣言する。
「成敗!」
護衛たちが屋敷を守る私兵を制圧したことを見届けてから、エールハルトはゆったりとした足取りで執事の元へ歩く。
そして、まだ意識があることを確認してから、にっこりと微笑みながら言う。
「クリストフの行方、知っているね?」
「さ、さて。なん、のことか」
「素直に話せば、身の安全は私が保障しよう。そうでなければ……分かるね?」
「それは…………いや。ここまで、ですか。彼は地下室に居ます」
言いながらも首筋に剣を突き付けているのだから、エールハルトも大分友人に感化されているところではあるのだが。
周りを見渡して、もう打てる手が無いと見た老執事は、肩を落としながら白状した。
「さーて、帰りは忠臣蔵よ。鳴り物って用意していたかしら……?」
「リーゼ? 行くよ」
「あっ、待ってよハル!」
「護衛対象二人が先に行こうとするんじゃねぇよ……。おい、この爺さんを道案内に連れていこうぜ」
そうして彼らは、老執事を担ぎ上げたラルフを先頭に、屋敷の中に踏み込んでいった。
暴れん坊お嬢様に続き、暴れん坊王子爆誕。




