やっちまえ！ お嬢様！！ ～転生して悪役令嬢になった当家のお嬢様が最強の格闘家を目指し始めてしまったので、執事の俺が色々となんとかしなければいけないそうです～

第一章 お嬢様は最強の格闘家になりたい

第六話 やってみた

　穏やかな昼下がり。

　風が心地よく、麗らかな春の日差しが心地よい今日この頃。

　公爵家が誇る庭園。

　その芝生の上に三人の少年少女と、それを見守る大人が数名おりました。

　大人は皆一様に高そうな鎧やら。

　高そうな装飾品やら。

　高そうな生地の服やらを身に着けており、一目で上流階級と分かる装いの人たちです。

　大人たちはものすごく険しい顔をして話し込み、一人の男性を吊るし上げています。

　極道の集会さながらの様相を呈していますね。

「あちらは見ないとして」

　一方で少年少女たちは？　部屋着でした。

　公爵家お抱えの仕立て屋が持ってきただけあり、市販のものよりはずっとお洒落。

　それでもフォーマルかと聞かれたら、十人中十人が違うと答える。

　そんなおべべです。

　こんな服を着てお見合いに出る奴はいねぇ。

　そう断言できるくらいには場違いな服です。

　さりとて着替えたのだから、もう、この方向で進めるしかありませんでした。

「も、もう、むっ、むりっ……ぜっ、はぁ、はぁ、げんか、い……」

「まだよ！　まだいけるわ！」

　婚約者になるであろう男の子を腕立て伏せさせている少女が。

　明るい顔で。

　朗らかな声で。

　傍目から見ても親身に指導しています。

　それはもう熱心に。

「ふっ、ぐぐっ、つぅぅ……」

「そうよ、その調子！　諦めないで！　ほらもう一度！　ワンモアセット！」

　そうです。

　顔を真っ赤にして汗をだらだら流す殿下を、横に立って全力で励ましているのが当家のお嬢様です。

「ぐ、はぁ、ぐ、あぁぁあああ！」

「いいわよ、殿下！　ワンモアセッ！」

　ワンモアセッ。じゃねえよ。殿下に何やらせてんだ。

　と、俺は遠い目をする。

「どうしようか、これ」

　お嬢様。一度振り向いて騎士たちの顔を見てみろよ。

　顔面が真っ赤を通り越して真っ青だ。

　唇も紫に変色してきているし……ショックのあまりチアノーゼを起こしているのではないだろうか？

「よーし！　セット終了、お疲れ様！」

「ぜぇ……はぁ、はぁ、はっ、お、おつ、おつかれ……さ、ま」

「ね？　やってみたら簡単でしょう？」

　いい顔しているお嬢様と、死にそうな表情で喘いでいる王子様。

　お見合いがどうこうの前に、絵面がおかしい。

「……どうして、こうなった」

　俺は言ったぞ？　「殿下はお体が丈夫ではないので、手加減を忘れずに」と。

　おいお嬢様、一回冷静になって王子様の顔を見てみろよ。

　ゾンビみてーな顔色になってんぞ。

　やり過ぎだ。どう見てもやり過ぎだ。

　俺は絶望に打ちひしがれていたのだが、この状況を前に、公爵家の最高責任者である旦那様が吊るし上げを食らっている。

「アルバート殿、この件はどう説明を。……いや、どう落とし前をつけるつもりだ？」

「ああ、いや、その、な？　子ども同士体を使って遊ぶのも、その、悪くないかな、と。表で遊ぶのは悪いことではあるまいよ」

　旦那様は必死に言い訳を探しているが、弁が立つ方では無いと聞く。

　大層苦戦しており、あちらもあちらで大変そうだった。

「ＴＰＯという言葉をご存知ない？」

「どこの世界に、顔合わせに来た婚約者へトレーニングをさせる貴族がいますか」

「それは、まあ」

　おとなのせかいはたいへんだなあ。

　ぼくはこどもだから、こっちでいいよね。

　そう思い、俺は大人組の方から目を背ける。

「……さあ、本当にこれからどうすっか」

　爽やかに汗を流すことでいい雰囲気――甘酸っぱいものではないけれど――を作ろうとした結果。

　お見合いの席が地獄の訓練の場へと変貌するなど、誰が予想できただろう。

「まさか最悪の事態を回避した先に、更なる悪化が待っているなんて」

　公爵夫妻が出てきたことで、ひとまずこの場で斬られることは回避できたと見ていい。

　だが、逆に公爵夫妻を引っ張り出したことで、王宮関係者からだけでなく公爵夫妻からも責任を厳しく追及されることになる。

　当たり前だ。俺の発言が原因で吊るし上げを食らっているのだから。

「王子様御一行がお帰りになったら、速攻で呼び出しを食らうだろうな……」

　客人がお帰りになったら、即座に屋敷から逃げないと命は無い。

　どのルートで逃げるのがいいだろうか。

　地元であるスラムに逃げ込むのは悪手だ。

　旦那様は元締めの親分と繋がりがあるらしいので、追手がかかるだろう。

　貯金は少ないが、どうにか王都を脱出することまで考えなければ――

「はあ。はあ……はぁ、み、水。水を、くれ、ないか……」

「あ。はいっ、ただ今」

　干からびた声で我に返ると、生ける屍となった殿下が、砂漠で遭難した旅人のようなことを言っていた。

　そうだな。少なくとも今は使用人の仕事をしなければ。

　変な動きをしたら気取られる。

　俺は一旦頭を切り替えて、給仕の仕事に取り掛かった。

　二人がトレーニングをしている横に設置したテーブル――本来は屋外でのお茶会で使う用――に置かれた水差しから、コップに水を注ごうとしたのだが。

　何故かお嬢様が待ったをかける。

「ああ、アラン。それただの水でしょ？」

「え？　はい」

「殿下、こっちのスポーツドリンクの方がいいわ。特製よ」

　はい！　と言いながら、お嬢様はご自分のドリンクホルダーを差し出し――って、飲みさし？

　王族を相手に回し飲みって、何考えてんだ。

「え、ちょっ！　お嬢様！？」

　俺が止める間も無く、お嬢様はドリンクを差し出し。

　殿下の方に余裕がなかったためか、あっさりと受け取って飲み干してしまった。

「あ、これ、間接……」

　殿下も飲んでから気づいたようだが、反応が予想と少し違った。

「ん？　なーに？　おいしいでしょ？」

「あ、ああ。おいしい。甘酸っぱくていいね」

　甘酸っぱいのは水だけですかねえ？

　と、俺は下種い笑顔を浮かべる。

　殿下の顔は真っ赤になっており、一転して甘酸っぱい雰囲気が広がっていた。

「でしょ？　運動したあとの一杯が最高なのよねー。トレーニングが厳しいほど身体に沁みるから、これも毎日の楽しみってやつよ」

　何だか知らんが一周回っていい雰囲気だ。

　このままいい雰囲気が続けば、処罰を免れるかもしれない。

　いいぞお嬢様！　と思いつつ、俺は成り行きを見守ることにする。

「……ははは、君は凄いな。こんなトレーニングを、毎日やっているのか」

「これは初心者向けメニューよ」

「え？」

「私としては、今のがウォーミングアップ」

　おおーい！　デリカシー無いのかあんた！？

　殿下は「こんな（キツイ）トレーニングを毎日やっているのか」っつっただろ。

　今のがウォーミングアップ？　なんで追い打ちかけてんの？

「そ、そうか。……そうかぁ」

　ああ見ろよ、殿下、明らかに凹んでるじゃん。

　どうすんのよこの始末。

　甘い雰囲気なんて一瞬でどこかに行っちまったよ畜生と、俺は内心で頭を抱える。

「……やはり私は、運動には向いていないか」

「ん？　そんなこともないわよ。むしろ、殿下は運動に向いている方じゃない？」

「「え？」」

　思わず俺も「え」と声を出してしまった。

　だが、何故だろう。

　失礼ながら、殿下はどこからどう見てもモヤシ野郎だ。

「運動っていうのは根気が大事なの。殿下、無理って言いながらやりきったでしょ？　大事なのはその根性よ！」

「そういうもの、かな？」

　ガチ凹みしていた殿下も意外そうな顔をしている。

　しかしお嬢様は、どうやら本気で言っているらしい。

「大丈夫よ。今日一日を頑張れたら、明日も明後日も頑張れるわ！」

「だけど、私は……君が準備運動と呼ぶくらいの訓練で限界だよ」

　殿下は尚も気落ちした様子だが、お嬢様は何でもないような態度で答える。

「そんなもの、続ければ一か月で楽にこなせるようになるわよ。私がトレーニングを始めたときなんて、この半分で限界。最初からこれだけできれば大したものよ」

　体力バカのお嬢様にも、そんな時期があったらしい。

　そして殿下はと言えば。

　表情を少し暗くして、首を横に振っている。

「……気を使わなくてもいいんだ」

「本当のことよ？　私も、鍛え始めのときは……泣けるくらい貧弱だったし」

　お嬢様は遠い目をして過去を振り返っているが、俺はその頃のお嬢様を知らない。

　貴族のご令嬢が筋トレをすることの是非はさておきだ。

　俺が見てきたお嬢様は好きなことを好きなだけ頑張って、前だけ見て全力で生きているような人だという印象しかなかった。

「軽い運動ならともかく、貴族令嬢が体を鍛える意味なんてない。それどころか、皆が反対しただろうに。……どうしてそこまで？」

　昔のお嬢様を多少知る俺が意外だと思うのだ。今日衝撃の出会いを果たしたばかりの殿下には、想像もつかない話だろう。

　当然の疑問を口にする殿下を前に、お嬢様はいい笑顔だった。

「そんなの簡単よ。私が、弱いのは嫌だった。じゃあ強くなるしかないじゃない。こればっかりは他人がどうこうできる問題じゃないから」

　そこで言葉を区切り。

　お嬢様はぐっと拳を握りしめて、その拳を高く掲げる。

「変わりたいと思ったら、自分の意思で変えにいかなきゃいけないの。そうしないといつまで経っても変わらないのよ。……だから、やってやったわ！」

「やってやった、か。強いんだね。……いや、強くなったんだね」

　堂々たる宣言だ。

　真っ直ぐ前を向いていて、人としては好感が持てる。

　が、俺の修正対象がこの人なのだから、一方でげんなりもする。

「そうよ。私は強くなった。でもまだまだ足りないの。もっとずっと強くなってみせるわ」

「……そうまでして、何かなりたいものでも？　例えば騎士とか」

　お嬢様は「違うわ」と言って、不敵に笑う。

　そして立ち上がり、拳を固く握りしめて宣言した。

「私は最強の格闘家になるの。そしてメインの花道を飾るのよ！　今一番熱いのはプロレスラーかしら？」

「か、格闘家？　ぷろ、れすらぁ？」

「いや、でも、総合格闘家も捨てがたくて……」

　殿下がきょとんとした顔をした後で俺の方を見る。

　しかし総合格闘家という方は響きで何となく分かるのだが、俺もプロレスラーとかいう謎の職業については何も知らない。

　というか時折お嬢様の口から出てくる、コマンドサンボやら空手やら、柔術やらカポエラやら。

　それが何らかの格闘技だということは分かるのだが、それらがどういうものか、詳細など一度も掘り下げたことがない。

　言われてみたら俺も気になる。

　いい機会だし、殿下から聞いてみてくれないかな？

　と、俺は殿下に期待の目を向けた。