第七十話 私、結婚します
「私……レインメーカー子爵と結婚します!」
俺、公爵夫妻、ウィンチェスター侯爵、パトリック。そしてパトリックの妹が話し合いのテーブルに着き、折衝が始まった二秒後のことである。
俺はパトリックによく似た容姿の少女から、プロポーズを受けた。
いや、違うな。
彼女は結婚したいではなく、結婚しますと言った。
プロポーズに合意した後、親に結婚の報告をするかのような口ぶりである。
「マ、マリアンネ……それはどういうことだ?」
突然の出来事に、発言した本人以外は驚愕の表情を浮かべる。もちろん俺もだ。
というよりも、俺が一番驚いている。
俺は彼女に「秘書として雇いたい」としか言っていないはずなのだが、一体どこからそんな話が出てきたというのだろうか。
「お父様。私はレインメーカー子爵から求婚を受けたんです」
「何だと!?」
ウィンチェスター侯爵は、ガバァ! という擬音が付きそうなくらい激しい身振りで俺の方に身を乗り出すが――もちろんそんな話は一切していない。
そもそも、彼女の名前がマリアンネだということ。
女性であることすら、今知ったくらいだ。
何だ? これは一体どういうことだ?
と、俺にはただ困惑することしかできない。
「ええと……まあまあ、落ち着いてください、侯爵。マリアンネさん、何があったのかお話しいただけますか?」
アルバート様が先を促せば、こくりと頷いてから彼女は話し始めたのだが。
「私と子爵が出会ったのはスラム街です」
「貧民街か!? 何故そんなところで!」
「……研究所から逃げ出した後、追手に追われてスラム街に落ち延びていたんです。子爵は公爵様も懇意だという、スラム街の顔役に会いに来ていて。顔役からの紹介で知り合いました」
ウィンチェスター侯爵は口をパクパクとさせて、二の句が継げないでいる。
大切なご息女が薄汚れたスラム街で残飯を漁っている姿でも想像したのだろうか。顔が徐々に歪んでいき、放っておけば泣き出しそうなくらい悲痛な表情になってきていた。
「子爵は、言い値で私を雇うと言い。私が子爵に雇われれば、ウィンチェスター侯爵家への支援も惜しまないし、パトリックのことも助けてくださると。そう仰いました」
「それは……いや、それで?」
この場の人間は俺も含めて、全員が彼女の話に興味津々だった。
俺だけ不安のベクトルが違うことはさておき、彼女は続ける
「私もどういう意味なのか悩みましたが、今日の会話もあって……私が子爵から求められているのだと確信したんです。あの、だから私は、この話をお受けしようと思います」
「我々への援助?」
「求められる?」
「求婚……あっ」
まずはキャロライン様が、はっと何かに気づくような仕草をして、そこで俺もようやく、自分の行動が何を意味するものか気が付いた。
ウィンチェスター家の損失補填だと? 何の目的も無しにそんなことをするお人好しがいるものか。
侯爵家の領地が傾くほど莫大な財政赤字を救うというならば、それこそパトリック本人を奴隷として差し出してもらっても割りに合わないだろう。
金は出すが口も出す、というように。
ウィンチェスター侯爵家を俺の手下に置くような話が出てもおかしくないはずなのだが、俺が彼女に言ったことは「お前を雇いたい」のみである。
この理由だけで金貨数十万枚もの金を出すというのがおかしな話なのだ。
では、きちんとした理由を考えてみよう。
俺がそこまで大きな金額を、今まで何の親交もなかった……むしろ商売敵であり、敵対していたウィンチェスター家に出すのは何故か。
利害関係で言えば、全く成立しているように見えない。
見えるわけがない。
世界を崩壊の危機から救うために必要な出費だなどという事情を、俺以外に知っているのはリーゼロッテとメリルくらいだ。
金銭が絡まないなら利権かと言えば、そうでもない。
そんな話も一切していない。
ならば、感情的な話になるだろう。
敵対勢力への感情など悪いに決まっているのだから、彼女本人への感情だ。
キャロライン様、ウィンチェスター侯爵、パトリック、俺、アルバート様の並びで、順番に理由へ思い当たる。
「一目惚れね!」
「つまりは結納金か!」
「男らしいです!」
「え、あ、いや……」
「そういうことか!」
俺からの援助は結納金。
そういう意味に取られるらしい。
キャロライン様はドラマティックな恋バナの予感からか、表情を輝かせており。
アルバート様は「アランも隅におけないなぁ」と言わんばかりにニヤニヤしている。
……これはいけない。エミリーのときと同じ轍を踏む訳にはいかない。
何としても誤解を解かなければ。
そう思ったのだが、俺が求婚したというエビデンスはボロボロ出てきた。
「私が鈍いのがいけないんですが……。昨日までは本当に私を雇いたいだけなのかとも、思っていました。でも、あの……お前を失うのは世界の損失だ、と」
先ほど俺が言った言葉を反芻しているのか、頬を染めながら彼女は言う。
「……お前が欲しい、と。お父様たちが来る前に、情熱的なお言葉をいただきました」
「ほう」
「へぇ」
「あら」
侯爵は感心したような様子で、アルバート様は興味深い気に、キャロライン様は面白いものを見るような表情で。
パトリックは嬉しそうな素振りを見せてから、マリアンネは熱い視線で。
皆が思い思いの顔で、一斉に俺を見た。
実際に俺が言ったことなのだから何も言えない。
俺が躊躇した隙を突いて……というわけではないと思うのだが、マリアンネは止まらなかった。
「子爵は私がパトリックを騙っていることも、承知の上で助けてくださったんです」
「え?」
「厄介ごとに巻き込まれることを分かっていて、それでも私を求めてくれたんです。私にとっては白馬の王子様ですよ」
確かに、見比べてみればパトリックの方が若干だけ精悍な顔つきをしている気がするし、マリアンネの方がほんの少しだけ体つきが丸みを帯びている気がする。
だがウィンチェスター家=パトリックの実家という認識しかなかった俺にとっては、誤差の範囲内だ。
確かに女性だと思って見てみればショートカットでボーイッシュな少女という印象だが、パトリックだと思って見れば、そう見える。
二人とも「原作」のパトリックに近い容姿をしているのだ。
声だって「原作」とさほど変わらないし、初対面の時点で見分けろという方が無理だろう。
ウィンチェスター侯爵家と関わったことがないのだから、現実的にも見分けることは厳しいはずだ。
と、思ったのだが。
そんなことを思っていたのは俺だけだったようで、何故か皆納得している。
「まあ、そうであろうな」
「うん、そうだろうね」
「ええ、そうよね」
「え?」
下手に聞くとボロが出そうなので、事の成り行きを見守っていたところによると。
その後のお歴々から出てきた発言を統合するに。
「仮にも子爵家当主がまさか、侯爵家の人間の顔を知らないはずがあるまい」
と。そう理解したらしい。
貴族社会の怖いところだが。自分より爵位が上の相手には、名前を呼び間違えただけで制裁を食らうこともある。
家族構成など、何をか言わん。
派閥のボスの奥様が普段と違うコロンを付けていることに気が付かなかっただけで、派閥から追い出される家があったりもする魑魅魍魎の世界である。
自分よりも階級が上の家に対してはお家事情、趣味嗜好、顔ぶれなど。
可能な限り全てを暗記しておくのが当たり前の世界なのだ。
当然のこと、マリアンネ本人も「貴族相手にはバレバレの変装」をしている自覚があったそうだ。
貴族である俺は、須らくウィンチェスター家のことを理解しているはずであり。
マリアンネがパトリックを名乗っていると分かった上で、白々しくも話に乗ったフリをしていたのだろう。
全く何も知らないフリをしながら、マリアンネの窮地を救うべく行動していたのだろう。
と、目の前に座るお貴族様たちは判断したらしい。
俺は全く貴族的な活動をしていないのだが、それを理解しているはずの公爵夫妻からの擁護はなかった。
二人は、ただニヤニヤしているだけだ。
「え、えっと。あのぉ……」
「いいんです。家族を説得するのは私の役目です。お父様、子爵は本気です」
確かに本気ではあったが、方向が違う。
俺は君のことを、本当にパトリックだと思っていたんだ。
他意はなく、本当に雇いたかっただけなんだ。
そう言いたいが、それを言ってしまえば今度はまた別な問題が出てきてしまう。
『貴様うちの娘が、男にしか見えないって言うのか! ああん!?』
などと、侯爵を激怒させる可能性がある。
感情のままに交渉が決裂し、ウィンチェスター家が没落するような事態は最優先で避けるべきだ。
つまり、誰も怒らせずに誤解を解くようなアプローチが求められる。
しかも、莫大な金を出してまで彼女を雇う、正当な理由付きで、だ。
その糸口を探そうと情報を整理……しようとしたのだが、それよりもマリアンネが口を開く方が早かった。
「お前、俺のものになれよ……とも言われましたね。初対面で。壁際に追い詰められながら」
「なっ!?」
「きゃー!」
「やるなぁ、アラン!」
中途半端に地が出た結果がこれである。
俺にはもう、絶句することしかできない。
「何も心配はいらない、俺に全てを委ねろ、とも……あのっ」
「あっ、いやっ、それはっ!」
それを照れ隠しと見たのか、マリアンネは更に続けた。
しかし予想外の攻撃が続き、俺の対処が全く追い付かないうちに事態は流れていく。
「いいのよいいのよ! 後はお若い二人で? いや、でも気になるし……」
「まあ待つんだキャロライン。僕らがいるうちに、婚約の話を進めるのが先だろう?」
「そうね、アルバート! 如何かしら、ウィンチェスター侯爵。二人はもう愛し合っているようですが」
ふむ。とウィンチェスター侯爵は考え込む素振りを見せた。
しかし爵位が上である公爵家と、支援者となる俺に対して要求を付けられるような立場でもない。
彼は少しだけ間を置いたが、決して暗くない表情で言う。
「そうですな。ワイズマン伯爵家のご令嬢と婚約されたとも伺いましたが……」
「そこは当家で調整します。そうだ、今度ワイズマン伯爵も招いて、共に食事会など如何ですか?」
「おお、それはいいですな」
速攻で事態が俺の手を離れつつある。
これは非常にマズい展開だ。
早急に打開策を打つべく、あまり口を開かなかったパトリックから何か、反対意見が出てこないかと思い彼の方を見てはみたものの。
「そっか、ボクにも義理の弟ができるのか。いや、年上だし兄さんでいいのかな? よろしくね、義兄さん」
と、にこやかに微笑むばかりであった。
俺の幸せという面でも、派閥強化という点でも、公爵夫妻がこの話を止める理由は。
いや、進めない理由は一切ない。
俺を除く全員が乗り気な中で、唯一できた抵抗――
「マリアンネ様は窮地にいるところを救われた……その、恩や感謝の感情と、好意の気持ちが混ざっていることかと思います。答えは焦らず、せめて成人するまで待ちましょう」
「アラン様……」
「娘のことを、そこまで……!」
――それは彼女のことを大事にしたい、という風に受け止められたらしい。
マリアンネの顔はもうどうしようもないくらいに恋する乙女だ。最初からこの顔だったなら、万が一にも男だとは思わなかっただろうに。
そして侯爵も、この男になら娘を任せられるかもしれない。という顔をしていた。
これではむしろ、自分から詰みに行ったも同然ではないだろうか。
とまあこのように。俺には事態を限りなく悪化させながら、先延ばしにするのが精いっぱいだった。
何故だ。
おお、神よ。どうしてこうなった。
かくして俺は「原作」に無かった二人目の婚約者候補ができてしまったばかりか。
このままではパトリックの義理の兄になってしまうという致命的な齟齬を、また一つ積み上げてしまったのだった。
祝:アラン重婚(予定)
アランは、ワイズマン伯爵の魔の手から逃れることができるのか。
マリアンネは、エミリーの魔の手から逃れることができるのか。
マリアンネの行動については、後日閑話で書く予定です。




