第五話 やっちまえ! お嬢様!!(後編)
何の役にも立たない走馬灯を見終わり、時は現在に戻ってきたワケだが。
状況は最悪に近い。
線が細く、どことなく気弱そうな王子は何とか声をかけようとしたみたいだ。
が、そこは我らがお嬢様。
バッサリ切り捨てて風呂場へ直行しようとしている。
騎士の後ろで控えているちょび髭の文官は、驚愕に目を見開いていた。
言い換えるならば、信じられないものを見るような目だ。
お嬢様の湯浴みやら着替えのお手伝いで、この場を離脱できるのだから、恐らくメイドに被害者は出ないだろう。
このままだと男性使用人だけがこの場に残されるわけだが。
騎士たちは「ここが貴様らの墓場だ」と言わんばかりの顔で、俺たちを睨みつけている。
「もう俺たちじゃ、どうにもできねぇな」
そう判断した俺は、ちらりと視線を上方に向ける。
そして、二階のテラスの端から顔を出して。
恐る恐るこちらの様子を伺っていた、旦那様と奥様に目線を送ってみた。
頼む、何とかしてくれ。
そうアイコンタクトを送ったのだが。
旦那様は身振り手振りで何かを伝え返してくる。
あれは公爵家に伝わるハンドサインだ。
「ええと、『ナントカ・シロ』か。……何とかしろ? 嘘だろオイ」
一介の使用人風情が、この場面で何とかできるわけがない。
事態を収められるとすれば公爵夫妻だけだろう。
俺はガタイのいい若手執事、ジョンソンさんの背後に隠れながらサインを送り返した。
『エングン・モトム』
『ゲンジョウノ・センリョクデ・タイショセヨ』
『ガンバッテ』
俺は諦めて前を向く。
どうやら公爵夫妻からの援軍は望めないそうだ。
「……そうですか」
公爵夫妻がダメならば、先輩使用人たちを頼るしかない。
次に、普段は頼れる先輩執事たちの様子を伺ってみた。
「は、はは……あはは……」
まずは一番のベテランとなる旦那様付きの執事、ケリーさんは現在もなおフリーズしており、再起動の目途は立たない。
ただ曖昧な笑みを浮かべているだけで、何とかしてくれる未来は見えない。
「……ふぅ」
続いて奥様付き執事の若手、ジョンソンさんは最早何もかも諦めたように悟った目をしている。
元から無口なため、弁護には期待できない。
そして他の使用人たちもうろたえるばかりで、口を開く者などいない。
「おいおい、マジかよ……」
ケリーさんは去年第一子が生まれて幸せの絶頂だし、ジョンソンさんは来月結婚するとか言っていたはずだ。
後方でさりげなく逃げようとしているアルヴィンは、メイドのメイブルと最近いい感じだとか。
他にも使用人たちが将来の夢やら理想の女性像を語っていたシーンなど、日常の何気ない会話が、一瞬で脳裏にフラッシュバックしてきた。
ああ、くそ。
こんな走馬灯は流れなくてもいいのに。
「俺がやるしかないってのか」
今この場で、使用人たちの未来を守護れるのは俺しかいない。
そうだ、誰も口を開かないならば俺が。
俺が何とかせねば。
「じゃあ私も後で客間にいくから、よろしく頼むわね」
俺がそう決意を固めるのと、お嬢様が立ち去ろうとするのはほぼ同時だった。
「あ、ちょ、お、お待ち下さいませ、お嬢様!」
「何よアラン。殿下をお待たせしたら不敬でしょう? 早く着替えてこないと」
正論だけど、何言ってんだこのお嬢様!?
おのれが大人しく部屋で待っていれば、こんなことには……!
と、俺は奥歯を噛みしめる。
もしここで引き留めるのに失敗したら、この状況を作った原因であるお嬢様がエスケープしてしまう。
そして、全責任が俺たちに降り注ぐ。
ここが最初で最後のチャンスだ。
考えろ。
お嬢様の行動を正当化できる理論を。
むしろ苛立っている殿下サイドを非難できるくらいの、そんなレベルの奇想天外論理を。
落ち着け。時間はないが状況を整理しよう。
そもそも今回の訪問の目的は何か。
殿下とお嬢様が、上手くやっていけるかを判断するためのものだ。
最悪の場合は外野の騎士や役人が何と言おうが……殿下にさえ気に入られれば勝ちということになる。
要するにこの二人さえ意気投合すればいい。
その後のことなど、どうとでもなる。
というか旦那様に何とかしていただく。
この状況を作り出すことに一役買っているのだから、責任は取ってもらいたい。
「どうするか」
さて、では何を持って、「うまくやっていける」と判断するのか。
お嬢様からすれば、一緒にトレーニングができる相手なら不満なんてものは無いだろう。
しかし殿下は正直よく分からない。
体が弱いためあまり表に出てこないらしく、そもそも事前情報がない。
「……よし」
決めた。お嬢様本位に過ぎるが、殿下のことを何も知らないのだから対策も何もない。
この作戦で行く。
「お嬢様。体を冷やさないようにして、そのまま少々お待ちを」
「なんで? 汗臭くない?」
「いいからお待ちください。殿下、直答をお許しいただけますでしょうか?」
俺がそう言えば、先頭に立つ騎士がとうとう剣に手をかけてしまった。
しかし俺の素性は相手に伝達済みだろうから、これも仕方がないことだ。
使用人見習いとして最近雇われた、孤児の少年。
最近は執事見習いに格上げされたが、当然の如く何の権限も持っていないただのガキ。
これが王族に直答を許せなどと、それこそ斬られても文句は言えないだろう。
だが、退けない。
こういうときは頭を狙うしかないのだ。
殿下一本釣りでいくしかない。
「き、貴様ら……! 殿下を愚弄しているのか!? 死にたいなら、望み通りにしてやんぞオラ!!」
俺が黙って返答を待っていると、剣に手をかけた強面の騎士が額に青筋を浮かべて怒鳴る。
近衛の騎士は由緒正しい家柄で。
かつ品行方正で。
かつ実力がある人間がなるものだと思うのだが――絡み方がチンピラである。
護衛騎士は顔も強面で、服を交換したらスラムのチンピラと見分けがつかないだろう。
俺の背後からは、「いい気合ね。筋肉の付き方もいいわ。メイン張れるわね」なんて呟きが聞こえたくらいだ。
気迫としては凄まじいものがあった。
……幸い相手には聞こえなかったようだが、お嬢様といういつ爆発してもおかしくはない不発弾を背後に背負っているのだ。
なるべく早く殿下からの返答が欲しい。
そう思い殿下の顔を見続けていると。
「止すんだ、ガウル」
「しかし、しかし殿下!」
「止せと言ったよ」
一触即発の空気の中で、殿下が左手で騎士を制した。
「……さて、クライン家の使用人だね。直答を許そう」
「ありがたき幸せ。では、まず――何故当家のリーゼロッテお嬢様がこのような恰好でお出迎えに上がりましたのか。理由をご説明致します」
「理由?」
正面の騎士四名と役人二名。
そして殿下がぽかんとした顔を浮かべる中で、一度振り返ってお嬢様と使用人たちを見る。
お嬢様は「理由ってなーに? 私日課のランニング帰りよ?」とでも言いたそうな顔をしているが。
余計なことを言われる前に終わらせなければ。
絶望の果てに一筋の希望を見たような顔の使用人たち、その思いに応えるためにも、俺は一世一代の賭けに出る。
「本日は殿下とリーゼロッテお嬢様のお二人が、正式な婚約を結ぶ前に顔を合わせ、結婚後に円満な日々を送れそうか……それを確かめるための場であるかと存じますが、如何でしょうか?」
「まあ、その通りかな」
俺が確認すれば、殿下は苦笑いを浮かべながら答えた。
ならば次だ。
「つまり、殿下とお会いする時間だけ着飾っても意味はなく。お嬢様にはなるべく普段通りの、日常生活に近い形で殿下をお迎えすべし、と。公爵家当主のアルバート様より、そのように指示を受けております」
言い終わってからテラスを見上げれば、旦那様は仰天していた。
キャロライン様。奥様は旦那様に向けて、『アナタ・ソンナシジ・ダシタノ!?』と詰め寄っている。
驚きのあまり、隣にいる旦那様にまでハンドサインを使っていた。
旦那様は全力で首を横に振っているが――構うものか。
お嬢様のランニングに許可を出したのが旦那様なのだ。
ここまできたら旦那様にも泥を被ってもらう。
「お嬢様は幼少の頃よりお体が弱く、そんな自分を変えるために日々体力づくりしてきたのです。毎日欠かさずトレーニングをした結果、今では大変健康的にお過ごしですし。朝の走り込みも、日課です」
「そ、そうなのか……日課ならば仕方ない、のかな?」
なんと殿下は言いくるめられそうな雰囲気があった。
しかし流石にこれだけでは、護衛たちは納得してくれない。
「殿下、お気を確かに! これは明らかにおかしいです!」
普通はそう思うだろう。
誰だってそう思うし、俺だってそう思う。
「おい使用人! リーゼロッテ様の日課がそうであっても、顔合わせの日にやることではなかろう!?」
「実際にトレーニングをしているところを見せて、一体何がしたい!」
非難轟々だが、どんな無理筋だったとしても関係ない。
退いたら死罪が待っているのだ。
もう前に進むだけだ。
「今日この日だからこそ意味があります。お嬢様は、結婚後には夫婦でトレーニングがしたいと。常々、そう願っておりました」
俺は堂々と、一歩前に踏み出して、殿下に微笑みかける。
「だから何だと――おい、まさか」
「お察しの通りかと存じます。ささっ、殿下」
俺は護衛の騎士の視線を無視して殿下に向き直り、できる限りの笑顔で屋敷の入り口を指す。
「客間にて動きやすい服にお着替えください。本日は当家のリーゼロッテ様より、殿下のためのスペシャルトレーニングメニューをご用意致しました」
これでだめなら皆で死のうぜ? な?
と、俺は勝手に使用人一同を巻き込んだ策を弄した。
お嬢様本人にも一切承諾なんて取ってはいない。
だがお嬢様のことだから、初心者用メニューの一つや二つ用意しているはずだ。
殿下さえこの提案に乗ってくれれば、一旦この場は切り抜けられるだろう。
「そ、それが、それが罷り通ると思ってんのか?」
「もういい、手始めに貴様から……」
と、俺を斬ろうとする騎士の前に立ちはだかるようにして、ベテラン執事のケリーさんが叫ぶ。
「お、お嬢様は! 殿下のご来臨を心よりお待ちしておりました!」
俺の背後に並ぶ使用人一同は息を飲み――少しの間を置いて――覚悟を決めたらしいケリーさんを皮切りに、必死の援護射撃が行われる。
「殿下と共にトレーニングができると、それはそれは、大変な喜びようでした」
「健気にも、夜も寝ずにメニューを考えていらっしゃったのです!」
「殿下、何卒! 少しだけで構いませんので!」
全員が全員、許可も取らずに殿下へ直訴だ。
ここで何とかならなければ死が待っているので、最早「無礼」などという言葉は、全員の頭の中から抜け落ちていることだろう。
殿下は剣幕にうろたえているが、護衛の騎士たちに動揺はない。
誰一人騒がず、先頭の騎士に続いて残りの三人も冷静に剣を抜いた。
だが、騎士など俺の眼中にない。
俺の視線は殿下をロックオンしたままだ。
殿下さえイエスと言えばいいんだ。
さあ言え、頼む。
お願いだから、俺が斬られる前に「いいよ」と言ってくれ!
そんな願いを込めて、殿下の目を見つめ続ける。
周囲からの合唱と俺の視線――無言の圧力に屈したのか。
気まずそうに笑いながら、殿下は言う。
「わ、私のための、特別メニューか。折角の好意だ……やるだけやってみよう、かな?」
「殿下ァ!?」
「で、殿下がご乱心を……!」
「エールハルト殿下、お止め下さい! お気を確かに!」
お付きの騎士も役人も大騒ぎしているが、殿下本人には了承してもらえたようだ。
だが、他の手が思いつかなかったとはいえ。
初対面の王族へ「一緒にトレーニングしようぜ」という、前代未聞の提案をしてしまった。
「……あとで軌道修正きくかな、これ」
と、俺は言い知れぬ不安に襲われる。
だが、もう賽は投げられた。こうなったら悩むだけ無駄だ。
どうなるかは全く予想がつかないが、ここは全てをお嬢様に任せるしかない。
俺は「ほえ?」と言いながら小首を傾げているお嬢様の方を向き、心の中で叫んだ。
やっちまえ! お嬢様!!