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閑話 ヒロインの事情

 時系列は三章の前、メリルが転生する直前から始まります。



 私はメリル。

 メリル・フォン・オネスティというのが、今世での私の名前だ。



 私には前世の記憶があるが、それはあまり良いものではない。

 まず、前世では色々とやりたいことがあったのだが、経済的な事情で諦めざるを得なかった。

 将来の夢など、考える暇すら無かった。高校を卒業した私は、すぐに地元の会社で事務として働き始めることになる。


 やりたいこともなく、妥協して入った会社ではある。しかし職場の雰囲気は良く、それなりに充実した毎日を送ってきたと思う。

 八方美人な私は仕事を断れず、毎日仕事を押し付けられて残業をしていたのだが。それでも、趣味のゲームやグッズを好きなだけ買えるくらいの収入はあったので、私の人生で一番楽しかった時期は、ここかもしれない。

 

 

 しかし。働き始めてから一年が経った頃、私は全てを失うことになった。



 職場で出会った男性と恋に落ちて、結婚も考えるようになったある日のこと。私は仕事中に突然意識を失い、病院に運び込まれた。

 幸いにして命に別状はなく、リハビリは辛かったものの、数か月の入院で済んだ。

 後遺症は残ると言われたが、彼と支え合って生きていけば大丈夫だ。そう自分を慰めながら、私は病院を後にした。


 だが、退院した私が同棲先のマンションに戻って見れば、そこには知らない女と裸で抱き合う彼の姿があった。

 浮気ではない。むしろ彼女が本命で、私の方が浮気相手だったと言う。

 彼女(・・)との関係は清算する。俺と一緒になってほしい。と、私の彼は見知らぬ女に睦言を囁き、女の方もそれでいいと言う。

 

 そうして私は着の身着のままで、半年ほど暮らした部屋を追い出されることになった。



 部屋を追い出された後のことは覚えていない。

 私は雨が降る中をあてもなく歩き、失意の中で彷徨っていた。


 体にハンデを抱え、恋人に捨てられ、住むところも失った。

 持っている物は、入院の時に持ち込んだキャリーバッグの中身が全てだ。


 茫洋として歩き続けた私は、目の前に現れた大きな車体とクラクションの音で我に返った。

 そしてその直後、大きな衝撃と共に体が跳ね上げられる。


 不思議と、痛みはなかった。

 死にたくないとも、生きたいとも思わなかった。

 ああ、これで人生が終わるのか、と。淡々と割り切ることができた。


 そして、ただ人生への後悔だけが残った。


 私の人生は「仕方がない」と全てを諦めてきた記憶で埋め尽くされている。

 八方美人で当たり障りなく生き続け、我を通すこともせず、何も残らない人生だった。

 こんな人生に、一体何の価値があったのだろう。


 

 もしも、この世に生まれ変わりというものがあるのなら、次の人生では―― 






 ――閉じていく視界の中で、私はただ、来世での幸福を祈った。













「メリル? どうかしたのか?」

「えっ?」

 

 

 私が死んだと思った次の瞬間、見知らぬ男性の声で再び意識が覚醒する。

 目の前の男は心配そうな顔で私の顔を覗き込んでおり、その背後にある大きな鏡には、私の姿が映りこんでいた。

 ……見覚えのある顔だ。だが、自分の顔(・・・・)ではない。


 職場の先輩に勧められ、どっぷりとハマった乙女ゲームの登場人物――しかも物語の主人公――の姿が、そこにはあった。

 もしや、まさかと様々な思いが渦巻いたが、私はすぐに状況を受け入れることができた。 

 目の前に立つ男にいくつか確認をすると、この世界が乙女ゲームの世界だと確信できるような情報がいくつか出てきたのだ。


 前世で見た最後の光景、あの状況から助かったとは思えない。

 私は、生まれ変わった。

 もしかして、今際の際に見ている胡蝶の夢かもしれないが。どちらでも良かった。


 私が主役として生きられるなら。今度は好きなように生きることができるのなら。

 次の瞬間に世界が終わるとしても、その時まで私は、私の我を通そう。


 さようなら。

 いつもうじうじと後悔し、流されるだけの人生だった前世の私。

 今日から私は、ヒロインとして生きる。








 私がヒロインとして生きることを決意してから、数日後の昼下がり。

 家に怪しいビジネスマンが訪ねてきた。



「やあ、こんにちは」

「……え?」



 よれよれのスーツにボサボサの髪、目元に不健康そうな隈を作った男が二階の窓から(・・・・・・)入ってきたのだ。

 

 驚いて声を上げるが、使用人たちは誰も駆けつけてこない。

 仕方なしに走って廊下へ逃げるが、窓のふき掃除をしている者、壺を磨いている者、庭で剪定をしている者。

 逃げる最中に見た屋敷の人間たちは、皆一様に固まっていた。

 


「どうなってるのよ、これ……」

「いやぁ、ちょっと君に話があってね。時を停めさせてもらったのさ。ほら逃げないで。自分、こういう者です」

 

 

 事も無げに言う男から名刺を差し出され……悲しいかな、社会人として生きてきた前世の習性で、反射的に名刺を受け取ってしまった。

 男の風体も、名刺に書かれている内容も非常に胡散臭いのだが。逃げられる雰囲気でもなくなったので、私は開き直って男に向かい直る。



「俺の名はクロス。神様だ」

「私を転生させてくれたのが、貴方ってこと?」

「いいや、それは別な神様が担当。俺はこの世界を管理するのが仕事なのよね。……まあ、少し話そう」



 私としても、状況を説明してくれるならば願ったり叶ったりだ。

 応接室へ行き、クロスからこの世界のことを掻い摘んで説明してもらった。


 基本的には、生前にプレイしていた乙女ゲームにそっくりな世界だと言う。

 だが、私の他にも転生者がおり、その子は悪役令嬢なのに格闘家を目指しているという。

 ……なんだそれは。そんなことがあり得るのだろうか?

 訝しむ私を見て、クロスも溜息を吐いた。



「こんな世界に生まれたら、恋愛とか没落回避に動きそうなもんだけど。ちょっとしたイレギュラーが起きたみたいでね」

「ちょっとした、で済むの? それ」

「…………実は、済まないかもしれない。まあ、君は原作通りに攻略対象と恋愛してくれればそれでいいさ」



 神様直々にお墨付きをもらえるとは思わなかったが。ここで私は一つ考える。

 私の中での一番は、ぶっちぎりでエールハルトだ。

 全部諦めて、王子という役割をこなすだけ。夢も希望もなく王子を演じ続ける空虚な人物。

 ヒロインとの恋愛を通して幸せになっていく彼を見て、私はむしろエールハルトの方に感情移入をしていた。

 ああ、彼は私と似ているかもしれない。彼に幸せになってもらいたいと、そう思ったのだ。


 しかし、私が感情移入するほど嵌まり込んだエールハルトを選ぶと、多少博打の面が出てくる。

 ランダムイベントもそうだが、全体的な攻略難易度が少し高いのだ。


 博打を打って、二度目の人生も失敗するなど絶対に避けたい。だから他の選択肢を考えてみるが、暑苦しいラルフは論外。クリスは顔こそいいが、何を考えているのか分からないところがある。

 そしてサージェスはヤンデレ。ゲームなら楽しめたが、現実的にはどうかと思う。

 攻略中はデレ期に入るまで辛辣なので、辛い目に遭ってまで落としたいかと思えば、そうでもない。

 その点パトリックはアリだ。癒し系の権化みたいな年下の男の子で、人柄は非常にいい。

 アランは…………中二病全開で、付き合うのに不安が残る。


 攻略対象の顔を一人ずつ思い浮かべていくが、現実的なお付き合いを考えたとき、どうもしっくりこない部分が多い。

 恋愛的な選択肢であれば、エールハルトかパトリックの二択になる。

 将来性を見ればエールハルト、クリス、サージェス、パトリック、ラルフ、アランの順番だろうか。

 謀略に引っ掛かりまくるアラン以外ならば、誰を選んでも将来は安泰だ。それならパトリック辺りで……と、そこまで考えたとき、自分が妥協していることに気が付いた。


 そうだ、今世では我を通すと決めたではないか。

 多少難易度が高かろうと、エールハルトを狙うのが私の望みではないのか。



「……分かった。好きに動けばいいのよね?」

「まあ、乙女ゲームを崩壊させない範囲でね」



 気持ちは固まった。私はエールハルトを攻略して、私だけでなく彼も幸せにしたい。

 それを基本方針に据えた。


 その後はリーゼロッテという少女のイレギュラーさと、「原作」から乖離しつつある現状について聞かされる。

 だが、大筋は私も知っているのだ。多少展開が変わったところで、何も問題は無いだろう。

 私が前向きなのを見て取ったのか、クロスは非常に満足そうな顔で虚空へと消えていった。



 そして迎えた入学式。

 私はエールハルトの姿を見つけて駆け寄った――のだが、噴水の方を見れば、派手な水しぶきを上げてバタフライをしている男がいた。

 

 ……早速イレギュラーのお出ましだ。

 乙女ゲームの入学式イベントで、背景にバタフライをしている男が映っているわけがない。

 まあいい。と、気持ちを切り替えて、私はエールハルトの方へ向かう。

 彼も私に気が付き、先に話しかけてきた。



「ん? 君はどうしたんだい?」

「馬車の車軸が折れてしまって……到着が遅れてしまったの」

「そうか、それは災難だったね。私はエールハルト。私もここに通うことになっているんだ。また会うことがあれば、よろしく頼むよ」



 「原作」通りのセリフを言いながら去って行こうとするエールハルトは、最後にポツリと零した。

 


「それにしても、アランは一体どうしたのだろう?」



 ……アラン? 先ほど泳いでいた男が、あのアラン(・・・)だと言うのだろうか。

 アラン単品ならば捨ておいてもよかったが、エールハルトが絡んでくるのなら話は変わる。


 多少イベントからズレるが、私はエールハルトを呼び止めて、アランについて聞いてみることにした。

 


「あ、あの。アランさんとはどこでお知り合いに?」

「私の婚約者の家に仕えているんだ。最近執事に昇格したのだったかな」

「へ、へぇ……付き合いは長いの?」

「もう、六年くらいになるか。リーゼロッテ……私の婚約者も、私も。いつも頼りにしているよ。少し無鉄砲なところはあるけどね」



 そう言って、エールハルトは微笑む。


 裏社会の帝王が、公爵家で執事?

 おかしい。そんな展開は――と思索を巡らせ。次の瞬間、一つの可能性に行きつく。

 もしや、悪役令嬢はハーレムエンドを狙っているのではないか。と。

  

 生前のことだが、悪役令嬢が周囲の人間から溺愛されるという物語も、ジャンルとして珍しくはなかった。

 乙女ゲームの世界を、悪役令嬢物(・・・・・)の世界に造り変えようとしているのではないか、という疑惑が持ち上がる。


 単純にアランが好きな可能性もあるが、それならばエールハルトがリーゼロッテを嫌っていないのはおかしい。

 「原作」では二人の仲はとっくに冷め切っているが、目の前の男からは悪感情など一切感じないのだ。

 エールハルトの好感を得つつ、アランを手中に収めている。これだけで相当不穏な気配が漂っているが、もっと悪い想像が頭を過ぎる。

 リーゼロッテが、好感度アップ(・・・・・・)のアイテム(・・・・・)を所持している可能性だ。


 特殊なアイテムを使用すれば、攻略対象の好感度を稼ぐことは容易い。

 特に追加DLCで配信されていた「魔女の秘薬」などを使えば、あっさりと好感度を爆上げできるし、「初代王の遺産」というアイテムを使えば、ハーレムエンドすら狙えるようになるだろう。


 「原作」では悪役令嬢への好感度など、設定されているわけもないのだが。各種のアイテムがこの世界に存在していれば、狙った相手の心を動かすこともできるはずだ。公爵家の令嬢ならば、アイテムを揃えるくらいの財力もあるに違いない。

 百歩譲って、エールハルトとの関係が良好なのは悪役令嬢になった子の人柄のお陰かもしれないが。アランが執事というのは、狙わなければできないことだろう。


 状況が動いているのは確かなので、何が起きるかは分からない。

 警戒して然るべきだ。



 ……まあ、いいでしょう。そちらがイレギュラーな手を使うのであれば、こちらも最速最短で彼を落として見せる。


 先を越される前に、速攻でエールハルトを攻略しなくては。

 たとえ、どんな手を使おうとも。


 そう思いながら、私は入学式の会場へ向かった。




 リーゼロッテはハーレムエンド狙いなのだろうか?

 そうはさせないと、メリルは何でもアリのRTAを決意。


 その後どうなるかは……本編の通りです。

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