第五十四話 王道と外道
メリルがポツリと零した言葉を反芻して思う。
「そんなの、乙女ゲームじゃない」とはどういう意味だろう。
俺が考え込んでいると、メリルは続けて口を開いた。
「気になる男の子の悩みを聞いて、一緒に解決して。時にはこっちから頼って。一緒に色んなものを食べて、一緒に綺麗な景色を見て、一緒に遊びに行って。そうやって仲良くなって、色々なことを乗り越えて。王道の恋をするのが乙女ゲームでしょ?」
こだわりを持っている人間からすれば、そういう見方もあるだろうか。
メリルは初手こそアレだったが、ドラマティックな恋愛をしたがっているようだ。
まあ乙女ゲームというのは元々そういうものなのだがら、これ自体には何もおかしいところはない。
今メリルが語ったことが王道ならば、俺がやっていることは外道だ。
権力と財力でゴリ押しして、メリルと誰かを無理やりくっつけようというのだから、俺の企てが外道なのは間違いない。
……こんな提案を思いつくのだから、やはり俺には悪役サイドがお似合いなのだろう。
「まあ、言いたいことは分からんでもない。滅茶苦茶苦労して、俺の分身がゴールインしたときには……俺だって感動したからな」
「そうでしょ? 前世でいいことが何もなくて、それでこんな世界に生まれ変わったんだもの。最高の結末を狙わなきゃ嘘よ」
リーゼロッテも前世が不幸だと言っていたはずだが。転生させる人間を選ぶ基準はそこなのだろうか?
リーゼロッテと同じほどの不幸を味わった上での転生なら、同情はする。
だが。
「メリルの話は分かる。その気持ちもわかる。だけど。それでもやっぱり、俺はこのままあの二人が結ばれてほしいんだ」
リーゼロッテはハルを譲る気はないだろうし、俺はリーゼロッテに、ハルを譲らせる気はない。
まかり間違ってメリルのために譲るなどと言い出したら、その意向に逆らってでも動くくらいの覚悟はある。
「それは、アランの雇い主が公爵家だから?」
「それもあるけど、それは立場上の話だ。単純に俺は、あの無鉄砲でイレギュラーなお嬢様を気に入っているってだけだ。ハルとだってもう、六年くらいの付き合いにはなる。そんな二人が幸せになってほしいと思うのはおかしいか?」
「おかしくは……ないけど」
メリルが現れる前に決意したこと。
見も知らぬヒロインの恋愛事情よりも、あの二人のことを第一に考える。
その考え自体は何も変わっていないし、間違っているとも思わない。
「頼むよ。全員が幸せになるには、もうお前に、ハルを諦めてもらう以外の選択肢はないんだ」
「そんなの……そんなのって、ないよ」
もう、いたたまれない。
メリルは俯いたまま、小さく嗚咽を漏らし始めた。
俺が攻略対象のアランそのままなら浮いたセリフの一つも言えるのかもしれないが、生憎俺にそんな気障なことを言う勇気は無い。
できるのは、俺の意思を伝えることくらいだ。
「……あの二人が幸せになるためなら、俺はどんなに外道なことでもする。お前に正しい道理があったとしても。それを押し曲げてでも、俺が幸せにしたいのはあの二人だ」
「……ズルいよ。こっちは一人きりなんだよ? 立場は弱いし、唯一の武器だった原作の知識だって、もうほとんど役に立たない。親友だっていなくなった。身分の差を弁えていないって陰口も叩かれた。なんで私ばっかりこんな目に遭うの?」
乙女ゲームの世界なら自由に振舞えたかもしれないが、現実では子爵など中堅どころだ。
王族やら公爵家を相手に立ち回れるわけがないし、公爵家の令嬢と対立しようものなら、味方についてくれる人間などいないだろう。
彼女を孤立させてしまった原因は俺たちだ。
「原作」でなら、皆に愛される存在になれたというのに。その道を塞いでしまったのは俺たちなのだから。
メリル対リーゼロッテのことなら非情になれたかもしれないが、現状は違う。
主に俺が幸せになって、メリルが不幸になっていっているのだから、話が変わってきている。
俺が罪悪感を抱いているのはそこだ。
それでも俺は、メリルに謝らない。謝るわけにはいかない。
「この三年間。お前が現れたらどういう行動を取るかを決めて、とっくに覚悟は決めてたんだよ。境遇には同情するけど、今更曲げるわけにはいかない」
「決めていたって言うくせに、杜撰な作戦ばかり立てるよね。それで神様から記憶を消されそうになって、今だって私に振り回されてる。…………アランは何がしたいの?」
美しい自己犠牲なんて言うつもりもないが。
まあ、俺の方針は最初から決まっている。
それこそ、乙女ゲームがどうとか。記憶や世界がリセットがどうとかいう話を聞いた直後から、俺のスタンスは変わっていない。
「リーゼロッテとハルがこのまま大人になって、結婚して、子どもを産んで、育てて。年を食って爺さんと婆さんになって、寿命でくたばるまで。そこまでの未来を守り抜けたら、俺の勝ちだ」
例え俺の記憶がリセットされようと。今ある俺の未来を手放すことになろうと。
それで、俺の勝ちだと思っている。
「そもそも原作のアランはどんな人間だ?」
「どんな……って、裏社会の帝王、でしょ?」
「ヒロインがいなければ、帝王になんてなれるものかよ。危険な綱渡りを繰り返して失敗して、どこぞの農家や漁師になって。歴史の影に隠れたまま、ひっそりと野垂れ死にするだけの男だ」
ヒロインが横にいなければ、あっさり詐欺に遭って破滅する程度の男である。
本来の俺の人生には、そこまでの価値はない。
「元々はそれくらいの人間だよ、俺は。だったら上等じゃねえか。そんな俺が死のうが記憶が消えようが、あの二人が幸せになったっていうなら……少なくとも俺は満足できる」
俺の記憶がリセットされたら、二人のことなど忘れてしまうだろうし。
今日まで出会ってきた人たちの中から、俺が公爵家の執事だった頃の記憶だって消えるのだろうが。
全てを捨ててでも。目標を達成できれば、それはそれで本懐というものだ。
大仰なことを言えば、これが俺の命の使い道。使命だとすら思っている。
本来の俺のことなど知ったことか。今ここにいる俺の考えが全てだ、と俺は断言できる。
「……その生き方で、辛くないの? 私だったら無理。そんなの偽善だと思うし、絶対に嫌」
「見方によっては辛いだろうし、見方によってはバカなことをしてるって思えるよな……」
「だったら自由に生きればいいじゃない。誰が咎めるっていうのよ」
今の俺が不自由。見方によっては、そう見えるのかもしれない。
……だが、自由に過ごしていたら、俺の青春は悲惨なものだったと思う。
「広くて誰もいない、ボロボロの屋敷で。毎日腹を空かしながら、歯が折れるんじゃないかってくらい硬い、安い黒パンを齧って。その日暮らしの日銭を稼ぐのが精一杯で……屋敷の外じゃ、とても生きていけない。そんな空っぽの時間を過ごしていた頃に比べれば、今はどこまでも自由だと思うがね」
公爵家や貴族のしがらみに囚われず自由に過ごすということは、一人で極貧生活を続けることに他ならない。
スラム街で手下は作るのだろうが、孤独の具合としては、今のメリルと同じくらいではないだろうか。
「ああ自由さ。今の俺ならどこにだって行ける」
「そうは見えないけど」
「そうか?」
俺は、俺がやりたくてこんなことをやっているのだ。
他の誰でもない俺が、今の状況すら楽しんでいる。
そして、そもそもの話。
「もしも、俺が何もかも放り出して、アランに戻ったとして。俺が自由になったらどうなるんだよ」
「どうなるかなんて、アラン次第でしょ?」
そうではない。
これは、俺がどうなるという話ではないのだ。
「ああ、違う違う。俺が自由に生きることにしたら、あの手のかかる妹と、頼りない弟はどうなるんだ。ってことだよ」
「……それって、リーゼロッテとエールハルトのこと?」
「…………そいつは、言うだけ野暮ってやつだろ」
あの二人も最近はちょっとばかし成長したようだが、まだまだ危なっかしくて、とてもじゃないが目が離せない。
どんなに身分が上だろうと周りが何と言おうと、あの二人は俺の妹分と弟分だ。
俺はそう思っているし、向こうだっていくらかはそう思っているはずだ。
「無粋だったかしら」
「ああ、無粋だな。この上なく」
「それもそうか……。それで? みんなの頼れるお兄ちゃんは、女の子を泣かせたらどうするんだろうね? ほら、今お兄ちゃんの前に、ひどいことを言って泣かせた子がいるよ?」
「女の涙には勝てないって、親分はよく言っていたけどよ……その使い方は卑怯だろ」
「卑怯で結構。私、目的のためなら手段は選ばない方なの」
さっきまでのがウソ泣きというわけではないだろうが。
メリルは既に現状を嘆くことから、何らかの形で俺から利益を引き出す方向に、考えを切り替えたみたいだ。
本当にいい性格をしている。
転生者というのは、みんなこうなのだろうか? だとしたら、クロスの苦労も少しは分かる気がする。
まあ、いい。
今日も今日とて、いつもの世紀末式交渉術の出番だが。今回は少しアレンジを加えよう。
元々メリルに対して罪悪感は持っていたし、ここまでぶっちゃけトークをしたのだから、もう知らない仲でもない。
仁義、仁道、又は人道。
スラムの人間は仲間を見捨てない。ここまで来たらこいつも身内にカウントだ。
トコトンやったろうじゃないの。
交渉の相手はメリルでもリーゼロッテでもない。
あの、いつ見ても疲労困憊な、社畜の神様だ。
三千世界を駆け巡り、星の数ほど困ったちゃんの相手をしていると言っていたんだ。
今更苦労のもう一つや二つ積み上がっても、誤差の範囲だろう?
そう考えた俺は、今思い立った最高に外道な提案を話すべく、メリルに向き直った。
次回でヒロインとの交渉と、第三章は終わりです。
閑話を挟んでから第四章に入る予定ですが。
ともあれ、次回「お嬢様式世渡り術」は、本日の晩に投稿予定です。




