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第三話 アラン史上最大の危機(一回目)



 猛特訓が始まってから5日が過ぎた日の朝に、俺は公爵夫妻の呼び出しを受けた。

 いつかは来ると思っていたが、ピンチが訪れるのは意外と早かったらしい。


「緊急事態だ」


 毎日が一夜漬けのようなペースで勉強を強いられていた俺は、億劫な気持ちで公爵の執務室に入った。

 しかし前回訪れた時とは違い、部屋の雰囲気がどうにも暗い。


 執務机に両肘を載せて、手を組んでいる旦那様の表情は険しく、旦那様の隣に立つ奥様の表情も硬い。


「アラン。もう一度言おう……緊急事態だ」

「はい」


 さっさと内容をどうぞ。などとは言えない。 


 使用人のマナーとして、こういうときは余計な口を開かず、ただイエスと言って答えを待つものだからだ。


 じっと待っていると、やや間が空いてから、旦那様が再び口を開いた。


「週末に、第一王子の……エールハルト殿下が当家にお越しになる」

「はい」

「殿下はリーゼの婚約者だ。まだ口約束の段階ではあるがね」

「はっ、い」


 フリーズしかけた口を何とか動かし、相槌を打つことには成功した。

 しかし第一王子ということは、順当にいけば次の国王陛下ということだ。 


 つまりはこのまま順当にいくと、うちの体力バカのお嬢様が、次の王妃(ファーストレディー)になる。


「ははは、御冗談を」


 とは流石に言えず。


 大丈夫か? この王国。と、俺は言い知れない不安に襲われた。


「アラン。事前の話し合いで婚約者に内定しているとはいえ、殿下は初めてリーゼとお会いになるの。この週末が顔合わせになるわ」

「はい」


 つまりまだ王族サイドは、あのお嬢様の正体を知らない可能性がある。


 あれでも公爵家のご令嬢であり、見た目だけを切り取れば美少女だ。詳しい内情を知らなければ、王子の婚約者候補に挙がるのも分かる気がする。


 悲しいことに、家柄と顔面偏差値だけで納得できてしまった。


「国王陛下からは、当人同士の意向を重視するとのお言葉をいただいているが。顔合わせの席で何かがあれば婚約解消も十分にあり得る。だから、絶対に粗相があってはならないんだ」

「畏まりました」


 俺はまだ見習いであり、リーゼロッテお嬢様のお付きはエドワードさんだ。最大限に彼のサポートをして、何とか丸く収めろという話だろう。


 そう理解したところに、旦那様からまさかの追い打ちが入った。


「ところでアラン。悪い報せと、大変悪い報せがあるが、どちらから聞きたい?」

「悪いニュースからお聞かせ下さい」


 嫌だ。本音を言えばどちらも聞きたくない。


 次期国王陛下をあの(・・)お嬢様と引き合わるというだけでお腹いっぱいなのに、この上一体どんな悪い話があると言うのだ。


 俺は恐らく引き攣っているであろう表情をなるべくフラットに維持して、ただ沈黙しながら次の言葉を待つ。


 そして、次いで公爵夫妻の口から出てきた言葉。

 それは俺の予想の斜め上を行くものだった。


「まず悪いニュースだが、先ほどエドワードが倒れて治療院に運ばれた」

「胃に穴が空いたらしくてね。最低でも2週間は静養よ」

「は……はい!?」


 身を守る盾が急に消滅して、頭の中はもうパニックである。


 現状でお嬢様に専属で付いているのが俺とエドワードさんしかいないというのに、誰を代打に出せばいいのだ。


 旦那様付きになっている、ベテラン執事のケリーさんか?

 それとも奥様付きになっている、若手執事のジョンソンさんか?


「まさかとは思いますが」

「察したようだね」


 お世話の段取りを俺に仕切らせるわけではあるまいなと、俺は緊張しながら旦那様の目を見る。

 すると彼は、これまた予想の斜め上となる回答をしてきた。


「大変悪いニュースだが、付き人は君だけになる」

「え?」


 信じられない発言に、今度こそ気が遠くなった。


 これは俺がメインだとか、そういう話ですらなく――俺一人で――王子と公爵令嬢の顔合わせの席を、回せという命令だ。


「え、あの、旦那様」

「落ち着いて聞いてほしい」


 呆然とする俺に構わず、公爵夫妻は続けた。


「王家の世話係をしている宮内庁がね、「顔合わせはお若い二人だけで」などという、要求をつけてきたんだ」

「陛下が承認された以上、この方針を覆すわけにはいかないの。何とかねじ込めたのは、まだ年少のアラン一人だけだったのよ」


 そこは何が何でも抗えよ公爵夫妻。数週間前までスラムの下っ端をやっていた、小僧に任せていいミッションじゃねーぞ。


 とは思うが、何か事情があるのだろう。

 だから相槌がてらに、一応探りを入れてみた。


「何故、そのようなことに……」

「これは政治的な話よ。宮内庁の長官とアルバートはね、昔私を取り合った仲なの。恋敵というものね」


 どことなく、誇らしげな顔でキャロライン様は言う。


 だが、恋敵?


 失恋の恨みで王族と公爵家の婚約を妨害しようとは、宮内庁の長官は中々気合の入った男のようだ。


「嫉妬の炎に燃える奴とその実家が、幾度にも亘って当家に嫌がらせをしてきているんだ。まったく、何年経つと思っているのか……」


 事情は分かった。しかしこれは、政治的な話だろうか。


 世間では「痴情のもつれ」と言われる類のお話だと思うのだが、そこはスパルタ使用人教育を受けている真っ最中な俺である。笑顔のままで華麗に聞き流した。


 俺が何も言わずに黙っていると、旦那様は旦那様で、少し誇らしげな顔のままで笑みを浮かべる。


「ふっ、奴らがキャロに婚約を申し込んだ時には、既に私たちは愛し合っていたのだよ」

「今でもよく覚えているわ。両親に無理やり連れて行かれた婚約式の会場から、私を(さら)ってくれたこと」

「ははは、左様でございましたか」


 昔の熱い恋の記憶が琴線に触れたのか、夫婦は目の前の執事見習いを無視して、熱っぽい視線を交わしている。


「キャロライン……」

「アルバート……」


 いや、ダメだろ。両家公認の婚約式の会場から、攫ってきちゃダメだろ。

 そんな当然の感想が、俺の頭を駆け巡った。


「そりゃあ長官もご家族も怒るわ! このバカ!」


 と、叫び出さなかった自分を褒めたい。

 1週間前までの俺なら、間違いなく何らかの意見を物申していたはずだ。


 しかし今は、公爵家の行く末に関わるような大事の前である。これはそんな、甘い雰囲気出して見つめ合うような話題ではなかったはずだ。


 そう呆れながら10秒ほど待って、二人はようやくこちらを向いてくれた。


「終わった話を何年も、なあ? 今は亡き先代だって「そこまで好いているなら……まあ、好きにせよ」と言ってくれたし」

「私の実家も「まあ…………公爵家なら……」と、快く許してくれたのに」


 全く快さそうに聞こえない。

 絶対に何かしらの不満があるはずだよ、その返答は。


「ははは、それは結構でございますね」


 おいおい大丈夫か、この公爵家? という感想を、おくびにも出さないようにしてはみたが、俺の心中は不安でいっぱいだった。


 少しばかり負担は増えるが、奥様の実家のことも調べておく必要がある。


 何も知らずに過ごしていたら、どこに地雷があるか分からないのだから、色々な方面で先行きが暗すぎた。


「もしもこの顔合わせでボロを見せれば余計な攻撃材料を与えることになり、最悪の場合は婚約破棄にもなりかねない」

「……王族との婚約破棄。これが何を意味するか分かるわね? アラン」

「はい」


 分かりたくもないが、分かる。お嬢様本人どころか、公爵家自体の絶大なイメージダウンに繋がるだろう。


 社交界で多少のポカをやらかすのとはワケが違う。

 下手をすればお嬢様の一生に関わるほどの醜聞(しゅうぶん)だ。


 お嬢様がへま(・・)をしたところで責任の所在は俺になるのだろうし、俺がミスをしたら俺の責任だ。


 つまりお嬢様の罪は俺の罪で、俺の罪も俺の罪。


 ミスをしたら公爵家での仕事を失うどころか、王族相手に粗相なんてした日には命に関わる。

 失敗したらダブルの意味でクビが飛ぶだろう。


「準備はケリーに任せるから、当日の打ち合わせは綿密に頼むよ」

「承知致しました」


 ともあれ雲上人たちの決定事項に、今さら拒否ができるわけもなく。この親にしてあの娘ありかと思いながら、俺は執務室を退出した。


 そして公爵夫妻に声が届かないであろう、中庭まで移動してから叫ぶ。


「ああもう畜生! やればいいんだろ、やれば!」


 半ばヤケになった俺は早速、週末に向けた準備の算段を立て始めた。



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