第二話 これからどうする
公爵夫妻からの呼び出しを終え。俺は庭園のベンチで一人、頭を抱えていた。
「嘘だろ、おい。……俺が? スラム街で小間使いをやっていた俺が、公爵家令嬢の専属使用人兼、教育係?」
貴族としての英才教育を受ける前に両親が他界。その後すぐに没落して、貧乏暮らしという人生だった。
一応貴族の生まれではあるが、俺の学力や立ち振る舞いは、一般市民の子どもと変わらないはずだ。
むしろスラム街の連中とつるんでいた時間が長いから、たまにボロが出る。
「あのお嬢様を社交界に出したら、公爵家の評判がどうなるのかは想像できるよ。でも、だからって……なぁ?」
最低限のマナーですらこの屋敷に来てから習い始めたのに、お宅の大事なお嬢様に何を教えろというのかと、内心で毒づく。
というよりも普通、雇って3週間足らずの孤児に公爵家の命運をかけるだろうか。
「こんなもの、ギャンブル以外の何物でもないと思うんだが」
これが気まぐれやお試しでちょっと投入というのなら、まだ話は分かる。
しかし、提示された期限はお嬢様の高等学院卒業まで――すなわち8年後である。
結構な先を見た計画の様であり、先ほどの様子を見る限りでは、試運転のような気配も一切無かった。
よくよく考えてみれば、拾った孤児が15歳になった時点で徒弟制度の期間は終了するのだが、その辺りの処理はどうするのだろうか。
公爵家でそのまま雇用継続か。
それともコネで、どこかにポストを用意してもらえるのだろうか。
「望む未来を用意するって言われてもな……未来のことなんか、考えたこともないっての」
その日一日と、次の日の食い扶持のことしか考えていない生活が数年も続けば、将来の夢なんてものは擦り切れて無くなる。
「魔法の扱いは得意だから、昔は騎士とかになりたかった……と思うんだが」
大して昔でもない過去を振り返ったが、今は現実を見なくてはいけない時だ。
公爵夫妻から何を期待されているのか分からず、しかし絶大な期待を寄せられている雰囲気がある。
「これから、どうするかな」
先行きには様々な不安がある。差し当たり目下一番の不安はあのお嬢様だ。
色々な意味で近寄りがたいお嬢様と、どうコミュニケーションを取っていいのかは、考えてみても一向に分からなかった。
「よう、悩んでるねぇアラン。まあ大変そうだし無理もないか」
そうした事情で途方にくれていたのだが、様々な悩みを抱えてうんうんと唸る俺の頭上に、ふと影が差した。
「アルヴィン、お前もう知ってるのかよ?」
「まあな。前から噂にはなってたし、今回のも回るのが早いな」
「噂?」
頭上からひょいと覗き込んできたのは、俺の同期であるアルヴィン・スタットマンだ。
歳は俺の1個上。まだ14歳だというのに、俺よりも頭一つ分以上は背が高い。
肩幅もそれなりに広く、この歳にして既に大人顔負けのガタイを持っている男だ。
今は庭師の恰好をしており、白シャツの上から青いオーバーオールを着て、頭には紐付きの麦わら帽子を被っている。
「そうそう、貴族籍から平民に落ちた子どもを、わざわざ大量に雇った理由な。使用人の間で噂になってたろ?」
「知らねえよ、使用人の噂話なんか。そんなに聞く機会があるか?」
正規ルートで公爵家の使用人に採用されている時点で、身元がはっきりしている名家の出と決まっている。
使用人との接点というか、共通の話題なんてものは存在しないのだ。
孤児の俺と会話が少ないのも当たり前だろう。
そういった事情で、俺はこの屋敷の噂などというものは、つい先日アルヴィンから聞いた七不思議くらいしか知らない。
「アランは悪ぶっている割りに、意外と根は真面目だからな。ほどほどに休まないと疲れるぞ?」
そこ行くとアルヴィンは要領が良く、気のいい若手の使用人とつるみ、ほどほどにサボっているため顔は広い。
今も庭師の仕事をサボりながら、休憩中の俺とダベっている。
採用からわずか3週間でここまで堂々とサボるとは、中々胆の太い男ではあるが、回り道ばかりでまだ本題には入っていなかった。
「意外は余計だ。……で、噂ってのは?」
「おう、今回俺たちが招集された理由な。あのお嬢様へのイケニエ……もとい、従者を選抜するためなんだと」
確かに国が進めている政策とはいえ、公爵夫妻が直々に何度も現場に顔を出すのだから、薄々おかしいとは思っていた。
「てことは何か? 今まで公爵夫妻がちょくちょく顔を出しにきたのも、その品定めだったってことか?」
「まあ、そんなところだな」
優秀なスタッフが揃っている公爵邸で、最愛のお嬢様の専属使用人を、わざわざ孤児から選ぶなんて誰が予想できただろう。
俺たちの中で知ることができたのは、使用人から事前に情報を集めていたアルヴィンくらいではないだろうか。
「ご名答じゃねえよ。まったく、知ってたんなら何で教えて――待てよ」
「それもご名答」
俺の考えに気づいたアルヴィンは、わざとらしく明後日の方向を向き、無駄にクオリティの高い口笛を吹き始めた。
「……この野郎。面倒ごとを人に押し付けるために、その話を隠していやがったな」
俺はアルヴィンを睨むが、どこ吹く風で飄々としているばかりだ。
しかしこれは、こいつの作戦勝ちだろう。
同期の中には公爵家から雇用されて早々、仕事をサボり始めるような命知らずはいなかった。――目の前の男を除いて。
アルヴィンは俺を含めた面々が真面目にやっている隙に、必要以上に手を抜いていたが、それは何故か。
「人事考課が多少下がるとしても、安全で安定している、ただの使用人になる道を選んだわけだ」
結果としては見事に生贄を回避して、面倒事の押し付けに成功している。
ああ、賞賛ものの手腕だ。
押し付けられた相手が俺でなければ。
「……なあ、一発ビンタしていい?」
「やめてくれよ。今日からほどほどに働く予定なんだからさ」
「この野郎――」
「いけませんな。そのような乱暴な言葉遣いは」
俺たちの背後から、硬くしわがれた声がした。
俺が恐る恐る振り向くと、そこには幽鬼の如き雰囲気を持つ公爵家使用人のトップ――エドワードさんが佇んでいる。
「貴方も今日付けで、お嬢様付きの使用人となった身です。今後は、普段から言葉遣いに気を使いなさい」
「……はい」
パリッとした燕尾服にセンスのいいモノクル。靴もピカピカに磨かれているのだが、いかんせん顔に生気がない。
完璧な服装とやつれた顔の対比が、余計に哀愁を誘う人だ。
「よろしい。それでは本日の午後からカリキュラムが変わります。洗い物や庭仕事は止め、礼儀作法と貴族教育に全ての時間を注ぐことになるので、そのつもりで」
それだけ言って、エドワードさんはツカツカと去って行った。
「ま、頑張れよ。見方によっちゃ出世のチャンスなんだし」
「気が進まねえな……」
アルヴィンのやる気が無さそうな激励に、これまた気の抜けた返事を返した俺は、本館に向けてトボトボと歩き始める。
礼儀作法のマーガレット先生は滅茶苦茶厳しい。
お嬢様が逆切れして、関節技を仕掛けるレベルには厳しいらしい。
そしてエドワードさんも自分のための生贄。もとい、身代わりを育てるのだから本気でやるだろう。
「かなり激しめの指導に、なるだろうなぁ……」
一時の平穏もなさそうなレッスンを想像して気落ちする俺の頭上には、憎たらしいくらいに燦燦と太陽が輝いていた。
そしてこの時はまさか、あんなすぐにピンチが訪れるとは思っていなかった。