第二十三話 賭けられるもの(後編)
首筋に感じていた熱が、冷えていくのを感じる。
死にそうな怪我をしたら傷口が熱くなり。
いざ絶命するというときには、逆に冷えていく感覚があると聞いたことがある。
タイムリミットには、そこまで余裕がなさそうだ。
俺の策はこの提案と、一つの要望。
残すは二つだ。
「だったら取引をしよう。俺の命。残りの人生全部を、一切残らずくれてやる。……だから、リーゼロッテのことは見逃せ!」
俺はふらつく両足を踏ん張らせて。
高いところから俺を見下ろしているクロスに向けて叫んだ。
「アランの命なんていらないよ。むしろ、死んでしまったら困るくらいだ」
「違ぇよ。流れで分かれ……このスカタン! 俺が言いたいのはな、俺の人生を、物語にしろってことだ!」
転生した悪役令嬢の話が、直接本や文章に変換されるというわけでもないだろう。
ここまでの情報から考えるに。
クロスが言うところの「物語」とは、人が生み出すドラマという意味にも取れる。信仰心をどこから得ているのかは知らないが。そんな側面は間違いなくあるはずだ。
「アランの人生を?」
「そうだ。俺ほど劇的な人生を生きている奴なんざ、そうはいねぇ」
それならば俺の人生――波乱万丈なアラン・レインメーカーの人生――それを物語にできないわけがない。
両親が暗殺されて。
伯爵家の跡取りから平民に転落して。
その後は貧民街に出入りして、小金稼いで極貧生活だ。
そこから公爵家に拾われて。
美少女と出会って。
王子と友達になって。
国王に喧嘩を売って。
子爵の地位を勝ち取ったんだ。
「なあ、一体どこの主人公かと思うだろ?」
思えば随分流れてきたものだ。
両親が死んで。流されるままに屋敷の管理を引き受けて。
流されるままに、スラムの連中から仕事を貰って。惰性で日々を生きて。
流されるままに、公爵家へ運び込まれて。というか、半ば誘拐されて。
流されるままに、使用人になって。
教育係になって、執事になって。
どんどん役職が追加されて。
「あと半年もすれば、学園での本番が始まるんだろ?」
色々とやってきた結果が今だ。
しかも。これだけやって、まだ終着点ではない。
「リーゼロッテをただのお嬢様にすることですら、これほど大変だっていうのによ。暴走せずに、きちんと悪役令嬢をやっていけるように……走り回ってフォローする執事の話があったとしたら」
荒くなった息を整え、最後の一言を言い切る。
「そんな「悪役令嬢に振り回される執事」の物語があったとしたら、転生者がただの悪役令嬢になる話よりも、よほど劇的だろ?」
物語の質か、量か。
どちらが大事なのかは知らない。
だが、学園での生活、たかだか三年で得られるものよりも。俺の今までの十七年。
そしてこれから先。
人生数十年の積み重ねの方が遥かに量は多いはずだ。
俺の今後の人生が何年あるかは知らないが。
多少の質などカバーできるくらいの量ではあるだろう。
「悪役令嬢リーゼロッテの一生なんてものは。このままいけば、一生筋トレするだけで終わるんだ。見どころも、山場もねぇよ」
リーゼロッテ本人が問題児とはいえ。
いざとなれば公爵家の権力と資金力で、ほとんどの問題を解決可能なのだ。
そこには特に山も谷もない。
恵まれたお嬢様の、ただの順風満帆な人生が広がるばかりではないか。
「リーゼロッテの三年分、十の信仰心と」
それと比べれば、俺の方が数倍濃い人生のはずだ。
少なく見積もっても、三倍くらいは。
「俺の人生全部……そこから仮に三十の信仰心が採れるとしたら。合わせて四十だ。これじゃあ不足か?」
俺の命と人生を丸ごと全賭けだ。
それでクロスが得る報酬を上乗せする。
多少無理をしてでも狙いに行く価値があると思ってくれれば、交渉は成立だ。
提案を受けたクロスは顎に手を当て、暫し考え込む素振りを見せた。
こちらが命をかけて臨んだだけあってか、真剣に検討してくれているようだ。
そして、やや間が空いて。
「……ダメだな、リスクは見逃せない。始まってからでは遅いんだよ」
彼の口から出てきた返答は、否だった。
「このままだと、乙女ゲームが破綻する可能性が濃厚だ。追加で四十を得るために、得られるはずの百を全部失う可能性が高い賭けなんて……不合理だと思わないか?」
その通り。今のまま行けば、この計画が成功するかしないかはリーゼロッテ次第だ。
クロスからしたらいつ爆発するか分からない不発弾を抱えるようなものだし。
俺も考えが全部顔に出るようなリーゼロッテが、いきなり完璧な演技ができるようになるとは思わない。
「リスクは下がるさ。俺が、その「物語」を上手に管理できるように、正しい世界ってやつを見せてもらえれば、な」
むしろ、彼女の演技力には全く期待できない。
だからこそ俺がいる。
「……正しい世界?」
「ああ。俺はさ、今俺が生きているこの世界しか知らないから、「知っている奴」から見て、現状にどれくらいの違和感があるのかなんて、分からないんだよ」
だから、俺が出した結論は「分からない」になった。
国王陛下はおろか、ハルも、公爵夫妻もエドワードさんもアルヴィンも。
ケリーさんもジョンソンさんも、メイブルもマーガレット先生もスラムの親分も。
この世界に生きている人間は誰も、この世界の正しい姿など知らない。
もちろん俺だって知らない。知るわけがない。
「分からないって……そりゃそうでしょ。管理している俺か、転生者でもなければ知る由もないことだし」
「そこだよ。正しい在り方ってやつを知っているのは、クロスとリーゼロッテの、二人だけだ」
事情を何も知らない人間が、改善策など出せるわけがない。
妥協点を探せるわけがないのだ。
「そんなんだからリーゼロッテの行動に、全てを任せることになる。……そんなのは不安だろ? だから――」
「だから?」
状況が分からないから手の打ちようがない。
だったらどうするか。
分からないなら人に聞く。
それか、自分調べてみる。
それに尽きるだろう。
この場合、調べるという言葉は何を意味するか。
何を調べたら、俺は正しい情報を得ることができるのか。
そんなものは簡単だ。
「俺にもやらせてくれよ、その、乙女ゲームってやつを」
これが俺の策。その全てだ。
「手伝ってやるよ、お前たちが理想を叶えるのを」
今までと何も変わらない。
俺が全ての事態を把握して、暴走するお嬢様を止める。
ただ、それだけのことだ。
「リーゼロッテの望みと、クロスの望み。両方の願いが叶う道を見つけてやる」
これでダメだったらご破算だ。
命を懸けて、俺は叫ぶ。
「だから俺に乙女ゲームをやらせろ! そうすりゃ、アンタは全てを手に入れる!」
「……断ったら?」
決定権はあくまでクロスにある。
彼が断わるなら、この話は実現しない。
そうなれば、リーゼロッテには綺麗さっぱり。
格闘家への道を諦めてもらう――なんてことは、許さねぇ。
世界をリセットするのは、「最悪の場合」だと、こいつは言った。
だったら、その最悪の場合を、俺が作り出してやろうではないか。
この世界を、巻き戻さざるを得ない状態に叩き落としてやる。
俺は先ほどまで考えていた内容を、一切の虚飾なくクロスに伝える。
「この期に及んで諦めろと言うのなら。俺はこの場で反対側の首を掻き切り。ついでに屋根から飛び降りて、死んでやるよ」
これが、俺からクロスにつける、落とし前だ。
攻略対象がいなくなった世界を巻き戻すために、クロスが失う取り分。
二割、三割というのが大きいのか小さいのかは知らない。
だが、人から大事な物を奪うなら、報復を受けることも覚悟しなくてはならない。
これは、報復だ。
「死なば諸共ってやつだよ。自爆って戦法は、持たざる者の専売特許なんだ」
世界がリセットされて時間が巻き戻れば、今ここにいる俺の自我は消える。
それが死ぬことと、どう違うのか。
今すぐ死ぬか。
少し間を置いてから死ぬか。
たったそれだけの違いでしかない。
であれば、最初から俺の命など無いに等しい。
それこそ、何を惜しむことがある。
それ以前にこのまま話が進めば、リーゼロッテに守られる側になってしまう。
イレギュラーな攻略対象など、目の前の神様は許さないだろう。
記憶の全消去はしないにしても、何らかの手出しはあるはずだ。
俺の立場だって公爵家執事ではなく。
スラム街の顔役に仕立て上げる算段はあると見ていい。
リーゼロッテだけが記憶を保持したまま「物語」が進んで。
ハルと俺がヒロインに選ばれなかった場合。
彼女は俺たちの不幸を回避するために、色々と動いてくれるだろう。
あのお嬢様が。俺とハルの破滅を、みすみす見逃すわけがないのだから。
「……はっ」
そもそもの話。世界のリセットなり記憶の消去なりで俺の自我が消えたとしたら、その後どうすればいいと言うのか。
公爵家で仕えていた記憶が抜け落ちたあとは。
スラム街に舞い戻って、説明書通りに裏社会の帝王を目指せとでも?
何だそれは。そんなものは、俺ではない。
「随分と、間抜けな……未来だ」
妹分に守られながら、安穏としてスラム街を席巻し。
仕えていた主に守られていることさえ気づかず。
キザったらしいセリフを吐いて、一生を生きていくのか?
考えるだけでぞっとする。
「やっぱり。そんな存在は、俺じゃねぇよな」
交渉に失敗したなら全てを失うし、交渉しなくても全てを失う。
それなら交渉するし、交渉が決裂するなら嫌がらせをしてやる。
俺にとっては当たり前の報復だ。
こんな泥臭い戦法は、「原作」とやらの。
チャラついてキザなアランには決して使えないものだろう。
そうだ。これが、これこそが――
「――今ここに居る俺、アラン・レインメーカーの流儀だ」
交渉に失敗すれば、リセット。
俺の意識は消えて、死ぬのと変わらない。
ならば今ここで死んだとしても、実質ノーダメージだ。
かすり傷ですらない。
だからといって、自らナイフで首を掻き切り、致命傷を負いに行く。
こんな狂気じみた世紀末の手法が、裏社会の帝王様にできるとは思わない。
「さあ、俺の提案。伸るか、反るか!」
これは、俺の意地だ。
ただの意地だが、それがどうした。
負け犬のままで終わるくらいなら、惨めだろうがみっともなかろうが、一矢報いる。
みみっちい仕返しだ。
これは、私怨の報復だ。
ウチの妹分が色んなところに迷惑をかけているなど承知の上だし。
悪あがきだなどと、承知の上でやっている。
だが、誰が何を言おうと。
身内がやられたことへのけじめは、これでつけられる。
ここまでやったら、死んだとして悔いはない。
いっそ晴れやかな気持ちで死んでやろうではないか。
俺は霞む視界の真ん中にクロスを据えて、真っ直ぐに見つめ続ける。
そして……。
「ふっ、はは。はっはっはっは! ふふ、フハハハハハ!」
クロスは右手で顔面を押さえて、大仰な高笑いを上げる。
ひとしきり笑った後、何とも愉快そうな顔で。
死にかけている俺の目を、真っ直ぐに見つめてきた。
「そう来たか。なるほどなるほど。神様を脅すか。こんな行動を取るキャラクターも珍しい。……まあ、ものは試しってやつだろう。その提案、乗った」
心底楽しそうに笑う彼を見て、俺も、少し気が抜けた。
「は、はは……そいつは……助かる。俺だって、死にたか、ないからな……」
思いの他素直で助かるぜ、神様。
そう思いながら、俺の意識は徐々に遠のいていった。
「そうだな。自分が主人公の自覚があると面白くない。交渉の記憶は、一部封印させてもらおうか」
「好きに、しやがれ」
自分が主役だろうが脇役だろうが、やることなど変わらない。
封印される記憶がどこからどこまでかは知らないが。
どうせ信仰心とやらの使い道も分からない。
命と関係無いのだから、知らないところで存分に吸い上げてもらって構わない。
そんなことを思いながら、俺は膝から崩れ落ちた。
「だけどな、アラン。お前が止められなかったら……俺は容赦なくリセットするぞ? 今まで以上に過酷な道が待っていること、覚悟はしておけよ」
「はっ、上等、だよ……」
さて、俺が出演する乙女ゲームをやるということは。
その物語の過程で、俺は攻略対象のアランを口説き落とすことになるだろう。
少し気色悪いが、全力で愛を囁いてやるよ。俺。
さあ、乙女ゲームの時間だ。




