第二十一話 アランの決意
一番分からないことは一度横に置いておくとして。
実のところ、俺に切れるカードが一枚だけある。
俺が使える唯一の手札。
それを使うならば、まさに「世紀末」という言葉を己の体で体現するような状況になるが。
「この戦法を取るのなら時間が勝負だ」
次に奴と会ったとき。
聞きたいことをさっさと聞いてすぐ交渉に移れるよう、まずはお馴染みの情報整理をしておく必要がある。
「考えてみれば、今は色々なことが分からない状態だ」
リーゼロッテの行動が「物語」とやらに大きな影響を及ぼすのであれば。
何故、五年も放っておいた?
それこそ、攻略対象である俺やハルの思考を変える前の。
もっと早い段階で介入するべきだ。
介入するとして、俺が公爵家に雇われた直後だっていいし。
ハルが騎士に混じって訓練を始めたときだっていい。
「だというのに、何故、今なんだ?」
もっと早い段階なら、こんな大事にならずに済んだのに。
今さら、何故だ。
「乙女ゲームをベースにした世界を創造して、その世界で乙女ゲームの内容を忠実に再現してほしいのなら、どうしてさっさと転生者の記憶をリセットしない?」
前世の記憶を持って動き回るキャラクターなど、特大のイレギュラーだ。
それがどんな人間であれ、「物語」にとっては異物でしかない。
ただそこに存在しているだけで、展開が狂っていくことなど容易に想像がつく。
だから、俺がクロスの立場だったらどうするか。
前世の記憶を保持している人物がいると分かった段階で、有無を言わさずに関係者全員の記憶を消す――いや、元に戻す。
家族や友人まで含めて、全員の記憶を、だ。
俺やハルがいい例だろう。
転生者の影響を受けて、その生い立ちや性格が激変してしまっている。
転生者が誰にどんな影響を与えたかなど分からないのだから、人生で言葉を交わした人間全員を元通りにしていくだろう。
「もちろん悪役令嬢を演じるように説得するなんて、回りくどいことはしねぇ。するわけがねぇ」
多少無慈悲ではあるが、不意打ちで全員の記憶を消して回るのが最善だ。
重ねて確認するが、リーゼロッテが周囲に影響を及ぼして五年になる。
誰がどれくらいの影響を受けてしまったのかなど、もう分かるわけがない。
神様なら分かるのかもしれないが。
それでも。
「天秤にかける二者択一。その選択肢がおかしい」
本人曰く、クロスに取れる手は。
関係者の記憶の消去。
世界のリセット。
この二択なのだ。
俺からすれば、もう誰の記憶を消せば元通りになるかも分からない。
二つの手段が並列、別にどちらでも構わないと言うならば。
「世界の時間とやらを巻き戻して、全てを丸ごとリセットしてしまう方が早そうだ」
万が一記憶の消し忘れがあればイレギュラーは継続するのだから、どちらにしようか悩む余地すらない。
こんなもの巻き戻し一択だ。
さっさと時間を巻き戻せばいいものを、記憶を消す可能性をチラつかせて脅すなどという迂遠なことをしている。
「クロスはどうして、こんな回りくどいやり方をするのか」
これも分からない。というかそもそもの話だが。
乙女ゲームを基にした世界がある、という部分からして、既に分からない。
絵本を劇にしました、とはワケが違う。
物語の内容に沿った世界を作るということは、山も川も空も生き物も、遠く浮かぶあの星々でさえ。
物語を再現するために、わざわざ創られたということになる。
そんなことを一体誰が、何のためにやったと言うのか。
「それで一体誰に、何の得がある?」
そして、クロス個人の目的は何だ?
物語を管理する仕事をしていると言っていた。
神様の国がどういう仕組みで動いているのかは知らないが。仕事だというならば、奴はこの世界を管理することで、誰かから給料を貰っているはずだ。
だが、この世界が「物語」の内容通りに回ったとして。
それで一体何の利益があるというのか。
無論、世界が台本通りに回ったとして金など生み出さない。
というか世界を創造できるような力があるならば。
そこらに金山や銀山を生み出して、乱立させた方が早い。
動機は金銭的なメリットではないはずだ。
「何故、何のために、クロスは動いている」
俺が理解できないのはこんなところだろうか。
クロスと話すとして、この辺りの疑問を解消してから話し合いになる。
……逆に、分かっていることは何か?
「リーゼロッテが普通のご令嬢だったら、俺たちの関係性も、姿形も。全然別なものになっていた……ってくらいか」
説明書とやらで見た一年後のハルの姿は、かなり細身だった。
だが、今のハルは成人男性を抱えてランニングができるくらいに、体幹がしっかりしている。
シルエットからしてまるで違うし、表情も全く違う。
説明書で見たような、あんな含み笑いをする男ではない。
あいつが笑うときは、もっと爽やかに笑うはずだ。
「アランもそうだ。俺の目つきはあんなに悪くない」
いや、目つきが悪いからと伊達メガネをプレゼントしてもらうことはあったが。
あんなにやさぐれて、鋭い眼光を飛ばすような男ではないはずだ。
本来の俺と、今の俺の共通点は、服装の好みくらいだろうか。
説明書を見た限りでは、どうやらスタイリッシュな恰好が好みのようだ。
それは分かるよ、俺の好みだってそうなのだから。
趣味嗜好の部分では、僅かに共通点が残っている。
正直に言うと、トレーニングウェアは着心地こそいいが、外見は俺の好みではない。
リーゼロッテが格闘家になりたいなどと言い出さなければ、今俺が着ているトレーニングウェアだって、作ることも着ることもなかった。
「トレーニングウェアか、懐かしいな。これを作ったときは、確か――」
俺の脳裏にふと、このトレーニングウェアを初めて着てもらったときの光景が蘇る。
母親は「見栄えが良くなった」と喜び、子どもは「動きやすくなった」と喜んだ。
用意したものは一着のトレーニングウェアだ。
同じ物を用意したというのに、それを見て、着て、喜んだポイントは全く違う。
「全くベクトルの違う、二つの要望?」
もしかして、と、俺の脳裏に閃きが走る。
「まさか。いや……もしかして、 悪役令嬢が転生者であることに、何か意味があるのか?」
転生者と「物語」を天秤にかければ、「物語」の方が大事。
されど、「物語」に多少の影響が出るくらいの被害なら、転生者の行動にも目を瞑ることができる。
今回はリーゼロッテがその多少を超えたから出張ってきたわけで、これは単純に、優先順位の問題だ。
そんな仮説は成り立たないか。
要するに、クロスにとってベストな展開は。
転生者がきちんと悪役令嬢をやりつつ。
それでいて乙女ゲームの内容が破綻しない状態。ということになる。
そうであれば、「転生者がいる意味」とクロスの「希望」は、ベクトルは違えど両立し得るはずだ。
クロスの希望を全て叶えつつ、リーゼロッテの希望も叶える。
「その二つを両立させる方法を見つけることが、俺の仕事か」
まあ、こんなことを長々と考えても意味は無い。
結論を出すのはアイツとの話次第だ。
分からないことだらけの中で、交渉の道筋は組み立てられた。
リーゼロッテが知る前に、俺の手で全てを終わらせようとするならば。
「そろそろ決断の時、か」
この道が合っているのかは分からない。
だからこそ、クロスに会って確認してみるべきだ。
分からないのなら、分かる奴に聞く。
当たり前のことではないか。
答えによってはこの事態を何とかできるし、答えによっては全てが無駄になる。
そこは蓋を開けてみるまで分からない。
そんなことを考えながら。
俺は自分のクローゼットから、滅多に掛けないメガネを取り出す。
少し目つきが悪いからと、一昨年の誕生日にアルヴィンから貰った伊達メガネだ。
伊達メガネとトレーニングウェア。全く俺の好みではない服装。
こんな格好で、わざわざ外に出たいとは思わない。
だが、敢えて俺は。好みとは正反対の服装で行ってやることにした。
俺が持つ主義主張を全て曲げ。
公爵家令嬢の専属執事にして。
教育係にして。
護衛にして。
トレーナーの。
子爵相当の身分を持つ「アラン・レインメーカー」として、俺は行く。
さて、考え始めてから恐らく二、三時間。
既に俺の腹は決まった。
あとは食堂の厨房に寄ってから、クロスを呼び出せばそれで終わりなのだが。
「今回こそ本当に、最後になるかもしれねぇからな」
時間からして、そろそろ泣き疲れて寝ている頃だろう。
そう判断して、俺は廊下へ出た。
「最後に、寝顔でも拝んでから行くか」
主の部屋に戻ると、彼女は静かに寝息を立てていた。
眠りについたリーゼロッテの顔を眺めてから、俺は一人思う。
家族からの愛情とはどのようなものか、と。
前世のリーゼロッテもそうだと言うが。
小さい頃に両親を亡くし。愛情を満足に受けられなかったのは、俺も同じだ。
親からの愛など、俺は知らない。
だが、今の俺には本当の家族ではなくとも。
家族のような人たちがいる。
リーゼロッテと一緒になって問題を起こした俺を。
時には叱りつつも、優しく接してくれる。
父母のような公爵夫妻が。
年上で、しっかりしているがお調子者。
悪友のような、それでいて兄弟のような。
同僚のアルヴィンが。
教育方針は厳しいが、レッスンが上手くいけば時折飴玉をくれる。
実は優しくて、いつも俺を心配してくれている。
祖父のようなエドワードさんが。
先輩だからと、何かと気にかけてくれる兄貴分。
歳が離れた親戚の兄さんのようにも感じる。
ケリーさんとジョンソンさんが。
流民同然の身分だった俺を、対等な仲間として扱ってくれた。
公爵邸の使用人たちが。
「そういや、王子様とも友達になったっけな」
ハルという友達もできた。
あんなにいい奴は中々いない。
平民が王子様と友達になるなんて、今までの人生では考えもしなかったことだし。
あいつと会えたことは、俺の人生の中でも幸運な出来事だった。
少しは逞しくなったが、まだまだ子ども。
目が離せない弟みたいなものだと思っている。
「……で」
そして何より。仕える主。
高貴な生まれで、生粋のご令嬢なくせに。
どこまでも活発で、底抜けに朗らかなお嬢様。
夢を追いかけることに全力で、周りが振り回されていることを一顧だにしない。
迷惑で手のかかる妹のような。
リーゼロッテ。
「全部だ」
全部、このお嬢様がこうでなければ、手に入らなかったものだ。
ここにいるのがまともなご令嬢だったのなら。
俺は広くて暗くて襤褸な屋敷に、まだ一人で住み続けていたのだろう。
今ここにある現状と、本来の未来。
幸せなのはどっちだ?
「考えるまでもねーわ」
ああ、命の危険があろうが、心労のあまりこの歳で胃を痛めようが。
俺は今が幸せなのだ。
そう考えながら俺は、リーゼロッテの髪を指で優しく梳くように撫でる。
少しでもいい夢が見られるように、優しくゆっくりと。
「変な感傷なんかじゃない。俺は、貰ったものを返すだけだ。……そうだよ、一体何を躊躇うことがある。義理人情を通すのだって、スラムの流儀だ」
さあ、そろそろ行こうか。
というところで寝ていたリーゼロッテが身じろぎをし、もぞもぞと動き出した。
俺は慌てて手を放し、ベッドから一歩下がる。
「……アラン?」
「悪い、起こしたか。少し外に出てくるから、いい子にしてろよ?」
寝起きで意識がはっきりしていないようだ。
今のうちに行ってしまおう。
「心配かけてごめんね、アラン。もう大丈夫だから。少し寝たら元気になったの。さ、もう神様のところに行きましょ。……ドレスくらい自分で着るわ。服を選ぶのだけ手伝ってちょうだい」
服を選べ? そう言うのであれば、俺が選ぶものは決まっている。
ドレッサーの中から、リーゼロッテが一番気に入っているであろう、仕立てるのにいくらかかったのか分からないくらい豪華な――黒いトレーニングウェアを出す。
「アラン。話は聞いていたでしょ? ドレスを持ってきて」
「いいや、着るのはドレスじゃない。……トレーニングウェアだ。俺は行ってくるから、それを着て待ってろ」
俺はリーゼロッテが愛用している衣服を、その小さい両手に押し付けた。
「えっと、アラン。そう言えば、どうしてアランもトレーニングウェアを着ているの?」
「すぐに分かるさ」
「ねえアラン。あなた……どこへ行くの?」
「違うな」
俺が今からやること。大事なのは、その中身だけだ。
どこでやるかなど、関係ない。
「どこへ。って聞くのは間違いだ。何をしに行くのか……大事なのはそれだけさ」
「じゃあ、聞くね。……アラン、何をしに行くの?」
よくぞ聞いてくれた。
俺がやりたいことは、たった一つだ。
「もちろん、けじめをつけに」
「……その言葉の意味、分かっているわよね?」
俺は、仕える主を守れなかった。
それどころか、リーゼロッテはハルと……俺の未来を守るために。
恥も外聞も無く泣いて、喚いて。
それでも最後には聞き分けた。
前世で恋焦がれて、それでも手が届かなくて。
今世で生きる意味の全てだという、自分の夢を。
俺たちを守るために諦めて、泣いたのだ。
これは、俺自身もけじめをつけるべき問題だし。
そして、あの男にも、けじめをつけるべき問題だ。
「けじめをつける? 決まってんだろ。落とし前を付けるって意味だよ」
そうだ。今俺がやるべきことは。
この借りに、熨斗を付けて返すことだけだ。
相手がスラムのチンピラだろうが、どこぞの貴族だろうが、神様だろうが。
俺がやることは、何も変わらない。
神様。アンタはウチのお嬢様を……俺の妹分を泣かせたんだ。
この落とし前は、きっちりとつけてもらうぞ。




