第十九話 ちゃんと悪役令嬢やってくれない?
少し雰囲気が重めですが、二話ほど経てばいつも通りですd('ω')b
神様を名乗る男に、黒い球体のような空間に押し込まれた後の記憶が、どうにも曖昧なのだが。
気が付けば俺たちは、無機質な灰色の部屋にいた。
この部屋を見たリーゼロッテは。
「こ、ここは取り調べ室……! 取り調べ室なのね!」
と言いながら戦慄の表情をしていたが。
どうやらここは衛兵隊の詰所のような場所らしい。
少し時間を置いて、用意された食事を済ませてから、取り調べが始まった。
「リーゼロッテ・フォン・カトリーヌ・クラインさん……前世では宮島 玲さんね。確認だけど、君は乙女ゲーム【黄昏の王国と七人の騎士】の世界に転生した。これは自覚ある?」
「…………はい、自覚、あります」
リーゼロッテは先ほどから挙動不審で。
変な汗を滝のように流しながら目線を泳がせているのだが。
まあ、食欲だけはいつも通りだ。
ここに来て最初に出されたカツ丼なる食べ物は、きっちり完食している。
先ほど聞こえた不穏な言葉を鑑みるに、状況としては結構まずいことになっていると思うのだが。
変なところだけいつも通りなんだよなぁ、と、俺はまず呆れてしまった。
「よろしい。じゃあ君の今世……リーゼロッテはどんな人物? 今の君じゃなくて、原作の方で」
「えっと、甘やかされて育ったからすっごいワガママで、意地悪で、ヒロインの恋敵になる予定の……悪役令嬢です」
これまでにクロスが語った内容をざっくり整理すると。
まずリーゼロッテには前世の記憶がある。
ここではない別な世界で、魔法が無い代わりに機械技術が発達した世界だそうだ。
そして、今俺たちが生きている世界は、乙女ゲームの物語を基にして生まれた世界だという。
「おう、そこまで分かっているなら話が早いわ。なら今までの君の行動を振り返ってみて、君はどれくらいリーゼロッテかな? 共通点が何個あるよ?」
「え、えっとぉ……そ、それは」
絵本や紙芝居の中にいる、というわけではないらしいのだが。これからこの世界で起こる出来事は、大体「原作」の流れに沿うことになるそうだ。
俺やリーゼロッテの未来は予め数パターンに決まっていて。
主人公――俗に言うヒロイン――の行動次第でそれが確定していく……らしい。
最初に説明を受けたとき。
やはりこの男、ヤバいお薬を飲んでるんじゃないのか。
と、俺は思ったのだが。
その説明が正しいと、リーゼロッテが全面的に受け入れてしまったから問題だ。
「あのさ、ルートによっては没落して追放されるけど、まだ決まったわけじゃないだろ? 追放先を豪華にしておいて、何不自由なく暮らすくらいなら問題ないからさ……ちゃんと悪役令嬢やってくれない?」
「で、でも! 私が憧れたのは、格闘家なの! 暗い病室、終わらない闘病生活。そんな日々に唯一希望をくれたものが、格闘技の試合だったんだから!」
「プレイしていた乙女ゲームの方じゃないのかよ。担当官、何やってたんだ……」
悪役令嬢。高慢ちきで高飛車で陰険で我儘な、当て馬。
それがリーゼロッテに用意された使命だという。
「キミねえ、乙女ゲームの悪役令嬢が格闘家を目指してますって……収拾つかないでしょうが。原作のファンもびっくりだよ」
見れば一発で分かるが、どう考えてもうちのお嬢様とはミスマッチだ。
これにはクロスも頭を抱えている。
「そ、それは分かっているけど。前世でできなかったことを、今度こそやりたいの!私は、皆に夢と希望を与えられるような、最強の格闘家になりたいなって……」
「いや、まあ。気持ちは分かるんだけどさぁ……乙女ゲームの世界に転生してやることじゃないだろ?」
リーゼロッテは格闘家への思いを語るが、いつもの熱が無い。
「設定された動き」とやらから大きく逸脱していることが後ろめたいらしく、今の彼女は借りてきた猫のように大人しかった。
「前世は……と。不幸な家庭に生まれて、闘病生活の果てに命を落とした、か。生い立ちには同情するけど、なるほど。君の願いは叶ったはずだ。これ以上は欲張りってもんじゃないか?」
「それは……そう、だけど」
呆れ顔のクロスは紙がぎっしり詰まったファイルを捲り。
書類に書かれていた内容を読み上げる。
「願い?」
「ああそうだ。前世では家族から愛されなかったことに、一番不幸を感じていたようだからさ。転生の担当者も、今世は家族からは最大の愛情を注いでもらえるような家庭を選んだってわけだよ」
家族から愛情を注がれているという部分に、疑う余地はない。
公爵夫妻はリーゼロッテを溺愛していて、いつでも娘のことを考えている。
これから先何があっても、注がれる愛情は変わらないはずだ。
「このままだと修正対象はリーゼロッテだけじゃない。エールハルトと、そこにいるアランも巻き込まれるんだぞ? 君だけの問題じゃないんだよ」
「え? 俺たちも?」
「そうだよ。本当はあまり良くないんだけど……見せてやるよ。君の設定。ほら、説明書だ」
そこには俺とリーゼロッテ、ハルの他に、見慣れない男たちが数人並んでいる絵が描かれており。
その下に説明の文言が並んでいた。
アラン
伯爵家に生まれるが、物心ついた頃には両親が他界。
跡を継ぐには幼すぎること、縁戚で後見人がいないことから家は断絶となった。
両親の死、その真相は不明のまま捜査が打ち切られる。
成長した彼は裏社会で力を蓄え、全てを手に入れようとする野心家になった。
気に入った獲物は、何があっても逃がさない。
『お前、俺の物になれよ』
そこには、スタイリッシュな服を着て。
不敵に笑みを浮かべながら。
日常生活ではあまり見ない、キザなポーズをしている男の姿があった。
「君の正しい未来はこうだぞ?」
「……マジかよ」
「公爵家に雇用されてツッコミ担当執事なんて役回りじゃないの。攻略対象キャラなのに、悪役令嬢について回っていたら全然攻略の隙が無いでしょうが」
「……あー……うん」
髪と身長が伸びて、少し目つきが悪くなったらこうなるかな。多分。
と、俺は少し気恥ずかしくて、気まずい気持ちになる。
「しかし正しい未来って言われてもなぁ。……ちなみに、リーゼロッテは?」
「うーん、他の人物は……まあいいか。ページを捲ったら後ろの方にいるよ」
言われるがままに説明書とやらを捲れば。
他の登場人物に比べてごく小さく、これまた少し目つきの悪くなったリーゼロッテがいた……のだが。
リーゼロッテ・フォン・カトリーヌ・クライン
公爵家のお嬢様。
綺麗な外見とは裏腹に狡猾で計算高く、主人公に嫌がらせを仕掛けてくる悪女。
Tips 悪役令嬢よりステータスが低いと、ミニゲームが難しくなります。学力、魅力、体力、魔力、教養、資金力はバランス良く上げましょう。
記載はこれだけだった。
決めゼリフのようなものすら書いていない。
「みじかっ! 豆知識より短い人物紹介ってどういうことだ!?」
「まあ悪役令嬢の扱いなんてそんなもんじゃない? ルートによってはそもそも出てこないし」
確かにこの物語のメインは、顔面偏差値の高い野郎どもとの恋愛にあるのだろう。
当て馬の描写に、そんな労力を割く必要は無いのかもしれない。
しかしいくら何でも、この記載は色々とあんまりだ。
主人の扱いの悪さへ驚きつつ。
今のリーゼロッテと真逆の性格をしていることを認めつつ。
現状と全く違う本来の形を確認した俺は。
どうにかして生き残る道は無いか、考えを巡らせた。
しかし分からない。
人物紹介二人分。
たったこれだけの情報で判断はできない。
幸いにして話はできるようなので、俺は追加で情報を出させることにした。
「あー、まあいいや。リーゼロッテは一旦置いておき、ハルは?」
「第一王子が見たければ最初のページに戻ればいいよ。メインキャラクターだから扱いもトップさ」
パラパラと数枚ページを戻せば。
少し線が細く、アンニュイな顔をした美形の顔があった。
エールハルト・フォン・アル・サファール・アイゼンクラッド
第一王子。
線が細めで、儚げな青年。
後継ぎの座を巡る様々な事情から、次第に心を閉ざしていった。
柔和な微笑みで周囲を魅了するが、それは王子を演じるための偽りの仮面。
本当に心を許せる相手がいないことを苦しく思っていた。
主人公とは幼い頃に何度か会ったことがある。
身分に囚われず裏表なく接することができる貴重な相手として、淡い友情を感じていた。
『ふふっ。私は、王子という「役割」をこなすだけさ』
……ああ、うん。
何となくメンタルを病んでいそうではあるが、正統な王子様といった感じだ。
モヤシのまま成長したら、こうなるだろうか。
「裏表のある優男って感じか? ……セリフが、絶望的に似合わねぇんだが」
毎日毎日トレーニングを重ねて。
今や白馬よりも、軍馬が似合いそうな王子様になりつつあるのだ。
これに近づけるのはもう無理だろうなと、俺は確信した。
クロスも現状は確認済みのようで、溜息を吐きながら言う。
「そうだよ。すっかり体育会系になって、今やただの爽やかイケメンだ。しかもこの「爽やか肉体派ポジション」って、キャラ被りの問題まで出てくるし」
ハルを元に戻すということは。
臣下に軟弱者と陰口を叩かれ、笑顔が消え去って。
ちょっとばかし心の弱い仮面王子になるということだ。
どう見ても不幸だと思うのだが。
「や、それは知らんけど。しかし、これを改善しろって言われてもな」
片やリーゼロッテは脳筋――よく言えば竹を割ったように裏表なく活発な性格から、陰気で意地悪、ワガママな典型的貴族令嬢になる。
今でも我を通すという意味ではワガママだが、ベクトルが悪い方に向かう。
これを元に戻すことが、果たして改善と言えるのだろうか?
「うん、まあ。原作と比べて随分幸せになっているからね。釈然としないのは分かるよ」
「このままってわけには?」
「そうともいかない。折角うまく回っているところを、元に戻せっていうのも酷なんだけどさ」
なるほど。目の前の神様としても、現状が上手くいっている認識はある。
だが「乙女ゲームの物語」とやらが破綻するから、このまま進めるわけにもいかないと。
記憶のリセットやら世界の巻き戻しやらをされたら、俺はスラム街での極貧生活に逆戻りとなる。
その上、恐らく俺の主人である少女と、婚約者の少年も不幸な目に遭う。
全面的にいいところが無いので、それは何とか避けたいところだ。
しかし。この世界を管理しているという、この男の意向に逆らえるのだろうか?
分かっているだけでも、クロスには瞬間移動能力があって、なおかつ他人の記憶を消したり、時間を巻き戻して世界をやり直すことができたり、不死身だったりと滅茶苦茶だ。
どこまでが本当かは分からない。
生き返るのに回数制限があるとか、記憶を消せる人数が決まっているとか、何らかの制限がある可能性だって十分にある。
だがそれでも、無制限に何でもできる可能性もある。
相手の手の内が分からない今、正面から敵対するのはうまくない。
少なくとも、今は大人しく従うべきだろうか。
「ごめんなさい」
俺は表面上だけでも穏やかに済ませておくのがいいかと思ったのだが。
問題はリーゼロッテだ。
「ご、ごめんな、さい……元気に動ける今が、本当に、幸せで……ぐすっ、お父さんも、お母さんも、うっ、やさしいしっ……みんなも……!」
「ああ、泣くなよ。俺だって意地悪がしたいわけじゃないのよ? くそ……後味が悪いな」
嗚咽を漏らし始めた彼女は、身を乗り出してクロスに談判している。
「お、お願い、します。これから、ちゃんと悪役令嬢になるから、アランと、ハルには、手を出さないで!」
「いや、なんつーか。うーん……これじゃ完全に俺が悪役だな。分かった。分かったから少し落ち着け」
世界レベルで悪影響を齎しそうな問題児が、神様から叱られている場面だったはずなのだが。
いつの間にか。
泣いているリーゼロッテをクロスが宥めるという、不思議な光景になっていた。
実のところ、クロスの言っていることは間違ってもいないし。
俺にとっても、公爵家の人たちにとっても良いことだ。
クロスの要望は、リーゼロッテが「貴族のお嬢様」らしく生きることなのだから。
王妃教育とやらも必要になってくるだろうから。勉強の時間もそろそろ、今よりも増やさなければならないという時期に来ている。
筋トレやよく分からない技のトレーニングをやめてお淑やかに過ごし。
空いた時間で教養を磨いて、花嫁修業もしっかりやる。
そうなると考えれば、悪い話ではない。
まあ、ヒロインへの嫌がらせを除けばだが。
そういうことをきっちりやるというのは、大きなプラス要素だ。
今まで誰がどう説得しても、テコでも動かなかったお嬢様。
その生活態度が改善されるというのなら、俺は公爵家の執事として全力で乗るべきなのだろう。
……しかし。
「う、ひっぐ。うええええ、おぐっ」
「ああもう、分かった分かった。今まで何年も放置しておいて、突然こんなことを言われてもびっくりするよな。分かった、今日はここまでだ。少し休め」
淑女が出してはいけない声で嗚咽を漏らすリーゼロッテを、このままにしておくのもいかがなものか。
何か、他の道を探すべきじゃないのか?
そう思いながらも、上手い考えは見つからない。
俺もクロスも口を利かず。
灰色の無機質な取調室で、リーゼロッテの泣き声だけが響く。
そんな時間が五分ほど続いただろうか。
「アランも、今日はここまでにしよう。君たちを家まで送るよ」
クロスは徐に立ち上がり、リーゼロッテの肩を叩いて言う。
「時間は夜の九時で固定しておいてやるから、落ち着いたら俺を呼べ。まあ、あまり心配するなよ。上には「反省の色あり、今後、世界の運営に支障はありません」って報告するから。……記憶のリセットなんてことにはならないさ」
次の瞬間。クロスが指を鳴らしたかと思うと、俺の意識は暗転した。
気が付けば、俺たちは公爵邸の玄関に倒れていた。
どうやら、また気を失っていたようだ。
リーゼロッテの意識はまだ戻っていないようで、床に倒れ伏しているのだが。
「さあ、これからどうしようか」