第十八話 見ての通り、神様だ
R-15 ちょっと過激な表現が出てきます。
路地裏で誘拐犯を叩きのめした俺は。
トドメを刺そうとするリーゼロッテを何とか宥めつつ、この状況の後処理について考えていた。
真っ先にやることは衛兵への通報。
次に、公爵邸へ連絡することだ。
毎度の如く、道行く人に駄賃の銀貨を数枚握らせてお使いを頼むことにしよう。
お使いを頼む相手は、できれば子どもがいい。
「ちゃんとお巡りさんを呼んでこれたら、お駄賃追加するからな」と言えば、大抵の子どもは全力のダッシュで衛兵を連れて来てくれる。
駄賃だけもらってとんずらする人間もいるのだが。
そういった奴らは顔を覚えておいて、後でけじめをつけにいく。
けじめとは当然、「落とし前」という意味だ。
具体的にどうするかは……ん?
「おいおい、派手にやってくれて――」
「新手か!」
「うおっ!? ノータイムで頭を殴りにきた!?」
ここは人気の少ない路地裏で、足元にはうめき声を上げるごろつきが三人も転がっている。
それに彼らを殴り倒した俺も、まだ手には凶器を持ったままだ。
「こんな状況で悠長に話しかけてくる奴が、まともな人間なわけねぇだろ」
登場のタイミングも考慮すれば、十中八九、襲撃犯の親玉だろう。
そう判断した俺は手加減一切なしで。
右手に持ったままの石の詰まった革袋を振りぬいた。
俺が放った一撃は見事なエビぞりで回避されたが、避け方に無理があったらしい。
男は後ろに飛んで距離を取った後、中腰になって腰をさすっている。
「あいたたた、腰が。……まったく、主従揃って血の気が多すぎるんだよ」
その男の第一印象は、得体が知れない痩せ型の男。
ただそれだけだった。
しかし、この出会いが俺の今後の人生を変えることになるとは思いもしなかった。
今までお嬢様が起こしてきた事件はこれから始まる物語の序章でしかなく。
俺の受難はここから始まる。
そのことを、今の俺にはまだ知る由もなかったのだ。
まあそれはそうと。
次に俺が選択した行動は、まず縛ってある革袋の口を解くこと。
次に、中身の石ころが零れないように袋を振り回す。
最後に、袋の端を掴んで前方に投げる。という行動だった。
「追い打ちだ!」
袋を利用して遠心力をつけた石ころたちが、それなりの勢いで袋から飛び出していく。
散弾のように広がるため威力はそれほどでもないが、手慣れた人間が投げれば確実に何発かは当たる、という代物だ。
「あだだだ! やめろ! 俺は怪しい者じゃない!」
「何だと?」
怪しい者じゃない。
そう言われた俺は、一旦手を止めて、目の前の人間を見る。
「まあ落ち着いてくれ。俺は怪しい者じゃないんだ」
さて、改めて目の前に立つ男の顔を、じっくりと観察する。
黒髪黒目でこれといった特徴のない顔つきの男だ。
特徴があるとすれば、目元にうっすらとクマができていること。
髪の毛の手入れを怠っているのか、髪質が傷んでいることくらいだろうか。
服装は少しくたびれたシャツに、暑苦しそうな黒いジャケットとズボン。
まあ、スーツだ。
首元には赤いネクタイを緩く巻いている。
「……怪しい奴め!」
「どう見ても怪しいビジネスマンね!」
「結構辛辣だな君ら!? ……まあいいや。そっちのお嬢様には、一発で分かってもらえるだろうから」
そう言って男はジャケットの内ポケットに手を入れる。
ナイフでも取り出す気か?
下手な動きをしたらすぐに――と、次の動きを警戒した俺は、リーゼロッテと男の間に割り込んだ。
「え?」
しかし、既に眼前から男の姿は消えていた。
目を離したわけでもないのに、手品のように忽然と姿を消していたのである。
「野郎、どこに行った!」
「信用ないな……。これは武器なんかじゃないから、落ち着けよアラン」
どうやら、今の一瞬で俺の背後へ回り込んだらしい。
咄嗟に振り返ると、リーゼロッテに向かい合っている男の姿があった。
何が起こった。いや、この男は何故俺の名前を知っている?
もしや、どこぞの貴族が放った暗殺者か。
ああ、だから言ったのだ。
お嬢様にはプロの護衛を付けておけと。
この男が本職の人間ならば、リーゼロッテの命が危うい。
「まあ、細かいことは気にするなよ。あ、お嬢様。自分、こういう者です」
男が内ポケットから取り出したのは……手帳よりも少し小さい、黒い革で作られた長方形の何かだ。
小さめな手帳にも見える。
何だこれは、魔道具の類か?
次の瞬間には爆発したり、リーゼロッテの身を切り裂いたりするのか?
――やらせるかよ。これでも俺は護衛なんだ。
「させねえ!」
恐らく敵は手練れだ。
しかも機動力が高い相手は、俺と相性が悪い。
最悪の場合は、己の身を盾にするくらいしかできないだろう。
だが、差し違えるくらいのつもりでいけば、多少の足止めはできるはずだ。
俺の命に代えてでも――は、言い過ぎだが。
腕の一本や二本を犠牲にしてでも、リーゼロッテを守り抜く!
などと、俺にしては殊勝なことを考えたはいいものの。
「では改めて、クロスと言います」
「ああ。これはどうも、ご丁寧に。リーゼロッテ・フォン・カトリーヌ・クラインです」
「いやいや、挨拶は人生の基本だから」
何故かリーゼロッテも男も会釈をして、ぺこぺこと頭を下げ合っている。
すわ暗殺者か! と意気込んだ直後にこれである。
あまりのギャップに脱力し。
俺は頭から勢いよくコケて、派手にヘッドスライディングをする羽目になった。
「アラン。心配しなくてもいいの。これ、ただの名刺入れよ」
「……め、めいし?」
「あー、お嬢様。海外じゃ名刺を使わないところが多いんだぞ? というか、この世界に名刺なんて存在しないし。……ああ、せっかくだから、アランにもどうぞ」
言い回しはどうにも釈然としないが、リーゼロッテは納得したらしい。
「言われてみたらそうね。……アラン、これは自分の名前や所属、後は身分とか連絡先とかを記入してある紙よ。自己紹介のときに相手に渡すの」
「つまり俺の場合は「公爵家執事のアラン。ご連絡は公爵邸まで」とか書けばいいのか?」
「そんなところね」
この二人が何を言っているのかイマイチ理解ができない。
だが、二人は暢気に挨拶を交わしているし、敵対的な雰囲気でもない。
要点が掴めないなりに、ひとまず渡された紙を眺めてみる。
そこには神界裁判所裁判官兼、異界特別捜査官兼、異世界管理局現地特派員兼、物語異端審問官兼――びっしりと、仰々しい肩書が書いてあった。
「俺の名前はクロス。見ての通り神様だ。お宅のお嬢様が転生した後の行動について、ちょっと話が――」
俺は深呼吸と溜息の中間くらいの息を吐き出してから。
途中で言葉を遮りつつ、男に向き直る。
「オーケー、分かった。今すぐにそのゴキゲンな口を閉じろ。でなきゃ明日の朝は、教会でシスターからのモーニングコールを受けるか、司祭様からおやすみの挨拶だ」
今の俺の胸中には、「おちょくってんのか、この男」という怒りの感想があるのみだ。
スラムの人間は、こと、ナメられるという点については一切の容赦をしない。
ナメられたら永遠に奪われ続け、搾取され続けるハメになるからだ。
ふざけた態度を取ってきた奴には落とし前。
これは、当たり前のルールだ。
「……ねえお嬢様。君んところの使用人がめっちゃアウトローなんだけど。ちょっと怖いんだけど。自己紹介の途中で、病院送りか永眠か選べって言われたんだけど」
「私も驚いているわ。アランにもこんなに激しい一面があったのね。……悪玉向きかしら?」
不審者と顔を近づけて、当家のお嬢様はひそひそ話をしていたのだが。
男の方は何でもないような態度で続けようとしていた。
「まあいい。ふざけてなんかいなくてだな、これは真面目な」
「何をくっちゃべってやがる――死ね!」
今のは俺の叫び声ではない。
咄嗟に後方を振り返れば。
地面に倒れていたごろつきが意識を取り戻して、魔法陣を展開していた――狙いはリーゼロッテだ。
「リーゼロッテ! 危ない!」
「きゃああああ!?」
「ぎゃああああ!?」
俺はリーゼロッテを庇い、一緒に転がるようにして地面へと伏せる。
その直後、二秒前まで俺たちがいた空間を、火炎が埋め尽くして爆ぜた。
大きさから察するに中級火魔法火炎の槍だろう。
俺とリーゼロッテは何とか回避に成功したが、自称神である男、クロスの顔面には直撃したようだ。
「リーゼロッテ、怪我は!?」
「え? あ、ああ、うん。怪我はないわ。ありがとう、アラン」
「それは何より。…………さて」
一見してただのチンピラだと思っていたが、中級攻撃魔法の使い手なんてそうそういるものではない。
公爵様から外での魔法の使用は禁止されているが、この場合は許されるはずだ。
相手もカタギじゃないだろうし。
「ちょっと氷漬けになってろ。氷結の牢獄」
「あ、っちょ!」
襲撃者とその仲間は、間抜けな悲鳴と共に氷の塊へ閉じ込められていった。
路地を塞ぐくらいの大きな氷――俺が使える数少ない上級魔法――はかなり目立つので、早急にここを離れなければならない。
公爵家のご令嬢に、あらぬ噂を立てるわけにはいかないのだ。
そう思っていれば、後ろからくいくいと、俺の袖が引っ張られた。
「あ、あの。アラン。クロスさんなんだけど……」
「あ」
人間だったら大火傷するところだが、神様なら死ぬわけがない。
むしろ傷一つつかないだろう。うん。
火炎の槍とは文字通り、ランスチャージで使う馬上槍ほどの太さ――成人男性の腕五本分くらい――の炎が炸裂する魔法だ。
人間だったら木っ端微塵なのだが……目の前にいた男は?
恐る恐る確認すると、木っ端微塵になっていた。
詳細な説明は避けるが、そこにバーベキュー会場があった、とだけ言っておこう。
……これはマズい。
年頃の少女に、この上なくショッキングな場面を見せてしまった。
「う、ああ……」
「あ、いや、その……!」
いかん。これはいかん。
いくらメンタルの強いリーゼロッテだと言っても、トラウマになる。
どうにかしろ、俺。
ハルと初めて会ったときを思い出せ。
むしろクロスとかいう男の方を非難できるレベルの理論を今すぐ構築しろ。
そう思ってからの、俺の口が動くまでは早かった。
「あー、その、リーゼロッテ。路地裏は治安が悪いものなんだ。自称神とか、意味不明な供述を繰り返していただろ? 多分危ないお薬を愛用していたんだよコイツは」
やくちゅーだから気に病まないで。という方向で行こう。
多少苦しいが、今は誤魔化すしかない。
「誰が薬中か! あー、くそ。まさか乙女ゲームの世界で死ぬとは思わなかった。油断した!」
「はぁ!?」
顔面が爆裂四散したはずなのに、クロスは何事もなかったかのように立ち上がり、俺の発言に抗議をしてきた。
この状況を誤魔化すために、クロスから目を逸らしたのは一瞬だ。
その一瞬でやけどの跡はおろか、服の焦げ目すら消え去っていた。
上級回復魔法でも、こんなに短時間では治らない。
いや、そもそも確かに死んだはずだ。あれで生きているはずがない。
まず、回復魔法では服は回復しない。
一体何がどうなっていると言うのだろう。
「幻惑魔法か、それとも土魔法で作った身代わりだったのか……?」
「トリックなんかじゃないっての。俺は神様だから不死身なんだよ」
「そんなのありかよ」
まあ、確かに先ほどの肉が焼ける臭いは強烈だった。
焼け焦げる臭いを再現する魔法など聞いた事が無いし、本当に不死身なのだろうか。
固まった俺の横を通り過ぎて、自称神様のクロスはすたすたと歩いていき。
どことなく挙動不審なリーゼロッテに話しかけた。
「よし、邪魔者は消えたみたいだし、話を戻すぞ。……用があるのは君の方だ」
「お、おほほ。わたくしに、何の御用かしらん?」
いくら作法を勉強したところで、不意打ちを食らったら普段の言葉が出るものだ。
リーゼロッテがお嬢様ぶろうとしているが、普段から喋り慣れていない口調だからか、動揺のあまり変なことになっている。
「じゃあ改めて。俺の名前はクロス。こんな姿でも、無数にある並行世界を管理する神々の一柱なわけだ。……いやね。いい加減、君だって分かってるでしょ? ここが乙女ゲームの世界で、君は登場人物に転生したってこと」
何をバカな、やはりこいつは危ないお薬でもキメているのか。
と、思ったのだが。
リーゼロッテの様子がおかしい。
「この場合の沈黙は肯定だよね。……そこで本題だ。俺は色んな世界を管理していて、本来の未来からあまりにも外れた行動を取るキャラクターにはお説教をしたり。分かってもらえなければ、記憶を元通りにリセットさせてもらうわけだよ」
リーゼロッテはぷるぷると震えながら俯いている。
まるで、この男が言っていることが、本当かのように。
「君たちに関連する人の記憶だけ消して、元通りになればいいんだけどね。最悪の場合はこの世界を丸ごとリセット、十年くらい前まで時を巻き戻す。そんな仕事をしているわけだ」
クロスと名乗る男はスーツの内ポケットに手をやり。
先ほど名刺入れを出したときと同じ要領で、一枚の紙を取り出す。
「このまま物語が始まったら、君の行動はこの世界の行く末に甚大な影響を及ぼす、そういうわけで……」
そこで一度言葉を区切ってから、クロスはお嬢様に「逮捕状」を突き付けた。
「ちょっと署まで来てもらえるかな?」
お嬢様は何故乙女ゲームの世界へ転生したのか、それでどうして格闘家になろうとしたのか。
次回明かされる、お嬢様の秘密。




