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第十五話 あれから一年の時が流れた……

 多分、この物語が始まって以来、最も有能で最も働いているであろうアラン。


 第一話で出てきたキャロラインの趣味は、一応今回への伏線です。


 今回の話にも二章への伏線が入っていますが、大丈夫です。

 この物語にはそんなに知的な要素はありません。


 大抵のことは筋肉でカタがつくので、伏線など気にせずにお読みください。




 さて、どこから振り返ろうか。


 リーゼロッテのお付きとなってから激動の日々が続いたわけだが。

 この屋敷に来て一年半が経った今では、大分落ち着いてきた。


 子爵相当の身分になったと言っても、普通に過ごしている分にはただの使用人だ。

 特に代わり映えのない月日が流れている。


 代わり映えがないということは、つまり。



「お止め下さいお嬢様。普通の貴族令嬢は、家の庭先でヒンズースクワットなどしないものです」

「あら、そう? それなら椅子を持ってきてちょうだい。ブルガリアンクワットにするわ」

「種類の問題じゃねぇよ。スクワットを止めろ」



 彼女の行動パターンにも、全く変わりが無かったということだ。


 今日も今日とて、美麗な庭園の中心でスクワットに興じているのが、我らがお嬢様【リーゼロッテ・フォン・カトリーヌ・クライン】様である。


 一応止めはするが、本音のところでは俺もリーゼロッテの修正など諦めている。


 まあ、軌道修正役を仰せつかった以上。

 それでも言うことは言わなければいけないのだが。



「細かいこと言ってないで、アランも一緒に、ほら!」



 この一年で変わったことは、何があるだろう。


 まず挙げるとすれば。

 家令のエドワードさんと礼儀作法のマーガレット先生による修行を乗り越えて、俺がようやく正式な執事待遇になったことだ。


 実は陛下と目通りをした一件のあと、俺は危うく執事見習いをクビになる。

 というところまでいったのだが。


 意外なことにリーゼロッテ本人から、俺を執事に据えたいという強い希望があったので残留したという一幕があった。


 旦那様にも奥様にも何か思惑があったようだが、そこは聞けずじまいだ。

 まあ、あのお二方に振り回されるのはいつものことかと、俺は意識をリーゼロッテへ切り替える。



「まったく。何でアランは執事服なんか着ているの?」

「……ごほん。何でと仰いましても、執事ですから」



 執事は何故執事服を着るのか、という哲学ではないはずだ。


 案の上リーゼロッテは「アラン用」というタグが付いている、灰色のトレーニングウェアを右手に掲げている。



「違うの。私はアランをトレーナーとして見込んだのよ! はい、これがトレーナーの正装!」

「執事だっつってんだろ」

「トレーナーと言えばボクシング。エイドリアー……はアランの語感だとどうやっても無理ね。やっぱりレインメーカーなんだし、オカダカ……」



 こちらの言うことなど聞いちゃいないで、謎の呪文を唱え続けているところは相変わらずだ。


 変化と言えば。

 殿下――最近では愛称のハルと呼んでいる――がちょくちょく遊びに来たり。


 非公式の場所では気安く話すようになった関係で、このお転婆お嬢様とも気安く話すようになった。


 リーゼロッテは俺の主なのだが、「王族にタメ口で、公爵令嬢に敬語っておかしくない?」という理論を唱え、ハルまで乗ってしまったのだから仕方がない。



 他の使用人、特にエドワードさんの前でタメ口を利いたら地獄の折檻が始まってしまうので、そこは要注意だ。

 どこで聞いているか分からないので、基本的には丁寧な言葉遣いを心がけている。


 まあ、ともあれ。

 幾分気安くなった関係の変化に伴い、最近ではリーゼロッテが俺を筋トレに誘うようになった。


 正式なリーゼロッテ付きとなったことで一緒にいる時間が増え。

 その主人は殆どの時間で筋トレをしているのだから、必然的に筋トレに付き合わされる回数も増える。


 ダンスのレッスンでは特注の重り(ウエイト)を付けて共にワルツを踊り、座学中も共に空気椅子だ。

 付き合わされる回数が増えたおかげで、俺も大分筋肉がついてきた。

 


 後の変化と言えば、使用人の同期である【アルヴィン・スタットマン】が、メイドのメイブルとお付き合いを始めたくらいか。


 仲は順調で非常に面白くないのだが、まあ、メイブルに罪はない。

 奴が調子に乗らない限りは、大人しく祝福すると決めている。



 いや。そう言えば、一番大きな変化かつ。

 俺が奥様から特別ボーナスを貰った、殊勲賞ものの成果が目の前にあるではないか。



「お嬢様」

「ん? 何?」

「トレーニングウェアの着心地は如何(いかが)ですか?」

「ああもう最高よ。夜会もこれくらいラフな服装で出られればいいのに」



 俺が屋敷に来た当初はワンピースを着てスクワットしていたが。

 トレーニングウェアを十五着も揃えた今となっては、毎日トレーニングウェアを着て運動をしている。


 正直なところを言えば「そんなに要るか?」という感想になるが。

 ランニング用、筋トレ用、練習用(?)など。

 数を揃えておいて損はないそうだ。



 さて、このトレーニングウェアの誕生秘話について語る前に、クライン公爵夫人のことに触れよう。

 奥様こと【キャロライン・フォン・カトリーヌ・クライン】様の趣味は遠乗り。

 つまりは乗馬だ。


 ある日、リーゼロッテの外聞の悪さ……部屋着で外をほっつき歩くことを嘆くキャロライン様に向けて、何気なく言った言葉。



「乗馬をする時は乗馬服を着るように。鍛える時もそれ専用の衣服を作れば、見栄えするのでは?」



 というアイデアは、この母子に刺さったようだ。

 結構な資金をつぎ込んで完成したトレーニングウェアを実際に着てみて。


 キャロライン様は「見栄えが良くなった!」と喜んだし。

 リーゼロッテは「動きやすい!」と喜んだ。


 要望のベクトルが全く違う二人の望みを同時に満たせただけあって、俺の株が急上昇した仕事だった。


 まあ……。



「見目麗しく、それでいて機能性の高い、フォーマルに見えるトレーニングウェアを作って下さい」

「……頓智(とんち)、ですか?」



 と、発注をかけた俺が、公爵家お抱えの仕立て屋から変人扱いされたのはご愛敬だろう。



「ではお嬢様、スクワットをしながらお聞きください。朝の鍛錬の後は朝食をお取りいただき、そのまま宮廷での礼儀作法の講義に移ります。午後からはダンスパーティでのマナーの復習と、ダンスの練習です。本日の予定は以上となります」



 この程度なら、もうメモを取ったりしなくてもいける。

 最低でも一ヵ月先の予定まで完璧に暗記しており、ミスが起こることもそうそう無くなっていた。



「オッケー、ドレス選びは任せていいのよね?」

「……本来であればお嬢様にお選びいただきたいところですが。差支えがなければメイド長に選ばせます」

「じゃあそれでいいわ」



 ちなみにリーゼロッテが持っているドレスの数は、季節毎に四着ずつくらいのペースで増えていく。


 これは貴族のご令嬢としてはかなり少ない方で。

 率直に言わせてもらうならば、「もっと買えば?」という感想が出てくる。


 夜会で同じ服を何度も着るのはみっともないとされているため。

 普通の令嬢は、月に四着ほど購入してもおかしくはない。



 だがリーゼロッテ曰く、「アクセサリーや着こなしで雰囲気変えられるし、そんなに頻繁に買い換えたらもったいないでしょ」とのことだ。


 奥様やメイドたち監修の元で御用商会が仕立てたドレスの殆どは、ドレッサーで埃を被っている。


 無駄遣いをもったいないと思う気持ちがあるならば。

 買ったドレスを着ないのもまたもったいないことだと気づいてほしいのだが。



「畏まりました。ここからはメイブルに引き継ぎますので、このセットが終わり次第、湯浴みと着替えをお願い致します」



 まあ、目下うちのお嬢様は、とにかくトレーニングウェアに夢中だ。


 ファッションについては最早旦那様も奥様も家令のエドワードさんも、メイド長を始めとした他の使用人たちも匙を投げた。

 できる改善はこれで限界なので、もう「そういうものだ」と受け入れるしかないのである。


 なので、ドレスやらアクセサリーを選ぶのは俺たち使用人の役目だ。

 リーゼロッテには大人しく着せ替え人形になってもらうのが安定である。



「分かったわ。アランはお父様と話があるのよね?」

「はい。午後には戻って参りますので、それまではエドワードさんにお任せします。……本当にこのセットで終わりだからな? 予定、遅れるなよ」

「りょーかい。じゃ、行ってらっしゃい」





 俺は一礼してその場を後にして……本館の二階。

 当主である【アルバート・フォン・ジオバンニ・クライン】様の執務室へやって来た。


 本来であれば使用人がこの部屋を訪れることは少ないのだが、俺はお嬢様関係の問題で、一日に数回訪れることもある。

 そのため寮、食堂の次に出入りしている部屋のような気がする。


 ノックをするとすぐに返事が返ってきたので。

 俺は入室し、旦那様と……その横に座る奥様へ最終報告をする。



「増築部分の点検が終わりました。旦那様の承認が下り次第、いつでも稼働できます」

「うむ……だが、作ってから言うのも今更だと分かってはいるのだが。本当にこの計画を実行して良いものだろうか? リーゼの悪癖が悪化しないか?」



 この計画をノリノリで進めていたのは旦那様も同じなのだが。

 最終決定前によく考えたら、不安になってきていたらしい。



「あなた。リーゼの性格は殿下も国王陛下も認めるところよ。後は外聞だけなの。分かって?」

「……うーむ。そうだな。そうだった。よし、アラン。施設の稼働を認める。責任者は君でいいね?」

「お引き受け致します」



 俺も含めたこの屋敷の全員が、お嬢様に貴族令嬢の価値観を身に着けていただくことなど不可能。

 という結論に達したわけだが。


 公爵夫妻は「せめてもう少し何とかするんだ」という、高度に柔軟性があり、多目的に亘る改善案を俺に命じた。



 玉虫色の、どうとでも取れる命令――別名丸投げ――を受けた俺は、お嬢様の問題点を振り返った。



 まず、貴族の令嬢が筋トレをする是非について。

 目下これが最大の問題であるが、今やお嬢様の生きがいである。


 これを止めたら公爵夫妻が娘に嫌われるというので、これは黙認することになった。


 公爵夫妻が「プロレスラー」や「プロボクサー」なる職業の詳細について知ればもっと真剣に止めるのだろうが。

 そこは少し前に、リーゼロッテから口止めされてしまったから何も言えない。


 俺は何も知らないことになっているので、公爵夫妻が本気になるまでは好きにさせようと思っている。



 次に、ファッションについて。

 ドレスやアクセサリーに興味がないのは性格上仕方がないことなので。

 せめて運動中はトレーニングウェアを着ること。


 ということで、これも決着がついた。



 この約束をする前は部屋着でトレーニングをしていたくらいだから、ここは改善を見た部分だろう。


 服装の改善だけで俺の人事考課がマックスにまで届いたのだ。

 この二年間、屋敷の人間がどれだけ苦戦していたのかは推して知るべし。



 この夫婦、娘に甘過ぎるんじゃないか。

 とは思うが、雇い主の意向に逆らっていいことはない。



「では明日の正午にお嬢様をお連れ致します。お二人も同席された方がよろしいかと存じますが、ご都合はいかがでしょうか?」

「私たちも同席するのか? その後アレ(・・)があるのだから、現地に行くのはアランだけで足りるだろう」



 俺は俺で、できることをやろうとした結果。

 その集大成が今日完成した施設だ。


 これさえ稼働すれば、最後の懸念点が解消されるはずだ。

 と、俺は結構期待している。



「ご説明差し上げるだけならば私一人でこと足りますが……。この際ですからアレ(・・)はその場でやりましょう。その方がきっと、お嬢様も喜びになります。あの施設にはキッチンがございますので、テーブルだけ運び込んでおけば問題はないかと」



 アルバート様は暫し考え込むような仕草をして。

 やがてゆっくり頷いた。



「そうか……うん、それがいいかもね。私は空いているが、キャロはどうだい?」

「私もアレ(・・)のために、明日は予定を入れていないわ。ダンスのレッスン後でいいのよね?」

「ええ、私は後からお嬢様をお連れ致しますので」



 公爵夫妻をどこに案内するかって? とても素敵なところさ。


 ……少なくとも、お嬢様にとっては。



 次回、第一章完!


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