最終話 不良執事と春の空
メリルとラルフの付き合いは順調だった。
最初はぎこちなかったものの、一年も過ぎればもう完全にバカップルの出来上がりである。
たまにデート中の姿を見かければ。口から砂糖でも吐いているのかと思うほど、甘い言葉が飛び交うようになっていた有様だ。
「まあ、順調なのはいいことか。結局あの後は何も無かったんだし」
クリスとパトリックは卒業まで魔道具技師として働いていたものの、今では二人とも後継者教育のために前線から離れている。
クリスの方は意地でも商会に残ると言って、魔道具を使った立て籠もり事件を起こしたのだが。
俺が説得をして、何とか伯爵家を継いでくれることになった。
一年遅く卒業するパトリックも領地を継ぐ準備を始めた。
しかし二人とも技術者として生きる方が合っているとのことで、基本的には優秀な代官を育てる方に力を入れているようだ。
「あいつらは根っからの研究バカになっちまったけど、それもいいとしよう」
サージェスは卒業と同時に、レオリア公爵家を建てて独立。
卒業前から外務省で仕事を始めており、南方の国を悪辣な外交で苦しめているらしい。
彼は数年後に大臣となる予定で、絶好調の働きを見せていた。
「サージェスの仕事も上手くいっているようで何よりだ。皆、大人になったな」
「そうだね、アラン」
「で、ハルよ。今日お前らは、また一歩大人の階段を上るわけだ」
そしてリーゼロッテとハルについては、無事に結婚することになった。
――というか、今日が結婚式の当日だ。
公爵家が結婚式を取り仕切っているので、俺も朝から会場の設営などをしていた。
次期国王との結婚なので、事前準備は完璧だったはずだ。
「めでたいことだし、今日ばかりは俺も祝福したいと思っている――だがな」
しかし、すんなりといかない宿命なのか、やはりひと悶着あるようで。
新郎の控室に呼び出された俺は、ハルから一枚のメモ書きを受け取っていた。
「結婚式の朝までランニングに出かけるって、どういう神経してやがる!」
「は、はは……リーゼらしいよね」
もう、毎度おなじみだ。
俺たち公爵家一同は王城に前乗りして、昨日から客室に泊まっていた。
しかし今朝、王宮のメイドがモーニングコールに行ったところ、部屋はもぬけの殻だったらしい。
俺が今手にしている、「ランニングに行ってくる」というメモを残して。
我らがお嬢様は日課へ向かっていた。
「ハルや公爵夫妻が甘やかすからこうなるんだよ……。ああもう、ちょっと探してくるから、ハルはここで待ってろ」
「大丈夫。僕が迎えに行くから、アランは仕事を続けて」
探しに行こうとする俺を引き留めて、ハルは穏やかに笑う。
しかし、ハルには式のリハーサルやらお偉いさんへの挨拶やら、新郎にしかできないことが山ほどあるはずだ。
「お前の方こそ、色々大変だと思うんだが」
「今日から夫婦になるんだ。迎えに行くのは……役目だと思う」
俺は目の前に立つ青年の姿に。婚約者の少女をリード出来なかった、気弱な男の子の姿を重ねた。
内気で虚弱で、頼りなかった男の子は――いつの間にか、男になっていたようだ。
「そうだな、よく言った」
俺は嬉しさと少しの寂しさを胸に、ドアの前からどいて道を譲る。
照れてはにかむ表情は相変わらずだが、彼と出会ってからもう八年が経つか。
大人になったんだな。と、俺は感慨深いものを感じていた。
「ははっ……おし、行ってこい!」
「わっ、とと。行ってきます!」
危なっかしい二人を見守り続けてきたが。ここからは、二人で助け合って生きていくのだろう。
横を通り過ぎようとする、ハルの背中を。
巣立つ弟分の背中を――万感の思いを込めて押してやった。
俺が執事として勤める期間は、リーゼロッテが学園を卒業するまでだ。
結婚式までは仕事の予定が入っていたが、その後は白紙になっているし。公爵家から貸与された執事服はもう返却してある。
周りの人間は自分の道を選び、それぞれの未来に向けて歩き始めた。
俺も身の振りを考える時期だろう。
「この後はどうしたいか、公爵夫妻からも聞かれたしな……」
初めて公爵邸に来たときに言い渡された、執事として働く期間は終わった。
乙女ゲームの舞台も、無事に幕を降ろした。
俺が面倒を見てやらなければと思っていた、弟分と妹分も大人になった。
「そう、か。これで本当に……終わりか」
誰もいなくなった室内で、ポツリと呟く。
それから暫くの間、窓から吹いてくる風を感じながら外を眺めていると。
不意に、ドアが開いた。
「式はまだ始まってもいないというのに、何を黄昏れている」
現れたのは国王陛下だ。
手には酒瓶とグラス。そして少し大きめな、謎の木箱を持っている。
「陛下。これは、気の抜けたところをお見せしてしまいました」
「構わん。今更取り繕うこともあるまい」
そう言うなり、部屋の隅にあったテーブルを中央に引っ張り出し。
手にしていた酒瓶の中身を、同じく持参していたグラスに注いだ。
置かれたグラスは二つだ。
このタイミングで両方に注いだということは、片方は俺のものだろう。
「ご相伴に与かります」
「分かってきたな。……いいことだ」
それから数分の間、互いに声を発さなかった。
ただ無言で酒を酌み交わし。
窓から流れる春の風を浴びながら、静かに飲み続ける。
そして、数回目のお代わりが終わったとき。
ようやく本題に入れるとばかりに、陛下は身を乗り出して言う。
「さて、約束の時だ」
「改めて、の時になりましたか」
「そういうことだ。……貴様はどうする?」
初めての謁見が終わった直後のことだ。
この部屋からも見える中庭で、陛下は俺を直属の部下に誘った。
執事の契約が終わった時。
まだ陛下が勧誘しようと思うなら、その時に改めて考えると答えたが。
今が、その時だろう。
公爵家との契約はもうじき終わる。
俺も成人して、学校で学んで、公爵邸で高度な教育も受けた。
俺はもう、どこでも働ける立場になったのだ。
「アルバートとも話をしてきた。約束通り、望む未来を用意してやろう」
「光栄です」
望む未来を用意する。
陛下も公爵夫妻も、同じことを言った。
公爵家の権限でポストを用意すると言われたし、陛下の直属組織ならばどこにでもねじ込めると言われてもいる。
いつぞやメインヒロインと交わした言葉ではないが、今の俺は自由なのだろう。
望めば、どこへだって行ける。
それなら、俺の望みはどこにあるのだろうか。
少し考えてみたが、その答えは既に出ている。
改めて言うタイミングが無かっただけだ。
「陛下」
「……おう」
「私が、望む未来は――」
王城内の結婚式場で準備を進めている、公爵家の使用人たちは大慌てしていた。
お嬢様の突発的な行動で、段取りが盛大にズレ始めていたからだ。
「あわわわ、どうしましょう! リーゼロッテ様が帰ってきません。殿下もです!」
「……落ち着け。騒いでも仕方がない。……こういう時は、任せるしかないんだ」
「そうそう、そのうち何とかなるって」
だが、慌てている人間のほとんどが若い世代だった。
中堅執事のジョンソンや、若い衆を取りまとめているアルヴィンなどは気楽なものだ。
「し、しかし」
「任せると言っても、誰に――」
具体的な指示が出てこずに若手使用人たちが右往左往している中で、式場のドアが乱暴に開かれる。
王宮の使用人たちは少し驚いているが、公爵家の人間はむしろ安堵しているようだ。
「オラ新入り! ジョンソンさんもアルヴィンも、手を動かせ! そろそろ来賓が来る時間だぞ!」
「あ、アランさん!? 執事はもう辞めるんじゃ……」
式場のど真ん中を大股でズンズンと進みながら、執事服を着ている銀髪の男が誰か。
そんなものは、この場の全員がご存じだろう。
望む未来を言った時。
『では、これが必要になるな』
と笑いながら、陛下が差し出した謎の箱。
そこには公爵家へ返却したはずの着慣れた服が、畳んでしまわれていた。
「はぁ? 俺が執事を辞めたら、誰があの王妃様の面倒を見るんだよ。くっちゃべってないで、さっさと名簿の確認!」
「はい!」
そうだ、結局のところ、俺にはこれが一番似合っている。
俺の役目は裏社会の帝王でもなく、キザな攻略対象でもない。
俺は公爵家執事の。
これからは王妃様の執事の、アラン・レインメーカーなのだ。
もう八年もこんな生活を続けている。
今更ポストを用意してもらって、お役人なんて柄でもない。
俺が望む未来とは、今までと何一つ変わらずに執事を続けること。
それが俺の選択だ。
変わることが、大人になるということでもないだろう。
皆は新しい道を切り開いていったが。俺は今まで歩いてきた道を、そのまま歩き続けると決めたのだ。
「あっ、アラーン!」
「あはは……」
決意を新たにした俺の前には、ランニングを終えて走り寄ってくる影が二つ。
見れば旦那の方も汗をかいているので、一緒に走っていたらしい。
さあ、未来の国王陛下と王妃様にはお説教だ。
大事な式の準備を放り出してトレーニングに向かうような夫婦には、厳しいお仕置きが必要だろう。
旦那の方には結局リードできていないことも含めて、どんな叱り方をしようか。
「……でも、まあ、それは今日じゃなくてもいいか」
そう思い直した俺は手を二回叩き、二人を急かす。
「ほら、さっさと湯浴みして着替えろよ。時間が無いんだから」
「遅れたら、アランが時間を稼いでくれるんでしょ?」
この光景に慣れきってしまった俺からすれば、いつものことだ。
今日は特別な日だと言うのに二人の行動も、関係も、全く普段と変わらないように見える。
「今日は諸外国の来賓も来てんだよ! 他国の王族相手に、スラム街の流儀で接したらどうなるか分かってんだろうな? ああ?」
「はは。アラン、その脅し方はどうかと思うよ?」
本当にいつも通りであれば、式の最中まで波乱を巻き起こしそうだなと、少し憂鬱になる。
ともあれ。日常というものは、変わり映えしないから日常なのだ。
これまでも、そしてこれからも。
これが俺、アランの日常なのだと再確認して、俺は二人の背中を押していく。
一旦式場から二人を放り出して、それぞれの控室で着替え直しを命じた。
着替えにも時間がかかるので俺は式場に戻り、作業の指揮を取ろうとしたのだが。式場までの道すがら――王宮の渡り廊下で立ち止まって、太陽に手を翳してみた。
「そういや、あの日もこんな天気だったかな。……ああ、式を挙げるにはいい天気だ」
今日の気温は、春にしてはかなり暖かい。
雲一つなく、太陽が憎たらしいくらいに輝いている。
「さて、新郎新婦は確実に遅刻するわけだが、どうやってごまかすか」
どうして俺が、参列者への言い訳を考えなければいけないのか、という気持ちはもちろんある。
この後の展開を考えると気が滅入るばかりだ。
しかしまあ、こんなに天気が良いのだから、少しは気持ちも上向くというものだろう。
「……何とかなる、よな?」
自分にそう言い聞かせつつ、俺は渡り廊下を進み始めた。
歩きながら、もう一度春の空を見上げてみれば。
そこには俺が執事になった日と同じように、どこまでも青空が広がっていた。
乙女ゲームの本編終了と共に、この物語の本編も終了となります。
後日譚については一章分より少し短めの予定です。
また、連載と平行して書き溜めしていた新作の方もそろそろ投稿予定です。
来月中には告知予定なので。
作者のなろうマイページか、ツイッター(@yayayamashitaa)をフォローいただければ幸いです。
告知が長くなりましたが。
改めて。七か月の連載にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
もう少しだけ続く世紀末ワールドにご期待ください。