第百三十二話 全てを懸けた決闘
決闘はハルを巡って起きるものだ。この段階にまで来て、決闘に他の攻略対象が乱入すれば確実に原作の展開から外れる。
もうイレギュラーもへったくれもないと思うが、俺が止めに入ることはできない。乙女ゲームの神とかいう特大の爆弾を背負った俺は迂闊に動けないのだ。
というか、このままあのマスクマンをリングに上げてしまえば、その時点で全てが終了する気もする。
「と、止めろ! マスクを取り上げろッ!」
と、俺が慌てて叫べば、部下を四名連れたマリアンネが飛び出した。
花道を歩き出そうとするリーゼロッテの前に立ち。行く手を塞いだ彼女は、にっこりと笑いながらリーゼロッテへ手を差し出す。
「リーゼロッテ様、マスクをこちらへ」
「いいじゃない。覆面レスラーはプロレスの華よ?」
「替え玉を疑われてしまうので、決闘にマスクは禁止です。不戦敗になるかと」
「あら、そう…………残念ね」
本当にそんなルールがあるとは聞いたことがないが。自分よりも貴族社会に詳しいであろうマリアンからの忠告を、リーゼロッテは素直に聞いた。
しぶしぶマスクを取っているお嬢様の件が片付くと同時に、俺はラルフへ叫ぶ。
「ラルフー! 何とかしてくれーッ!」
俺も相当テンパっているので、これで精いっぱいだ。しかし困惑した表情のラルフは、意図を汲み取ってくれたようで。
「ハプニングがありましたが、気を取り直していきましょう。この国で最も尊いお方の一人! クライン公爵家は一人娘の入場だ! 拍手ーッ! ……ほら、拍手!!」
なんとか実況を軌道修正してくれた。少し間が空いたが、客席から大歓声が起こり、手を振りながらリーゼロッテがリングへ向けて歩く。
背後から漂ってくるドス黒いオーラは少し引いてくれたので、このまま進めば命は助かるはずだが。ここまで来て、どうしてこんな綱渡りをしなければいけないのか。
「じ、冗談じゃないぞコラ。なんでただ観戦するだけで命懸けなんだよ」
「うーん、心臓には悪かったけど、言うほど?」
「しかしアラン様。注目を集めることには成功しています」
確かに興行としては良かったのかもしれないが、俺はいつでも命が最優先だ。
このままではもう二、三発何かが起きそうなので、乙女ゲームの神へ命乞いをする材料を探しながら行方を見守っていたのだが。
流石にこれ以上の問題は起きなかった。
リングに上がった二人は睨み合いながら、互いに口上をぶつけ合う。
「恋愛の相手も自由に選べないなんて、エールハルト様が可哀そうです」
「貴方に口を出す権利なんてないわ。子爵風情が……口を慎みなさい!」
「いいえ、黙りません。貴方は間違っています!」
係員であるスラムのチンピラがマイクを持てば、二人はマイクパフォーマンスだと言わんばかりに叫んだのだが。
これはもちろん原作のセリフだ。台本というわけではないが、ここはきっちりやっていた。
原作を再現されて嬉しいのか、黒いオーラの中に、ピンク色も混じり始めた気がする。――俺が何故、オーラとかいう謎の力を感じ取れるのかは置いておき。
レフェリーを務める女性騎士は真顔である。確か近衛騎士に所属していた人だが。
まあ、名誉ある王子の近衛が、こんな役目を押し付けられる日が来るとは思っていなかっただろう。
――俺がどうでもいいことを考えて少し目を離した隙に、リング上の二人はヒートアップしていた。
「口が減らないわね。痛い目を見ないと分からないのかしら?」
「脅しになんて屈しない。……何をされても、私は負けない!」
「ああ、そう。だったらもういいわ。――身の程を分からせてやんよッ!」
そう言ってリーゼロッテがマイクを床に叩きつければ、観客はもう大興奮だ。
ヒールレスラーのような口調が乗ってきたのか、後半は言葉遣いが崩れたのだが。あれくらいのアレンジならセーフだろう。もうセーフだと祈る以外の手がない。
「頼む……どっちが勝ってもいいから、早くこの流れ……淀んだ空気を換えてくれ」
「義兄さんはリーゼさんの応援しなきゃダメでしょ……」
パトリックは呆れたように言うが、メリルが勝ったとしてもリカバリーは可能だ。
妨害作戦を再開してもいいし、彼女がハルのルートを完全攻略したとして。国外追放話を茶番で終わらせて、一週間の旅行だけで済ませるとか。狡い手ならいくらでも使える。
が、背後に最期の審判を下せる女神が降臨してしまったので、そちらの逆鱗に触れてしまえば何がどうあっても終了だ。
世紀末的に考えても、ここは勝ち負け関係なく、さっさと終わってくれた方が怪我は小さくなると思う。
「二人はもう止まれない。最愛の人をかけて、全てを懸けた決闘が始まる!」
原作のモノローグを思い返して文字に起こし、それを試合前の煽り文としてラルフに読ませているのだ。ここまでしたのだから、頼むから無事に終わってほしい。
「さあ、戦えい! 我が愚息が欲しくば、勝って掴み取れ!」
ラルフの煽りが終わると陛下が立ち上がり、決闘の始まりを宣言した。
あれはもう……うん。二人が決闘している横に、たまたま声が大きなおじさんがいただけだ。そう処理されていると信じよう。
「頼む、マジで、もう、俺の胃が……!」
そんな俺の願いと共に、レフェリーを務める女性騎士が手を挙げて。戦いの始まりを告げるゴングが鳴った。
戦い始めまでに結構かかりましたが。次回、決戦。