第九話 アラン史上最大の危機(二回目)
王宮に着いた俺たちは、早々に謁見の間へ案内された。
バカみたいに天井が高い部屋へ通され、レッドカーペットが敷かれた中を歩くことになったのだが。
道の左右には王都に詰めている王宮貴族たちが列を為して並んでおり。
俺たちのことをガン見している。
公爵夫妻なんかは慣れたものだ。
周囲の視線などどこ吹く風で、堂々と歩みを進めている。
しかし。半年前までこの国の最底辺たるスラム街で小間使いをしていた俺は、実のところガチガチに緊張している。
お嬢様もいつも通り呑気な顔をしているが。
今回ばかりはその性格が羨ましいと思った。
眩暈がするほど赤いレッドカーペットの上を、公爵夫妻の背を頼りにして何とか前に進んでいるが。
果たして俺は今、真っ直ぐに歩けているのだろうか?
平衡感覚が狂うほど緊張しているようだ。
実際に歩いている時間は三十秒もなかったのだろうが。
体感的にはもの凄く長い直線を歩き切り。
何とか転ぶこともなく、どうにか国王陛下の前まで歩くことに成功した。
いつ転ぶか気が気じゃなかった。
ただ真っ直ぐに歩けただけで、褒めてほしいとすら思っているくらいだ。
さて、公爵夫妻から一歩下がった位置で、まず俺が平伏する。
使用人のマナーとして。
主人よりも先に頭を下げて、主人よりも遅く頭を上げる。
これは基本と変わらない。
右膝を地面につけ、顔は斜め四十五度くらいを下向くこと。
そして『ハムストリングスを鍛えるときは、背筋を伸ばして真っ直ぐ前を見る! ほら、左のモモが地面と平行になるように突き出して!』……止せ、俺の記憶の中のお嬢様。
礼儀作法を習っているとき、刷り込みのように言われた光景がふと蘇り。
あと一歩で屈伸運動をしながら、国王陛下にメンチを切るところだった。
……多少カクついたが、それでも跪くことに成功。
俺の内心をよそにお嬢様と公爵夫妻が平伏し。
それから間を置かず、高い位置から威厳のある渋い声が響いた。
「よく来た公爵夫妻。それにリーゼロッテ嬢と、息子の友人になったという使用人。歓迎するぞ。さあ、面を上げよ」
まだだ……まだ上げるな。
これは貴族初心者が引っ掛かりがちなトラップだ。
今面を上げていいのは公爵家の人間だけだ。
「使用人も楽にしてよい」とか、「他の者も面を上げよ」とか、特別に言葉があるまで俺は頭を上げてはいけない。
歓迎すると言われても、面を上げるのはもう少し後だ。
礼儀作法のマーガレット先生はそう言っていた。
だから俺は跪いたままだったのだが。
「どうした、何故顔を見せぬ」
今のは、俺のことだろうか?
いやいやまさか。きっとお嬢様だろう――そう思いチラリと前方の様子を伺うと、お嬢様の背中が見えた。
どうやらお嬢様も面を上げているようだ。
「余は面を上げよと言った。何故そこの使用人は平伏したままなのだ」
陛下は怪訝そうな声を出しているのだが……これはどっちだ?
本当にさっさと顔を見せてほしいのか、それとも何か試されているのか。
おいおいマジかよ。
こんなシチュエーション、習ったことがないぞ。
慌てた俺は打開策を探すが、現在もまだ平伏中である。
公爵夫妻は俺に背中を見せて陛下の方を見ているから、顔色を見てヒントが得られない。
というか。
「…………」
「…………」
「…………」
そろそろ誰か、何か言ってくれないかな?
何故陛下も公爵家御一行も、臣下一同も黙ったままなのだろうか?
洗礼?
新手のイジメ?
それともやっぱり、何か試されている?
従者も謁見の間に同席しろと言われた時点で、嫌な予感はしたのだが。
色々な思考が頭を回り始めた頃。
振り返ったお嬢様が俺に声をかけた。
「ねえねぇ、アラン。陛下が面を上げろと仰っているのだから、顔を上げたら?」
違う。違うぞお嬢様。
誰か何か言えとは思ったが、ここはあなたが発言したらマズいタイミングだ。
公式の場で当主を差し置いて娘が発言というのは、貴族のマナー的にはアウトだ。
そう思ったのだが、陛下は豪快に笑いながら言う。
「はっはっは! そうだ。余がいいと言ったのだから面を上げよ。……それともこう言った方がよいか? 『使用人も面を上げよ』」
まさかのお嬢様が正解パターンのようだ。
本当にさっさと顔を見せてほしかったらしい。
俺は顔を上げて。
数段の階段を上がったところにある玉座、そこに座る男の顔を見る。
夕暮れのような赤茶色の髪と髭。
髭はもみあげから顎の下まで繋がっており、右頬に刀傷が走る鋭い眼光の人。
これがアイゼンクラッド王国のレオリア国王陛下。
別名「東方の武神」様か。
戦争をすれば負けなし。
精々が中堅どころだったアイゼンクラッド王国を、大陸東部の覇者にまで押し上げた名君。
戦争上手と言うだけあって、流石の威圧感だ。
「余計な作法は無用。余の言葉を裏表なく受け取り、粛々と実行する。余が臣下に求めるのはそれだけだ……愚図はいらん」
陛下は野獣のような眼光で、ギロリ、と俺の目を見据えてきた。
分からん。
初対面だから分からない。あの目力は何だ?
元々そういう目つきなのか。
俺の何かが気に入らなくて睨んでいるのか……どっちだ!?
分からん。
陛下の両サイドに並んでいる近衛騎士が、無言でアイコンタクトを取っている。
ねえそれ何の合図?
分から、なくはない。
今しがた俺は愚図などと呼ばれたのだ。
陛下のご不興を買った俺を引っ立てるのだろう。
陛下からGoサインが出れば、すぐにでも捕縛してくるのではないだろうか。
もういい。
どの道木っ端の如く吹き飛ぶ命だ。
だったら正面から受け答えしようではないか。
「畏まりました、今後はそのように致します」
「ほう……今後があると?」
にやりと笑う国王陛下。
本当に不敬罪で引っ立てられるのだろうか。
いや。不敬とか無礼とか、気づいていないフリでいくしかない。
「恐れながら、おそらく今後の機会はございます。私はリーゼロッテ様の専属使用人でございますので」
俺は殿下の友人としてやってきたのだ。
陛下の方から俺と話したいと言ってきたのに、何を怖気づくことがある。
俺を射殺さんばかりの視線を向ける陛下と目を合わせ、俺は真っ直ぐに答えた。
「それで?」
「リーゼロッテ様の執事となるべく指導を受けております。殿下とリーゼロッテ様がご婚約をなさるならば。お二人のことについて、何かのタイミングで陛下にご報告を申し上げるやも知れません」
本当に婚約して、本当に結婚するなら無くはないだろう。
実は陛下の不興を買っていて次がないなんて、考えていられるか。
俺は生きるぞ。
起き上がるのが十数秒遅れただけで、死んでたまるか!
そう闘志を燃やした俺は、斜め前に立つ公爵夫妻を一瞥する。
分かっているんだろうな、旦那様。奥様も。
俺が処されたら、もうお嬢様の面倒を見られる人間なんていないぞ?
そこんところを良く考えた上で俺を庇えよ?
ああそうさ、いざとなったら必殺、公爵バリアだ!
そんな風に俺が公爵家を盾にする決意を決めていると。
陛下は渋面を作っていた。
「……ふむ。ううむ、分からん」
何が? とは流石に聞かず、次の言葉を待つ。
「新兵の如く、おっかなびっくりとして頼りないかと思えば。次の瞬間には、覚悟を決めた死兵の如く。……また次の瞬間には、生き汚い傭兵の雰囲気を感じた。貴様の本質がさっぱり分からん」
緊張でビビッていました。
開き直りました。
でも、死にたくない。
公爵夫妻を盾にしてでも生き残りたいです。の順番だ。
少しばかり格好よく変換されてはいるが、考えていることは大筋で当たっている。
ポーカーフェイスを維持せねば。
そう思い顔の表情を引き締める俺を見て、陛下は尚も不敵に笑う。
「取り繕ったところで無駄だ。表情ではなく目を見て言っている。……貴様が余の目を見据えて余を計ろうとしたように、な」
陛下の言葉で、謁見の間にざわめきが起こった。
そりゃそうだ。
国王直々に「コイツ俺のこと値踏みしてきたんですけどー」なんて言ったんだぜ?
もう不敬罪確定だよ畜生。
あっ、やめて。近衛騎士の人たち、前傾姿勢にならないで!!
「まあ、大した度胸であることは認めてやってもいいが……な」
「はは……」
ちげぇよ。
俺がアンタの目を見ていたのは精々が「うわぁ、目つき悪っ。怒ってる?」くらいの温度感だ。
こんな場所で国王を値踏みするアホがいるか。
陛下も存外見る目が無い。
何でこんなワケが分からないことで、ピンチにならなきゃいけないんだ。
と、俺は内面で毒を吐きまくる。
……どうする? 意味は分からんが一応謝っておくか?
いや、それは早計だ。
こういうタイプの人間は、ここで引き下がったら勝手に失望する可能性が大。
脳筋の奴っていうのは、大抵そうだ。
謝ったら失望されて、そのままジ・エンド。
俺の中でそう結論が出る。
ならばどうするか。
生き残るにはスラムの連中に教えてもらった俺の得意技、「世紀末式世渡り術」を披露するしかないだろう。
その場凌ぎでも何でもいい。
姑息だろうが何だろうが構わない。
とにかくその場を生き残れればいいという、頭の悪い処世術だ。
こんな場面でこそ使うべきだろう。
こういう手合いはむしろ喧嘩を売りに行った方が、「面白い奴だ、気に入った」という判定になるケースが多い。
つまり今は、むしろオラオラいった方がいい場面だ。
「流石は陛下。目線一つで、臣下の心情をお読みになるとは」
覚悟を決めた俺は、陛下の方を見て堂々と発言する。
オラオラいくことを決めた俺は――
「ほう……余を値踏みしていたことを認める、と?」
「はい」
手始めに、国王陛下にガンつけたことを認めてみた。