第九十六話 苦手な人と話すと、疲れるよね
「あ、あの……ね、アラン。そのぉ……この間のことなんだけど」
「…………この間のことが、何だと?」
「いやほら……みんな大怪我しちゃったしさ。謝りに行こうかなぁ、なんて、思うんだけど」
「そうだな。悪いことをしたら謝るってのは、当然のことだよな。人として」
俺がそう言えば、メリルはぎこちない作り笑い――言い換えれば引き攣った笑み――を浮かべて、上目遣いで迫ってきた。
「あのね、だから、えっと……付いて来てほしいなぁ……なんて」
「…………」
俺が入院してから二ヵ月が経つ。
今では病室が個室なのをいいことに、デスクや簡易な本棚、応接用の椅子まで揃えて、事務所として使わせてもらっていた。
朝からいつも通りに仕事をしていれば、恐る恐るといった様子でメリルが病室を覗き込んできたのだ。
どうやら見舞いのようなので入室を許可したのだが、早速これだ。
……攻略対象が内ゲバで全滅という大惨事を引き起こした件について。謝罪行脚に付き合ってほしいと頼まれた。
まあ、確かに謝罪は大切なことだ。
ごめんなさいが言えるか言えないかで、やらかした後の人間関係に大きな違いがある。
誠意を見せるため。相手のメンツに配慮するため。許しを請うため。
理由は色々とあるだろうが、謝罪とお礼は人間関係を構築する上で最も重要なことだ。
気まずいから一人で行きたくないというのも分かる。
「そうか、まあ付き合ってやってもいい」
「本当っ!?」
「でもその前に、やることがあるよな」
「え? ……やること?」
本人は望み薄だと思っていたようだが、スラム街の人間は仲間を見捨てない。
妹分弟分が裏切った時は、まず自分の求心力を疑え――要は自分の行いを振り返れという教えもある。
だから、今回は海のように広い心で許そうと思ったのだが。
俺はゆっくりと手を挙げてから、デスクをドン! と勢いよく叩き、メリルは驚いてびくりとした。
「その謝罪する相手の中には、当然俺も入ってんだよなぁ?」
「そ、それはもちろん! 私だって悪いと思ったから、見舞い品は買って来たよ!」
「はぁ? モノで済まそうってのか、お前は」
俺は声にドスを利かせて、メリルの目を真っ直ぐに見据える。
一切目線を切らずに睨みつける。
俺の気迫にたじろいだのか。彼女は後ずさりしつつ、慄きながら言った。
「な、何よ。まさか慰謝料を払えって言うの? 貧乏な私から、大金持ちのアランが搾り取る気!?」
「違ぇよ、金なんざいらねぇ。まずは、謝罪の一言もあるべきなんじゃねぇのかな?」
俺は立ち上がり、一歩、また一歩と。ゆっくり距離を詰める。
メリルが壁にぶつかり、後退する余地が無くなるまで追い詰めた。
そして息を吸って、壁ドンをしてから一息に捲し立てる。
「あれだけ散々付き合ってやったのに裏切られ、一番重傷を負った人が目の前にいるんだが。なあ、ここにいるよなぁ? お前が今、真っ先に、一番に、最初に謝るべき人間が、ここにいるよなぁ!!」
「わ、悪かったわよ! ごめんって!」
「悪かった? ごめんって? 誠意が見えねぇんだがな……その言い方にも、姿勢にも」
クロスからの現代日本知識インストールは未だ有効だ。
だから俺は、古来から日本に伝わる伝統的な謝罪の姿勢を、彼女に求めることにした。
「まずは、土下座してもらおうか」
「はぁ!? なんで私が――」
「土下座しろ。話はそれからだ」
「い、いや、女の子に土下座をさせるなんて……」
俺は男女平等主義者だ。
相手が男だろうが女だろうが。老若男女を問わず、ふざけたマネをした奴には落とし前を付ける。
謝りもせずになぁなぁで済ませるなど許さん。
謝罪も一つの落とし前だと思い、俺は強気でメリルに迫った。
「ど、げ、ざ、だ! 早くしろ!」
「うひぃ!?」
俺が一喝してから一歩だけ引けば。
屈辱と羞恥でプルプルと身体を震わせながら、ごくゆっくりと、メリルは地に額を近づけていった。
たっぷり十秒ほどかけて膝を床につけて。
何度か上体を起こしかけたものの、きっちりと三つ指を付いて、彼女は頭を下げた。
「も、申し訳、ございません、でした」
「ああん? 聞こえねぇなぁ?」
「……ぐッ! 申し訳! ございませんでした!」
最後のプライドなのか、地面に額をちゃんと着けておらず。微妙に宙へ浮いた状態なのだが。
この際そこは見逃してやろう。
絵面を見れば、男として最低と言われても仕方がないのだが。
最初から素直に頭を下げていれば。俺だってここまでは求めなかった。
謝る時に謝れないと、後で利息を付けて支払うことになる……というのは、メリルにも分かってもらえたと思う。
さて、そんなこんなで。
攻略対象がヒロインに土下座をさせるという、前代未聞の謝罪シーンが終了した。
「……ざまぁ」
様式美かと思い、俺は一言だけ呟いたのだが。
「――ッ! もうあったまきた! ざまぁはないでしょ、ざまぁは!」
「お、おい、やめ……俺は怪我人――!」
「むっきぃぃいい!!」
沸点が限界を超えて、逆上したメリルからの逆襲を受けることになった。
拳や蹴りといった直接的な暴力こそ振るわないが、肩を掴んで前後に激しく揺さぶってくる。
彼女はもう少し貧弱だと思っていたのだが、意外と腕力もついてきたようだ。
これもダンジョン探索の賜物だろうか?
そんなこんなで入院期間が少しだけ伸びたことが、後に判明するのだが。
まあ、ここまで来たら一日や二日伸びたところで大差はないだろう。
それにしてもだ。
調子に乗ったらしっぺ返しがあるなんてことは、この五年で十分に学んだはずなのに。
どうして俺は勝ち誇ってしまったのだろう。
もしかして俺には学習能力が無いのかもしれない、などと思いながら……俺の視界はホワイトアウトしていった。
「この度は、誠に申し訳ございませんでした」
「いいよいいよ。ボクは気にしていないから」
意識が回復してから、早速各々の病室へ謝罪に回り始めたのだが。
まず、クリスからはあっさりと許しが出た。
バックに居る俺のメンツを潰すまいと空気を読んだのか、それとも本当に気にしていなかったのか。
謝罪は十秒ほどで終わった。
サージェスは共犯だから謝る必要が無く、ハルには面会の予約をしてから行かなければいけないので、次にパトリックの元へ来たのだが。
「ごめんね、本当にごめんね?」
「いやいや、だから気にしてないよ。これくらい」
早いうちにダウンした彼は軽傷――と言っても全治二ヵ月だが。今日で退院する予定だったのだ。
退院前に俺と仕事の打ち合わせをすることになっていたので、予定していなかったメリルが付いてきたことに目を丸くしていた。
謝罪自体は受け入れてもらえて何よりだが、彼は一歩引いた位置で立っている俺の方を向いて、手招きをしてきた。
まあ、会話に加われという意味だろう。
もとより二人は初対面に近いのだから、橋渡しくらいはするつもりで来たのだ。
俺としても望むところではあるが、彼は怪訝そうな顔をしている。
「あの、義兄さん。これってどういう状態?」
「どうって、こいつらが起こした騒動で俺らが怪我をしたから、謝りに来たんだよ」
「うーん……怪我をさせたことを謝るならさ。まずはボクの顔面に岩を直撃させた、義兄さんが謝るべきじゃないかな?」
彼は俺が放った土魔法というか、岩が直撃したダメージが一番大きかったようだ。
確かにこのロジックなら俺からも謝罪する必要があるのだが……。
「それはお互い様だろ? 俺だってお前からデバフを食らった後に、樹から締め上げられたんだから」
「えっ? アラン、子どもの顔面に……岩を当てたの? さいってー」
「そうだよねー、義姉さん」
メリルはまるで、児童虐待をする男を見るような目で、俺を見ていた。
ドン引きしながら、ひしっという音が出そうなくらいぎゅっと、パトリックのことを抱きしめる。
パトリックは俺のことをからかうつもりのようだが――それにしたって姉さんはないだろ。
容姿が幼いとは言え、歳はメリルと一つしか離れていないのだから。甘えるような態度はどうかと思うのだが。
「小芝居はいいんだよ。じゃあこれで手打ちってことで……」
「パトリックくん、もうすぐ後輩になるんだよね? 入学したら校舎を案内してあげる!」
「わぁ、嬉しいなぁー」
話を切り上げようとしたのだが、メリルはランダムイベントの予約をしようとしているではないか。
パトリックとは学園内で偶然出会い、図書館や食堂といった施設を案内することになる。
出会えるかどうかは完全にランダムなのだが、前もって約束をしておけば確実にイベントを起こせるだろう。
まあ、パトリックと恋愛をしてもらうつもりでウィンチェスター家を救済した手前、これは理想の流れと言える。しかし、こうまであっさり話が進むと逆に拍子抜けだ。
……ともあれ狙い通りの流れではあるので、俺は黙って横で見ていることにした。
「パトリック。そろそろ時間じゃないか?」
「そうだね、じゃあ……あ、仕事の話していないや。少しでも打ち合わせしないと」
「席を外そうか?」
「うん、機密もあるし、そうしてもらえると助かるよ」
十五分ほど口数を少なくしていたのだが、そろそろ迎えの馬車が来る時間になった。
パトリックが退院したら当分は会えないので、その前にいくつか話を詰めることもある。
「ラルフとは一人で会いたくないから、食堂で待ってるね」
「おう、話が終わったら俺も行くわ」
パトリックの荷造りは終わっているようだし。早めの昼食……というかブランチを済ませていたようなので、俺は遠慮なく仕事の話題に入ろうとしたのだが。
メリルが扉を閉めてから数秒後に、パトリックが溜息を吐いた。
……やるせないというか、一仕事終えたというか。
マイナス方面の溜息に見えるのだが。
「おい、パトリック。どうした?」
「ん? いや、疲れたなぁって」
「そんなに長話はしてないだろ」
「いやいや、苦手な人と話すと、疲れるよね」
まあそれはそうだな――と納得しかけて、俺の思考はフリーズした。
今、目の前の男は何と言ったか。
「は? え、今なんて?」
「ん? いやだから、好きでもない人と話すのは疲れるなぁって」
癒し系ショタ枠の少年は、心底うんざりしたように肩をすくめて言った。
どうやら本心のようだ。
……え?
パトリックからメリルへの好感度が、本編登場前からマイナスに振り切っています。
何故でしょう。答え合わせは次回。