表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

2日目 女子校になってしまった

 戸籍上も、肉体的にも、女になってしまったり、好きな女の子の壮大な都市開発計画を聞いてしまったその翌日。

 当の本人が普通に迎えに来た。

「おはよう尊。いい朝ね。今日から袖を通す制服を持ってきたわ。マイちゃんの分もね」

「なぜマイの分も?」

「今日から小中高一貫、再来年からは大学まで一貫にするからよ。制服は全て統一するの。新しく建つ男子校の方もね。中学までは共学で今まで通りだけど」

「ん? 大学も制服にするのか?」

「そうよ。みんながみんな被服にお金をかけられるご家庭でもないでしょう。学校から指定して配ってしまえば貧富の差もないわ」

「公立校にまでよくもそんなことを……」

「この土地を元々誰の土地だと思っているの、尊。この市の土地全てがそもそも私の家、森林院家の物だったのよ。学校の建っている土地なんて自治体や国に借用させているから毎年貸賃が入ってくるわ。そんな大地主が、高々、学校の制服を指定して支給するなんて簡単なこと、できないわけないじゃない」

「お前は大地主を神か何かと誤解してないか?」

「森林院家は、この国、世界にとっても神と言って差し支えないとさえ思っているわ」

「それは差し支えるだろ」

「いいえ、神武天皇の頃から苗字を戴き賜っている我が家なのですからそれくらい当然です」

「神武って……3000年くらい前だろ……そんな長いの、森林院」

「元を辿れば、人類の生息圏を広げるために尽力した家よ。苗字の通り、森を作ったのよ、竜を退ける森を」

「お前の家が、もともと植林や品種改良で財を成したってのは聞いてたけど、竜避木(りゅうひぼく)に係わりがあったのか」

「あれを増やして、日本中に植えて回ったのが初代様から続く森林院よ」

「ガチ貴族だったのか、お前」

「いまさら? もう十何年も付き合ってきて? 歴史の勉強もして来たでしょうに、何を学んで来ていたのかしら、尊ったら。まさか気後れしちゃったかしら? もう私とは一緒にいられない?」

「何言ってんだ。そんなことあるわけ無いだろ。お前の家がでかいなんてことはお前と初めて会った時から知ってる。ただ、思ってた以上にスケールがでかかっただけで、驚きはしたけどな。でも、俺はお前の家柄を好きになったわけじゃない。お前が好きなんだ、胡蝶」

ちょっとベタだったかなと、言ってから顔が熱くなってきた。

「ありがとう、尊。そういうあなただから、私は――。って、なんでこんな話になったのかしら?」

「お前が公立校の制服を勝手に指定するってところからだろ」

「顔真っ赤ね、尊。月並みで歯が浮くようなセリフに自分で照れてしまったのね」

「う、うるせー。お前だって少し顔が赤いぞ。惚れなおしたんじゃないか?」

「馬鹿ね、私のは血色が良く見えるお化粧よ」

「お前いつもノーメイクだろ」

「知らないわ。ほら、早く着替えなさい。それとも、またメイドに手伝ってもらいたいのかしら?」

「それは御免被る」

 制服を受け取って自分の部屋に戻る。

 胡蝶はマイの部屋に向かった。制服を渡すためだ。

 そういえば、あいつは私服だったけど、マイの部屋で着替えるのか?

 そんなことを考えながら、未だブカブカのまま、各部を巻くって着ているパジャマを脱ぐ。これも新しいの買わなきゃだな。

 露わになる自分の胸にまだ慣れなくて少しギョッとした。

 寝る時外さないと、ワイヤーが食い込んで痛むからと言われて外していたブラを、教わった通りに装着。これでいいのだろうかと姿見を見ると、すっかり女の体になった自分と対面してしまって、本当にこれが自分だったのかと頭が混乱する。

 制服はどこか尼僧服(にそうふく)を思わせる紺一色のワンピースタイプの服だった。しかし、洋服の縫製をしており、決して尼僧服そのものという感じではない。西洋の宗教施設で女性が着るとされる服に似ていなくもなかった。シンプル故に、袖口や、襟から胸元にかけての白い布地が映える。

 胸元には校章が刺繍され――あ、これ、森林院の家紋だ……。

 襟下から胸元にかけてあるボタンは隠しボタンになっており、突起物は見せないというこだわりが感じられた。

 ボタンを外し、Tシャツを着る要領で袖を通し、再びボタンをとめる。ゆったりとした着心地で、ボディラインが強調されない清楚なシルエットだ。

 これまた森林院の家紋が刺繍された靴下をはいていると部屋の戸がノックされた。胡蝶だろうと、どうぞと入室を許可する。

「着替えは終わった? たけ……る」

着替えをちょうど終えた俺は立ちあがってくるりと回ってみた。我ながら、なかなか似合っているのではないかと少しにやけてしまった。

「お、どうだ胡蝶。似合ってるか? これで着方、間違ってないか?」

恍惚といった表情で見つめている胡蝶がいた。

「あぁ、今すぐ髪を結ってあげたいのに髪が無い」

「人をハゲみたいに言うな。……短いの嫌か?」

「嫌ではないけど、今のあなたの姿を見たら髪を結ってあげたくなるのよ」

「じゃあ伸ばそうかな」

「でも、長い髪は手入れも大変だし、夏は蒸すわよ。無理にすることは無いわ」

「いや、伸ばすよ。大好きなお前のためだ」

「――――!!!!」

顔を真っ赤にして顔を手で覆う胡蝶。かわいい。

 お前のことが好きなのは変わらないし、もう胡蝶にもそれがバレているんだから、これからは積極的に言っていこうと、心で思っていたことを実行しただけなのだが、すごい破壊力だったな。

 最後にリボンタイをして二人で家を出た。

 悶絶してる胡蝶が落ち着くまでに10分くらいかかったことは内緒だ……。



 一緒の登校がなぜかすごく久しぶりに感じる、そんな通学路。

 いつもと変わらない風景。

 変わってしまった視点。

 一昨日までは俺の肩ぐらいの高さにあった胡蝶の頭が、今は遥か上。俺の頭が胡蝶の肩くらいになっている。男としては情けなく感じるが、今は女だし、うーん。とモヤモヤしていると。

「むしろ今の尊の身長が女子の平均くらいよ。私はちょっと高めだから、あんまり気にしなくてもいいわ」

「お前エスパーかよ。そうか、俺くらいが普通なんだな。女子って大変だな」

「私にはその大変さは、ちょっと分からないんだけどね……」

 新しい制服姿の胡蝶はもちろん綺麗だ。横目で見ても美人だと分かるのだから世の男どもが正面から見たら倒れてしまうのではないだろうか。

 自分ではゆったりとしていてボディラインの強調は無いと思っていた制服だったが、胡蝶が着ているのを見るにそれは誤りだったと気づいた。自分とは圧倒的に違う大きさを持つソコによって持ち上がった布、それで歴然と感じる差。

 スカートで自分の膝は隠れているのに、胡蝶の膝は出ているのだ。

 足とスカートとの間の空間の広さも違う。

「あの、尊。あまりマジマジと人の体をを見るものじゃないわ。同性でも……」

「あ、ごめん。いや、自分との差を見せつけられてな、つい」

「あなた、男性だったときはあまり私の体に興味示さなかったじゃない。どうしたの?」

「いや、体とか関係なしにお前のこと全部好きだったからさ、特に気にしたこと無かったんだよな。同性になったことで自分と相手の比較が否が応でも始まってしまったというか……」

「相手が私だから良かったけど、他の人にやったら問答無用で殴られるわよ」

「そんなに失礼だったのか、気をつけよう」

「私に」

「お前に殴られるのかよ!」

「私以外の女の子に余所見したら許さないわ」

「それはないから問題ないな」

「そ、そうね……」

 胡蝶は顔を赤くして少し早足になった。 



 学校に着くと、もはや別世界だった。

 今日から急に女子校になったというのに、みんな同じ制服をちゃんと着ているし、元々お嬢様学校だったのかと錯覚を覚えるほど、あちこちで生徒同士のごきげんようという朝の挨拶が聞こえてくる。

 ちょっと順応性高すぎない? うちの女子たち。

 胡蝶と俺が校門へ入ると、俺は他の女子に跳ね除けられ、胡蝶が取り囲まれていた。

「胡蝶様、ごきげんよう」

「胡蝶様、今日も素敵です」

それに胡蝶は、とても優雅に返事を返す。一人一人の顔を覚えているかのように、返す相手に一言を添えて。

 挨拶を返された生徒たちは、感激からか、返された順番に綺麗に腰砕けとなってその場にへたり込んで、少しずつ胡蝶の姿が露わになっていく。ブロック崩しみたいだと俺は思った。

 全員をノックダウンさせて、勝ち誇ったように俺にドヤ顔を見せつけてくる胡蝶。お前はいったい、何と戦っていたんだ……。

「お姉さま、こんなところで油を売っていると遅刻してしまいますわよ?」

俺はそう言って胡蝶の手を取って引っ張るも、体格差が逆転しているせいで、彼女をぴくりとも動かせなかった。非常に恥ずかしい。

 だがそこで辺りの女子たちがまたざわつき始めた。

「お姉さま?」

「今、胡蝶様のことをお姉さまって呼んだ?」

「やだ、ちっちゃかわいい!」

「小学生?」

「妹?」

おい今、小学生って聞こえたぞ。そんなに小さいのか俺。というか、ふざけるタイミングを完全に間違えた。

 胡蝶を見ると含み笑いをしてやがった。こいつ完全に楽しむ気だ!

「ねえ、お名前言える? おうちの人は? お姉ちゃんが探してあげよっか?」

完全に幼女扱いで話しかけてくる女子生徒。

 なんだか無性にイラっときたので、普段通りの口調で返してやった。

「百合畑尊だけど、何かご用か、お姉さま方」

名前を聞いた瞬間に一同はさっと身を退いた。

「え、百合畑?」

「百合畑って、あの百合畑?」

「胡蝶様の腰巾着の?」

「胡蝶様に取り憑いてるダイダラボッチ?」

「独活の大木」

最後はもう生物ですらなかった。俺の評価そんな感じだったんだと少しショックを受けた。

 胡蝶はもうお腹を抱えていて大変愉快そうだ。

 先ほどとは明らかに違う態度で一人の女子が話しかけてきた。同じクラスの小鳥遊直里(たかなしすぐり)だった。

「あんたが百合畑? 何でそんなチビで、女の子になってるわけ? あり得ないでしょ、どう考えたって」

まぁ言い分は至極ごもっともであるのだが。

「あんたさぁ……同姓同名だったりする?」

「いいえ、俺は、正真正銘、百合畑尊本人です。小鳥遊直里さん」

「うわぁ、私の名前知ってる……本人かも?」

名前当てても『かも』なのかよ。

「いや、まだ信じないわ。ロリっ子なアンドロイドの素体に記憶のコピーを入れて幼女プレイを楽しんでいる変態……?」

「それ、そんな変態プレイしてる尊君本人ってことになるんですけど……。というかそんな趣味無いし、俺の体はアンドロイドじゃないし、そんな高級品買えないし、記憶の移植とか都市伝説レベルの話されても困るんですけど」

「うえぇ……じゃあマジで本人なのぉ? 胡蝶様はこんな変態幼女をそばに置いておくんですか?」

「えぇ、むしろその変態幼女だから置くのよ、そばに」

「それはなんと奇特な……」

「奇特? 違うわ小鳥遊さん。私は好き好んで変態幼女の性転換尊をそばに置いているのよ。なぜなら、この姿の尊とじゃないと、私、恋愛ができないから」

「あのさ胡蝶。愛の告白は嬉しいんですけど、変態幼女って言うのやめてくれません?」

「そうだったわね。じゃあ言い直すわ。私のプチエンジェルと!」

「やめて! もっと如何わしく危ない表現になってるから!!」

「そうね、あまりにも可愛すぎて、調べている記者が翌日東京湾に浮かんでそうなくらい危ないわね。でも大丈夫よ、尊が東京湾に浮かんでいてもちゃんと東京湾に散骨してあげるから」

「いや、死ぬ前に助けてくれ! ……何の話をしていたんだ?」

「馬鹿ね尊。体が小さくなって、頭脳も女子小学生並みになったのかしら?」

「お前、さっきこの身長が同世代の平均とかのたまってやがっただろ。やっぱり小学生並みだったんじゃねーか!」

「そんな昔の話、忘れたわ」

「あの、胡蝶様。こっちの話も終わってないんですけど」

「あぁ、そうね。小鳥遊さん。このプティエンジェゥは正真正銘、先週まで男性だった、私のフィアンセであらせられる百合畑尊よ。これでいいかしら?」

「ふぃ、ふぃふぃ、ふぃふぃふぃ!!! フィアンセ!!?」

「いや、男性の頃にフィアンセだった事実は無かっただろ」

「何を言っているの。あなたが女の子になってから私の中ではフィアンセになっているのだから、フィアンセでいいのよ」

「うれしいけど、初耳ですよ!?」

「ちょちょちょちょっと待って! 情報が多すぎるから整理して話して。胡蝶様も、本人と同意の取れてない情報を事実として私に流さないでいただけますか?」

「あら、私の大好きな尊(女)に変な虫がつかないように牽制していたのよ。男の尊のことをどう思っていたかは知らないけれど、女の子になった尊は私の物です。小鳥遊さん、男でなくなった尊に用は無いのでしょうからお引き取りを」

「男とか女とかそんな重要なことですか? アンドロイドが人権を得て結婚して子供を産む時代に、前時代的じゃありませんか? 箱入りお嬢様」

「LGBTAなんて今は別に珍しくもない。全くもってその通り。ただ私にはその性別が重要なのよ。尊のことはもとより大好きだったけれど、それはせいぜいLike止まり。それをLOVEにするために私は尊を女にしたのだから」

「今重大なこと言いましたね、百合畑のこと女に変えたって! お金があるからって本人の意思を無視して性転換なんて許されるわけないでしょ!」

「本人が今納得しているのだからいいのよ」

「今俺に関する酷いフェイクニュース流れてなかった?」

「流れていないわ。あなた、今朝言ったじゃない。大好きな私のために髪を伸ばしてくれるって。もう女性として生きることに納得してるのと一緒よ」

「あれは別にそういう意味じゃ」

「百合畑……あんた……」

「わかったでしょう、小鳥遊さん。尊は、私のために、私のために! 髪を伸ばすと言ったの。もうあなたの入り込む余地なんて無いのよ」

「いやいやいや、ちょっと待って。私が百合畑のこと好きだったみたいな流れになってない?」

「え、違うの?」

「違ったのかしら?」

二人で目を丸くした。

「私は最初から、その女の子は誰で、本当に百合畑なのか? なんで女になったのか? ってことしか聞いてなかったよね。どこでこんな大暴投が……」

「私が、小鳥遊さんに男でなくなった尊に用は無いでしょう、と言ったあたりからかしら?」

「そうですね。胡蝶様、そのあたりから私を見る目が完全に恋敵に向けられるそれでしたものね……私もなんで喧嘩買ってしまったのかわからないですけど」

 お互い少し気まずくなって、引きつった笑いを送りあっている。俺は罵られるだけ罵られていたような気もするが。

 気づくと周囲を完全に教師に囲まれていた。それもそうだろう。このどうでもいいやりとりにどれだけ時間を使っていたというのか。最初にいた取り巻き達も予鈴がなってすぐに教室へ向かって去っていたのだ。残るのは、訳の分からないことを意味もなく大声で口論している女子生徒と、巻き込まれている幼女が一人。先生がお冠でないはずもなく。

「もう朝のホームルームが終わっていますよ! まったく、胡蝶様までいったい何をなさっているんですか! お二人とも、反省室です。百合畑さんは身体測定がありますから、すぐに保健室に向かいなさい」

昨日までそんな口調じゃなかったですよね、教頭(現校長)。と思いつつ二人と別れて、性転換後初の学校に保健室登校することになった。



 「いらっしゃ~い。百合畑君だねぇ。あ、今は『さん』か。ちょちょ~っと服脱いで好きなとこにかけてて~。す~ぐ準備するから~」

保健室に入るなり、養護教諭、葛漆(かずらうるし)の気の抜けた声が飛び込んできた。共学時と変わらない調子だ。

 この漆先生は俺たちと一つしか歳が違わない。一つ上の18歳だ。

 飛び級で大学院まで修了し、博士号を取った上で、教員免許、医師免許を取得し、公務員試験、司法試験まで合格している本物のヤバいやつだ。

 なぜこんな地方都市の公立高校で養護教諭なぞやっているのかと、この学校の七不思議に入れられようとしている。

 養護教諭をやりながら、街で開業医もやっており、何を隠そう、胡蝶の主治医、掛かり付け医でもある。

 俺は言われたとおり服を脱いで、適当なベッドに座った。

「は~い、お待たせ……百合畑さ~ん。全部脱げ~って意味じゃなかったんだよな~。せめて下着くらいは着ててほしかったな~、女子として~」

「貴重なサンプルとして、より精密なデータが必要とか……」

「無いよ~そんなの。確かに人間の性転換は貴重な案件だけども、今回は普通の身体測定。ほ~ら、とっとと服を着なさ~い。半袖ハーフパンツでいいからね~」

 服を着た俺は、ごく一般的な身体測定を行った。

 身長147センチメートル。

 体重42キログラム。

 視力、左右ともに1.2

 聴力、異常なし。

「うんうん。BMIも標準値。健康的で結構だね~。最近の17歳女子にしては、小さすぎな気もしないでもないけどね~」

「あの、スリーサイズとか測らないんですか?」

「ん~? 逆に聞くけど~。男子は普段、身体測定でスリーサイズ測る~?」

「いや、測らないですけど……」

「じゃあ答えは出てるね~。本人が知ってればいいんだから~、学校で測る必要性はないのよ~。だいたいね、女性のスリーサイズなんて、男性にとっての性器のサイズくらいデリケートな情報なんだから学校に握らせる訳ないよね~。……まぁ、今、君の男性器は無いんだけどね~。プフフ~」

恥ずかしげも無く(医者だから当然なのだが)、性器などという単語を口にして、おまけに屈辱的な煽りを受けた。

 先生は、沸々とした俺の怒りなどつゆ知らず、もう飽きたとでも言うかのように、俺の測定用紙にミミズがのたくったような字で記入しながら(数字書く欄だぞそこ)、もう片方の手をひらひらと振って言った。

「もう戻っていいよ~。授業出な~」

「あの、クラス、わかんないんですけど」

「君は昨日までと一緒~」

俺は、この人の相手をしていてはきっと一方的に疲れるだけだと思い、礼を言ってから保健室を出た。



 教室に着くと、俺の正体について既に知られているらしく、朝の騒動のように囲まれて質問攻めにされることはなかったが、奇異な目では見られた。

 小鳥遊と胡蝶はまだ反省室から戻っていなかった。

 昼休みになってやっと二人が帰ってきて、流れでそのまま三人で昼食を摂ることになった。

 小鳥遊直里という人間は、俺や胡蝶と中学から同じ学校だった。中学時代は比較的地味目で目立つことはなかったと思う。

 高校入学とほぼ同時に、高校デビューをしたのか、制服を着崩し、髪を染め、メイクをしてくるようになった。ギャル系があまり得意ではない俺としては、あまりお近づきになりたくない方向に進んだなと思っていたが、一年以上経って、まさか俺が性転換という高校デビューすることになってから接点が増えるとは思っても見なかった。

「胡蝶、とりあえず屋上いこっか」

「そうね直里さん。尊、行くわよ」

いつの間にか二人は下の名前で呼び合うようになっていた。この短時間で一体どんな百合的発展があったのか実に気になる。

「何キモイこと言ってんの? 百合畑」

「尊、心の声が口から出てるわよ。あと、恋愛的な意味で好きなのはあなただけだから変な誤解はしないでくれる?」

「あ、すまん。……小鳥遊、お前の反応を見るに、百合が何か知ってる感じか?」

「え!? しし、知らないし! 私はノーマルだから! そういうのとは縁ないし!!」

「直里さん、それもう知ってるって言ってるようなものよ?」

「お前も百合好きなのか? いや、女子ならBLって線も……」

「だから! 私はノーマルだって言ってるでしょ!」

「お、よく見たらお前の胸についてるの、フェアリーダストシリーズの主人公の缶バッジじゃん。ギャルだと思ってたけど、こっち側だったのか」

「はあ? 私、別に自分でギャルやってるなんて公言したことないんですけど。普通にオタクですけど」

「いやいや、ギャルコーデをそんなばっちりキメてギャルじゃないってのは無理があるでしょ」

「この恰好はあたしが可愛いと思ってしてるだけ。化粧とか髪染めとか、中学まで親に禁止されてたから高校で解禁したの」

「尊、謝りなさい。あなたの薄い価値観で私の親友を辱めた罰よ」

「そうだな、悪かった、小鳥遊」

「別にいいけど、慣れてるし。というか、あんたほんと胡蝶の言いなりなのね」

「言いなりってわけじゃない。今のは確かに俺が思慮に欠けていた。それだけだ。……慣れてるってのは?」

「さっきのあんたの言った通りの印象で近づいてくる奴が多かったってことよ。私は一皮剥けばアニメか漫画かゲームかコスメの話しかできないただのオタクだからね。近づいてくる人らは、話が合わないってすぐどっか行ったわ……コスメの話だけならたまにするかな?」

「じゃあ、お前ひょっとしてその見た目でずっとぼっち……」

「ぼっち言うな。概ねそうだけど……。屋上はね、私の特等席なのよ。誰も来ない、というか鍵は私しか持ってないしね」

クルリと手で鍵を弄んで笑う小鳥遊。

「屋上は普段立ち入り禁止で施錠もされているものね。でもなぜ直里さんが鍵を?」

「まさか盗んで」

「違うわよ! これは、姉からもらったの。姉が勝手に複製した合い鍵を……」

「盗んだようなもんじゃねーか」

「姉がここの生徒だった時は、許可貰えば普通に屋上に上がれたんだって。それで合い鍵を作って、何人かで交代で管理してたんだけど、卒業前に後輩に引き継ぐの忘れて持ち帰ってしまって……」

「お前に渡ってきたと」

「姉の卒業後すぐに立ち入りそのものが禁止になったんだけどね。だから屋上は今、この鍵を自由に使える私だけの特等席ってわけ」

 慣れた手つきで鍵を開ける小鳥遊に、俺は先ほどの話を蒸し返した。

「小鳥遊さ、さっき不自然にぼっちの下りを、少し良い話っぽいので上書きして流そうとしたけど、そうはいかないからな?」

「くっ、ダメか。……わ、私としても意外だったわ。百合畑がこんな喋る上にオタクだったなんて」

「俺と胡蝶はずっとオタク仲間だぞ。いや、百合好きの同士といった方が適切か?」

「え、胡蝶もオタクだったの!? それは意外すぎる……ん? 百合好きの同士?」

ひょっとしてと言いたそうな顔でこちらを見つめる小鳥遊。そこへ胡蝶が矢を放った。

「そうよ、直里さん。お互いで百合をして永久機関になりましょうと誓い合ったから尊はこうなったのよ!」

「やっぱり! 変態!」

「やっぱりじゃねーよ!! 永久機関の下りも全部嘘だ。俺は一昨日、こいつに殴られて気絶したところに薬を盛られて女にされた。それだけだ」

「く、工藤○一?」

「似てるけど! 流れは正にそうだけど! こっちは犯人が蘭だったみたいな感じだから」

「まぁ、胡蝶なら黒の組織のボスでも特に違和感は無いかなぁ」

「無駄話をしているとお昼休みが終わってしまうわよ、尊」

「え、今の話、無駄な要素あった?」

「私にとってはそうね。あなたが女性になった過程になんて興味ある人はほぼゼロよ」

「たしかに、どうやっては気になっていたけど、そこに至る過程は心底どうでもよかったわ。どうやっての部分はもう聞いたし」

「お姉さま方、反省室で本当に何もなかったのですか? ちょっと息が合いすぎじゃありませんこと?」

媚び媚びに媚びて、上目遣いで二人に嫉妬するフリをする。

「くそ、今の可愛かった。百合畑なのに……」

「尊、なんてことしてくれるの。直里さんがあなたに惚れてしまったら、私とても困るわ。惚れても譲る気は一切無いけれど。それはそうと、今のもう一回してくれる? 写真を撮り損ねたの」

「だめでーす。今日は思い出しながら悶々としていてくださーい。弄ばれた俺からの罰でーす」

「そんな、あんまりだわ尊。あんまりだから、あなたの昼食は没収ね」

いつの間にか、先ほどまで俺が持っていたはずの弁当箱が胡蝶の手の中にあった。え、凄腕のスリか何かなの?

 ご丁寧にも俺の手の中には、弁当箱の代わりに、そこら辺に転がっている剥げたペンキの破片が握らされていた。

「うわ、今のどうやったの胡蝶。手品みたい」

「ふふ、ウスノロの尊相手なら直里さんでもすぐに同じことが出来るようになるわ。今度教えてあげるわね」

「わーい! 覚えたら実験につきあってもらうからね、百合畑」

「犯罪まがいの技術を教えようとするなよ。あと弁当返せ」

「返して欲しかったら言うことがあるのではないかしら? ほら言いなさい。お弁当を返してください、お姉さまと。ちゃんとスマホの録画機能はONにしているのよ。さあ!」

ぐぬぬ。背に腹は代えられぬ。俺は屈辱に身を焦がしながら懇願した。

「お、お姉さま。私のお弁当を、お返し、ください……」

「ふへへへ――可愛い、可愛いわ尊! その少し『くっ、殺せ!』的な感情が交じった声音が最高よ!」

「人の感情を解説しないでいただけますかね? ほら、やったんだから弁当をだな……」

「仕方ないわね、そこまで言うなら特別に食べさせてあげるわ。ほら、あーんってしなさい。あーんって。女の子座りで両手は足の間について、上目遣いで口だけこっちに向けるのよ! あ、やっぱり目を閉じてると、私的にポイント高いわ!」

「おまえ、目と言動がエロおやじみたいになってるぞ!? 落ち着け、小鳥遊もいるんだぞ! お前が築き上げてきたイメージを大事にしろ。な、小鳥遊! お前もそう思うだろ?」

「いやぁ、百合畑。あんたそこまでの逸材とは思わなかったわ。可愛い! 私も見たいから、あーんしなさい」

あれれ、敵が増えたよ?

「わかったよ、わかりました。やればいいんだろ、覚えてろよ!」

こうして、羞恥プレイと化した、俺のランチタイムは過ぎていった。

「羞恥に震える尊の涙目は良いおかずになるわね。食が進んだわ」

「そうですか……。それはようございましたね、お姉さま……」

食べた物の味など羞恥で覚えていない。

「今のもなかなか哀愁があって可愛いよ、百合畑」

スマホのカメラで俺の羞恥シーンをずっと撮影してらっしゃった小鳥遊も、胡蝶とご同類だったようだ。そりゃ仲良くもなるよね。



 教室に戻り、さて、気を取り直して午後の授業に臨みますかと、心の内で気合いを入れていると、クラスメイトの声が聞こえた。

「午後一の授業なんだっけ?」

「体育だよ」

「あ~、50メートルのテストだっけ?」

「どうなんだろ。女子校になったから授業内容も変わるとか……?」

「「ないよね~」」

え? 今、あの女子たち体育って言った?

 今は夏。女子の夏の体育は水泳……。水泳部以外の男子は立ち入り禁止されていたプールの授業を俺が受ける?

 ちょっと待って。俺、男子の感覚で体育はグラウンドでサッカーかマラソンやらされると思ってて、水着なんて持ってきてねーっていうかそもそも水着自体持ってねー。だって男子、プールで授業なんて無いもの……。

 さらにちょっと待って。俺、女子更衣室で他の女子と一緒に着替えすんの?

 二次元的に言えば水着回。マーケティング的に言えばテコ入れ。まだ性転換後二日目(2話目)だよ!?

 あ、でもほら、俺ってば水着持ってないし? これは見学で乗り切れますね!

「た・け・る♡」

その声が聞こえた瞬間、脳内に洋画の悪役の登場テーマが真っ先に思い浮かんでいるあたり、俺は本当にこの娘を好きだったのかと、疑念を抱いてしまう。

「こ、胡蝶……」

「水着、持っていないのでしょう?」

「あ、あぁ。でもほら、ちょうどよかったじゃん? 俺は見学で良いし、他の女子も、元男の俺と一緒に着替えることもなくなったし? 更衣室に異物が入らなくてよかったじゃん?」

「ダメよ。授業はちゃーんと受けなきゃ。ほら、あなたの水着はここよ」

水着道具が一式入った袋を受け取り中身を検める。

「あのさ、胡蝶。うち学校指定水着ってどんなの?」

「競泳水着だけれど?」

少し含み笑いしながら答える胡蝶。うん、君これワザとやってるな。

「あの、小学校のスクール水着入ってるんだけど……」

そう、胡蝶が用意した俺の水着は、小学生向けの指定水着だったのだ。

「仕方ないじゃない? あなたが思っていたよりもずっと小さくなってしまったものだから、水着のオーダーメイドが間に合わなかったのよ。だから今日の所はそれを着てくれる?」

「嘘だな。制服までサイズぴったりで、一日で揃えられるお前が水着を用意できなかったなんてありえない。正直に話せ。俺に着せたかっただけだと」

「……はいそうです。スク水着た尊が見たかっただけです。次の授業で競泳水着姿も見られたらダブルでおいしいと思って今日はスク水を持ってきました。防水カメラも準備済みです。今日の所は何卒その水着を着てください、お願い致します」

「急に敬語で来るな。……あー、もうわかったよ、着るよ」

「ありがとう存じます!」

それはそれは綺麗な立礼であった。

「何漫才やってんの二人とも。ほら、更衣室行くよー」

小鳥遊は俺が一緒に着替えることを何とも思っていないのだろうか。

「え、何、急に。まぁ少しは気になるけど、さっきのあれ見たら、普通に女の子って認識になったわ。俺っ娘とか希少だよね」

また心の声を音声にしていたらしい。気をつけねば。

「直里さん、ごめんなさい。私たち少し用事があるから、先に行って着替えていてくれないかしら?」

「え? あぁうん。わかった。遅れないでよね」

「えぇ。じゃあ、あとで」

小鳥遊や他のクラスメイトは先に更衣室へと行ってしまった。

「なぁ胡蝶。用事ってなんだ? 先生に何か頼まれたとか?」

「いいえ。尊。あなた、女子の水着の着方わかるの?」

「そういえば、ちゃんとは知らないな。でも上から足入れて肩に引っかけるくらいだろ。それくらいなら――」

「手伝うわ」

「あれ、胡蝶。俺の話聞いて――」

「手伝うと言っているのよ。ほら脱ぎなさい」

「……あ、はい」

 俺は胡蝶に見られながら制服を脱いでいく。

 まだ羞恥プレイ続くんですね、とは言わない。

「はぁ、尊。そうやって脱いだ服を脱ぎっぱなしなんて、皺になってしまうわ」

そう呆れて、胡蝶は俺の服をたたみ始めた。

「そういうのは着替え終わってからでもいいだろ」

「ダメよ。女性以前に、人として、こういうことはちゃんとしてないと。だらしないと思われて、嫌われる原因になるわよ」

「そうか、気をつける」

「あなたのそういう聞き分けのいいところ、好きよ、私」

「そうか」

「私も着替えないと、授業に遅れてしまうわね」

胡蝶は、俺の服をたたみ終わって、おもむろに脱ぎ始めた。

「おい、こ、胡蝶!?」

「お、女同士で何を恥ずかしがっているのかしら、こにょ子ったら」

「顔真っ赤にして言うことかよ……噛んでるし」

「好きな人に裸を見られるのだから、赤くもなるでしょう!」

「それは俺も一緒で、昨日はそんな心境だったんですけどね。……

おまえ、鼻血がどうとか昨日言ってたけど、大丈夫なのか?」

「自分の羞恥心が、興奮を中和していて大丈夫みたい」

「お、おう。それにしても……」

そのバストは、実際豊満であった。

「あまりマジマジと見ないでくれるかしら。流石に羞恥の方が上回ってしまうわ」

「じゃあ何で脱いだんだよ……」

「着替えるため以外に何があるというのよ、やらしいわね」

「すんませんでした」

「あ、あなたの胸も、私は好きよ。形が綺麗で」

「今、俺以外のでは、お前の胸しか見たことないからわからんが、そうなのか」

「お、大きいのは、好き、かしら?」

「うーん、あまり気にしたこと無かったな。女になってから大きさというものに始めて気をかけた。自分にあるものは他人と比較してしまう、みたいな?」

「そ、そう」

「前も言ったけど、俺はお前の家柄や容姿で好きになったわけじゃないからな。お前だから好きになった」

うん。これは変わることない真実であると心に誓える。

 女になってから揺らぐこともあるが……。

「全裸で、いい顔で言うことじゃないわね、台無しよ。水着持ってこっちにいらっしゃい」

 言うとおりに胡蝶へ近づく。

 胡蝶は、俺が持っていた水着を受け取って後ろへ回った。格好としては、俺が胡蝶に後ろから抱きしめられるような形だ。

 胡蝶の体が背中で密着している。温かくて、柔らかくて、少し重い。

「尊。足を入れて。私が支えているわ」

「あ、あのさ、胡蝶。色々と、その……」

「あ、当てているのだから、と、当然じゃない。ど、どうかしら? ドキドキ、する?」

「しないわけないだろ」

「そ、そう。私もドキドキしているのだけど、分かるかしら?」

背中に意識を向けてしまうと、胡蝶の早鐘を打つような鼓動を肌で感じてしまう。

「は、はやく足を入れなさい」

「お、おう」

 俺は胡蝶に促されて水着へ足を通す。

 両足を入れ終えると、胡蝶が水着を持ち上げるように俺に着せる。

 胡蝶の手が、足首から俺の体の両側を撫でるように上っていく。

 腰を通り、わき腹や胸の横をフェザータッチすると、俺の気持ちにかかわらず、体がびくりと震えてしまう。

「脇、弱いの?」

「弱くない人間がいるのなら見てみたい」

 腕を通し、着替えは終わったのだが、再び胡蝶がそのまま抱き着いてきて離れない。

「胡蝶、終わったんだろ?」

「えぇ」

この体勢だと、振り向いて胡蝶の顔が見られない。今は俺の方が体が小さいし、少し怖い。痴漢されている女性のことを少し想像してしまった。

「ねぇ、尊」

「な、なんだ……?」

「授業、サボらない?」

 耳元で囁いた。

 胡蝶のセリフとは思えない言葉だった。

「今、二人っきりよ、尊」

「だめだ。授業には出ないと」

「でも絶好のいちゃつきポイントよ?」

「まぁ、そうではあるが……」

胡蝶の手が俺の胸に触れる。

「おいおい、待て待て。冷静になれ胡蝶」

「わ、私は……冷静よ……」

 息が荒い。絶対に今こいつは冷静ではない。

 俺はこんな形で、ロマンチックもへったくれもなく、初めてを捧げたくはないし貰いたくない。

 胡蝶だって後々後悔するに決まっている。

「おまえ、初めてがこんな痴漢みたいな形でいいのか?」

「ち、かん……。痴漢ですって!?」

「お前、自分を第三者目線で見てみろ。水着の幼女に後ろから抱き着いて、胸揉んでハァハァしてるヤバい奴だぞ。後ろから抱き着いていいのはこういうシチュじゃないだろ!」

「わ、私が、エロゲーのキモデブロリコンおっさんのようだとでもいうの……」

「そうだよ」

 胡蝶が俺を放して自由にする。振り向くと下着姿の胡蝶が顔を真っ赤にしている。

「ち、違うわ。私は、少し好意が行き過ぎたお姉さまキャラ……」

「どう見てもただの変態です、本当にありがとうございました。百合の永久機関は要研究だな。早く着替えろ。授業遅れるぞ」

うなだれ、自責の念に苛まれている胡蝶。

「俺が着替えさせてやるか?」

「そ、そんな羞恥プレイはゴメンよ!」

「さっきまで俺がその羞恥プレイさせられてたんだが?」

「あ、あっちを向いていてくれるかしら。全裸は、見ちゃだめよ……まだ」

 はいはいと返事をして後ろを向く。

 1分もかからず胡蝶は着替えを終えて、もういいと俺を呼んだ。

「に、似合っているかしら?」

「それは学校指定の水着で聞くことか?」

「どんな姿でも綺麗に見られたいじゃない? 特に好きな人の前であるならなおさら」

「そういうものか。よく似合っているよ、胡蝶。かわいい」

「そ、そう。あなたもよく似合っていてよ、尊」

「ところで胡蝶さんや」

「何かしら」

「流れでここで着替えたが、この格好でプールまで行くのか?」

「そこに気づくとは、なかなかやるようになったわね」

 結局俺たちは授業に遅刻したのであった。

 遅刻したことを意にも介さず、胡蝶は授業中、俺の水着姿をバシバシと無遠慮に撮り続けたということも追加しておく。



 体育の授業が終わって(着替えは更衣室に持って行ってそこで皆と一緒にした)教室に戻ってからは、肉体的、精神的両疲労で瞼が急激に重くなり、次の授業の記憶がない。

 胡蝶に起こされたときには、授業中どころか、すでに放課後になって、日の光が窓辺を赤く染めていた。

「おはよう、尊。今何時かわかるかしら?」

「んあ……。うわっ!? 俺寝てた!? 何時?」

「それを聞いたのは私よ、お寝坊さん」

 時計を見ると18時近かった。

 夏場だからまだ夕方といった空模様だが、とっくに完全下校時間を過ぎていた。

「悪い、胡蝶。先に帰っていてもよかったのに……」

「馬鹿ね、あなたを置いて帰れるわけ無いじゃない」

それって俺ともっと一緒にいたいってこと!?

「今のあなたが夕方一人で帰ろうものなら、可愛すぎてあっという間に誘拐されてしまうわ」

「あ、そういうこと」

「他に何があるの」

「俺ともっと一緒にいたい……とか?」

「それは、常時効果が発動している、パッシブスキルみたいな気持ちだから、あえて言いません」

「言ってるじゃん」

「あなたが聞くからでしょう。ほら、帰るわよ。私たちの家に……」

「あぁそうだな……」

 ん? 今、なんか変なこと言わなかったか、この子。

 いやいや待て。俺の家まで送ってくれるとかそういう意味かもしれないし。

 よくウチに遊びに来てたから、実質胡蝶の家みたいな意味合いかもしれないし。

 『たち』を少し強調していたのが気になるなぁ……やだなぁ、こわいなぁ……。

 俺は恐る恐る胡蝶尋ねた。

「あの、胡蝶お姉さま。聞き間違いかしら? 今、私たちの家って仰いました? これは、私を家まで送り届けてくださるってことでよろしいのかしら?」

 少女モードMAX。笑顔は多分引きつっている。

 胡蝶は俺の顎を指でくいッと持ち上げ、顔を近づけて言った。

「違うわ尊。私とあなたの新居を作ったから、そこに帰るわよと言ったの。いつでも一緒よ? 言ったでしょ、いつも一緒にいたいという気持ちはパッシブスキルだって」

 なぜだろう。せっかく両想いになれた好きな人と同棲できるというのに、あまり嬉しく思えないのは……。

 顔はキスできるくらい近いのに、言われた言葉をかみ砕くのに精いっぱいで、恥ずかしがってる余裕もない。

 突然すぎる同棲宣言。

 頭と心が全く追い付いていない。(体の変化もまだ心の整理がついていないのだが)

 好きな人の暴走特急ぶりに、俺は嬉しいと思う感情すら置いて行いかれてしまったようだった……。

「迎えの車が来ているわ」

 そう言うと胡蝶は、放心している俺をお姫様抱っこして車まで連れて行った。

 そのことに気づいたのは、抱っこされたまま座席に座っときだった。

 普通は逆じゃないかと思ったが、今は体系的に無理なことに気づいた。

 幸せそうに俺を抱っこする胡蝶の顔をみて、まぁこれでもいいかと思い直した。

 ここでやっと感情が追い付いてきて、大好きな人と一緒の家に住めるなんて、幸せ以上に抱いていい感情など無いと感じた。

 俺はこの時、飽和してしまった幸せという感情から体が勝手に動いて、胡蝶の頬に衝動的にキスをした。

「これからよろしくな、胡蝶」

 目をぱちくりと何度も瞬きをして、俺を見る胡蝶。

 何が起こったのか理解してから、顔を真っ赤にして、今度は口をパクパクとさせている。鯉かな?

 その反応が可愛くって、今日一日中振り回されっぱなしだった仕返しはできたなと、満足感を覚えていたのだが、胡蝶は意を決したように真剣な顔をしていた。

「尊、肝心なことをまだハッキリさせていなかったのだけれど」

 なんだろうかと疑問符を頭に浮かべる。

「かわいい顔をして小首を傾げてもダメよ。あなた、その、わ、私と、女性同士でも、お付き合いしたいの?」

 そう言われればそうだった。俺は好きだとは言っても、まだ付き合ってほしいとは言っていなかった。

 今日一日のやり取りで、もう付き合ってる気にはなっていたが、正式にはまだ恋人の関係にはなっていなかった。

 胡蝶は女性化した俺を見て結婚を前提にお付き合いしたいとは言っていたが、それにすら俺は答えていない。そんな状態で、頬とはいえ、勝手にキスをしてしまったのは良くなかった。

「胡蝶、そうだな。なぁなぁなのは良くないよな」

 俺は一呼吸置いて、大事な話をする。

「俺と、恋人になってくれ、胡蝶」

 胡蝶は少しだけ目を大きく開いて、すぐに笑顔になった。

「ええ、恋人になりましょう、私たち」

 大事な話を終え一段落かと思っていると、胡蝶が突然声を上げて笑い出した。

「どうした、急に……」

「だって、あなた、この体勢で告白するのだもの。よく考えたら笑えてきてしまって」

 失念していたのだが、俺は胡蝶にお姫様抱っこされたままだったのだ。やばい、急に恥ずかしくなってきた。

 自分でも顔が赤くなっていることがわかるくらい顔が熱くなってきた。

 笑う胡蝶と、羞恥心から両手で顔を覆う俺。

 胡蝶はひとしきり笑うと、俺の名前を呼んだ。

「尊」

「なんだよ、見るなよぅ」

 俺は、返事はすれど、胡蝶の顔が見られない。

「たける」

再び名前を呼ばれる。

「もう笑わないわ。だから、ね?」

 手の覆いを解除して胡蝶の顔を見ると、思いの外近かった。

「え、近っ!?」

「お返しよ」

そう言うと胡蝶は、ただでさえ近かった顔をさらに近づけてきた。

 思わず目を閉じた俺の唇に、柔らかい物が触れて離れた。

 驚きで目を見開いて、今度は俺の方が目を白黒させている。

 胡蝶は、夕日とは違う赤に顔を染めて、微笑んでいる。

「お返しと言ったでしょう? 私、3倍返しが好きなの。本当は舌を入れるつもりだったのだけど、流石にそこまでの勇気はふり絞れなかったわ、ごめんなさい、尊。でもいつか、ちゃんと埋め合わせはするわ」

「俺、俺の、ファーストキスなわけだが……」

「あら、奇遇ね。私もよ」

「それなら、お前のファーストキスが十分3倍返しとして成立するだろ」

「私のファーストキスをそんなに高く買ってくれるのね。でも、私だって、尊のファーストキスに対して、また3倍返ししないといけないわ」

「やめろやめろ! 堂々巡りが続くだろ! これから一緒に住むんだろ? だったら、その中でお互い少しずつ返していけばいい。今一遍になんやかんや返されたら脳がパンクする……」

「借金の話をしていたのかしら?」

 そんなおとぼけをする胡蝶はまだ顔が赤い。可愛いなぁくそ。

「してねぇよ。あ、そうだ。帰ったら引っ越し祝いでもするんだろ? なんか買ってから帰ろうぜ」

「そうね。私、久しぶりに尊の料理が食べたいわ。材料でも買いましょう」

 車は一路、胡蝶がいつの間にか建てていた二人の家、の前に、近くのスーパーへと進路を変えたのだった。

個人的にはもうこれで完結でいいんじゃないのとか思わなくもない。


最初の方の聞いたことない単語とかはこの世界の設定を小出しにしたものです。

本筋には今のところ関係ないです。


もっとこの二人にはいちゃいちゃしてほしいけど、書き始めると自分でこっ恥ずかしくなって躊躇するやーつ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ