とある日王女は男爵令嬢とお茶会をしました。(後編)
優雅にソファーに腰掛け紅茶を口にするアニエスの目の前には、まるで世界の終わりを見てきたかのように顔を青ざめさせ、ぷるぷると身体を震わす少女がいた。無理もない。先程彼女は、ある意味仕方のない事情があったとはいえ、王女を植え込みの陰に引きずり込んだのだ。不敬だとして処罰を受けてもおかしくない。
「紅茶が冷めてしまいますわよ」
「は、はい! いただきますっ!」
アニエスが促すと、カチコチとした動作でカップを持ち上げ、ララは恐る恐るといった様子で紅茶を口に含んだ。
シェリアへ喧嘩を売ったララに以前抱いた不快感と相まって、その小動物的な怯え方に、アニエスの中の嗜虐心がムズムズと疼いた。
可憐な淑女そのものの仮面を被り、ポツリと呟いてみた。
「毒……」
「はいっ!? どど毒ですかっ!?」
「毒なんか入っておりませんわよ、と言おうと思ったのですけれど……貴女、一体今何をお考えになったのかしら」
「何も考えてまひぇん!」
噛んだ。
それはもう見事なまでに噛んだララは、顔を真っ赤に染め、次の瞬間真っ青になり、またぼふりと真っ赤になった。
(こういう感じで色が変わる魔道具見たことありますわね。何だったかしら……まぁ構いませんわ、面白いものがみられましたもの)
シェリアからはララに何もするなと言われてはいるが、別にこれは彼女がシェリアに迷惑をかけたことへの『腹いせ』ではない、ということにしておこう。そう自分に言い訳したアニエスは上機嫌でマカロンを頬張った。
(この様子だと、またお姉様に何かしたりお兄様に迫ったりはなさらないでしょうけれど……どうしようかしら)
暫しの黙考の末、アニエスは思い切って直球で訊ねてみることにした。
「貴女、ペリン男爵令嬢でしたわね」
「はい。ララと申します。覚えていてくださって光栄です……」
全く光栄でなさそうな、『私、死んだかも』といった内心がありありと透けて見える悲壮感溢れる表情でララは答えた。
先程の無礼や男爵家の不祥事だけでなく、シェリアに突っかかったことまでほぼ間違いなくアニエスに知られていることは容易に想像が付くだろうから当然かもしれない。彼女が未来の義姉を崇拝しているのは有名な話だった。
「まず聞きたいのだけれど、仮にも男爵令嬢で、侍女として仕えている貴女が何故草抜きをなさっていたのかしら? 庭園の管理は庭師が行うことになっていたと記憶しておりますの」
「……実は、外務大臣様方にご縁のある者が全員謹慎となったことで、人手の足りない部署が出てきておりまして……。その関係で、私のような侍女も庭園の仕事を手伝わざるをえなかったんです」
「……そう」
話している最中、ララの視線が一瞬だけ斜め下に逸れ、膝上で重ねていた手が握り込まれたが、アニエスは何も言わなかった。
王宮の手が足りない、というのはアニエスも聞いていた話だった。
庭園でフィリップがシェリアの膝枕で休んでいたのも、人手が足りないことで仕事が更に増えたフィリップをラウールが気遣って計画したことだろう。今朝廊下ですれ違った時に彼は『フィリップの奴、昨夜は一睡もせずに仕事してたんですよ! 何とか休ませないと……』とか何とか愚痴をこぼしてきたのでほぼ間違いない。
また、今回の件でペリン男爵家は取り潰しになるが、記録用魔道具を敵陣であるエーリヒの滞在する部屋に毎日仕込み続け、彼の計画を明らかにして王都とシェリアを救った功労者とも言えるララは、男爵家の犯罪とは無関係だったこともあり、両親とは異なり平民への降格のみで済むこととなった。ララが謹慎処分にならずに未だ王宮にいるのは、その執行猶予兼彼女自身の監視のためでもあるのだとアニエスは聞いていた。
しかし、いくら人手が足りないと言っても、本来侍女の管轄でない仕事をララにさせるようなことは無いはずだ。恐らく誰かの意志が働いているのだろう。
(全く、誰が忖度しろと言ったのかしら。仕事を増やすようで申し訳ありませんけれど、これはお兄様に報告するしかありませんわ)
アニエスはふう、と溜息を吐いた。
(まぁ、ここからが本題ですわね)
「とりあえずあの場にいらっしゃった理由については理解しましたわ。それで———貴女、お兄様のことについては、もう何もなさるつもりは一切無い、ということでいいのかしら」
視線を鋭くさせたアニエスの問いに、ララはびくりと身体を震わせた。そしてややあって、かすれた声で「ありません」と答えた。
「私は、もうお二人の間に入るつもりはありませんし、ランバート侯爵令嬢にご不快な思いをさせることもありません」
小さな声だった。しかし、意を決したように真っ直ぐにアニエスを見て答えたララの言葉や姿からは、嘘偽りは感じられなかった。
「……それに」
(ん?)
「それに、私もう惚気は聞きたくないんです」
「は?」
一転してげっそりとした顔をしたララに、アニエスは怪訝な顔を向けた。
「アニエス殿下はご存知でしょうが、フィリップ殿下は仕事の指示をなさる合間にもランバート侯爵令嬢のどこが可愛いだとかこんなことがあってひたすら可愛かったとかどこそこの夜会でどんなドレスをお召しになった侯爵令嬢がやっぱり可愛いだとか延々と……」
(お兄様の惚気の被害者がこんな所にも!?)
うふふ……と光の無い瞳で微笑むララに、アニエスは同情の眼差しを向けた。
「あれでまだ想いをお伝えになっていなかったのだとラウール様から伺いまして、もうさっさとくっついていただけたならどれほど良いかと何度も……。お陰様で昨日はやっとフィリップ殿下が告白なさったと伺って殿下の部下の方々と手に手を取りあってそれはもう歓喜しました」
「……」
「……」
二人は見つめ合った。お互いの心の内を探るようにじっと見つめ合った。そして、
ガシッ!
とテーブル越しに手を握り合い、強く頷き合った。
「分かりますわ……っ!!」
『お姉様』大好きな王女とその『お姉様』の婚約者にちょっかいを掛けた男爵令嬢との間に、フィリップの惚気の被害者という共通項を以て深い深い絆が結ばれ、今ここに世紀の友情が爆誕したのだった。
* * *
「……あれから一週間程しか経っていないなんて信じられませんわ」
「私もそう思います!」
感慨深げなアニエスの言葉にララは同意して頷いた。お互い合わないと思っていたにも拘らず、共感できることや共通の趣味もあって二人は短い間に親友と呼べるほどの友情を築いていた。
だからこそ、アニエスとしては気になることもあるわけで。
「ねぇ、貴女、これからどうなさるの? 平民に降格になるとは聞いていますけれど」
ララは「うーん」と眉を寄せた。
「実は、フィリップ殿下から、このまま自分の下で働かないかとお誘いを頂いていまして……」
「お兄様が?」
「はい。流石に今はまだ表立って部下になることはできませんが、私が官僚試験に合格して、ほとぼりが冷めた頃に、と」
(よっぽどお兄様はこの娘の能力を買っていらっしゃるんだわ。決定事項みたいに『官僚試験に合格して』だなんて、あの高難度の試験に合格するだけの力があるとみなされているんですのね。だとすれば確かに、お兄様が進めようとなさっている政策にはぴったりの人材かもしれませんわね。でもペリン男爵家のことがありますから、そのあたりはどうなさるのかしら。……まぁ、お兄様のことですし、何かお考えがあるんでしょうね)
「ランバート侯爵様からも、イイ笑顔で『官僚試験に受かったら、まずは自分のところで働くと良い』と……」
苦笑したララの口から出た意外な名前に、思考を巡らせていたアニエスは目をぱちくりとさせた。
「ランバート侯爵? ……ああ、成程。貴女をたっぷりこき使うお積もりなのね」
そのようです、とララは頷いた。
ランバート侯爵は公明正大と評判の人物だが、それだけに一層、娘がララから受けた仕打ちに対して思うところがあったのだろう。尤も、ララをこき使うことで『お返し』をしようとするあたり、流石は他家からの信頼が厚い当主と言わざるをえないが。
「それで? 貴女は結局どうするのかしら」
アニエスが挑むような態度でそう言うと、ララは笑って見せた。可愛らしい笑顔だったが、内側に芯のようなものが見られた。
アニエスも控えめに微笑んだ。
「……そう」
そしてカップを持ち上げ、すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干した。
紅茶はやっぱり甘かった。