もしも彼女が婚約者の心の声を聞いたら。
短編版(連載版なら1~2話)の時のIFルートのお話です。
その日も、シェリアは婚約者であるフィリップと会うために王宮を訪れていた。
「ランバート侯爵令嬢、こちらへどうぞ。本日は第二庭園の四阿にお茶のご用意をしております」
「そう……わかりました。案内をお願いします」
幼い頃から王宮には足を踏み入れていたので、第二庭園への行き方が分からないということは無いのだが、侯爵令嬢として外聞もあるのでシェリアは一応体裁として案内を求めた。
女官もそのあたりは心得ているので、そのまま「では、私がご案内いたします」と踵を返し、シェリアを先導して歩を進めていった。
第二庭園の四阿に辿り着くと、待機していた侍女達はどこか困惑したような顔をしていた。シェリアが目で促すと、案内の女官は彼女たちに訊ねた。
「何事です」
「それが……会議が長引いたために殿下がこちらにいらっしゃるのが遅くなるとの知らせがたった今ありまして。すぐにいらっしゃるそうですが、暖かいとはいえ春先ですし風邪を引かれぬよう、ランバート侯爵令嬢におかれましては室内でお待ちいただいても構わないとのことです」
女官はこちらにちらりと目を向けてきた。シェリアは小さく頷くと言った。
「では、私はこちらで殿下をお待ちいたしましょう。すぐにいらっしゃるとのことですし、室内でお待ち申し上げれば今度は私が殿下をお待たせしかねませんから」
「……承知いたしました。ジンジャーティーをお持ちいたしましょう」
「ありがとう」
シェリアは侍女に感謝を込めて微笑みかけると四阿に入って椅子に腰を下ろした。
テーブルの上には既に何種類ものお菓子が用意されており、シェリアの好みのものが揃っていた。シェリアはそわそわとしてそれらを眺めた。
(……。ジンジャーティーを持ってきてくれるとのことだったし、ちょっとくらい食べてても大丈夫よね)
そう結論付けたシェリアはお菓子の群れを物色し始めた。
(どれからいただこうかしら。あ、あれはキャラメルパイかしら。それにこっちはフロランタンね。あとはムースに……あら?)
シェリアは小さなガラスの器の上に目を留めた。片手の上に載せてしまえるほどの大きさのボウルの中には透き通った飴玉が入っていた。
(綺麗……)
お茶をする———正確にはフィリップと話をするためにシェリアは王宮に来ているので、普段は出されていても会話の邪魔になる飴を舐めることは基本的には無かった。
しかし、今日に限ってはフィリップは遅れて来るとのことだし、今なら舐めても彼がこの四阿に到着する前に舐め終われるだろう。
(まぁ、それにここ数年はまともに会話なんかしていないし……ばれっこないわよね)
生真面目で有名なシェリアには珍しく、ちょっぴり不真面目な考えだった。
それというのも、
(あの男爵令嬢! いきなり話しかけてきたかと思えば、な~にが『殿下の寵愛が得られないからって嫌がらせはダメだと思います!』よ!! あーむかつく)
先日謂れのないことで言いがかりをつけられたからだった。それが最近自分の婚約者と親しくしている相手なら尚のことむかつくのだった。
シェリアは些か荒い動作で飴玉を一つ掴み取って口に放り込んだ。
(あ、美味しい~……。やっぱり疲れた時は甘いものに限るわね。食事制限のせいで侯爵家じゃほとんど食べさせてもらえないけど)
柑橘の爽やかな香りがすうっと鼻を抜け、程よい甘さが口の中であっという間にほどけていった。
(もうなくなっちゃった)
ちらり、と残りの飴玉に目を向けた時、ちょうど侍女がジンジャーティーを運んできた。
シェリアは軽く微笑んで給仕を受けた。残念だが、飴を舐めながらお茶を飲めるほどお行儀悪くはできないのだ。
ジンジャーティーで身体を温めていると、少ししてフィリップがやって来た。
「遅れてしまってすまない」
シェリアは優雅に一礼して応えた。
「いいえ、会議が長引いたと伺いましたので」
(今日も会話のないお茶会が始まるのね……面倒だわ。第一、今は例の男爵令嬢との噂の件もあってあまり顔を合わせたくはないのよね。うっかり不満をぶちまけちゃいそうで)
そう憂鬱に思って内心溜息を吐きながらも微笑みを貼り付けてシェリアは椅子に腰かけ直した。そして再びジンジャーティーに口をつけた時だった。
《———い》
(あれ、今何か聞こえたような?)
《シェリィは今日も可愛いなぁ……》
「げほっ」
「シェリィっ!?」
流石に慌てた様子でフィリップが駆け寄り、シェリアの足元に屈み込んで彼女の背を撫でてくれた。
(え、え!? 殿下今口を開いてなかったわよね!? 何で殿下の声が!?)
お茶を吹き出すような醜態をさらすことは何とか避けられたが、咽て咳き込んでしまった。数回繰り返して漸く咳が止まると、背中を撫でてくる手を妙に意識してしまい、シェリアは裏返った声で制止した。
「も、もう大丈夫です!!」
「え? だが」
「だいじょうぶです」
「お、おぅ」
シェリアの有無を言わさぬ様子に気圧されたようにフィリップはすごすごと自分の椅子に戻っていった。その姿に哀愁が漂っていたのは気のせいだろうか。
しかしシェリアはそれどころではなかった。何せ、信じ難い台詞がフィリップから聞こえてきたのだから。
(お、落ち着かなきゃ私。殿下の心の声が聞こえるだなんてそんなおとぎ話みたいなことあるわけないじゃない。きっと幻聴だわ!)
シェリアが何とか落ち着こうと呼吸を整えている間にも、フィリップの胸焼けしそうな攻撃は続いた。
《本当に大丈夫なんだろうか。シェリィは頑張り屋だからどこかで無理をしているんじゃないだろうか……。第二庭園の早咲きの薔薇が見頃だからと思ったのだが、やはり今日の茶会は室内にするべきだったかもしれないな。いや、今からでもそうするべきか? だが体調の優れないシェリィを歩かせるわけにもいかないしな。ただでさえ華奢な身体をしているのだし。…………ああ、そうか。私が部屋まで抱いていけば———》
(幻聴じゃなかったーーー!? 何か殿下小さく頷いてるし! 嘘でしょ!? って今はそれどころじゃなかったわ)
「で、殿下! 今日はいい天気ですわね!!」
「? そうだな?」
「暖かいので、外でお茶が楽しめていいですわね! 薔薇も素敵ですし」
「……そうか」
《それなら、良かった。気に入ってくれたみたいだし、後で薔薇をお土産に持たせてあげよう》
(よ、良かった。何とか抱っこで運ばれるのは避けられたわ)
シェリアはホッとして息を吐いた。王宮内をフィリップに抱えられて移動するなんて噂になる以前に恥ずかしすぎる。
(……でも)
《はぁ……それにしてもやっぱりシェリィは可愛いな。こんな可愛くて奇麗で賢くて努力家でとにかく最高に素敵な娘が私の婚約者だなんて幸せ過ぎる。たまに夢を見ているんじゃないのかと思うくらいだしな……》
(コレは止められなかったーーーっ!)
シェリアは微妙に涙目になりながら新しく侍女が用意してくれた紅茶を啜った。羞恥に頬が赤くなるのはもはや避けられない。
(何なのよ一体! いっつも平然と『王子様』してるくせに!!)
できるだけ不自然にならないように顔を俯けてお菓子を頬張っていると、頭上からしゅんとした寂しげな声がした。
《最近私を頼ってくれなくなってきたのが残念だが、こちらから『頼れ』とはどうにも気恥ずかしくて言い出しにくい》
(……え?)
《シェリィはどんどん綺麗になっていくし、益々言えなくなっていく。どうしたものかな》
物語からそのまま抜け出たような『王子様』の貌の裏で、フィリップがそんなことを考えているとは、シェリアは思いもよらなかった。
お茶会が終わるまで、シェリアの頭の中にはフィリップの寂しそうな声がこだましていた。
帰りの馬車の中でシェリアは一人思った。
(思えば、私あの噂について、一言も殿下と話し合おうとしていなかったわ。いつも、あの男爵令嬢を愛妾に迎え入れるものと決め込んで、調査すらろくにしていなかった)
シェリアはフィリップからもらった薔薇の花束に顔を埋めた。
まずは、きちんと調査するところからしてみる。何事も調査からだというのは王子妃教育でも散々言われたことだった。
(竦んで、怠るのはダメよね)
次に顔を起こした時には、シェリアの顔はどこかスッキリとしたものになっていた。