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小夜がうなずく。
「なるほど。そこまでしてでも、わたくしと勝負したいと。ふむ。ではお尋ねしましょう渋井さん。あなたは、野球拳というものをご存じですか?」
里穂は腕組みした。
ちなみに里穂が腕組みするのは、自信がないことの証拠である。
「……そんなもの、知っているわよ。えーと、新たな球種のことよね。フォークボールよりも速くて、小さく落ちる球種のことよ」
僕はいちおう訂正しておく。
「里穂。それは、ただのスプリット」
「なら高尾、野球拳ってなんなのよ」
なんだろう。昭和の人なら、たぶん即答できる類の、伝統的な何かに違いない。
「……80年代のジャンプ漫画で、そんな技を使うキャラがいたんじゃないかな」
「……ここはググりましょう。アルファ世代らしくね」
そしてググったところ、
「なるほど、なるほど。『野球選手の身振りをしながら、じゃんけんをする。負けた者が着衣を一枚ずつ脱いでいく』のね。
……まって。野球の身振りの意味が分からないわ。そのうえ男女でやったら、ただのセクハラだわ。#MeToo運動と逆行しているわ」
「里穂。そもそも#MeToo運動って、正確になんだか知っているの?」
「なんか、それっぽい感じのムーブメントよね?」
「……」
小夜がすっくと立ちあがる。
「野球拳で、わたくしに勝利したならば、あなたがたの条件をのみましょう。わたくしが握っている『弱み』の完全消去です」
両手をだらりとさげ、小夜がこちらに一歩近づいてくる。すでにその華奢な身体から発せられているのは、達人の風格。ジャンケンに、そこまで自信があるのだろうか。
そして小夜は続ける。
「とはいえ、怖かったらやめて良いのですよ、渋井さん。誰もあなたを責めません。これは温泉に入るから脱衣所で脱ぐのとは、訳が違うのです。
敗北し、その屈辱の中で、嫌々ながらも脱いでいくのです。
まともな精神の持ち主では、最後まで耐えられないでしょう。それほどに、厳しい戦い。それこそが、野球拳という究極遊戯なのです」
とんでもなく挑発された里穂。ああ、このパターンはもう。
「い、いいわよ! ようは、ただのジャンケンでしょ。それで、先に素っ裸になったほうが負けなのよね。やってやろうじゃない、小夜。覚悟しなさい。あんたの身ぐるみ、文字どおり剥いでやるわ!!」
と、呆気なく簡単に挑発に乗る里穂。
「さすがに公衆の場で行うわけにはいきませんね。わたくしの部屋に移りましょうか」
こうして小夜の部屋に移り、里穂と小夜が野球拳をすることになった。
うーむ、ようはただのジャンケンだし。里穂にも勝機はある。たぶん、きっと……ダメか。
「さぁ、行くわよ小夜! こてんぱんにしてあげるわ!」
「ところで渋井さん。有名なこんな話をご存じですか。ジャンケンとは、ただ行うのならば、運の要素が100%です。ところが──あることをすると、とたんに心理戦へと様変わりすると。つまり、このように」
小夜が片手を出して、パーの形にする。
「『わたくしはパーを出しますよ』と先に宣言することで」
里穂は小首を傾げる。
「……え。小夜は、パーを出すの?」
……ああ。里穂が素っ裸にされる未来しか見えてこないっ!