序章 王の帰還 / ラック・ライラック その8
「彼女に情報を流して正解だったね。この数百年間教団が探し続けても見つからなかった十王墓の一つを、まさかこんな短時間で見つけ出すとは」
満足げに頷いて、目元を覆う怪しげな仮面を着けた男はその仮面の奥で笑みをこぼした。
「猊下、あの浮島が本当に十王墓であるのなら、あの砲撃は……」
傍らに控えていた側近らしき人物が苦言を呈そうとするが、男はそれを遮って言い放つ。
「クロッド君、君はトリュフというキノコを知っているかい?」
「き、きのこですか……?」
言っている意味が分からないと首をかしげる彼に向かって、男は膝の上に乗せていた仔豚の背を撫でながら続ける。
「これはかなり高級な食材でね……香りがいいんだ。でもこれは地面に埋もれてしまっているせいで人間には中々見つけられなくてね、鼻のいい豚に匂いを覚えさせて探させたらしいんだ」
「……そうなんですか」
「ただこの手法はしばらくすると廃れてしまってね……もっぱら聞き分けのいい犬を使うようになったんだ。何故だかわかるかい?」
にっこりと微笑みそう訊ねる男に、クロッドと呼ばれた側近はしばし考えこんでから答えた。
「……採取する前に、豚がキノコを食べてしまった、とかですか?」
「ぴんぽーん、正解。賢いねクロッド君は」
機嫌よさそうに仔豚の首元を撫でながら男はからからと笑う。
「豚は優秀だ……人間には見つけられないトリュフを簡単に見つけ出す……でもね」
グッ、と仔豚の首を撫でていた手に力が籠る。ミシミシと音を立て、口からは血の混じった泡があふれ出し彼の手を伝った。
「彼らは躾けられた飼い犬じゃない。見つけた物の価値も知らず、そのままそれを貪り食らう。汚らしい口と涎で台無しにする……下等な豚だ」
小さく部屋に響いた断末魔の後、男は晴れやかな声でクロッドに告げる。
「使える犬がいなかったから豚の手を借りたが、もういい。もう十分だ。薄汚い豚共が我らが王の墓を貪り食らう前に殺す。骨も残すな」
「ハッ!」
冷や汗を垂らしながら返事をしたクロッドを見た男は、満足げに頷いて仔豚をクロッドに手渡した。
「じゃあ、これ今日の晩御飯にしたいから料理長の所に持って行ってくれる?」
「あ、は、はい。畏まりました……」
がらりと空気が変わり、呆気にとられながらも死んだ仔豚を受け取るクロッドの耳元に顔を寄せて、男は言った。
「君はどうか使える犬であってくれよ? 腹心の部下を失うのは心が痛む」
冷たい刃物を喉元に突き付けられたような感覚に襲われ、凍り付いたように動けないクロッドに微笑みながら男は肩を叩いた。
「期待してるよ、二百十二人目のクロッド君」
(クソッ、クソッ、クソッ……あのいかれめ)
十王教団の所有するエラスモファートナ級巨大戦艦、カンダレリの甲板を、青ざめた顔でクロッド―――カリス・ローマンは速足で駆けていた。彼女は、クロッドという名ではない。これはあの男、グライゼラン猊下の補佐官を務めるものが代々継承するいわば役職名のようなものだ。猊下は見たところ二十代か三十代のマビトにしか見えないが、その実数百年の時を生きる化けジジイとの噂もある猊下は、一説によると教団設立時からのメンバーらしく、教団で非常に強い権力を有していた。
カリスは十王の信奉者である。彼女はマビト―――かつて十王が支配していた世界の住人ではない。彼女は角人である。マビトたちを守る為に戦った十王たちを信奉する十王教においては異質な存在だが、彼女は彼女なりの信念で以てここに居るのだ。そしてそれは、決して猊下のような権力の上に胡坐をかく者たちにへいこらと従うためではない。ないのだが、マビトではないカリスが教団にいるためには多少のことは飲み込まねばならないのが現実であり、今日もこうして猊下の無茶ぶりに答えるべく奔走しているのだ。
(豚どもを一掃しろ? 無茶を言う……相手はこの空域では知らない者はいないと言われる伝説級のハンターだぞ……それに先ほどレーダーに映った反応……あのラック・ライラックを追跡するような奴は全空広しといえど一人しかいない……首狩りのギーラだ)
これから戦わねばならない相手のことを考えて、カリスは身震いする。いくつもの遺跡を踏破し、オーパーツじみた前時代の装備をいくつも有する伝説のハンターと、数えきれないほどの賞金首たちをたった三人で狩り続けている首狩り一味、どちらもまともにやりあって敵う相手とは思えない。
まともにやりあえば、だが。
(被害を考えなければ入り口と思わしき場所から神経系の毒ガスを流し込むなり直接砲撃をぶち込むなりなんなりすれば勝てる相手だ……)
だが、とカリスは顔をしかめる。
(それだと間違いなく遺跡を傷つけてしまう……それもただの遺跡ではない、十王墓……シキ様の王墓に傷を……)
カリスは元来技術者であった。この空にある様々な機械、魔導について研究し、新しいものを生み出すのが彼女の至上の喜びであり、そんな彼女にとってたった一代で技術革命を起こし当時のマビト達の貧相な軍事力を他の世界とやりあえるほどまでに高めた知の魔王は、まさしく畏敬の念を以て崇める対象であり、彼女がこうして教団に籍を置いているのも、他のどんな組織よりも知の魔王についての文献に触れることができるという理由からだった。
(私の読みが当たっていればあの墓所は間違いなくシキ様の物……きっと私たちでは考えも及ばないような技術で作られた機械があるに違いない)
下手に攻撃すれば、それが失われてしまうかもしれない。その危惧が、彼女の判断を鈍らせていた。
(だが彼女たちの排除に失敗すれば私の命の保証はない……二百と十二人の前任者達のように殺されて仕舞いだ……)
こういう時いつも脳裏に浮かぶのはかつて自分の目の前であっさりと殺された前任のクロッドの最期の瞬間だ。彼はいつも通りの職務をこなし、一つのミスも犯さない男だった。だが彼は、猊下の「つまらん」というただ一言で銃殺された。猊下に足を撃たれ、何が起きているのか分からないといった顔で猊下を見上げたその双眸を猊下自身の手で吹き飛ばされたのだ。猊下は、人間では無い。あれを、あの情緒を人間の物だと認めるわけにはいかない。その時の気分一つで長年忠実に務めた部下すら殺すあの男の元で今自分は働いているのだ。
立ち止まり、地面を見つめて強く拳を握りしめ、顔をあげる。
「やってやるさ」
自らを鼓舞するように独り言ちたカリスは、胸元の通信機に手をかけた。
「砲撃を中止せよ!! これより第一および第二戦闘部隊を連れて十王墓へ推参し賊を仕留める!!」
艦隊による制圧は断念する。狙うは少数精鋭による白兵戦での完全鎮圧。それがどんな無謀なことかわかっていても、もはやそれしか彼女に残された道はなかったのである。
用語解説
・マビト(真人、マヒト)
かつて十王が支配した世界に住んでいた人々。人間。他の種族のような特出した身体的特徴を持たない、ただの人間。
・エラスモファートナ級
艦の規模を示す単位。主流とされているものはエラスモファートナに代表される、空魚を基準にした単位であり、エラスモファートナとは全長二百メートルほどの大きさを誇る空鯨のことを指す。他にも、エラスリングス級やエラスロンド級などが存在する。
・猊下
主に高僧など徳の高い僧侶を示す敬称。本作では教団の高い地位に君臨することから仮面の男グライゼランが猊下と呼ばれている。