序章 王の帰還 / ラック・ライラック その5
ラックは固唾をのんで目の前の人物の動向を注視していた。考えてみれば自分たちは異世界からの外来種……一万二千年前の戦いでは敵同士だったはずである。これは逸ったかと身構えたが、ポッドから現れた男……いや少年は、朗らかに話しかけてきた。それにも驚いたがしかし、これは……。
(おいおいおい……確かに知の魔王は十王でも最年少とは聞いてたがいくら何でもガキにも程があるだろ……)
ラックは動揺を隠し切れていなかった。見るからに子供。それも二桁いっているかどうかというレベルの幼さである。これが本当に十王の姿なのか? かつて自分たちの先祖と世界をかけて戦った王たちの一人だと? ラックは信じられないものを見るような目で目の前の少年を眺めていたが、彼は平然とした顔でとんでもないことを聞いてきた。
「俺が死んで何年経った?」
あまりに突拍子の無い問いに、逆にラックは平静を取り戻した。そうだ、目の前のこいつはどんな姿をしていようとかつて世界を統べた男の一人なのだ。普通の物差しで推し量れる相手ではない。
「一万と二千年だ。……なぜ、自分が死んだことになっていると思った? それに、何千年も経っていると……」
「ふふふ、やっぱり俺の見立てどおり……いちまんにせん?」
だらだらと冷や汗を垂らしながら目の前の少年は目を見開いた。
「あ、ああ。一万二千年だ」
「うわマジかよ……いちま……一万二千年って……いちまん……えぇ……」
うえぇ……と明らかにショックを受けた様子で項垂れる魔王。突然の態度の変わりようにラックが狼狽えていると、彼はふらふらと壁に手をついた。
「一万二千年眠り続けた……? ありえないだろ治療器の耐用年数を明らかに逸脱してる……細胞が壊れるはなから治癒し続けても俺の体がそんなに維持されるはずもないし老化して無いのも妙だ……冷凍睡眠ならともかく一体どうなって……」
「あ、あの……大丈夫か?」
「あ、ああ、大丈夫。ちょっと驚いただけだよ」
にっこりと笑うシキだったが、それが作り笑いである事くらいはラックにも理解できた。無理もない。目が覚めたら一万二千年後の未来でしたなんて動揺しない方がどうかしている。
「慌てるのはよくない。よくないね。一回落ち着こう。……うん、よし、大丈夫」
額を手で押さえ言い聞かせるように独り言ちたシキに、ラックは問いかける。
「なあ、混乱してるとこ悪いんだが……さっきの、俺が死んで何年経ったって質問、あれはどういうことだ」
「どういうことって……」
ラックの質問にシキは少し視線を泳がせた後何でもないことのように言った。
「まあ、君たちがここに居たからね」
「……質問の答えに、なっていないみたいだが」
ラックがむすっとして返すと、ああごめんごめんとシキは訂正した。
「ごめんね、俺は説明するときにいちいち言葉が足りないって十王の皆にもよく言われてさ……」
よっとそこらのケーブルの束の上に腰かけてシキは続けた。
「まず、俺達はいくつかの異世界の住人と戦争をしてたんだよ。君たちの話が本当だとしたら今から一万二千年前の戦争だね。知ってるかな? 俺のいた世界を含めて四つの世界がぶつかり合って崩壊しようとしてたんだ。それを防ぐために俺達の時代の皆は自分の世界以外を破壊してしまおうとしたんだね。これが終末戦争。まあこの戦争が始まって二年で俺はやられちゃったんだけど……そんな俺が今ここで目を覚ましたわけだ」
そう言ってシキは治療ポッドを指さす。次いで部屋全体を指で示した。
「なんで一万二千年もあの機械が稼働してたのかは俺にもよく分からないから置いておくとして、この段階でいくつか考えられることがあるわけだよ」
「……というと?」
「まずこの空間をざっと見渡して、ここが軍の正規の施設でないことは解るね。いくら切羽詰まっていても正規の施設なら岩をくりぬいてその中に直接機械をどーんと据えるなんてことは考えにくいし、管理維持をしている誰かがいるはずだけど、君たち以外に誰もいない。この段階でおおよそ俺は死んだことになっているんだろうと理解できるね」
「そ、そうか?」
イマイチ煮え切らないラックの姿を見て、「ああまた言葉が足りなかったか……」とシキはうなだれた。
「なまじ自分の中で理論が完結してるから他人に伝えるのが大変なんだよね……っとまああれだよ。君は見たところ獣人だろう? それでそこの君は機械人みたいだ。どっちも俺が戦ってた世界の住人だね。でも、俺のいた時代では君たちも敵対していた筈なんだよ。世界が違うからね」
「そう言われてみればそうなるのか……」
ラックはまじまじとマギアを眺めながら一人得心する。
「で、世界が違うから敵対してる筈の君たちが一見して仲間のようにともに行動している……ここから戦争は終わった、もしくは何らかの抜け道的な方法で滅びを回避したと考えられるわけだね。決定的だったのは君たちの言語が俺のいた世界の物と同じだったことだ。機械人の君の世界は確か人類が滅んで機械だけが残った世界で、音声による意思伝達が不要とされて通信コードだけで会話していた筈だし、獣人の君の世界は種族ごとに異なる言語……というか鳴き声? でコミュニケーションをとっていた筈だからね。それが共通の言語……しかも俺のいた世界の物を使っているとなると、すべての世界の住人が何らかの方法で滅びを回避したという仮説がより強固になる。ここで、戦争は終結したものと考えて今の現状を考えると、誰もいない岩をくりぬいて作った部屋、ぽつんと置かれた治療ポッド。これを見るに俺はけがの治療をされていたわけではないのではないかと考えられるわけだ。少なくとも公的に生きているのならもっとしっかりとした施設で治療すればいい筈、それをせずこんなところで治療ポッドに入れて置いていかれたってことは、俺は何かの事情から死んだことになっていて、おおっぴらに生きていると公言できない状態にあるのではないかと推察できたわけだね」
「……成程、その説明ならば確かにあの質問も飛び出してくるわけだ」
ラックは彼の答えに舌を巻いていた。最初の発言は確かに言葉が足りなかったが、一から説明されるとなんとはなしに理解できる。敵対しているはずの種族が共に行動していること、自分と同じ言葉を用いていることから、戦争が終結したことを察し、その上で自分の置かれている状況を鑑みて、死んだことになっていることに思い至った。永き眠りから覚めてほんの数分の間にである。何という思考の発展力。目の前に置かれた情報というノーツを、関連付け順序だて仮説へと導く思考力がずば抜けている。壮齢の、経験豊かな老人であれば理解できなくもないが、それをこの若さで可能とする所から、知の魔王と呼ばれる所以が垣間見えた。
「まあ、一万二千年経ってたのは大誤算だったんだけどね……ああもうどうしよう……王装はともかく、大気圏外に打ち上げた衛星も軒並みオシャカになってるだろうしなあ……っていうかなんで一万二千年も経ってて言語形態が変遷してないんだ……びっくりだよもう色々と……」
感心するラックをよそに、シキは涙目で黄昏れていた。一万二千年も経っていたら他の十王も生きているとは考えにくいし、頼りにしていた彼自身の発明品たちも耐用年数を大幅にオーバーしていてあてにできない。辛うじて身に着けている王装とそれに付随する機械は彼の渾身の作品であるため、数万年程度は凌げるように造っていたから無事だが、だから何だという話である。実質的に着の身着のまま未来の世界に一人放り出されたようなものだ。頼れるものも何もない。これからどうすればいいのか。
途方に暮れていると、ふと目の前の二人が目に付いた。シキはしばし黙り込んだ後、己の幼い容姿を最大限に生かした涙目の上目遣いで懇願する。
「獣人のお姉さん、もしよければ俺を一緒に連れt」
「断る」
玉砕した。