序章 王の帰還 / ラック・ライラック その4
「ゲホッゴホッ……うえっ」
彼は激しく咳き込みながら目を覚ました。肺に溜まった液を吐き出したためだ。しばらく嗚咽を漏らしたのち、自らの体に目をやり、次いで機械の外に目を向けた。目がよく見えない。メガネをかけていないようだ。
「あ、あー……」
誰かいないのかと呼ぼうとしたが上手く声が出せない。喉元に手をやる。喉は無事だ。ともすればこれは喉が潰れているからではなく声の出し方を思い出せないだけか。そこまで思い至ると手足をぐっぐっと動かす。手足にしびれはない。欠損も見当たらず、五体満足で健康体だ。両の二の腕には彼の王装がはめられている。軽く指でついて動作を確認するが問題なく動いている。服が無いのは少し問題だが、黄緑色の液体が流れ落ちたのち右の壁が開いてかれの着替え一式と鞄とメガネが出てきたのでそれらを身に着ける。
タオルがあって助かった。黄緑色の液体はさらさらとしていて乾きもよさそうだったがやはり体を拭いた方が気持ちがいい。彼は手早く衣服を身に着けるとメガネの様子を確認した。これは彼の両腕の王装と連動していて、これが不調だと大変厄介なことになるのだが、どうやらこれも問題なく稼働しているようである。
ここまでくるとだいぶ意識も鮮明になってきた。あーうーあーいーと口を動かして発声の練習をしつつ彼は思考する。いまだ断片的な記憶をたどって考えれば、今は戦時中の筈である。そして今自分が入っているのは他ならぬ自身が設計した治療用ポッドであると理解し、自分が戦争で傷を負ってここに入れられたのではないかというところまで考えたところで、彼はポッドから飛び降りて洞窟の中に降り立った。機械には見覚えがあるが、この空間にはとんと覚えがない。さて誰か話の通じるものはいないかと辺りを見渡したところで、彼はラ操作盤の近くに立つ獣人と機械人の姿を視界にとらえた。その人ならぬ姿を見て、少し思案したのち、口を開く。
「やあはじめましてこんにちは! ちょっとお話してもいいかな!」
にっこりと微笑んで彼は二人の元に向かう。獣人の女は目に見えて警戒しているようで、機械人の方もこちらが進むのに対し一定の距離を保ち後ずさっている。
「あーえっと、まず言葉は通じてるかな。君たち俺の言葉はわかるかい?」
たははと苦笑いしながらそう訊ねると獣人の方がこくりと頷く。言葉は通じているらしい。敵性種族であるはずの異世界の外来種が自分たちと同じ言語を使用していることに眉をひそめた彼は、ぐるりと辺りをもう一度見渡した。くりぬいただけの洞窟に無理やり治療ポッドをねじ込んでいるように見える。正規の施設であればこのような粗雑な工事は行っていない筈だ。操作盤の近くに獣人がいたことからおそらくポッドを操作して自分をあそこから出したのは彼女だろうと推察できる。どう見たって子供にしか見えない自分を明らかに警戒していることからも、自分の素性は割れているものと考えられた。
十王である自分を治療しているような場所に敵性種族の侵入を許すようなことがあるのなら、何かしらの襲撃であると考えるのが妥当だったが、どこにも戦闘の跡はない。留守を狙われたと考えるにしては相手の人数が極端に少ないし、そもそも魔王を治療しているのに留守にすること自体がおかしな話だ。それに目の前の人物は装備からして軍の物には見えない。おそらく個人だろうと考えられた。
しばらくそれらの情報をかみ砕いて考えていた彼は、「俺はシキという者なんだが」と口を開く。そのままにっこりと愛想笑いを浮かべた彼は何でもないことのように二人に尋ねた。
「俺が死んで何年経った?」