6 変化
時は村を立ってからしばらく。何者かの咆哮を聞いてから、いくらか太陽が傾いてきた頃。そろそろいいかな、と呟いた御者さんと、お互いに軽く自己紹介をしたあとの事。目的地であるドムレッタに行くまでに、聞きたいことがあれば聞いて欲しいと親切にしてくれる御者さんに、それじゃあと、ドムレッタとはどういったところであるのかを聞いてみたのだが、それがどうも思っていたのとは全くかけ離れていたのだ。
……御者さんが。
■■■■
冒険者の街ドムレッタ。
冒険者が集まる街としては、ドムレッタはこの世界で一番の大きさを誇る。
ある者はその日の生活のためにドブをさらい、ある者は道具屋の依頼を受け草むらをかき分けながらため息をこぼす。時に宿を目の前にしながら、その横の路地裏で夜を明かすこともある。
その事を話す御者さんの目は血走っていた。
「ーーーだから私はね、無謀を犯す人間を、勘違いする人間というものがつくづくわからないんだ。恐ろしくて、理解の外であいつらは死んでいく……ひとつ前のやつが死んだらまた次のやつだ!それを私は見てるんだ。何よりも強固な甲冑に身を包んで、最も遠い場所から……」
そう話して鼻息荒いため息をついた御者さんは、静かに、先程からその溢れる激情とは裏腹に、押し殺した声で呻いている。
「……君たちを乗せるのも、そのためだよ。私は自己保身に頼った生き方をしているんだ」
「……」
突然これだ。私がドムレッタのことについて尋ねる前とは別人としか思えない。
それまではずっと、ニコニコと笑顔を絶やさない陽気なおじさんだったのに……。
これに戸惑いはしたが、ひとまずの話題を繰り出そうと、なんとなしに浮かんだ疑問を聞いてみた。
「この世界の魔物?って、どれくらい強いんですかね?私たちみたいな女の子でも戦えるもんなんですか?」
「それはもう、とびきりに強いよ。私なんかが百人いたところで、それは結局その百人の私が死ぬことと何ら変わりはないくらいに。それと、戦えるかどうかに性差は関係ない。戦えるかどうかは男か女かではなく、『超人』か『汎人』かで決まるんだ」
『超人』と『汎人』。
まず『超人』というのは、いわゆる魔法使いしかり勇者しかり。そういった一般的常識から逸脱した力ないし能力の行使が可能な存在。別に伝説の英雄でなくても、例えば百mを一秒で走れるとか、数キロ先の人の顔が見えるとか、明らかに普通ではない能力を持つ人々のことを言うのだとか。なので、エルサが宙に浮いていたり、川に入っても濡れることがなかったり、また私が崖を降りる時の身軽さも、全ては超人だったから。
ではそれ以外の人間はというと、『汎人』と呼ばれている。特別なことはない、崖から落ちればまず無事では済まないし、指先に火を灯すような魔法も使えない、というのが御者さんの言う話だ。
ちなみに汎人はともかくとして超人についてだが、酷く不思議なものだ。超人とはこういうものだという説明はあったが、”何故”なのかが一切分からない説明だったからだ。御者さんがあえてそうしたのか、はたまたただ単に知らないだけなのか……。
「……むにゃ……」
と、そこで忘れていたのがひとつ、膝の上で寝ていたエルサが寝返りを打った。初めての長旅で疲れてしまっているのか、昨日から寝てばかりいる。
そのあとは他愛もない話題をポツリポツリと、今度はしばらくして目を覚ましたエルサも交えて交わしていた。
■■■■
場所は大きな三角屋根が特徴的な、今回の旅に真っ先に向かう予定であった場所。アルコールと汗臭さが充満する、ちょっと長居したくないような場所。
「早めに宿見つけときたいね」
「だねー」
冒険者ギルドである。まあ、大体予想つくよね。なにせそんな街なんだもの。
先程の話した時系列的には、あのあと何事もなく目的地に到着。御者さんは馬車的なものを停めてからしばらく私たちを待たせたあと、この冒険者ギルドまで案内してくれたのち、「また次の仕事がある」と言って別れた。もう二度と関わることは無いだろう。
そして今私たちは、その建物の中へと入ったところで、受付に並んでいたところだった。前回の受付では一人だったのに対し、今回は諸々の状況が違っている結果、またあの時のような、一人で中身のない考え事をしないで済んでいる。
「そういえばここの人たちってさーー、」
エルサは辺りに目を向けながら、その胸中に抱いた疑問を口にする。
「みんな超人なのかな?」
「そうだと思うけど、違うのかな?」
「ううん。でも、汎人が冒険者になることは出来ないのかなって思っただけ」
「うーん、なれるとしても、あの御者さんの言ってることが本当なら、戦ったりはしない、街の便利屋さんみたいなことをしてるのかもね」
「どうしてそう思うの?」
「そりゃやっぱり、戦う力がないのに戦ったら死んでしまうからじゃない。いつでもどこでも、その人に出来る、その人に見合う仕事っていうのは、選べるなら選ぶべきよ。」
「それは……苦しいのかな」
「どういうこと?」
「……冒険したくても、出来ないんだなって」
そうエルサが言った直後、目の前にいた一人の男が肩を落としながら退き、私たちの番がやってきた。エルサはそれから、そのことについて話すことはしなかったが、ひとまずそこからさくっと冒険者登録を済ませ、建物を出た。
「ーーーと、これで以上です、お疲れ様でした。それでは、こちらが冒険者の証になります。無くさないように気をつけてくださいね?」
そう言われ手渡されたその証というのを手で弄びながら、エルサとドムレッタの街並みを背景に、今晩泊まる宿を探していた。
「中々見つからないね」
エルサは並ぶ看板を見ながらそう呟いた。
「ほんと、これならあの御者さんに宿の場所も訊いとけばよかった」
「とても訊けるような感じじゃなかったからね……」
「そうだね……あっ、あれは?」
「あれも違う……目に入ったもの全部聞くのやめない?」
エルサはそんなことを言いながらもしっかりと答えてくれる。根っからの優しさに寄りかかってしまってごめんね、やめないけど。
「というか、なんで読めないの?」
「うーん、それが一番気になるのは多分私なんだけどね、なんでなのか、私もわかんないんだよね」
そう、実はといえば実話なのだが、字が読めない。それどころか書くことも出来ない。それでも会話はできてるのだが、これも日本語とは違うものだ。もちろん英語でも中国語でもない、私が知らないだけではないのならば、これは前世には存在していなかった言語だ。
本来ならば私はあの真っ白な空間で言われた通り、会話だけでなく読み書きもできるはずなのだが、おかしなことになっている。
「なんでかわからないって……シーナちゃん、いつも勉強さぼってたじゃん」
しかしそれを知らないエルサはこの通り、そんなふうに思っている。傍から見ればそうとしか思えないのだろう。
それからしばらくして、なんとか宿は見つかった。しかし部屋はひとつしか空いていなかったので、同じ部屋で寝ることとなった。まぁ、別にこれといって困ることは無いけど。
異世界に来てそんなに長くはないけども、このか細い身体にもすっかり慣れてしまった。もはや自分が男だった感覚は混ざりあって曖昧なものになってしまい、男だったことはただの知識としてしか認識していない。実感はとうに薄れてしまった。
だからエルサのような、女の子と一緒の部屋。そんな何かしら思うこともありそうな場面でも、想像するような感情は生まれなかった。
これは友人との二人部屋、そんな考えばかり脳を支配している。今この時、この状況に対して男らしさを発揮する自分はいない。かつての理性はすっかりすり替わっていた。
男はこの場に一人も居ない。それは確かだった。
「今日は早めに寝よっか」
ランタン一つが照らす部屋で、私はエルサにそう言った。
「そうだね……って、もういつもより遅くなっちゃってるけどね」
「明日はどうする?早速、なんか依頼でも受けてみる?」
「そうしよっか。迷ったおかげで必要そうなものは全部買ってまわれたし」
「うん、そうだね!いやー楽しみだなあ。」
「はいはい、じゃあ寝よう?」
「ん、おやすみ」
「おやすみ」
ランタンの火を消すと、部屋は暗闇に包まれる。明日への期待と不安は、布団のぬくもりの中で共に夢の中へと沈んでいく。
今日は何故か字が読めないことがわかった、これから覚えなくてはいけない。
エルサにいつか、自分の前世のことを話す日が来るかもしれない。
自分の体が女であることに違和感を感じなくなってきた。
それらも全て、夢の中へ。
今はまだ。