4 初日を終えて
その日の夜。
(はぁ、疲れた)
洞窟の中のような神秘的な暗さではなく、月光に煌めく埃の舞う、薄汚く黒い闇の、光の届かぬ絶海の孤島が如くポツンと敷かれた布団の上。
蝋燭などといった手元を照らすようなものはなく、窓と呼べるものも無くはないが、それも名ばかりのただの四角く空いた壁の穴だ。
暗闇と、その名ばかりの窓から差し込む月光が生み出す静謐な空間のなかで、『シーナ』の姿をした『玄伏咲十』は、地面に敷かれた自身の布団の上で、今日一日の出来事を振り返ると共に、自分自身のことについて頭を巡らせていた。
まず、目覚めてから真っ先に最初に確かめたことがあった。それは、あの光の中で引いた、受け付けのお姉さん持参のクジ。それがどこにも見当たらない。目覚めたあとも、それ以前の記憶にも、そんなものは一つたりともなく、まるであの白い空間での出来事は全て夢だったかのように、あの時確かに引いたはずのクジが、手元から消え去っていた。
そのことに気づいた時、とてつもない喪失感を味わったものだが、それはとある理由からすぐに立ち直ることが出来た。
そして次に。これはとても単純にして、明快な、あまりにも普遍的すぎる疑問。
そう。それは即ち、自分はどっち側に寄っているのだろうか、と。
それは今更なのかもしれない、私か、それとも俺なのかという疑問。
今日一日、朝目覚めてから記憶通りにシーナとして過ごしたその体感的には、五分五分といった具合だ。
着替えの際自分の裸を見ても特に思うことは無いし、男性の人を見ても大して惹かれるようなこともない。
しかし胸の大きさに悩んでいたり、川で自分の顔を見て可愛いと思ったりと、どっちつかずの感じだ。
じゃあどっちでも良くね?という考えに至ったのはそのすぐあと。どっち側なのかという疑問はばっさりと切り捨て、朝から昼間まで続いた畑仕事にその後の川での出来事。
そして今日一番の出来事であった、村長さんの家での話について、思い返していた。
その話の内容は、この世界で目覚めた際、『シーナ』の記憶の中で一番最初に見ることとなった記憶だった。
「『今日この日から一週間後、シーナとエルサはこの小さな村から飛び出し、ずっと前から夢見てた旅に出る』、か」
そう。それが、村長さんの話の大まかな内容であり、『シーナ』およびエルサ二人の夢であった。
この話はもうずっと以前からされており、15歳になったら行っても良いと村長たち村の大人から言われていたことだ。なんでもこの世界では15歳から大人らしい。少なくともシーナの知識の中ではそうなっている。
今までどこへとなく向けていた視線を、自分の手へと向ける。そこには以前の自身の手とは似ても似つかない、畑仕事をしているとは思えないほどに白くて細い、少女の手が見える。胸はないが、この体は確かに『シーナ』という少女の体で、記憶も『シーナ』という少女と、そして前世の『玄伏咲十』の記憶とが混ざりあっている。
どうしてこんな事を考えるのかといえば、その夢にまで見た今の状況に対して、まるで他人事のような、ある意味冷めているとも言える自分が、高揚する心とは裏腹に存在しているからだ。
夢にまで見たものなのだろう。ずっと楽しみにしていたのだろう。だからこそ、目覚めてから一番最初に見ることになったはずだ。
しかしその心の波についていけない。少女と少年の間でそのことに対しての認識の乖離が起きていた。お陰様でこんな夜遅くまで悩み眠れずにいる。
まるでTRPGで自分の動かすアバターに限りなく、物理的にも精神的にも近づいたような。VRともARとも違う、そんな感覚。
明らかに自分で考えて、自分で動いて、それなのに、そのすぐ後ろから、誰よりも近いところで眺めている。自分の手を動かせば『シーナ』の手が動くし、『シーナ』が歩こうとすれば自身も歩いている。
『今日一日、朝目覚めてから記憶通りにシーナとして過ごした』というのは文字通りで、思い通りに動く手足と、自分の記憶の中にある『シーナ』に照らし合わせ、自分の中で思う『シーナ』という、限りなく『玄伏咲十』に近しい少女の取りそうな行動を演じていたに過ぎない。
最早自分でも何を言っているのか分からなくなってきたが、そのくらい曖昧な感覚なのだ。何よりも自分でありながら他人の体を使っているというその矛盾に、思索の海へと沈んだ頭がパンクしそうになってくる。
(明日の朝も早いんだけどな……)
そう思った咲十は、とりあえず目をつぶることにした。先程までのことは忘れるように、何も考えず、そして何も考えないということさえも考えない。
(まさかこんな事で悩むことになるなんてな……)
とは言っても、やはり雑念とは入ってしまうもので。
(ま、あまり深く考えないでおいたほうがいいかもしれない。『シーナ』としての自分が楽しみにしてるのは事実なんだし)
そこまで考えて、ふと。
(こんなことなら、自分なんて、残らなければよかった……なんて)
そこで意識は途絶えた。