11 這いずるヒバナ
「ーー誰?」
明確な刃に成りすました声が、死屍舞う静寂へ亀裂を走らせた。ただ事では済まされない雰囲気を感じ取った私の耳は、毛色違いな擦れ葉の音を拾い上げる。
「はは……」
気づけばそこに、一人の青年が立っていた。
ーー気味の悪い……
その顔には仄暗い笑みが貼り付けられていた。眠たげな、一切の精気を感じさせぬような、色味のない目をしている……。
無言で相対する時間が始まった。
観察……鏡合わせの他人が睨み合う。
口火を切ったのは青年の方だった。
「そんな驚いてもらえて嬉しい限りだけどな、こうしてる場合じゃなくなってきた」
「答えて。あなたは誰?」
エルサは油断を解かず、再度の質問をした。それに対し、青年はさも面倒だとでも言うような態度をとっている。
「あなたは誰って質問に、名前で答えるべきか、それとも今の俺の……なんだ、立場っていうか、まあそういうので答えるべきか。取り敢えず今回はどちらも答えるけどよ、俺の名前は『ルーク・ウィリアム』って読む。冒険者だ。それで今は、あんたらに直近の危険を伝えに来たのと、ついでに仲間に入れてもらいたくて、その打診に来ている」
存外に喋る口だ、と思った。根暗で、渇いた舌で、禄に話せもしないような見た目をしているくせに。
「それで?」
「ああ、話は戻るが、まず周りを見てほしいんだ」
「……」
そう言われ見てみると、辺りを囲んでいたはずの狼や小人たちが、いつの間にか消え去っていた。
「居なくなってる……?」
「そうだ。だからこそ、こんだけ呑気に話してる。そして奴らは消えた。いつの間にか、だ。そして消えたんじゃない、正確には逃げだしたんだ」
「逃げ出した?」
「……」
「そうだ……そっちのちっこいのは思い当たりがありそうだな」
そう言って、ちっこいのと呼ばれたエルサへと視線が移る。当のエルサは険しい顔つきをしていた。
「蛇。……あと、ちっこいのって言わないで。エルサには、エルサって名前があるんだから」
「ああ分かった。正解だよ、ちっこいエルサさん」
「っ!この……!」
「え、エルサ!今は抑えて……」
とにかく、と。余裕飄々な目付きと態度をとるこの青年……、
「ルーク……さん?」
そう呼ぶ私に対し、この青年はしかめ面を浮かべた。左手を顔の横で振りながら、変わらぬ声音で返してくる。
「さん付けなんて、そんな寒気のする呼び方しないでくれ。ルークでいい。……そうだ、お前の名前を教えてくれ。代わりにってわけじゃねえけどな」
「呼び捨て?分かった、それじゃあお言葉に甘えて……それと、名前……」
一瞬、名乗ることに躊躇いを覚えた。しかし私は、結局名乗ることとなる。まるで引き寄せられるように、騙されるように……。
「私の名前は……シーナ」
「シーナ、ね。よし、分かった。覚えやすくて助かるよ……」
その時、この目の前に経つ男の澱んだ目付きに、欠片ばかりの異物が紛れ込んだ。それは私を、十分に警戒させるだけの不審さを潜ませているように思われた。
「ところで一つ、逸れた噺を聞かせて欲しいんだが……」
「……」
その目はなに?
疑惑の目?誹謗の目?同情の目?ーー……?
違う、違う違う違う!どれも違う!
これは、捉えどころのない目……それが最も正しい……。その正体に当てはめるべき言葉を、私の舌は持ち合わせてはいない。
「まあ、そんな構えなくていいんだ、勿論、それ以上に喋ろうとも……。俺は、知ってるんだ。人の秘密ってやつを、甘くなった密の在処が……。別に盗ろうって訳じゃねえ、ただ、その蜜の味を聞かせちゃくれないかって話に過ぎないんだ、これが。承知の上は、俺が初対面だってのを頭に及んでいるのをーー」
この時のルークは、先程とは打って変わった雰囲気に包まれていた。私には、これが本性じゃないかと、そう思えてならなかったのだ……。そして私は、今にも正体を見せるのではと、鏡合う好奇心にも似た感情で、向かい合おうとした……が、しかし。
「ねえ、ちょっと待って欲しいの」
ルークから私に対しての、妙な言い回しによる追及……それを遮ってエルサが口を挟んだ。
ルークの目、それが代わり映えのしない物となったのは、果たして気のせいか。
「ルーク、さっき『こうしてる場合じゃなくなってきた』って言ってたよね」
「……ああ、そうだ」
「だったら先に、蛇についての説明をして欲しい。差し迫った危険なら対処のすべを考えないといけないし、ただ仲間になりたいだけの方便なら、ここでお別れするだけだよ」
エルサは熾烈な目でルークを捉えた。見下ろす形となったルークの目と交差する。当然のようで、エルサは未だ心を開いてはいない。
「まあそう言うなよ。俺はあんたらと会ってから、まだ一度だって嘘はついちゃいないつもりなんだ、それこそ方便だなんて、とんでもねえ、最初から協力して切り抜けようって腹さ……」
「どうだろうね、その腹のつもりで来たなら、さっさと要件を伝えに本題に入ればよかったのに」
「初対面ならまず、自己紹介だって思ったんだ。緊急ではあっても、名乗り合うくらいの余裕はあったからな」
「だったら、その後シーナちゃんに聞いたのはなんなの?私には、物珍しさに寄ってきた、ただの野次馬にしか見えなかった」
「そりゃ仕方がなかった、なにせ生まれて初めて目ん玉飛び出る出来事ってやつに出会ったもんだからな、飛び出た目を追いかけたら体も飛び出ちまって、そして気づけば、表に出ちまってた。だが、仲間が欲しいってのも紛れもない本音で間違いないんだ、俺がただの野次馬って考えが、とんだ勘違いだっていうのを理解してほしいね」
シュル……シュル……シュル……。
二人のやり取りに気を取られていた意識を他所に、私の耳が、どこからか異音を掴み取ってくる。
「ちょ、ちょっと待って!こんな事してる場合じゃないんじゃないの!?それに、なんか遠くから聞こえてこない?ほら、スルスルって、シュルシュルって……」
私を他所に始まった二人の喧嘩を仲裁する形で、私の耳が拾った音の便りを二人にも共有する。
「いや、聞こえては……ん?ああ、たった今聞こえた、確かに」
「うん、エルサも聞こえた。……シーナちゃん、耳良くなった? 」
遠くから聞こえたこの音、自分だけが聞こえたものではなさそうだ。そしてエルサの言うことも、確かに、耳は良くなったように感じる感覚はある。その他にも様々な音が、情報となって拾い上げられている。
もしかしたら、他の人は常にこういう世界に生きているのかもしれない。
「一先ずこうしちゃいられねえ、場所は……外に結構近いな、少し遠回りしていくぞ、この際、その他のリスクは多少無理してでも乗り越える」
そう言って手招きしながら、真っ直ぐ森の外へは向かわず、少し内側へ迂回した進み方をする。小走りで進むルークの後ろを、私たちは質問しながら着いていく。
「取り敢えず聞くけど……蛇はどんな奴なの?」
「それを待ってたんだ、ああ」
エルサは心底嫌そうに、ルークへと質問した。ルークは何が面白いのか、口許だけがニヤニヤと、見る者の神経を逆撫でする笑みを浮かべていた。
「まず一つとして、とにかくデカい。そして、そのデカさの割に、異常なまでに軽い。この二つが、主な特徴なのは間違いない」
「デカくて、異常なまでに軽い……」
「ああ、あとはまあ、見た目がとんでもなく気持ち悪いってのがある……が、それは見た方が早いーー」
ZaZaZaZaZaZaZa……。
奥底で囁く羽虫のような、不快な音だった。
「まずいな、思ったより近くにいる……少し急ぐぞ」
ルークの言葉に私たちは無言で頷く。嫌悪感を覚えさせる音がそうさせたのだ。
先頭を走るルークの速度が上がった。離れないよう、私たち二人も速度をあげる。その時私は、それに着いていけている事実に気づいていた。
精神の変化、身体の変化……変わったことを知らないままでいる状態だが、それもどれ程か。
どこかでよく観察する必要があるな……。
依然と変わらず走り続ける私たち、随分と回り道をしているようで、感覚的には、私たちの入ってきた場所の反対まで来ている。
「ルーク、どこまで回るつもりなの?」
「蛇には巡回するルートが幾つかある、万が一にも出くわさねえよう、思いっきり回り込まなきゃならねえ……どれもこれも、蛇の図体のデカさと、それに見合わねえすばしっこさのせいだ」
「じゃあ、このまま進めば安心……?」
「一応な。ただ、一回だけ通り道を横切らなきゃならねえ、そこさえ抜けちまえば……」
そう話していた矢先のことだった。
駆ける視界と、並ぶ影。ルーク、シーナ、エルサの順は、直前のやり取りから自然の流れに乗った理由だった。
「ここら辺だ……ほら、跡がある」
「うっ……何、この臭い……」
ルークの言葉通り、何かが這いずり通った、特別目を引く跡がある。とても大きく、私が両手を広げても足りない程だろう。さらに極めつけはその臭いと、付近の草木の様子。
直接触れられたと思われる場所は、どす黒く変色している。それに近しい植物たちも、本来持ち合わせていたはずの鮮やかな緑を捨て、腐り化粧に身を飾っている。
その上をルークが通った。それに続けて私も通り過ぎようとした、その時。
ーーーぬるりと、非実は擡げて顕れる。
目に飛び込んできたのは、ぬらぬらと濡れる赤黒い、視界を埋め尽くすほどの巨大な体躯。大小の骨骨を身に纏い、剥き出しの筋肉が破裂しては、その体液を撒き散らしていた。目はなく、音もなく、顕れた怪物は森の中へと長く続く身をくねらせ、開けた大顎を眼前へさらけ出している。
蛇が、私の行く手を阻んでいた。
骨骨は本来また別の読み方で違う意味なんですが、今回は字面で分かりやすく使いました