第四章
周は図書館で出会った環那と一緒に自転車を押しながら歩いでいた。古い本は環那が両手で抱えている。
本当に対となる本は存在するのだろうか? しかし、あの真剣な態度・・・・・・嘘とは思えない。
「曽祖母の家を掃除しに行った時に見つけたの。この本だけ本棚じゃなくて机の上におかれていて。でも英文だし、古すぎてところどころ読めなくて・・・・・・同じ本があるのならと思って図書館に行ったんだけど閉館間際で慌ててて置きっぱなしにしちゃって、戻ったんだけどもうなくて」
二人の視線は古い本に向けられている。
「そうだったんだ・・・・・・」
「でも拾ってもらえててよかった!」
嬉しそうな環那を横目に、そうならそうと早く行ってくれれば良かったのに・・・・・・と、古い本を見つめた周の表情がだんだんと剣呑な物に変わる。話せないのを良いことに古い本はどこ吹く風だ。
「徒草くんは本、読めたの?」
環那は周を伺うように心無し上目遣いで訪ねてきた。
「あーーいや・・・・・・す、少しだけ読んだよ。失礼だと思ったけど・・・・・・でも、俺英語苦手で・・・・・・」
語尾はゴニョゴニョと恥ずかしそうに濁した。そんな周に環那は嬉しそうに言った。
「私も!」
一瞬呆気に取られた周だったが、急におかしさがつのって笑い出した。
「ぷくくく・・・・・・そんな自信たっぷりに・・・・・・」
屈託なく笑う周に環那は驚き目を丸くした。しかし、そんな周にすっかり目が離せなくなっていた。初めてあったにも関わらず、隣にいてくれると妙に落ち着いた。
不思議な人だなぁ
同じ本好きということもあり波長が合うのだろうか? 環那は横目で伺うように周を見た。
「ここです。ここが曽祖母の家です」
そこは年季の入った小さな店だった。今は営業していないらしくカーテンが閉められていた。ここが古い本が話してくれた人達が住んでいた家のようだ。見上げたままものおもいにふけっていた周を環那が呼ぶ。
「こっち」
横の玄関から中に入る。少しホコリ臭い空気が鼻をくすぐり、指でこすった。
「おじゃまします」
そろそろと廊下を歩き中に入って行くと店の棚が並んでいた。棚にはホコリは被っているが海外製と思われる雑貨が並んでいた。
そういえば、貿易商やってたとか言ってたな・・・・・・
レースのカーテンの隙間から日の光が差し込み外が見える。古びたレジの横に小さな椅子が置かれていた。周の目にはまるでタイムスリップでもしたかのように小さなおばあさんが座って見えた。ここから見える景色はきっとあの頃からずいぶんと変わってしまったことだろう。
結衣さんは・・・・・・なにを思ってここに座っていたんだろう・・・・・・?
そんな考えが頭によぎった瞬間、胸が締め付けられるような気がした。
「徒草くん、こっち」
ひょっこり顔を出した環那の後をついて行くと和室に案内された。
「ここが曽祖母の部屋。曽祖母は子供が手を離れてから一人でここで暮らしてたの。昔はここで会社をやってたみたいだけど戦災で壊れちゃって・・・・・・雑貨屋を始めたのは一人暮らしを始めてからだって聞いたわ」
結衣の机の上には古い本が置かれていた。
「二巻目がここにあるんだ・・・・・・」
周は本棚を探し始めた。日本語のものから英語のものまでいろんな本が並んでいた。新しいものと古いものが入り混ざっていたが、どこにもそれらしきものは置いてなかった。どの本も突然の訪問者にも関わらず誰もなにも言わずに黙っていた。と、いうより、眠っているようだった。
まるでこの家の時間が止まってしまったように全てが静まりかえっていた。環那がいなければ迷わず彼らを起こして聞いていただろう。でも、それではダメな気がした。
「ねぇ、徒草くん。どうしてそんなに一生懸命なの?」
意外な環那の言葉に周は驚いた。
「え? 俺が?」
言われた意味がわからなく周は首を傾げた。
「うん。ずっと必死みたい。なんで?」
そりゃぁ、ようやく見つけた手がかりだ。必死にもなる。でも、なんで自分は人の、いや、本のためだけにこんなに一生懸命になれたのだろうか? 本当に持ち主に返したいだけだったのか? 偶然、図書館で見つけて、話を聞いて山梨まで今まで貯めたおこずかいを使ってまで。考えてもわからなかった。でも、清々しかった。良いことをしている気もしていないし、ただ古い本の話から自分が思った道を進んだだけだった。こんな気持ち説明しようにもうまく言えない。周は自重気味に笑って言った。
「なんでだろうね? 自分でもわからない。でも、探してあげたいんだ。あの本のためにも・・・・・・」
机の上の古い本を見る。約束だからじゃなくて、自分も知りたいのだ。この話の結末を。
「まるであの本と友達みたいだね」
環那の言葉にドキリとしたが、それを言った環那の顔がバカにしているのではなく、あくまでも素直な感想だったので周も素直に答えた。
「うん、旧友みたいな感覚に似てる」
そっか。と、環那はギリギリ聞こえる声で呟き、
「頑張って見つけよう!」
と、ガッツポーズをし、満面の笑顔で言った。
「うん」
彼女の持つほんわりとした雰囲気は自然に周を笑顔にする。
「でも・・・・・・ここにあるのかな?」
環那が残念そうに部屋を見回し言った。
いや、きっと、ここにあるはずだ。だって古い本は、“連れて行ってくれ”と、言った。もう一度古い本を見た。ずっとなにも言わずにそこにいた。周は同じ目線になり部屋を見回した。 すると、ガラス引き戸のついたタンスがあった。
もしかして・・・・・・
立ち上がり引き戸を開けた。中に入っていたのは本棚の中のものよりもっと古い本達が並んでいた。一番左端にあった本に吸い寄せられるように周は手をかけた。それを手に取りゆっくりと開く。中身は英文だった。
これ、なのか?
Daphniphyllum macropodum
というタイトルだった。
スマホですかさず調べてみる。ユズリハというタイトルだった。
古い本を伺いながらページをさらに進めて行く。すると、真ん中より少し過ぎたところに古びた封筒と写真が挟まっていた。
「北丈さん、これ!」
家族写真だった。かなり年季が入っていて色あせていたが、人の表情などはまだわかる。赤ちゃんを抱っこしている男の人とその横に男の子と手をつないでいる女の人がいた。
この人が陽一郎さんと、結衣さん・・・・・・その前に座っているのが櫂生さんと律さんか?
「写真と手紙?」
環那は写真を受け取り物珍しそうに眺めた。
「開けてみていい?」
封筒を見せる周に環那は頷いた。それを合図に周は開封されていた封筒を開けて中の手紙を取り出した。中の紙はすっかり色あせていたがそれほどの痛みはなかった。破れてしまわないよう丁寧に手紙を開いた。斜体からして男の字だ。手紙の主はやはり陽一郎のものだと思われる。隣で覗き込んでいる環那のために周は手紙を読み始めた。
『この度、比島への出動命令が出ました。たぶん、もう家族のもとへは戻れないと思う。
父さん 母さん
今までお世話になりました。至らない息子でごめん。先に行くのをどうか許してほしい。
母さん、自分の身体も大切に。
父さん、約束守れずすまない。病気には気をつけて。
仁 円
君たちの成長を見ることが出来ず残念に思う。でも寂しいことはない。父はいつでも二人を見ているよ。だから兄弟仲良く。母さん達の言うことを聞くんだよ。大きくなったらみんなを支えておくれ。
結衣
待っていてくれると言ってくれたのに、すまない。子供を残す無責任な私を許してくれ。
私はもう君の元へは帰れない。君に笑顔がなくなってしまうと思うと辛い。だから寂しくなったら空を見上げて欲しい。雨の日は君に降り注ごう。曇りの日は静かに君を包もう。晴れの日は陽となり君を照そう。心のほんの片隅でいい。側にいさせてほしい。ただそれだけでいい。だから気に止むことはない。
結衣、幸せになれ。
生きて幸せになってくれ。どうか幸せでいてくれ。いつも笑顔でいてくれ。私はいつでも君の中にいる。
選んでくれてありがとう。
北丈 陽一郎』
短い簡潔な手紙だった。
やっと・・・・・・やっと、見つけた
長い間ずっとこの手紙は大事にここに隠されていたのだ。周は手紙を環那に渡し、代わりに預けていた写真を受け取った。
「結衣さ・・・・・・じゃなかった。ひいおばあさん再婚は?」
環那は記憶を確かめるように目を閉じ考え、
「してなかったんじゃないかな」
と、言った。
「そっか」
子供たちを残して旅立ってしまった夫。家族はいただろうがずっと結衣は一人だった。きっと考えられない苦労もしただろう。
なぜ子供たちが手を離れてから再びこの場所で同じ事業を起こしたのだろうか?
手紙の挟まれていたページは何度も読まれたせいか、すっかり癖がついていた。英文がビッシリと並んでいる文面を眺めていると、ふと最後の一行が目に止まった。
それは英語が苦手な周にもわかる文章だった。
I'm happy enough.
私は十分に幸せ
そうか、結衣さんは幸せだったんだ。
陽一郎が去ってからもずっと、ずっと。もしかすると、みんなで会社を営んでいたあの時が、結衣にとって一番の幸せだったのかもしれない。たとえ事業にうまくいかなくても、着実に歩んでいたあの時が。
それを見つけたのは、本当に偶然だった。もしかするとただ無意識にそのページに手紙を挟んだだけかもしれない。だけど、周にはなぜか偶然には思えなかった。それが結衣の気持ちだと信じたかったからかもしれない。
ふと、店のレジに目が止まった。年老いた結衣が座るその横に、生前の陽一郎が立っているように見えた。どこか遠くを見つめる二人の目は、優しさに溢れていた。 そういえば、律が言っていた。
本を開けばいつでも会える・・・・・・と。
やっぱり偶然じゃないって信じたい。結衣さんはきっと一人じゃなかったんだ。って……
そして、この古い本はただ持ち主の元へ帰りたかった訳ではない。きっと、この家と、この本の元に帰りたかったのだ。思い出のいっぱい詰まっているこの家に。
「よかった」
ポツリと呟かれた言葉に環那も同意した。
「うん。二巻目があったの知らなかった。ひいおばあちゃんにこんな過去があったのも・・・・・・知れてよかった。徒草くん・・・・・・」
いつの間にか環那の腕の中には古い本がいた。
『周』
誰にもわからないように古い本は表紙をパサリと動かした。
『ありがとう』
二人の言葉が重なった。周はいままで張り付いていた重圧から解放されるような気がした。持ち主が見つからないのではないかとずっと不安だったのだ。ずいぶんと回り道もしたがここまでたどり着くことができた。最後まで諦めないでよかった。
一生分の時間旅行をした気分だった。思えば本を好きになった理由がそうだった。本の中の主人公を疑似体験出来る。本の中ではなんにでもなれたから・・・・・・そんな昔の忘れかけていた感覚が思い出された。
「いや、こちらこそ、ありがとう」
その時、持っていた本の表紙がかすかに動いたような気がした。
「ん?」
『対?』
古い本も気づき声をかける。二巻目の古い本の表紙が確かに動いた。
『あなた・・・・・・起きてたの?』
寝ぼけたようなおばぁさんの声だった。
『あぁ、ずっと起きていたよ』
環那の腕にいた古い本の語尾が震える。
「やっと、会えたね」
そう言い本の表紙を撫でると環那に手渡した。思ってもいない周のセリフに首をかしげている。
彼女にならいつか、本当のことを話しても大丈夫かもしれない。なんとなく、そんな気がした。
これも古い本がもたらした出会いなのだろうか。偶然かもしれないが、この不思議な出会いを大切にしたい。
「あの、さ。今度、一緒に本読んでみない?」
環那は嬉しそうに微笑んだ。
結衣が手紙を開いたのは届けられた日から三週間がたってからだった。家族が皆それぞれ読んでから、陽一郎最後の手紙は誰の目に触れられることのない場所へとしまわれた。これらを見るだけで皆つらくなるから。皆、現実から目を背けたかったのだ。
皆が寝静まった頃、結衣はそっと手紙を開いた。二枚の便せんに、見覚えのある自体がそこには並んでいた。それから、ゆっくりと読みはじめた。
北丈 陽一郎
直筆の名前が涙でゆがむ。丁寧でいて神経質そうな、人柄と同じ斜体。何度も何度も見てきた。
彼はどんな気持ちでこれを書いたのだろう? どんな気持ちでこれを郵便配達員の集に託したのだろう? どんな気持ちで・・・・・・一人で逝ってしまったのだろう?
溢れる涙を結衣は手の甲で拭う。しかし、止まるはずのないそれは、とめどなく流れ顔を濡らした。嗚咽が漏れそうになる口を手で覆い隠す。大きな声を出せば皆が起きてきてしまう。
「うぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」
出会った時の事、一緒に話したこと、子供が生まれた時の事。出世していくときのこと・・・・・・まるで昨日のことのように頭を駆け抜けていく。
経営がうまくいかず悩んでいたあの顔、疲れて眠りについているときの顔、家族や自分を見つめるときのあの優しい顔・・・・・・
それらにはもう二度と会うことはできない。もう二度と語りかけてくることはない・・・・・・
「あ・・・・・・あぁ・・・・・・・・・・・・」
どうして逝ってしまった? なんでこんなことになってしまった? どうして、どうして・・・・・・私たちを置いて行ってしまったの?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・陽一郎さんっ・・・・・・・・・・・・!」
かすかな明かりが灯る居間のふすまを背に夫婦は悲痛な表情をしていた。目が覚めると結衣がいないことに気づき、心配になり探しに来ていたのだった。
二人はそんな結衣に声をかけることはできなかった。手紙が届いたあの日から、結衣はまるで魂が抜けたように一点を見つめることが多くなった。今まであった活発で元気な笑顔はすっかり消え去ってしまっていた。子供たちに見せる笑顔でさえもどこか作り笑いに見えた。
もしかすると自分たち以上に結衣は辛いのかもしれない。そう思い、変な気を起こさないように、その時は手を差し伸べることができるようにと、夫婦は見守るように見つめていたのだった。
しかし現実に泣き崩れる結衣を見て、手を差し伸べることはできなかった。声をかけようにも、どの言葉も安っぽいものになりそうだったから・・・・・・
夫婦はそっと居間を後にした。不快なさを引き釣りながら。
やがて泣きつかれた結衣は眠りに付いていたらしく、朝方目を覚ました。遠くの山肌から朝日が顔を出し始めていた。
「・・・・・・」
誰かがかけようとも、国が滅びかけようとも、朝が来て、暖かい陽差しを大地に降り注ぎ、また静かな夜を迎える。そんな毎日をこれからも繰り返すのだ。子供たちは大きくなり、手を離れ、自分は年老いていく。たとえ自分がこの世から消えようとも、朝はやってくる。世界は回っていく。
いつも必ず生きろと、言われた。ならば、生きるしかない。これは最後に陽一郎と交わした約束だ。生きて、幸せになるのが自分の役目だ。
結衣の目に生気が戻る。
「幸せにならないとね、陽一郎さん」
朝焼けの差し込む窓を開けると、風が入ってきた。それは、結衣の頬を優しく撫でてどこかへ消えた。
次の日、夫婦が起きるとそこには、輝くような笑顔の結衣がいた。
「おはようございます!」
その元気の良さに二人はたじろいだ。
「お、おはよう・・・・・・」
二人の返事に、にっこり微笑むと楽しそうに言った。
「今日、公民館で配給があるって聞いたんです。みんなで行きましょう! あぁ、子供たちも起こしてこないと! いっぱい食べれば元気が出ますよ!」
そう言いながら、小走りになり子供たちの部屋へ向かった。夫婦は狐につままれたような顔をしていた。
「いつもの結衣さん、だよな?」
「ハイ・・・・・・」
二人は驚き顔を見合わせたが、すぐにホッとした表情を見せあい結衣に続き子供部屋に向かった。
あれ以来、誰も結衣の泣き顔を見た者はいない。
本の歴史が人の歴史であるように、人の歴史もまた本の歴史の中の一部なのかもしれない。
多くの人の歴史は語られることはない。だけど一人一人に歴史がある。物語がある。たとえ誰にも語られなくとも大事に扱われた物にその歴史、記憶が宿るのかもしれない。
人はいつかは忘れる。だからこそ本が必要なのかもしれない。忘れないため、いつでもどこの時代でもそこでまた会うために。
周はキーボードから手を離し伸びをした。夏休みの宿題がやっと終わったのだ。
『終わったのか?』
今、古い本は周の家にある。
「うん、終わった」
『終わった』
『周』
『終わった!』
クローゼットに押し込んでいた本達は今じゃすっかり本棚の住人になっていた。もともと置かれていたフィギュア達と仲良く並んでいる。あいかわらず賑やかだ。
あれから、使わなくなった教科書にしっかりと礼を言い、お別れをした。みな、周の成長を喜んでいたが、寂しそうだった。これから彼らも新しい教科書や本にリサイクルさせるはずだ。
「またどこかで会えるさ」
家の前にリサイクル品として出された教科書達に周は言う。
『そうだな』
『その時はまったく違う本になってるかもね』
『見つけたら呼ぶよ』
みんなさよならは言わなかった。
「だけどさ、あんた古いすぎて読めないよ。ページ落ちてきて怖いや」
『うーーむ』
古い本はページをこそこそ動かした唸った。
日本語読みでユズリハというタイトルのこの古い本は櫂生さんの父が外国に行った際に買ってきた本らしくそうとう古い物だった。
「タイトルから検索をかけても引っかかないし、当時有名だったの?」
方杖を突き、古い本をの角をちょんと突く周。自分が有名だったと言い張る古い本。有名だったら再販も考えられるけど、このぶんじゃきっと絶版されているのだろう。なにしろ、環那が図書館で探せなかった品だ。
『失礼な! しかしじゃ、書店には並んでいた記憶はあるのだが・・・・・・なにしろ遠い昔のことじゃからなぁ』
だよね。と、周。
「じゃぁさ、自分の内容は覚えてるだろ? 持ち主のことあんなに覚えていたんだからさ」
うーーむ。と、またしても唸りだす古い本。
『さっぱりじゃ』
キッパリと言い切った古い本に周はガックリうなだれた。
「さいですか・・・・・・まぁいいや。すっごく内容はきになるけど、バラバラになったら嫌だし。二巻目を頑張って読むことにするよ」
ただバラバラになるのなら専門家のもとへ行き、製品し直して貰えば良いが、この本はインクムラがあり、虫食いのようになっていて読み進められない。
『図書館に行くんじゃろ?』
パタパタとせわしなく表紙を動かし言うが、様子がいつもと違い本体ごと動いている。
「そ」
図書館へ持って行くノートやらをまとめてトントンと机に叩き整頓させる。
『私も早く対に会いたい。あの時は長年、人の手を離れていたせいもあってすっかり寝ぼけていたが、今は環那のおかげでじょじょに目を覚ましているようじゃから周を紹介できるぞ』
確かに本も古くなると日焼けしたり、虫に食べられたり・・・・・・劣化はさけて通れない。物の宿命だ。どれだけ大事にしていても時の流れとは残酷なもの。本も人の作ったもの。いずれは朽ちて壊れる。手を加えないと死んでいってしまうのかもしれない。
だが、壊すのも人だが、それを支えるのも人だ。
『大事にしてくれよ?』
と、おどけて古い本が言った。
「わかってるよ」
周は微笑み表紙を優しく撫でてやる。こんなに砕けた話を出来ようになるなんて思わなかったし、今もこうして家にいるなんて考えもしなかった。
『きっと対も周のことを気にいる』
「えーー本当?」
そういうと古い本を片手に立ち上がった。
「いってきます」
『いってらっしゃい』
『いってらっしゃーーい』
部屋の中から元気な声が響く。少しおかしくなって周は笑った。
今日は環那と図書館で二冊の本を翻訳しつつ読むという約束をしていた。いつも通り自転車で図書館へ向かう。
「周くん!」
図書館前で先に来ていた環那が周に気づき手を振る。
「ごめん! 遅れた」
自転車を駐輪所に止め、環那の元へ小走りでかけて行く。
「大丈夫、私も今来たところだから」
にっこり微笑む二冊目の本を抱きかかえた環那。その言葉に安心したように微笑んだ周と、小脇に抱えられた古い本。
「行こうか」
二人と二冊は図書館に入って行った。
この古い本達は悲恋ではないと信じている。話で聞いた彼らは誰も不幸ではなかったのだから。
隣で並んで歩く環那を見る。ふいに頰が赤くなるのを感じた。とっさに古い本で
隠した顔は眩しい笑顔だった。
きっと、自分たちも。
古い本に新たな物語が刻まれていく。
おわり