天気予定 下
2014/10/30
そもそも、極論を言えば、コロニーに「降雨」や「降雪」があるのは、人類の地球へのノスタルジックな想いにすぎない。コロニー内には、低気圧も高気圧も存在しない。人工的に雨を全体に降らせるより、例えば耕作地や街路樹などに水を自動的に供給するようなシステムのほうが効率的だ。コロニーは「降雨」や「降雪」がなくても、湿度、温度管理で、季節表現は可能である。
事実、降雨も降雪もないコロニーもある。雨や雪を煩わしいと感じながらも、ひとびとは、「雨」や「雪」を望み、このコロニーを選んだのだ。
実際に「雨」や「雪」を降らせるということが、どれほどのテクノロジーが使われているか、あまり知られていない。
先輩は、追いかけてきた私を見て、にっこり笑った。勤務中なのにドキリとする眩しい笑顔だ。
「サポート、雪野さんなの?」
「は、はい。よろしくお願いします。」
頭を下げながら、やっぱり名字で呼ばれていることに、少しだけがっかりする。
「雪野さん、降雪機の出力チェックA-1からD-5まで頼む」
「了解しました。」
矢野先輩の指示で、私は、マニュアルどおりチェックリストにチェックを入れていく。
いつもなら、余裕をもってする機器点検作業も、短い時間で終えなければならない。
「矢野先輩、B-3の出力が目標数値に達していません」
「わかった。電圧は?」
「オッケーです。」
いくつものディスプレイに表示される数値を確認し、矢野先輩の指示がとぶ。
「降水用タンクは?」
「満水です。バルブ、開閉予約入れます」
私は、補助端末で、指示を入力する。
「よし。出力、基準値越えたな。」
ほっとしたように、笑みを浮かべる。
「子供たちは、朝起きて、銀世界にびっくりだな」
嬉しそうな矢野先輩の言葉に、私は驚いた。そういう発想は、私にはなかった。
「順調。順調。ありがとう、雪野さん、持ち場に戻っていいよ。あとは、俺一人でいいから」
「わかりました」
頭を下げ、私はメインルームへと戻った。矢野先輩は、私がいつも不満ばかり感じていた<サプライズ・ウェザー>を誰かへのプレゼントのように思っていることがわかった。
<サプライズ・ウェザー>は、単にお天気宝くじのためだけではないと、初めて私は感じた。
朝、八時。外気は、マイナス三度。しんしんと雪が舞っている。とても寒い。
街路樹に雪が降り積もり、歩道にも積雪がある。交通局が深夜から明け方にかけて頑張って凍結防止剤を散布したようで、メインストリートは、積雪を免れていた。
「あ……雪野さん」
駅へと向かう角を曲がろうとした時、私は後ろから不意に声をかけられた。
「矢野先輩」
勤務明けだというのに、髭もきちんと剃っていて、黒のロングコートがとてもおしゃれでカッコいい。このままデートでも行けそうな感じだ。
「今、帰り?」
「はい」
返事をしながら、恥ずかしくなる。私はモコモコのダウンジャケットに、ジーンズにスニーカー。化粧直しと、髪型は整えてきたけど、<サプライズ・ウェザー>に伴う不定期な睡眠なせいもあって、お肌の状態だってよくない。
しかも、歩道の雪に一度、足首まですっぽり埋まったおかげで、ズボンの裾は濡れている。
「どうした? 疲れてる?」
心配そうな顔で、顔をのぞかれ、私は慌てた。
「いえ。大丈夫です。寒いですね」
私は、そう言いながら、矢野先輩から視線を外す。言葉とは裏腹に、顔が熱くなる。
「夜勤明けでなんだけど、朝飯、食いにいかない?」
「……え?」
私は、思わず周りを見回す。夜勤明けに同僚と食事に行くこと自体は珍しくもない。矢野先輩に誘われたのだって、初めてじゃない。ただし必ず、他の同僚たちと一緒だった。先輩はとてもモテる。いっしょに食事に行ったと言っても、先輩はいつも他の女の子に囲まれてしまっていて、私は「そこに一緒にいた」だけで、職場にいるのと大差ない会話しかできないのが常だ。
でも、この状況下は誰かの「ついで」とか「おまけ」で誘われたわけじゃない。そう思うと胸が高鳴った。
「……他に、用事がある?」
「いえ。ぜひ。喜んで」
つい意識してしまったことを悟られまいと、私は、笑顔を作る。胸のドキドキはいっこうにおさまらないけれど、なんとか平静を装う。
「ま。朝だから、開いている店は選べないけどな」
矢野先輩はそういって、駅前から少し離れた食堂の名を挙げた。おしゃれとは言い難い店だけど、一人暮らしのサラリーマン相手の美味しい店だ。
「私、あの店の粕汁、大好きなんです。今日は寒いから、なおさらいいですね」
私の言葉に、矢野先輩はにっこりと頷いた。
サラリーマン向けの店では長居は出来ない。
私たちは温かな粕汁とごはんを食べ終わると、早々に店を出た。
せっかく、初めて二人きりでの食事だったのに、二人で話したのは、食事が運ばれてくるまでの数分で、それも他愛のない仕事の話ばかりだ。身構えて意識していたのは私の方だけだったようで、駅への道を歩きながら、寂しさを感じた。
「雪野さん、あれを見て」
小学校の校庭で、サプライズの雪に喜ぶ子供たちがいた。降り積もる雪の中、寒いのも忘れて、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりしながら、はしゃぐ子供たち。
「矢野先輩の言った通りですね」
私は嬉しそうに見つめる矢野先輩の顔を見上げた。
「私、<サプライズ・ウェザー>って、お金儲けのためだけだって、思っていました。」
くすり、と先輩が笑う。
「確かにね。今日は、久しぶりにいい仕事だった」
「友達が、お天気宝くじに夢中なんです。色々聞かれるのが苦痛で。でも、こんなふうに予定のない天気がみんなを一喜一憂させるって、初めて知りました。」
心からそう思った。同時に目先の煩わしさや面倒なことばかりに目が行ってしまい、自分の仕事の意味を理解していなかったことを恥ずかしいと思う。
「俺もちょっと前まで、<サプライズ・ウェザー>って、面倒で大嫌いだったよ」
矢野先輩はそう言うと照れたように微笑む。
「何かいいこと、あったんですか?」
「え?ああ。まあね」
私を見ながら、先輩は曖昧に答える。
「ひょっとして、『あの雨の日に』のようなことですか?」
言って、後悔する。何を聞いているのだろう。私は。
「半分当たり。半分はずれ」
謎々のようなことを言いながら、矢野先輩は歩き出す。
「同じ職場でも、サプライズの日にしか会えないひとがいるから」
はにかんだような口調で、ぼそりと言う。
誰、とは言わない。でも、好きな人の事なのだろうと想像がついた。
「それって、好きなひとに会えるとか?」
馬鹿だなあと思いながら、会話が途切れるのが怖くて、明るく聞き返す。
急に今さらのように、雪に濡れたズボンの裾が冷たく感じた。
「そ、そうかも」
照れながら答える先輩を見ながら、相手を想像する。うちの班の私の同期である風間ゆかりのことかな。あっちは、「ゆかりちゃん」で、私は「雪野さん」だもの。美人のゆかりがとてもモテるのも知っている。彼女では私に勝ち目はない。完全に白旗である。
「聞きたくなかったな……。」
「……?」
ふと漏れた独り言に、矢野先輩が振り返る。
「な、何でもないです。私も、恋をしたいなあって思っただけで」
慌てて笑顔を作るけれど、目から涙が滲む。それを知られたくなくて。
私は、矢野先輩を見ないように、足早に先輩を追い抜こうとした。
「きゃっ」
無理なルートを通ろうとしたために、雪で足を滑らした。
「あぶないっ!」
しりもちをつきそうになった私の腕がグイッと引かれて、私の身体は矢野先輩の胸に倒れこんだ。
大きくて広い胸に抱きかかえられる形になって、私は焦った。
「ご、ごめんなさい。ありがとうございます」
慌てて身体を放そうとするが、先輩の腕が私の背中にまわされ、私はさらに引き寄せられてしまった。
逃れられない強さで抱きしめられ、頭が真っ白になる。
「亜美」
突然、名前で呼ばれた。びっくりして顔を上げると、矢野先輩の黒い瞳が間近にあった。大きな手が、私の髪をゆっくりと撫でる。白い暖かい息づかいを肌に感じて、私は、どうしてよいかわからず、その瞳を見つめ返す。
時間にすれば、大した時間ではなかったのかもしれない。でも、私にはとても長い時間に感じられた。
「ごめん」
しばらくして。矢野先輩は、私の肩に手を置いて身体を離した。
反射的に、私は一歩後ずさった。
「どさくさに紛れて、つい、その……悪かった。しかも、こんな場所で」
抱擁の事を言っているのだとわかった。幸いというべきか、雪が降っていることもあり、周囲に人影はない。
正直にいえば、びっくりしたのは事実だが、嫌ではなく、むしろ胸が張り裂けそうになるぐらい、今も鼓動が早くなってときめきが止まらないけれど。先ほどまでの会話がそのときめきに棘をさす。
「いえ。滑ったのは私の方ですから」
言いながら、私は混乱していた。自分の感情をどこへ持っていくべきか、わからなかった。
「でも、先輩、案外プレイボーイなのね。彼女に叱られますよ」
ほんの少し強がって。自分の感情を隠して笑ってみせる。
「彼女?」
怪訝そうな先輩の声を無視して、私は歩き始めた。また、雪が強くなる。周囲が見えなくなるほどの激しい雪だ。
矢野先輩の真意がわからない。でも、確認するのは怖い。自分の混沌とした感情を含めて、いろんなことから逃げ出したくなった。何度か先輩の呼ぶ声がしたが、私は走り出した。
白昼のメインストリートなのに、雪が激しくて何も見えない。涙が出てきたのは、雪のせいだろうか?
「亜美」
名前を呼ばれドキリとする。いつの間にか、追いかけてきた先輩が、私の腕をつかみ、そのままグイッと路地裏に引っ張る。雪が激しくなり、表情はよく見えない。
「逃げないでくれ。お願いだ」
懇願するような口調。真っ直ぐな視線に、私は金縛りにあったように動けなくなった。
「怖がらせたのなら、謝る。嫌われても仕方ないかもしれない。でも、我慢できなかった。君が、ずっと好きだったから」
「……え?」
言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
「でも、さっき、サプライズでしか会えない職場の人って言いましたよね?」
「何か、間違っている?」
言われてみれば、私も選択肢の中には入っている。
「でも、だったらどうして、いつも私を名字で呼ぶのですか?」
他の人が当たり前のように呼ぶ私の名を、矢野先輩はわざわざ名字で呼ぶ。私はそれがとても寂しかった。
「それは、その…妙に意識してしまって」
顔を赤らめて、先輩は下を向く。
「君が、雨森と名前で呼び合っているのを見たりすると、凄く悔しくて、今日だって名前で呼びたかったけど、今さら呼びにくいと言うか……」
「雨森…ああ、徹さん?」
雨森徹さんは、矢野先輩と同じA班のひとだけど、小林班長が徹君と呼ぶので、なんとなく社内全体がファーストネームで呼んでいる、お天気用語名字仲間である。
私が徹さん、というのを聞いて、矢野先輩の表情が不機嫌に歪む。
「俺もお天気用語名字だったら良かったのにと、何度思ったか」
ピント外れな矢野先輩の焼きもちに、私は嬉しすぎて夢を見ているようだった。
「ただ、名前を呼ぶだけで心臓が止まりそうになるから、職場ではやっぱり無理だ」
言い訳っぽく、先輩が呟く。
「私も。今も……名前を呼ばれただけで金縛りにあってしまうもの…」
「亜美」
にっこりと先輩が私の名を呼ぶ。大きな手に、動けない私の肩が引き寄せられた。
「俺と付き合ってくれる?」
私がこっくりと頷くと、先輩はそのまま私の唇を唇で塞いだ。
長すぎるほどのキスを交わして、抱擁を終えると、急に寒さが体に沁みてきた。
「やっぱり、こんな雪の日に外にいると冷えてきましたね」
私はくすり、と先輩に笑った。
「それ、温めろって、誘っているの?」
笑いながら言われて、私は自分の言葉に真っ赤になる。
「そういえば、ひょっとして、俺が飯に誘ったの、ただの偶然だと思ってる?」
びっくりする私に、頭をポンと叩いた。
「俺が君を誘ったの、初めてじゃないだろ?三回続いたら、偶然じゃないと思ってよ」
どうやら<サプライズ・ウェザー>の偶然の奇跡じゃなかったらしい。
偶然でも、予定でも。どちらでもいい。
今日の天気は終日、雪。
しんしんと降る雪の中、私は先輩の腕に抱かれるように、駅に向かった。