1-9改
「……何、独りで騒いでるの?」
「……え? ……あ、いやいや。べつに何でもないよ? それより、早く着替えてこいよ。さっさとゴハンにしようぜ?」
……騒いでいたと思ったら、今度は妙に冷静な態度……結はそんな俺の様子に少し首をかしげながらも、「うん……わかった?」と、襖を開けて自分の部屋に入って行った。
――それを見送った俺は、瞬間、はふぅ~……と深いため息をつく。
……どうも、俺には〝妄想癖〟というモノがあるらしい。これからは気をつけなければ……。
っと! それよりも、だ……。
俺は、そんな反省を胸に刻みつつも、結に言われたとおり。母さんに怒られることを回避するために、〝一応〟、〝ちゃんと〟、上着と制服をタンスに片づけて、手早くいつもパジャマ代わりに着ているTシャツに着替えを済ませた。
それから、改めて隣の部屋にいる結に向かって話す。
「……よし、と。おーい、結~? 先に行ってるぞ~?」
『うん、わかった~』――という小さな声が、襖越しに聞こえた。
それを確認した俺は、部屋を出て、一階のリビングへと向かう。
「……ん?」
――と、しかしその移動途中。二階の廊下で、俺はふと、壁に引かれた何本もの〝横線〟と、そして〝小さな文字〟を発見した。
「……何だこれ?」
気になった俺はそれをよ~く、観てみると……そこには、ひらがなや、漢字混じりのひらがなで、【くらたりょうごさい】だの、【白のみや結六さい】などが順番に書いてあった。
――なるほど、俺たちの〝背比べ〟の跡か……。
これを書いたこと自体は今の今まで忘れていたが、見さえすれば今でもはっきりと思い出すことができる。――それこそ、途中の十歳くらいからは、俺が一気に結の伸長を引き離し、結が怒って比べるのを止めてしまったのだが……それまでは、この〝順番〟に引かれた線を見ても分かるとおり、抜いたり、抜かれたり、俺たちはかなりの接戦を繰り広げていたのだ。
あ、そういえば……と続けて思い出す。
あの結の部屋……俺の部屋からしか行くことができない、という、妙な形で繋がったあの部屋は、結が俺の家に住むようになってから、僅か二カ月ほどでできた部屋だ。
何でも、家の構造上廊下側に扉をつけることはできなかったらしいんだが、それでも当時の母さん曰く、
『やっぱり、女の子には自分の部屋が必要でしょ? それに、二人が大きくなった時におんなじ部屋のままじゃ、困っちゃうしね?』
――ということらしい。
この背比べを書き始めたのは、ちょうどその頃のことだから、もうあの部屋ができて十年くらいになる。
早かったような、長かったような……年寄りくさい、何て言われてしまうかもしれないが、これを見ただけで、何だかそんな、色んな気持ちがあふれてくるなぁ……。
「――あれ? 亮?」
と、その時だった。そこに、俺と同じくいつもパジャマ代わりに着ている、ちょっと、ブカブカ、なセーターに着替え終わった結が歩み寄ってきた。
「何してるの? ゴハン、行かないの???」
「ん? ああ、いや、行こうと思ったんだけど……ほら、ここに背比べの跡を見つけてさ? ちょっと眺めてたんだよ。――結も見てみろよ。俺たち、こんなに小さかったんだぞ?」
俺が言うと、へ~? どれどれ? と結が覗き込んできた。
「ホントだ~! へ~? 私たちって、こんなにちっちゃかったんだ…ね……」
「だろ? それに、かなりの接戦だったんだよな……って、あれ? 結???」
「…………」
――気がつくと結は、無言無表情のまま、固まっていた。
……なぜ? そう不思議に思い、俺は結の視線を辿って行くと……ああ、なるほど。
結の視線は、あのダントツで〝一位〟に輝く、一本の線。
【倉田 亮 十歳】――に、注がれていた。
「……ゴハンだよ。こんなのどうでもいいから、早く行こ?」
そう呟いた結は、それ以上何も言わず、さっさと階段を下りて行ってしまった。
…………よほど、悔しかったのだろうか……?
俺は、同じく黙ったまま、ただその後に続いた……。