第一話 乱暴食漢①ー未明彩斗というつまらない人間
何もしたくない……
何も考えたくない……
何も感じたくない……
何も言いたくないし、聞きたくないし、見たくないし、触りたくないし、食べたくない……
様々な『やりたくない』を感じたことは誰しもがあることかもしれないが、彼には常々そう感じていた時期がずっとあった。
それは人間として『生きる』ということへの放棄でもあり、究極の『怠惰』とも言えるのかも知れない。
そのとき、未明 彩斗は『生きる』を放棄しようとしていた。
(めんどくさいな)
そんな単純な思考しかできなくなるまで彼は精神的にも身体的にも衰弱しきっていた。
彼は自分の部屋で餓死しかけていた。
一頻りあらゆるものにケチをつけ、辟易して、絶望してから行き着いた先が六畳一間の古びた賃貸アパートの一室で餓死するという人生のエンディング。
あまりありふれたケースではないかもしれないが、一般的な尺度で見るとその人生の終え方はまさにバッドエンドだろう。
かわいそうであり、残念、お気の毒な状態なのだろうが、しかしこれは彼自身が望んで選択したことで、しかも彼にとっては日常的な選択支からの延長線上の終着点にすぎなかった。
お腹が空いてしまったけれど、ゴハンを買いそびれたからもうこのまま餓死してしまおうかという気軽い選択からはじまったもの……
というより、正確に言うとそれは『選択』と言えるほど能動的なものでもなかった。
ただ生きるために『食べること』が面倒だと思っただけだった。
彼がこのまま餓死することを受け入れようとしたのは、死にゆくということが自分の想像していたものよりも辛く苦しいものではなかったからだ。
苦しくないのは意識がもうろうとしていたからだったのだが、そのときの彼にとっては大変ありがたいことだった。それは彼が最も避けたいものの一つだったから。
(あとはこのまま意識を失い、この世を去るだけ)
しかしその時、薄れゆく意識の中で生前、彼がどうしても治せなかった(治そうと努力したことは無い)、彼にとっての最大の悪癖がでてしまう。
(……)
(……去る?)
(去るって何だ?)
(去ると言うことはどこか別の場所へ行くということなのか?)
(どこへ?)
(死んだら……どうなる?)
疑問は思考の源……
彼はあぁしまったと後悔もしたが、ときすでに遅く考え始めたら自身の思考をもうコントロールできなくなっていた。そして自身にまだそんな余力もあったのかという驚きもそのときわずかに感じていた。
(死んだらどうなる?)
(生まれ変わる?)
(人間に? 他の生き物に?)
(どちらにしても面倒くさいな)
(また生き直さねばならない。また始めからやり直すなんて面倒くさすぎるだろう……)
(しかし生まれ変われば性格も変わり、生きることに楽しみも見いだせるような生き物になるかもしれない可能性もある……あるにはあるが、そうでない可能性もある。今の自分のような性格に、いや下手をすれば記憶が残ってしまうなんてことも……恐ろしい。リスクが高すぎる、どうなるかなんて考えたくもない)
(もう考えたくない、やめてくれ)
自分自身そう思いながらも考え続けることをやめない自分自身。
(生まれ変わりがないなら死後の世界へ行く?)
(天国や地獄? そんなものがあるのだろうか?)
(そもそもそんなものは宗教とかの考え方なんだ、現実的じゃない)
生まれ変わり以上にありえなさそうと思いながらも、それでも考えてしまう。
(もし仮にそのようなものがあると仮定しても、死後の人間を生前の行いで分別するのならば自分が良い評価のはずがない、よって良い待遇など待っているわけなどなく、なにか苦行や試練など課せられようものならもう最悪だ)
(もう考えたくもない)
(幽霊にでもなるのか?)
(いやそれはないか。未練なんてものはない……すぐに諦められるのが数少ない自分の長所なんだ)
(じゃあどうなる? 無に帰す? 消える? 全部なくなる? 何もしなくてもよくなる?)
(というかそもそも魂なんてものが本当にあるのかすらわからない。今考えている自分自身だって集まった脳細胞が信号を発しているだけなのだろう? 脳細胞も死滅すれば忌まわしいこの『自分』もただ消えてなくなるだけ)
(それが今の自分にとっては最良だが、ただ……人生そんな都合よくは行かないのだろうな)
(こんな世界に期待なんてするもんじゃない。そんなことはよくわかっているはずだ)
(あぁ最悪だ。しかしまだ死なないのだろうか? こんなことならもっと……)
(あぁ死ぬのも……)
(面倒だ……)
彼はそのまま意識を失った。
実を言うとこれは少し過去の話。
この後、彼は気を失って少ししてから、家賃滞納の文句を言おうと訪れた大家に偶然発見されて病院に運ばれ一命を取り留める。
結果的に彼は餓死しなかった。