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突き抜けるような青空の中、淡く薄い花びらが舞う。桜の花びらで敷き詰められた運動場を眺め、麻綾はぼんやりと人の群れを見ていた。
四月になり、ついに高校三年生になった麻綾はやはり進路を決めかねていた。勉強は普通だ。運動も実は普通で、剣道以外に突出したものはない。ならば剣の道をと思うが、それが役に立つ事はないし剣道は別に役立てるものではない。剣道は好きだがそれをどう生かすかはまるでわからなかったので今日のプリントも真っ白のまま提出してしまった。
「マーヤ、また白紙で出したんだって?先生困ってたよ」
まるでアニメのキャラクターのように丸く愛らしい声をした女の子が顔を出す。声の通り、丸い瞳に小さな鼻と口、ふわふわ天使のくせ毛ヘアーが肩の上で揺れている。友人の間中椎音だ。
麻綾はうつむいていた顔を起こすと、ため息交じりに背もたれに反り返って腕を組んだ。その隣に椎音が座る。
「わからないんだ。どんな道に進んでいいか」
「マーヤは真面目だねぇ。女なんて、とりあえずちょこっといい大学行って、ちょこっといい企業に入って、ちょこっと可愛い笑顔浮かべていい男をちょろっと手に入れればそれでいいのに」
椎音の見た目は人形のように愛らしい。しかし内心は真っ黒だということを麻綾はよく知っているので、椎音の笑顔もさらりとかわす。それでいて椎音は勉強できるので反論する人はいないだろう。反感は買っても。
「椎音の進路は?」
「とりあえず隣の県の大学。一人暮らししないと、ちょこっといい男は手に入らないんだもーん」
麻綾が返事に悩んでいると、ガラガラと扉が開いた。麻綾と椎音が顔を上げると、流行の髪形が崩れていないか気にしながらも寄りかかるように立っている男子が麻綾を見た。
「姉ちゃん!」
「嵩昌……。どうしてここに」
急いで近寄ると、頭一つ以上大きい顔が麻綾を見下ろす。麻綾の背は凛々しい顔とは裏腹に小さい(本人も気にしている)。弟であり今年入学した嵩昌は嬉しそうに姉の頭を軽く叩いた。
「不思議だなあ、姉ちゃんと一緒の高校に通えるだなんてさあ。うーん、余所で見る姉ちゃんもかっこいい」
「妙な奴だな……家と同じだし、中学の時も同じだっただろうに」
「その男勝りな口調と制服がグッドコラボレーション……!最高!」
嵩昌は顔を輝かせて親指を立てた。あまりの台詞と笑顔にクラス内がどよめいているが、姉と弟が気づいた様子はない。いつもの事だった。
「それで、用件は?」
「グッドにクールだぜ、姉ちゃん!国語の辞書を貸してください」
きらりと白い歯を輝かせた瞬間、腰がご丁寧に90度折れ曲がる。麻綾はため息を混じらせながらも席に戻り、鞄の中から分厚い辞書を取り出す。
「今日、でかでかぷっちんちゃんを買って用意しておくこと」
「ははー、麻綾大明神様ー」
嵩昌は拝むように両手をこすると、賞状を受け取るように辞書を受け取った。ちなみに、でかでかぷっちんちゃんはコンビニ限定スイーツで、掌で覆うほどの大きさの中に薄いクリームとキャラメが層になったソースが絶妙なハーモニーを奏でるプリンの事だ。
「あ、でも今日は部活体験してくるから遅くなるかも」
「どれにするか決めた?」
「もちろん、サッカー!時代は俺を求めている!」
蹴るふりをしてさわやかな輝きをまき散らす。どうやら、嵩昌の中でその仕草はかっこいい代表だと思っているらしい。
「だから、一緒に帰って途中のコンビニで買おうよ」
「時間が一緒だとは限らないぞ」
「大丈夫。俺、待ってるから」
今度は一変して凛々しい顔を作る。そうすると途端に麻綾に似るから兄弟は不思議だ。嵩昌は何度も手を振りながら出ていくと、麻綾の後ろで呆れた声がした。
「嵩昌君、相変わらずシスコンだねー。それも重症。重病。病んでる。見た目はマーヤと似ててかっこいいしチャラいのに、悪いもの持ってるんだろうねー」
椎音は何度か家に来て、嵩昌のシスコンっぷりを見ているのであまり驚かないが代わりによく呆れる。可愛い顔を崩し、じっとりと半眼で麻綾を見る。
「あいつはいつまでも甘えん坊で困る。いい加減、もう少し成長してほしいけど」
「そういう問題じゃなさそうだけど……。マーヤって鈍感だしなー、じゃなかった、あれが普通だと思ってるからわかんないのか、そうか……。嵩昌君、モテるのに残念って評判だけどマーヤもいろいろと残念かも」
「それはどういう意味だよ」
むう、と頬を膨らめる椎音は思わず「ギャップ可愛いー」とからかった。
「次は数学だっけ?げ、菅野じゃん。寝れないわー。睡眠不足はお肌に悪いのに」
家で寝ればいいんじゃない、なんて言ったところで椎音には通じないので、麻綾はおとなしく教科書を机の中から取り出した。しかし扉が開き、クラスの一人が顔を出す。
「次、急きょ入れ替えだってさ。生物、教室移動しろって」
クラス内は口々に「面倒ー」「いきなり言うなよ!」などの文句が飛び交ったが、従うしかないので教科書を急いで入れ替え、全員教室から出た。
「もっと寝れないじゃん!最悪よね」
椎音はぷくぷくと頬を膨らましながら大股に進む。その後ろを麻綾も歩いていたがチャイムが鳴りそうだったので小走りに進む。生物室は一階の廊下奥にある。麻綾たち三年生は三回にあるため、急いで駆け下りなければならばい。しかも四月とはいえ日の当たらない寒い教室なので気持ちは階段のように転げ落ちていく。
一階に到着した後は真っ直ぐ進むだけだ。途中の教室に嵩昌らしき、髪形を異様に気にしてるばかりで何の準備もしていない生徒がいたが麻綾に気づいた様子はない。
だがその隣から麻綾を見ている男子がいた。
抜けるように青白い肌、顔にかかるほどの髪は染めているのか地毛なのかわからないが亜麻色をしている。ガラスのように透き通って見える瞳は真っ直ぐに麻綾を見ている。とてもおとなしそうで、嵩昌とはまるで真逆の、静かな空気をまとっている。
そんな知り合いいただろうかと考える前にチャイムが鳴り、麻綾と椎音は急いで廊下を駆け抜けた。