◆◆ 言わなくちゃ。 ◆◆
覚悟を決めてきたものの・・・、頭がくらくらしてきた。
大丈夫なんだろうか?
玄関にたどり着いた途端に倒れたりしたらどうしようもないぞ。
チャイムを押すのも勇気がいる。
でも、あんまり時間が経ったらおかしいし・・・あ。
「いらっしゃい。」
迷っている気持ちを察してくれたんだろうか?
玄関に到着するのを待っていたようにドアが開いて、茉莉ちゃんのお母さんがにっこりと笑った。
「あの、こんにちは。」
笑顔が茉莉ちゃんと似ている。
茉莉ちゃんが、何か楽しいことを考えているときの笑顔と。
「夕食どきにすみません。茉莉花さんと少しお話しを・・・。」
「はいはい。そうね・・・、とりあえず、玄関に入って待っていてくれる?」
「はい。」
よかった。
部屋に通されるよりも、玄関のせまい空間の方が話しやすい気がする。
玄関と廊下がずれていて見えないから、なんとなく落ち着くし。
「いいから、早く行きなさい。」
お母さんの声。
茉莉ちゃん、俺と顔を合わせたくない?
・・・そうだよな。
さっき、あんなふうに別れたばかりで。
でも、出て来てください!
お願いします!
・・・あ。
よかった・・・。
廊下の角から現れた茉莉ちゃんは、さっきの服装のまま、髪をほどいていた。
いつものメガネ。
ピンク色のスリッパでそろそろと、少し拗ねた顔をして。
「茉莉ちゃん。」
俺の決意を感じた?
名前を呼ぶとハッとして、上目づかいに俺を見る。
「今日、言えなかったことがあったから・・・、それを言いたくて来た。」
「言えなかったこと・・・?」
訝しげな表情。
どんな想像をしてる?
「うん。俺、ずっと、茉莉ちゃんのことが好きだった。」
「・・・え?」
「今日はそれを言おうと思ってたんだけど、言えないままになっちゃって・・・、それで、今。」
ああ、やっぱり驚いた?
・・・あれ?
なんか・・・怒ってる・・・?
「どうしてさっき、言ってくれなかったの!!」
うわ!!
「なんで、今ごろ言うのよ!!」
「あ、あの、ごめん!」
だけど・・・それは。
茉莉ちゃんがそう言うってことは・・・やっぱり?
「だけど、茉莉ちゃん。」
ダメだ。
顔が・・・微笑んでしまいそうだ。
「なによ?」
まだ怒ってる?
でも。
「茉莉ちゃんが、先に断ったと思ったんだよ。」
「・・・え?」
「俺、入試の日には、このメガネをかけていなかったから・・・。」
これが俺の見当違いだったらみっともないな。
だけど・・・。
「うそ・・・。」
やっぱり・・・そうなんだね。
ああ、茉莉ちゃん。
きみの記憶力は、あんまり当てにならないんじゃないかな?
「うそじゃないよ。あの日は古いメガネで。」
「古いメガネ?」
「うん。このメガネは中3の途中で変えたんだけど、前に使ってた方で模試のときにいい点が取れていたから、縁起をかついで、入試の日には古い方をかけて行ったんだよ。」
「古い・・・メガネ・・・。」
そんなにびっくりした?
「じゃあ、じゃあ・・・、あれは・・・・誰?」
「さあ?」
俺にそっくりな誰かさん?
「数馬くんは・・・誰?」
茉莉ちゃん!
混乱しちゃってる?
まったく・・・・・かわいいよ。
「俺は」
そうだ。
胸を張って言わなくちゃ。
「茉莉ちゃんのことが好きな、日向数馬です。」
どうしてあんなに言えなかったんだろう?
茉莉ちゃんを好きなことは恥ずかしいことじゃないのに。
みんなに聞いてもらいたいくらいだ。
俺は茉莉ちゃんが好きだ!
「茉莉ちゃんにとっては人違いかもしれないけど、俺は間違いなく、茉莉ちゃんのことが好きです。」
笑いがこみ上げてくる。
どうしたんだろう? ハイになっちゃってる?
「人違い・・・。」
茉莉ちゃんは・・・呆然?
そうだよな。
入試から一年半以上。
ずっと、その誰かのことを俺だと思って。
ずっと・・・。
「茉莉ちゃん。」
「あ・・・、はい。」
「俺じゃ、ダメかな?」
「・・・え?」
「俺が・・・入試のときに会った相手じゃないから、ダメ、かな?」
茉莉ちゃん。
俺、そんなに不思議なことを言った?
そんなふうにまっすぐ俺のことを見てくれたのって、初めてじゃないかな?
ちょっとくすぐったい気がするよ。
「あ・・・。ダメ、じゃないです。」
茉莉ちゃん。
「わたし・・・、わたしが好きなのは、今、目の前にいるひと。」
ああ、茉莉ちゃん。
「記憶の中の誰かじゃなくて・・・、一緒に話したり、笑ったりできるひとです。」
やっと微笑んでくれたね。
「うん。・・・ありがとう。そして、これからも一緒に思い出を作っていく相手のつもりだけど?」
「・・・はい。」
あ。
この笑顔だ。
「わたしも、そのつもりです。」
すごく嬉しそうな、幸せそうな笑顔。
ずっと前、学校の帰りに見せてくれた笑顔。
あのとき、どうして気付かなかったんだろう?
「ふふ。」
茉莉ちゃんが笑ってる。
楽しそうに。
それだけで、こんなに幸せだ。
「来てくれてありがとう、数馬くん。」
「うん。」
手を握っちゃっても・・・いいかな?
「ジャスミン? お話しは終わったの?」
あ、お母さんの声?
なんだか、タイミングが良すぎるような・・・。
「あ、うん! 終わったよ。」
“もうちょっと” とは言ってくれないんだね。
まあ、夕食の時間だし、仕方ないか。
「あの、今日はこれで帰るよ。また・・・あ。」
お母さん。
わざわざ見送りに出てきてくれた?
「日向くん、どうもありがとう。」
「いいえ。急にお邪魔して、すみませんでした。」
「いいのよ。ジャスミンが帰ってから元気がなかったから、日向くんが来てくれてよかったわ。うふふ。」
「お母さん!」
「あら、いいじゃないの、言ったって。ねえ、日向くん。このまま、うちで夕飯を食べて行かない?」
え?
「あの・・・、でも、急にでご迷惑では・・・?」
「大丈夫よ。今日はすき焼きなの。」
すき焼き・・・。
今日、話題になったばかりの・・・。
「すき焼き? ああ、あのお肉ね!」
“あのお肉” ?
「あのね、お母さんが応募した懸賞で当たったの。最高級和牛すき焼き用1kg! 三人で必死で食べないとねって言ってたんだけど、数馬くんがいてくれれば、すごく助かるよ。ね、お母さん?」
「ええ。だから遠慮しないでどうぞ。」
そんなふうに言われたら、断れないなあ・・・。
「はい。ご馳走になります。」
「よかった!」
茉莉ちゃんが喜んでくれている姿が一番嬉しいな。
「お母さん。数馬くんは焼き豆腐が好きなんですって。」
「あら、そうなの? じゃあ、少し買い足した方がいいわねえ。」
「あ、あの、べつにそこまでは。」
焼き豆腐くらいのことで・・・。
「大丈夫。このマンションの一階にスーパーが入ってるの。お母さん、わたし、数馬くんと一緒に行ってくるよ。」
「じゃあ、そうしてくれる? 今、お金を持って来るわね。ええと、ほかには・・・。」
そうだ。
夕飯いらないって、家に連絡しないと。
携帯は・・・。
「ねえ、数馬くん。」
「あ、なに?」
「うちのすき焼きなら、取り合いにならないでゆっくり食べられるよ。」
茉莉ちゃん・・・。
そうやって楽しそうに笑ってくれるんだね。
「そうだね。俺にとっては初めての経験だなあ。ははは。」
「すき焼きの気分が出なかったらごめんね。」
「そんなことないよ! なんたって、 “最高級和牛” なんだから。兄貴たちが悔しがる姿が目に浮かぶよ。」
「そう? よかった!」
たぶん、最高級和牛よりも、茉莉ちゃんと一緒に夕飯を食べることの方を、兄ちゃんたちは羨ましがると思うよ。