◇◇ もう、おしまいに。 ◇◇
一緒にいるのがつらい。
数馬くんと・・・だけじゃなくて、みんなとも。
たった15分の道のりさえ耐えられない。
そのあと明るい電車に乗ることは、もっと。
胸がきりきりと痛い。
悲しくて。
悲しくて・・・でも、涙は出ない。
心が空っぽになってしまったみたい。
学校に定期を忘れたって言い訳して、別れて戻って来たけれど。
向こうから歩いて来るのはうちの生徒?
反対方向に歩いているのは変だよね?
どうしよう?
・・・ここで曲がっちゃおう。
駅の方向は分かっているんだから、迷うことはないはず。
一人で歩いたら、気持ちの整理ができそうだし。
曲がった先は立ち並ぶ家。
2軒ほどの家を過ぎて、ふと気付いた。
いつの間にか、こんなに暗い・・・。
こういうところを「閑静な住宅街」って言うのかな?
街灯が点いているし、門灯も並んでいるけれど、誰も歩いていない道。
どうしよう? ちょっと怖い。
元の道に戻った方がいい?
だけど、あっちはうちの生徒が・・・ほら、今も楽しそうに。
こんな横道から出て行ったら、変に思われちゃう・・・。
誰か来た!
男の人?
この辺に住んでいる人?
なんだか急いでいるみたい。
もしかして、あとをつけられてたり・・・?
こんな道だし・・・でも、学生服?
門灯に浮かび上がった姿は・・・。
細身で長身、銀縁メガネにクセのある髪。
スポーツブランドのバッグを肩から斜めにかけて。
芳くん・・・?
「茉莉花!」
もしかして、心配して追いかけてきてくれた・・・?
「よかった、追いついて。」
少し息を切らして、にっこりと笑って。
「思ったより歩くの速いな。学校に戻ったって聞いたけど・・・学校はこっちじゃないよ?」
「うん・・・。」
どう説明したらいいんだろう?
「それとも、このあたりに誰か住んでるの? 知り合いとか?」
「違う・・。」
「そう・・・。」
軽くため息をつきながら、 “仕方ないなあ” という顔で微笑む。
その表情が・・・啓ちゃんに似てる。
「このまま少し歩く? 一人になりたいなら、少し離れてついて行くけど?」
・・・・・。
見慣れた少しからかうような笑顔をぼんやりと見上げてしまう。
分かってるんだ。
わたしがみんなと一緒にいたくなかったってことを。
でも、何も言わずに付き添ってくれる・・・?
「・・・後ろからついてきたりしたら、変なひとと間違われちゃうよ。」
「ん? ああ、そうだね。それは困るな。」
楽しそうな笑顔につられて、わたしも思わず微笑んでしまう。
芳くんといると、硬くなっていた心がほぐれて行くような気がする。
「少し・・・遠回りして駅まで行ってもいい?」
もともと用事なんてないんだもの。
「承知しました、お姫様。」
お姫様?
ふふ。
わたし、わがままなお姫様だね。
芳くんと並んで無言で歩く道。
暗い道を照らす街灯と家の門の明かりは、不思議と心を落ち着かせてくれる。
芳くんのリラックスした雰囲気も、わたしにはありがたい。
立ち並ぶ静かな家からは、夕食の支度をする匂い。
「あ、カレーだ。」
それまで黙っていた芳くんがつぶやいた。
「うん。そうだね。あ、こっちの家は魚を焼いてる。」
「ホントだ。何だろう? アジの干物?」
「干物・・・みたいだね。干物ならサンマが好きなんだけど。」
「サンマの干物も美味しいけど、俺はサンマは塩焼きの方が好きだな。大根おろしで。」
「ふふ。芳くん、日本人だね。」
普通の会話にほっとする。
少し笑ったことで、気分が軽くなった。
・・・言ってしまおう。辛かったこと。
今なら苦しまずに言葉にできそう。
誰かに話せたら、心の中で片付きそうな気がする。
「あのね、芳くん。」
「ん?」
「わたし・・・失恋しちゃった。」
言っちゃっ・・・。
「えええええぇ?!」
えええぇ?!
どうしてそんなに驚いてるの?!
そんなにびっくりしている芳くん、初めて見たよ。
「あの、そんな声出したら、ご近所迷惑だよ。」
「誰に?!」
誰にって・・・知ってるはずなのに。
「え、と、あの・・・、数馬くん・・・に。」
「はあ?!」
なんだか反応が・・・?
「茉莉花、数馬に言ったの?」
「え・・・? いえ、言ってはいないけど・・・。あの、声が大きい・・・けど?」
「じゃあ、どうして?」
聞こえてない?
「あの、数馬くんには・・・好きなひとが・・・。」
「どこに?」
そんなに変なこと?
数馬くんだって高2なんだし、好きなひとくらいいても当然だと思うけど・・・。
「それはちょっと・・・。隠しておきたいのかも知れないし・・・。」
「意味分かんないよ・・・。」
芳くん、あんなに大きなため息ついて・・・。
数馬くんに好きなひとがいるって、そんなにショック?
「ごめん、茉莉花。少しゆっくり話を聞かせてくれるかな? どこか・・・座って。」
立っていられないほどショックだった?
あらら・・・、またため息ついてる。
「ああ、もうすぐ駅だね。たしか、コンビニの横にベンチがあったと思うけど。」
「うん・・・。」
芳くんの反応を見ていたら、くよくよ考えているのは間違った反応のような気がしてきた・・・。
「で、その話を信じてるわけ?」
駅前のコンビニ前にある植え込みに囲まれたベンチで、わたしの話を聞いた芳くんが言った。
「だって、桃ちゃんってすごい自信家で、わたしに向かって “無理だ” なんて言ったことないもん。」
おとといの朝に聞いた、桃ちゃんの話。
芳くんを信用して、桃ちゃんの名前も出した。
そもそも7組には女子が6人しかいないから、隠しても分かってしまいそうだし。
「そうなのか?」
「うん。中学のころからそうだったよ。桃ちゃんは可愛いくて、頭もいいから、自慢できることがたくさんあるんだもの。仕方ないよ。」
その自慢する相手がわたしだってところが嫌なんだけど。
「だけど、そんな話だけで決めるなんて。」
「話だけじゃないよ。見たもん。」
「見た? いつ?」
「今日。委員長会議で。」
「会議で? 何も気付かなかったけど・・・?」
「それは、芳くんが何も知らなかったからだよ。わたしはちゃんと見ていたの。桃ちゃんの話があったから。」
「あ、そう。」
「もちろん、会議のあいだは特別な様子はなかったよ。だけどね、」
そう。
そのあと。
「会議が終わってから、二人で楽しそうに話してたよ。」
「終わってから? ・・・ああ、あのときに残ってたのは森川さんだったのか。」
「そう。最初は連絡事項の話をしてたんだけど、そのあと森川さんが数馬くんにCDを渡して、二人で笑いながら話してて。すっごく楽しそうだった。」
わたしが見ていることに気付かないほど。
「数馬くんが女の子とあんなふうに話しているところ、去年だって見なかったよ。」
「見なかったって・・・。はぁ・・・。茉莉花の目は、いったいどこに付いてるんだ?」
またため息つかれちゃってる・・・。
「どこって、前だよ。」
「頭の後ろにでも付いてるのかと思った。・・ほらほら、そんなふくれっ面しないで。」
だって。
わたしが言ってること、信じてくれてないでしょう?
「どうしたらいいんだろうねえ・・・。」
どうしたらって、決まってるよ。
「わたしがあきらめればいいんだよ。最初から無理だったんだから、それで解決。」
なんだか、悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
「あれ? なんだよ、めずらしい組み合わせだな!」
え?
あ。栗原くんだ。
コンビニから出てきたところ?
学生服をだらしなく着た栗原くんが、ポケットに手を突っ込んで、大股で近づいてくる。
去年から変わらないその姿に安心して、思わず微笑んでしまう。
隣で芳くんが「よお。」と手を上げた。
「どうしたんだよ? 二人だけ?」
栗原くんが周りを見回しながら、芳くんの隣に腰かけた。
「茉莉花が失恋したって落ち込んでるから、なぐさめてただけ。」
「芳くんっ?! なんでっ?!」
栗原くんにそんなこと?!
「失恋? 大野が? 誰に?」
「やめてやめてやめて!」
「痛いよ、茉莉花。そんなに揺さぶったら・・しゃべれない・・・。」
しゃべるな〜〜〜!!
「わかった。わかったよ。言わないから。・・・ふぅ。」
ふぅ・・・、は、こっちのセリフだよ!
「まあ、そういうわけでね。あ、そうだ! 二人とも、明日かあさって、空いてる?」
「わたしは土日は特に用事はないけど・・・。」
「俺はあさってなら空いてるな。」
「じゃあ、あさって、どこかに遊びに行かないか? 三人で。」
三人・・・芳くんと栗原くんとわたしで?
「失恋した大野と彼女がいない俺たち、あぶれ者三人でってわけ? ははは! このメンバーだったら面白いな、きっと。いいぜ。」
「わたし・・・あんまり遊びにって行ったことがないんだけど・・・。」
生徒会の交流会は、けっこう苦痛だったし・・・。
それに、女子一人っていうのも初めてなんだよね・・・。
「そうなのか? じゃあ、俺と和田で大野を楽しませる会だな!」
「あ・・・、ありがとう・・・。」
この二人、そんなに仲良かったっけ?
たしかに気が合いそうだけど・・・。
「よし、決まり! 帰りながら俺と栗原でどこに行くか決めて、茉莉花に知らせるよ。」
「うん・・・。よろしくお願いします。」
まあ、いいか。
少し強引だけど、芳くんと栗原くんと三人だったら、ほんとうに楽しそう。
ずっと笑っていられそうだよね。
気晴らしにはちょうどいいかも。