◆◆ おしゃれしてみる? ◆◆
「翔くん、久しぶりねえ。さあ、入って、入って。」
「はい。お邪魔します。」
九重祭のあとの日曜日。
栗原・・・翔と茉莉ちゃんがうちに来た。
茉莉ちゃんのレッスンのお礼を兼ねて、本番を見に行けなかったうちの母親に録画したDVDを届けるため。
兄貴たちは二人ともいない。
男が一緒に来るとわかって、出番がないと思ったんだろう。
父さんはゴルフを断れなくて、残念そうに出かけて行った。
「傷はいかがですか?」
茉莉ちゃんが尋ねる。
「大丈夫。傷っていうほどのものはないのよ。数馬が大げさに言ったんでしょう?」
母さんは、家の中で思い切り転んだことが恥ずかしくて隠しておきたかったらしい。
けれど、そんなこととは知らなかった俺が、正直に茉莉ちゃんに話してしまった。
それを母さんは、ちくちくと言うのだ。
「そんなことありません。酷くなくてよかったです。」
あんなに舌が回るんだから、どこも何ともなかったんだよ。
まあ、あの日に航平兄ちゃんから病院に行ったって聞いたときには、心配したけど・・・少しは。
それにしても・・・。
茉莉ちゃんがうちに来るのは嬉しいけど、翔と一緒っていうのが納得いかない!
二人で来るからって、俺が茉莉ちゃんを迎えに行く必要もなくなった。
茉莉ちゃんはもう家の場所を知っているんだから一人で来たっていいのに、わざわざ駅で待ち合わせして・・・。
いや、それを言ったら、すでに俺が迎えに行く必要がないんだけど。
「数馬。手伝ってちょうだい。」
「うん。」
茉莉ちゃん・・・やっぱり翔の隣に座るんだよね?
あーあ。
また焼きもちか。
俺って、どうして・・・ん? こっちに来る?
「わたしもお手伝いします。」
茉莉ちゃん!
やった!
「あら、そう? ありがとう。じゃあ、数馬はいいわ。」
「え? あの、俺も。」
「茉莉花ちゃんがいてくれれば大丈夫。数馬は翔くんのお相手でもしてなさい。」
そんな!
「茉莉花ちゃん、このケーキをこのお皿にお願いね。」
「はい。」
「ほら、数馬。用もないのにうろうろされたら邪魔よ。」
うろうろって・・・。
いつも俺に手伝わせてるくせに。
「数馬。来月よろしくな。」
「来月? ・・・なんだっけ?」
「生徒会の『あいさつ週間』のときに、風紀委員が服装チェックをやるから。」
「ああ。うん。」
去年まで、服装チェックは各クラスでやっていた。
翔と茉莉ちゃんも。あれは嫌な気分だったと思う。
それを今年から、登校時間に一斉にやることにしたのだ。
その方が委員が孤立しないで済むし、実際に違反している生徒はそれほど多くないから。
こんなふうに変わったのは、翔が風紀委員長になったからだ。
みんな嫌がって連続でやることがない風紀委員だから、今までは前の年の困ったことを改善する提案が出てこなかったんだと思う。
委員になったら、とりあえず仕事をこなして終わり、みたいな。
でも、今年は翔が2年目で、去年の困ったこと・・・というか、やりづらかったことを変えようと思ったらしい。第一回の委員長会議のあと、活動計画の変更のことを訊きに来た。
あのときは楽をしたいんじゃないかと思ったけど、よく考えたら、精神的負担が軽くなれば、風紀委員ばかりが敬遠されることもなくなるはず。
翔は・・・ちゃんと考えているんだ。
「お前、いつもの服装でやるのか?」
「うーん、それが悩みどころなんだよな。まあ、一応、学ランの前を閉めようかと思ってる。」
「ああ! そうすれば、ちゃんとして見えるもんな! 中身はどうでも。」
「そういうこと。あとは髪型を少し控えめにして。」
「ふうん。その髪の毛って、どうやってるわけ? 櫛でとかして、じゃないよな?」
「あれこれ使って手で・・・。あ、数馬もやってみたい? なんだよ、色気づいちゃって。」
ニヤニヤするなよ!
「色気って・・・。自分はやっても当たり前で、俺はそういう扱い?」
「だって数馬って、そういうことには興味なさそうな顔してるじゃん。」
興味なさそうな顔・・・。
「そういうわけでもないけど・・・。」
そんなふうに見えてた?
まあ、そうかもな。
「お待ちどうさま。どうぞ。」
ああ・・・。
茉莉ちゃんにケーキを配ってもらえるなんて幸せだ〜。
まるで彼女みたい♪
「ありがとう。」
きれいなケーキが茉莉ちゃんによく似合うよ! ・・・なんだか父さんみたいだな。
そうだ。
学校が給食だったら、茉莉ちゃんが給食当番の日だってあったはずなのに。
そうすれば・・・だめだ。
給食当番はみんなに配るんだから。
俺だけの茉莉ちゃんってわけには行かなくなってしまう。
「なあ、大野。数馬にはどんな髪型が似合うと思う?」
うわ、翔。
そういう話題、茉莉ちゃんに振るのはやめてくれよ。
「数馬くんに・・・?」
あ〜〜〜!
その控えめな視線が可愛い・・・、けど、恥ずかしい!
「よくわからないな・・・。この前の、不良っぽいのも似合ってたと思うけど・・・。」
「あら、茉莉花ちゃん。この前のってなあに?」
あ、まずい!
母さんには何も・・・。
「あ、その。」
茉莉ちゃんがちらりと俺を見る。
表情が「ごめんなさい。」と言っている。
「あれ? おばさん、知らなかった?」
翔?!
こっちにジョーカーがいたか!
「後夜祭で、生徒会が制服のファッション・ショーみたいのをやったんです。そのときに、ええと、写真が・・・。」
携帯に入ってるのか?!
ああ・・・。
「あった。ほら、左側が数馬です。」
「ええ?! あら、ほんとだ、数馬だわ。まあ、意外に似合うわねえ。」
感心してる・・・あれ?
その写真だと、茉莉ちゃんも?!
ケーキを配りながらテーブルの横に膝をついていた茉莉ちゃんを見たら・・・手もとのお盆を見たまま固まっている。
「ねえ、この真ん中の子、お化粧がリアルねえ。」
「誰だかわかります? ちょっと写真が小さいけど。」
翔!
なんで写真なんか出すんだよ!
俺が睨んでいるのを見て、いたずら顔で笑う。
「女の子の知り合いは・・・あら? 生徒会ってことは・・・。」
「わたしです・・・。」
「え? 茉莉花ちゃんなの? まあ、全然分からないわ。」
「かつらも被ってますから・・・。」
なんか、ごめん。
話題が変な方に・・・・あれ? 笑ってる?
「それ、うちの母と叔母に、すごく笑われたんです。でも、その当日、一番笑ったのは数馬くんなんですよ。」
茉莉ちゃん?!
「まあ、そうなの?」
「え、いや、ちょっと・・・。」
「そのお化粧は先生がしてくれたんです。出来上がってかつらをかぶった途端に数馬くんの笑いが止まらなくなって、わたしは数馬くんの前に出ないようにってみんなに言われて。」
「女の子を笑うなんて、ダメねえ。」
「ふふ、困ってしまいましたけど、あとで明るい場所で鏡を見て、自分でもびっくりしたくらいだから仕方ないです。失敗したのも助けてくれましたし。」
あれ?
さりげなくフォローしてくれた?
「そうなの? 今の生徒会って楽しそうね。」
「はい。楽しいです。」
楽しい・・・。
うん。楽しいよ。
茉莉ちゃんが楽しいと思うどこかに、俺が役に立っているならいいな・・・。
「こうやって、根元から持ち上げるようにして・・・。」
床に座った俺の後ろに回って、髪をもそもそと触っている翔。
すぐ横で膝立ちになって、翔の手元・・・というか、俺の頭を興味深そうに見ている茉莉ちゃん。(どうせ見つめるなら、顔にしてくれればいいのに。)
そして、照れくさくて、くすぐったくて、どんな顔をしていたらいいのかわからないでいる俺。
母さんがめずらしく「お部屋でお話しでもしたら?」なんて言い、それを聞いた翔が、髪のセットの仕方を教えてやると張り切って言った。
洗面所にあった兄貴たちの整髪料を物色して、さらに、見つけた手鏡を持って部屋に来た。
手鏡は持っていようかと思ったけど、疲れそうだし、なんとなくナルシストっぽくて恥ずかしいのでやめた。
「こうやって、ちょっとずつつまんで色んな方向に散らすんだ。」
やり方を説明してるなら鏡を・・・。
うーん・・・。
「けっこう面倒なんだな。」
それに、あちこち引っ張られる感じがくすぐったい。
「そうか? 慣れると早いけど。大野。そっち側、手伝って。」
「え? わたしも?」
茉莉ちゃんが?!
「いや、あの、翔。」
ダメダメダメダメ。
翔、ダメだ。
茉莉ちゃんに髪を触られるなんて!
「動くなよ、数馬。時間がかかっちゃうだろ? 大野、こうやって・・・。」
「ええと・・・、いいのかな? ・・では、失礼します。」
ウソだろ?!
は・・・、恥ずかしい!!
「こう?」
うわ、こっち側は茉莉ちゃんの指?
「ああ、そうそう。」
くすぐったい!!
そんなに触ったら・・・!
「もっと硬いのかと思ってたけど・・・。」
「なあ? 俺も意外だったよ。」
俺の髪の感想とか言わないでくれよ!
どうしよう?!
笑うのも変だし、真面目な顔もできない。
心臓が。
手で顔を隠したいけど。
これは拷問か?!
そうだ。
心をどこかに飛ばして・・・いや、それはもったいない!
「こんなもんか? 数馬、鏡。」
鏡?
ああ、これのことだな。
頭がぼんやりしてる・・・。
「どうだ?」
「うん・・・。」
鏡の中にはいつものメガネの顔に、軽く乱れたようにところどころハネた髪。
・・・よくわからない。
ふと目を上げると、鏡の向こうに茉莉ちゃんの顔が・・・って、目が合っちゃったよ!
茉莉ちゃんが赤くなるのはいつものことだけど、あの反応が今日は特別に心臓に!
それに、あの手で・・・、あの手が・・・、なんか、耐えられない!
「大野、どう思う?」
「ええと・・・、あの、似合ってる、けど、い・・つもの数馬くんじゃないみたい、で・・・。」
「そうかー。うーん、そうだな。やっぱり、いつものままが数馬らしくていいかもな。」
「うん・・・。」
うん。
俺もいつものままでいい。
面倒だからじゃなくて、こんなことをするたびに、茉莉ちゃんの指の感触を思い出してしまいそうだから・・・。