◆◆ みんなの前で ◆◆
「疲れた〜!」
文化祭の2日目が終わって生徒会室に到着した途端、思わず言葉が出てしまった。
そのまま目の前にある椅子に座って、机に体を投げ出す。
「ふふ。数馬先輩、お疲れ様でした。午前中の話、聞きましたよ。」
涼子ちゃんの声がする。
「ああ、聞いたの?」
「はい、虎次郎先輩と茉莉花先輩から。お昼の見回りで一緒のときに。」
そうか・・・。
あのあとずっと、あちこちでクラスメイトや知り合いから、あれこれ質問されたり当てこすりを言われたりした。
自分がそんな立場になったのは初めてのこと。
今までは、そういう生徒を “気の毒に” と、離れた場所から見ているだけだった。
「茉莉花先輩も大変でしたよ、見回り中に何度も声をかけられてましたし、走り寄ってくる人もいて。先輩は、衣装を脱いだらわからないんじゃないかと期待していたみたいでしたけど、うちの生徒の中ではもともと知られてましたからね。」
やっぱり。
今回のことで一番大変なのは、目立つことが苦手なのに注目の的になってしまった茉莉ちゃんだ。
きっと、困った顔でおろおろしているんだろうな。
「こんにちは・・・。あ、数馬くん!」
茉莉ちゃんの声だ・・・。
疲れていても、この声を聞くと笑顔になれる。
「ああ、茉莉ちゃん、お疲れさ・・」
「変な騒ぎに巻き込んでしまって、ごめんなさい!」
振り向くと同時に目の前で思いっきり謝られて、かえってびっくりしてしまう。
「え? あの、そんなこと。」
「よう、数馬。大変だったな。」
茉莉ちゃんのあとから、虎次郎と芳輝が笑いながら入って来る。
「俺も、数馬と茉莉花はどのくらいの仲なのかって、何度も訊かれたよ。」
「ほんとうに、みんな、ごめんなさい!」
「いいんだよ、謝らなくて。俺たち、けっこう楽しんでるんだから。なあ、虎次郎?」
「そういうこと。生徒会役員だって自慢できるチャンスなんて、めったにないんだぞ。」
虎次郎も芳輝も、ほんとうにいい仲間だ。
あ、俺も言わなくちゃ。
「虎次郎。芳輝。あのとき出てきてくれてありがとう。思い切って言っちゃったものの、周りが黙っちゃったからどうしようかと焦ってたんだよ。」
「あれが一番面白かったなあ。ははは!」
「そうだね。スカッとしたよ。」
笑いながら涼子ちゃんのいる打ち合わせ机へと進んでいく二人のあとから、茉莉ちゃんと俺も移動。
「俺たち、茉莉花が控室から出てきたら一言かけようと思って廊下に出たんだよ。そうしたら、ちょうど数馬が輪の中に引っ張り込まれたところで。」
そうだったのか。
茉莉ちゃんが教室へと去ったあと、俺たちもまた囲まれないうちにすぐ解散したから、二人の話を聞くのは初めてだ。
「茉莉花が花束を持ってきた男の人に抱き付いたのには驚いたけど、本人の性格を考えたら、あれは落っこちたんだなって分かったからね。あはは。」
さすが芳輝。
あれを見て逆上した俺とは違う。
「どっちにしても、恥ずかしいです・・・。」
茉莉ちゃんは、きのうと今日の見回りチェック表を確認しながら、赤い顔をしている。
「あそこで数馬が適当に逃げちゃったら、俺たちも知らんぷりするつもりだったけど、ああやって立ち向かうなら、手伝おうかな、と思って。」
「え、あ、でも、立ち向かうってほどのことは・・・。」
逃げようと思ったのは確かだし。
「去年の数馬だったら、適当にあしらって立ち去ってたと思うぞ。」
「・・・そうかな?」
「そう。お得意の優等生の顔で。」
優等生の顔・・・。
そんなふうに見えてた?
っていうか、虎次郎にはわかってた?
「虎次郎、はっきり言うね。俺は今年しか知らないからよくわからないけど。茉莉花から見ても変わった・・・ああ、茉莉花は答えなくていいよ。くく・・・。」
う・・・。
茉莉ちゃんから見て、俺がどうなのかって聞いてみたいけど、内気な茉莉ちゃんに男の評価をさせるなんて、やっぱり無理だよな。
話を振られそうになっただけで、ますます真っ赤になって・・・。
「まあ、とにかく、数馬があんなふうに大勢を相手に開き直るのを見たら、応援したくなったわけ。」
「それと、自慢だろ?」
「もちろん!」
なんだか・・・・・嬉しい。
二人が出てきてくれたあのときもそうだったけど、気持ちがフッと軽くなるような。
からかわれている部分もあることは分かってる。
でも今は、それさえも楽しい。
虎次郎が言うように、俺自身が変わったんだろうか?
・・・うん、そうだな。
前はあんなふうに他人の前で開き直ってみせることなんてなかった。
“どうせ誰も、俺のほんとうの気持ちなんか分かるわけがない” なんて考えて。
人前で声を荒げることもなかった。誰かと対立することも。
それが、あんなに大勢を相手にして、あんな態度を・・・。なんだか笑える。
こんなふうに俺が変わったから、虎次郎の接し方も変わった?
そういえば虎次郎は、前にも叱ってくれたっけ。
もしかしたら俺よりも、俺のことをよくわかっているのかも知れないな。
芳輝だって、この前、茉莉ちゃんのことを勘違いした俺を助けてくれた・・・。
「虎次郎と芳輝には、世話になってばっかりいるなあ。」
俺の言葉に虎次郎はにやりと、芳輝は楽しそうに笑った。
「数馬くんよりもわたしだよ。ただみんなの面倒のもとになってるだけだもん。」
茉莉ちゃんがため息をつく。
「そんなことありません! 茉莉花先輩は茉莉花先輩にしかできないことをやってるじゃないですか!」
「そう・・・?」
「そうですよ! ねえ、数馬先輩?」
「うん、そうだよ。そういえば、前に虎次郎が言ってたよな? 生徒会はチームだって。」
「チーム?」
「そう。全員でひとつだって。困ったこととか、苦手なことがあったら、誰かほかのメンバーがフォローすればいいんだよ。そういうことだろ?」
「さすが、数馬は優秀だな! ははは!」
豪快に笑う虎次郎に、茉莉ちゃんがおずおずと尋ねる。
「わたしも、チームの一員?」
「当たり前だよ。」
「先輩、あたしもですよね?」
「当然だ!」
「遅くなりました〜。」
「こんにちは!」
潤と慎也だ。
「この二人は?」
芳輝が楽しげに目配せしながら俺たちを見回した。
「ああ、そういえば。」
話の成り行きがわからない潤と慎也が顔を見合わせている。
茉莉ちゃんと涼子ちゃんは不思議そうな顔をし、芳輝が笑いながら説明した。
「二人とも、ものすごく逃げ足が速いんだよ。」
俺が茉莉ちゃんに「数馬くん」って呼ばれてると言い放ち、虎次郎と芳輝が出てきてくれたとき、あの集団の中からすでにこの二人はいなくなっていたのだった。
自分たちが俺たちと同じ立場だと気付いて、声をかけられる前に消えたに違いない。
あのときは、その素早さに驚いたし、感心した。
「逃げ足が速いことも特技の一つだし、空気の流れを読んで素早く判断することも大切なことだよな。」
そう言うと、周りの4人が楽しそうに笑い、潤と慎也は目をパチパチさせながらもう一度顔を見合わせた。
「茉莉ちゃん。」
駅の改札を通ってそれぞれのホームへと別れる直前、どうやって切り出したらいいかずっと迷っていたことを言うために、茉莉ちゃんを呼び止めた。
「はい?」
少し驚いたように返事をしながら振り向いた茉莉ちゃんは、視線がぶつからない絶妙な位置で顔を上げるのを止める。
茉莉ちゃんがなかなか目を合わせてくれないのは、いつものことだからもう慣れた。
でも最近はこういう瞬間に、彼女が初めてうちに来た日の帰りに偶然起こったできごとが心に蘇って、胸が苦しくなってしまう。
もう一度。
でも。
「ええと、俺のこと、みんなの前で名前で呼ぶのは恥ずかしい?」
もちろん、答えはわかっている。
「え・・・? あの、生徒会のみんな以外の、ってこと?」
たぶん、考えただけでも恥ずかしいんだろう。
俺がうなずいたのを見て、真っ赤になって下を向いてしまった。
あーあ。
ほんとに可愛いなあ。
二人で一緒に歩きたい。
「そうだよね。でも、できたら明日からは呼んでもらいたいんだけど・・・無理かな?」
あ、目が合った!
やっぱり一瞬で終わりか・・・。
「ええと、実は、あの騒ぎのときに、俺、『茉莉ちゃんに数馬って呼ばれてる』って言っちゃって。」
「うん・・・。虎次郎くんから聞きました。」
「だから、その・・・あんなこと自慢しちゃったのは自分が悪いんだけど、できたら・・・。」
「あの、頑張ります。」
「え?」
いいの?
「明日から、どこでも『数馬くん』って呼べるようにします。」
「茉莉ちゃん・・・。」
「だって、」
あ。
笑ってくれた。
「そうじゃないと、数馬くんが嘘つきってことになっちゃうもんね?」
「・・・うん。ありがとう。」
俺のために頑張ってくれる?
恥ずかしがり屋の茉莉ちゃんが?
自分が頼んだことなのに、どうしてこんなに感激してしまうんだろう?
「でも・・・、やっぱりちょっと時間がかかるかもしれない。」
「うん。いいよ。茉莉ちゃんができる範囲で。」
その気持ちだけでも、十分に嬉しい。
「うん。じゃあね、また明日。・・・数馬くん。」
最後の部分はとても小さい声だったけど、ちゃんと聞こえた。
「うん。また明日、・・・茉莉ちゃん。」
手を振り合ってお互いに背を向ける。
ごめん、茉莉ちゃん。
俺、今、気付いた。
“みんなの前で言っちゃったから” っていうのは口実なんだよ。
ほんとうは、茉莉ちゃんにいつでも「数馬くん」って呼んでほしいんだ。
誰かの前で「日向くん」って言われるたびに、さびしかったんだよ。
だから・・・。
自分勝手なわがまま言って、ごめん。