◆◆ 本当のこととウソ(2) ◆◆
茉莉ちゃんに謝らなくちゃ。
1分でも1秒でも早く。
教室まで行って、その場ででも。
生徒会室の書庫側の戸口からそっと廊下へ顔を出すと・・・茉莉ちゃんがいた。
前側の戸を開けようとして手を伸ばしかけ、俺に気付いて、怯んだ表情を浮かべた。
そんな顔をさせてしまって・・・。
茉莉ちゃん、ほんとうに・・・。
無言でお辞儀をして急いで戸を開けようとした茉莉ちゃんの手首をつかんで、校舎のはしへと走る。
驚きのためか、恐怖のためか、茉莉ちゃんはひと声もあげなかった。
行き止まりまで走って振り向くと、左側の階段が目に入る。
そういえば、この前、謝ったときは、この階段の一番上だった・・・。
「茉莉ちゃん、きのうはごめん!」
茉莉ちゃんの正面で、思いっきり深く頭を下げて。
目の前の上履きが、もぞもぞと後ろに下がって行くのが見える。
「あの、俺、その、」
顔を上げると、両手でカバンを抱えて俺を怖そうに見つめる茉莉ちゃんが。
当たり前だ。
あんなに不機嫌な態度をとったんだから。
でも、どうか行かないで!
「きっ、きのうは、その、・・・お、お腹の調子が悪くて!」
「・・・おなか?」
そうだ!
この言い訳でなんとか切り抜けよう!
「ええと、そうなんだ。俺、お腹をこわしてて、あ、あの、れ、冷房がキツかったのかな、その・・・トイレとか、あの、虎次郎も芳輝もいなくなっちゃうし、その、」
あ〜〜〜〜!
ちょっと品がないけど、この際、そんなこと言ってられない!
「お、俺、きっと怖い顔してたよね? あの、余裕がなくて、でも、かっこ悪くて言えなくて・・・、その、あんまり話とかできなくて、」
お? けっこうナイスな言い訳だったかも!
俺って言い訳の天才か?
「あ・・・頭が混乱して、自分でもよく分からなくなってて、いきなり手塚の話とか出てきちゃったりして・・・、なんか、変だったんだよな、俺。」
「手塚くんの・・・ことも?」
それはちょっと厳しいかな?
でも、言い切るしかない!
「そうなんだよ! それに・・・ええと、先に帰っていいって言われたときにはほっとして・・・急いでて、あの、日曜日の夕飯のことも、あのときには、その、何を言われているのか考える余裕がなくて。」
茉莉ちゃん!
出まかせだけど、信じてください!
「そんなに・・・。」
「ホントにごめん! 茉莉ちゃんを怖がらせたこと、深く、深く、反省してます!」
これは出まかせじゃありません!
「あの、だから、日曜日、うちで夕飯を食べて行ってください! お願いします!」
「・・・・・・。」
・・・茉莉ちゃん? ダメ?
「・・・言ってくれればいいのに。」
え?
顔を上げたら、茉莉ちゃんは相変わらずカバンを両手で抱えたままだったけど、その姿からは俺を怖がっている様子は消えていた。
俺と視線が合う直前に彼女はすいっと横を向き・・・ちょっと拗ねたような表情が浮かぶ。
初めて見るその表情が、いつもよりずっとプライベートな意味を持っているような気がして、胸の中がざわざわと波立った。こんなときなのに。
「具合が悪いって、言ってくれればよかったのに。わたし、そんなに頼りにならない?」
言葉遣いも、いつもよりも親しげに感じないか?
責めているような、甘えているような?
「そういうわけじゃ・・・なくて・・・。その、みっともない気がして・・・。」
「お腹をこわしてることが? くくく・・・。」
あ、笑ってくれた・・・。
「うん。」
「そうかもしれないけれど・・・、どこが具合が悪いかなんて、ウソでもいいのに。」
「うん。そうだね。・・・ごめん。」
やっぱり可愛い・・・。
「うん。・・・よかった。」
安心してくれた?
「今日ね、来るのがちょっと怖かったの。数馬くんが怒ってると思っていたから。」
「うん。そうだよね。ごめん。」
ちょっとじゃなかったよね。
だけど、茉莉ちゃんはちゃんと来た。自分の仕事をするために。
「でも、来てよかった。」
「もし、茉莉ちゃんが来なくても、教室まで謝りに行くつもりだったから。」
「そうなの? ・・・ありがとう。」
その笑顔・・・。
茉莉ちゃん、大好きだよ。
そうやって、恥ずかしそうにうつむく姿も。
「ありがとうなんて、言わなくていいよ。悪いのは俺だから。」
「そう? ・・・でも、話してくれて嬉しい、です。」
また敬語?
仕方ないか、あんなことの後なんだから。
「あの・・・、日曜日のことなんだけど、夕食はうちで食べてくれる・・・かな?」
「ええと・・・、いいのかな?」
え?
「きのう、行かないって言っちゃったし・・・。あんまり変更するのは悪いみたいな気が・・・。」
「そ、そんなことないよ。」
もしかして、まだ完全には許してくれてないのか?
「あの、きのうの取り消しのことは、うちの母親に言ってないから。」
「あ、そう・・・なの?」
「うん、そうなんだ! だって、ほら、きのうは具合が悪かったから・・・。」
ほんとうは言い出しにくかったからだけど・・・。
「だから・・・お願いします! うちで夕飯を食べて行ってください!」
お願いだよ、茉莉ちゃん!
茉莉ちゃんと、少しでも長く一緒にいたいんだ!
「あ、ええと・・・、はい。」
――― 「はい」?
「はい」って言ったよね?!
許してくれた?
これで、もとどおり?!
「よかった!!」
「きゃっ?!」
え?
う、腕の中に茉莉ちゃんが?!
いつの間に?!
っていうか、そんなふうに見上げられたら、近いよ!!
「ああああああ、あの、ごっ、ごめん、あのあの・・・。」
俺だ!
手! 手をひっこめるんだ! 早く!
「あの、はい、あの、ええと、大丈夫です。はい。」
なにやってるんだ?!
心臓が爆発しそうだ!
茉莉ちゃん・・・、また怖がられたり・・・してない?
相変わらずカバンを抱きしめてはいるけど・・・大丈夫みたいだ。
よかった・・・。
あ〜! ドキドキがおさまらない!
こんなところに二人きりでいたら、違う意味で気まずくなっちゃうよ!
「失礼しました! ・・・あの、行こうか。」
「はい・・・。」
茉莉ちゃんが隣に。
一緒に歩いてくれるだけで、俺、こんなに感動してる。
じんわりと、幸せがこみ上げてくる。
「もしも・・・。」
「はい?」
「もしも、茉莉ちゃんが夕飯を食べて行ってくれないことになったら、俺もきっと、夕飯抜きになっちゃうな。」
「そう?」
「うん。うちの家族は、みんな茉莉ちゃんがす・・・好きだから。」
俺も。
俺が一番に。
「・・・もしそうなったら、」
「うん。」
「数馬くん、・・・うちに食べに来る?」
茉莉ちゃん?!
あ〜、もう!
そんなに赤くなって・・・また心臓が! 手をつなぎたい!
「うん。それもいいね。」
このまま廊下が永久に続くといいのに。
でも、生徒会室は、もう、すぐそこ。
「・・・一葉の文化祭にはね、行かないことになったの。」
え?
「あの・・・きのうのことは気にしないで・・・」
「違うの。手塚くんはね、・・・文化祭に来てほしいひとがいたの、うちの学校に。」
「来てほしいひと?」
「そう。月曜日の帰りにめずらしく駅で一緒になってね、部活・・・夏休みにその子を見かけて、お話ししてみたかったらしくて、それで、文化祭に来ないかって。」
「めずらしく」・・・ってことは、偶然?
茉莉ちゃんを通して、その子を誘った?
「ふふ。誰かは秘密。そのひとが都合が悪くて行けないから、お断りしたの。」
俺はなんて馬鹿なんだ!
ちゃんと話を聞けば、すぐにわかったことだったのに!
芳輝に言われたとおり、言葉が足りな過ぎたんだ。
これからは、もっとちゃんと話をしよう。
心の中で考えているだけじゃなくて。
それに、憶測で茉莉ちゃんを疑うのはやめよう。
茉莉ちゃんは誠実で素直なひとなんだから。
だけど・・・。
好きだから訊けないことって、たくさんあるんだよな・・・。
生徒会室の戸を開けて「どうぞ。」と言ったら、茉莉ちゃんは恥ずかしそうに微笑んだ。
「ありがとう。」
小さな声でささやかれた言葉はなんとなく・・・、なんとなくだけど、もちろん勝手な思い込みなんだけど、そっと・・・キスされたような気分。
それが、さっき茉莉ちゃんを抱き締めたときの記憶を呼び起こして・・・、さらに、あの駅前での茉莉ちゃんの瞳を思い出して・・・。
胸がキュッと痛くなった。